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第十話

 報告書6号を瀬野に渡してから、音矢は翡翠にスケッチブックを見せた。自分が大人にふさわしい姿になった絵は、翡翠をとても喜ばせた。


「おお! これはいい! ボクはこうなりたい! 

 これをボクにくれないか。部屋に飾っておきたいんだ」


「あはは。こんな素人の絵でよければ、どうぞ」


 音矢はスケッチブックからその絵を外し、翡翠に渡した。それに挟んであった紙が、ひらりと舞い落ちる。


「瀬野さんも見てくれ!」


「……そうね。すてきな姿……」


 瀬野は渡された絵を、翡翠に返す。


 自室に持っていく翡翠を見送り、ふと視線を下にむけると、畳の上の紙を瀬野は見つけた。何気なく拾う。


 それは音矢が翡翠を大人の姿にかくため、試作に使った絵だった。


「これは水晶くんの顔! どこで見たの!」


 問い詰められて、音矢はそれをかいた経緯を話す。


「……というわけです」


「それならいいけれど」


 安心したように、瀬野は息をはいた。


 彼女の反応に、音矢は疑問を持つ。


([いいけれど]とはどういう意味だろう? 

 僕がこっそり水晶さんと接触していたとして、

 それが瀬野さんにどんな不利益を与えるんだ?)


(ああ、水晶さんを拉致したのが礼文だから……)


(水晶さんと礼文は同じ場所にいる。

 礼文と僕が接触したなら、瀬野さんの嘘がまた暴かれてしまう……

 そういうことか)


 自分の思いにふけっていた音矢を、瀬野はにらむ。


「あんた、なにか嫌なことを考えていやしないでしょうね」


 音矢は明るく笑って返事をした。


「あはは。同じ双子なのに、

 成長の度合いに違いがあるのはなんででしょうねえ」


 その問いに、瀬野も微笑んで答える。


「神代細胞の質が違うから……じゃあないの?」


「なるほど……それはそれとして、

 翡翠さん、どんなふうに飾るつもりなのかな? 手伝ってきます」


 音矢は身軽く立ち上がった。


 しばらくして、翡翠と音矢は戻ってきた。翡翠は手ぶらだが、音矢は手に色鉛筆の箱を持っている。


「ちょいと色を付けてみましょう。水晶さんは紫色の角と眼ですね。

 そして髪の毛の色は翡翠さんと共通で少し赤っぽいと」


 ちゃぶ台の上で、音矢はサラサラと鉛筆を動かす。


「そういうわけで、水晶さんの似顔絵ができました。

 もしよかったら、行方を探す手掛かりにしてください」


 にこやかに差し出されたので、瀬野は受け取らざるを得なかった。


(こんなもの……そもそも居所はわかっているのよ。

 音矢に教えていないだけで)


(どうしようかな。

 人の顔をかいた紙をクシャクシャにしてゴミ箱に捨てるのも、

 なんだか気が咎めるし……)


その紙を、瀬野は報告書の束にはさんだ。


(礼文にあげてしまおう)



   ◆◆◆◆◆◆



 スケッチブックはそのまま茶の間に残った。酒を飲みながら翡翠や瀬野が絵を見て、感想を言う。音矢は自分の絵が評価されて恥ずかしくもあったが、うれしかった。


「あら、パリに三人で出かけたところかあ……」


 翡翠のもとめに応じてかいた絵を、瀬野はながめる。


 ついでのことなので、音矢は翡翠のもう一つのお願いを混ぜて、シャンゼリゼ通りのカフェーで山盛りのごちそうを食べている光景にした。


 ただし、音矢はフランス料理に詳しくない。だから、たっぷりの生クリームで飾られた上にイチゴや缶詰のパイナップル、黄桃が山盛りになっている大きなデコレーションケーキをごちそうとしてかいた。この時代、果物の缶詰は高価なもので、普通の子供たちは病気の時の栄養補給として特別に開けてもらう時くらいにしか食べることができなかったからだ。


「……実際に行けるものなら、行ってみたいわね……

 でも資金が……船で行くにも飛行機でも運賃がお高いし、滞在費用も……」


 1930年〔光文5年〕の日本は、富の格差が激しい。一部の大金持ちならいざ知らず、長期間の海外旅行など庶民には縁のない話だった。


「やっぱり、あのかたは違うわね」


「え? あのかたって?」


「……こっちの話よ。気にしないで、話を続けましょう。

 なんで、ごちそうを食べるのに店の中ではなくて、外なの?」


「どうやら、道端に席をとるのがあちらの流儀らしいですよ。

 グラビアの解説にそう書いてありました」


「絵の中の私たちは幸せそうね。うらやましいわ」


 瀬野は、なにげなくスケッチブックの別のページを開く。


「これは……あの子の」


「ああ、呉羽ちゃんが母親に邪魔されずに、

 公園でゆっくり読書を楽しんでいるところですよ。

 そばには彼女の好きな小説の単行本も置きました」


 いきなりダンゴ虫とミミズの盛り合わせを突きつけられた時のように、瀬野は動揺しなかった。彼女が手にしているのは、ごく穏やかな風景の絵だからだ。しかし、背筋は同じようにざわつく。


「次のページは童話風の絵ですが、

 そのまた次の絵は北原福子さんが、

 偉い画家になって前衛芸術の個展を開いているところ。

 その次は南方実篤さんがヤマトタケルのような英雄になったところ。

 一番新しいのは、蝶子さん……本名は有吉あやめさんが、

 レビュウの舞台で主役を務めているところです。

 現場の建物内に残されていたノートの絵を参考にしました。

 僕なりのお弔いですよ」


「……お弔いって?」


「音矢くんは、神代細胞の実験台にされて命を失った人の

 魂をなぐさめるために、

 彼らが望んだことが実現した状態を絵にかいてあげているんだ。

 前のほうにあるページには、

 あの孤島で亡くなった三人の絵もあるぞ」


 誇らしげに、翡翠が口をはさむ。


「ええ、ただ礼文に利用されて死んでいったってのは気の毒ですからね。

 せめて、空想の中でだけでも幸せになってほしくって、

 絵として表現しているんです」


 彼らにとって、これは善行らしい。確かに建前としては筋が通っている。


 だが、瀬野は音矢の絵を、おぞましく感じた。


(自分が殺した人たちを、わざわざ絵にして保存する……なんか引っかかるわ)


(そう、これは収集品。

 その証拠に、こんなに嬉しそうな顔をして音矢は私に見せている。

 まるで採集した昆虫標本を自慢するみたい)


(こいつは自分がほふった死者を

 翡翠くんと私に見せびらかして喜んでいるのよ)


(気持ち悪い)


 しかし、翡翠にはその意味がわからないようだ。無垢な彼を傷つけないため、瀬野は自分の不快感を隠し、ただスケッチブックを閉じるだけにとどめた。




次回に続く






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