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第九話

 9月に入って間もない日、富鳥元子爵は宣言した。


「……つまり、神代細胞の実験台にするために、

 身寄りのない十代の子供を集めて

[真世界への道]親衛隊を作るわけ?」 


 父の真意が理解できなかった義知は問い返す。


「そうだよ。パパ考えたんだ。

 翡翠細胞の成功例である新田くんは、

 投与されたときに17歳だったよね?

 そして、当の翡翠くんと水晶くんは胎児の時に投与。

 つまり、若ければ若いほど適応しやすいという仮説をパパは立てたのさ。

 だから十代の子供を集めて実験台にするんだ。

 でも、死ぬかもしれない実験台にするといったら、親が反対するよね。

 それで身寄りのない子供や親に見捨てられた子供を使うわけ」


「でも……」


 義知は反論する。しかし、それは子供たちに同情したからではない。


「でもさあ、徴兵年齢である20歳以上の人間に適応できないなら、

 軍は不死身兵士の実用化完成と認めてくれないんじゃない?」


「だーいじょうぶだよう」


 父はそれに笑顔で答えた。


「陸軍幼年学校の入校年齢は13歳から15歳までだもの。

 軍人を志望する子供に植えつけて、

 神代細胞を使いこなす訓練をしているうちに

 実戦に出せる大人になるんだったら、ちょうどいいでしょ」


 義知はもう一つの疑問を口にする。


「でも、本土での実験第1号の松木呉羽は14歳だったけど、失敗したよね」


「だって、あの子は女だったよ。

 一方、新田くんと水晶翡翠兄弟は男。

 そっちの要素が阻害したって可能性も考えられるよね」


「あ、そうか」


 納得した息子に、義光氏は鷹揚おうような様子でうなずいた。


「だから、義知ちゃんが使ってない研究所を宿舎にして

 元気な男の子たちを集めておくんだ。そして実験台候補にする。

 でも、不死身の力を持っているのに、反抗的な性格だったら

 脱走して、悪いことに力を使うかもしれないよね。

 そこが立派な軍人さんをめざす幼年学校の真面目なお子さんと、

 特に愛国心に富むでもない、普通の民間人になるだろう子供との違いさ。

 そこで、義知ちゃんが首領の[真世界への道]の信者にするんだよ。

 ひとところに集めて、毎日教義を勉強させて、

 素直に命令に従うような人格を育成するんだ。いい考えでしょ?」


「でも、そんな不自由な生活をおくりながら、

 死ぬかもしれない実験に協力してくれる身寄りのない男の子たちを

 どうやって探すのさ」


「うふふう。パパに抜かりはないよ」


 義光氏は、得意げに胸を張る。


「須佐元伯爵夫人の代理を務めている弁護士さんにこの話をしたら、

 心当たりがあるから、候補者を集めてくれるって。

 とりあえず5人くらいを連れてくるから、

 教育係兼、世話係を準備しておいてくれって。

 学校の寮を管理する舎監しゃかんみたいなものかな」


「それなら、津先を使おう。もともと教師をしていたんだし、できるよね」


「うん。弁護士さんも、あの人がここにいることを当てにしての計画だって。

 もともと津先くんを紹介してくれたのも、あの弁護士さんだからね」


 本人の希望も、上司である礼文の都合も、まったく考慮せずに富鳥父子は津先の配置転換を決定した。



   ◆◆◆◆◆◆



 礼文の操縦する車で、富鳥父子は郊外の研究所に向かっている。


「この車は、地面の形がそのままお尻に伝わってくるねえ。

 石を踏むたびにピョコンピョコン跳ねるよ。うふふう」


 義光氏は、大衆車の乗り心地に普段とは違う趣を感じて喜んでいるようだ。


 義知は父の楽観性を少しうらやましく思う。だが、残りの8割は恨んでいる。


 父は勝手に義知を神代細胞の研究者として軍に推挙した。義知も、最初に話を聞いたときは詳しい情報を知らされなかったので、功名心を刺激されて同意した。


 同意してから、孤島の研究所から持ちこまれた資料を読んで、義知は、神代細胞の危険性に気づいた。


 しかし、すでに父は大いに意欲を示し、関係者との打ち合わせもしていた。だから、義知は本土に研究所を作ることを主張し、神代細胞とかかわることを間接的に拒否したつもりだった。


 だが、父は廃工場の敷地を手に入れ、新しい研究所を作ることで解決してしまった。


 義知はそれでも研究所に行くことを拒んでいたが、父はしつこく誘い続け、とうとう今日を迎える。


 彼が父の要請に従う気になったのには、二つの理由があった。


 被験者への投与実験は礼文に押しつけてきた。そしてそれが事故を起こさず無事に収束していることで、義知は神代細胞の危険性を忘れてきている。


 そして下請けの報告書を基にした[回収石]に関する論文を書き上げ、軍に提出するめどをつけたので、研究者としての自信を取り戻したということも、義知を後押しした。




 礼文は研究所の前にいったん車を止めた。


 ここはもともと、染物工場とそれに付属する宿舎だった。染料に漬けた布を加熱するためのボイラーなど、運び出せて換金できる機材は借金の足しにするために売り払われた。だが染め上った布を干すための広い庭や屋根つきのヤグラ、染色に使う大量の水をくみ上げておくための大きなタンクがついた井戸、製品を車に積むための駐車場、そして工場の建物と倉庫はそのまま残っている。


 研究所として改装されたのは従業員宿舎だ。宿舎の周囲には労働者の福利厚生と染料の研究材料採取を目的にした花畑があったが、その西側の一部をつぶして研究所にした。


 倒産した会社を整理する時に、債権者である富鳥建設が敷地ごと手にいれたものだ。その社長である義広から父の義光氏が買い取り、自分が役員を務めている子会社を使って研究所に改造した。


 まず礼文が先に降り、あらかじめ渡されていた鍵で門を開ける。改築が終わってから、ろくに手入れがされていなかったようで、開くときに門扉は耳障りな音をたてた。


 敷地内の駐車場も、敷き詰められた砂利のあちらこちらから雑草が伸びている。そこに車を移動させてから、礼文は再度降り、うやうやしい動作で後部座席のドアを開く。日本に亡命してからの5年間で、内心の屈辱を隠す技術を、彼は身に着けていた。


 コロリンという擬音をつけたくなる動作で義光氏は降車する。続いてノソノソと義知が降りる。


「ね、けっこういい場所でしょう? 

 染料の臭いがするんで、住宅地から離れたところに建てられたから、

 人目にもつかないしね。

 それに、子供たちを敬虔な信者にするには、

 外部からの雑音は邪魔でしょう? うふふう」


 褒めてくれとばかりに、義光氏は幼児のような笑い声をあげる。


「工場の機械は持ち出されたけれど、

 作りつけの大きな水槽とかあるから、

 神代細胞が安全に使えるようになったら、

 培養にも使えると思うんだ。

 あ、物干し場はみんなの運動場に使えるよ。

 ヤグラも鍛錬に役立つだろうし。

 子供たちを健全に育てるには、体も動かさないとねえ。

 畑も全部使わずに残しておいたから、農業体験もできる。

 今は雑草だらけだけど、お芋とか植えればみんなで食べられるさ」


 思いつきを口にしながら、義光氏は足取りも軽く研究所に向かう。それは二階建ての、変に奥行が広い建物だった。理由を義光氏は語る。


「もともとあった宿舎に、

 あの孤島の研究所をくっつけるようにして建てたんだ。

 もっとも、そのままではここの環境に合わないところや、

 宿舎にある設備と重複する箇所なんかがあるし、

 独自の設備も付け加えたいから

 パパは研究所の設計書を自分で改良して、一生懸命作業員に指示したんだ。

 でも、おもしろい仕掛けをたくさん作ろうって言ったのに、

 それは変だなんて抵抗されて、パパ困ったけれどね。

 やってくれなければ、みんなクビにするって説得したら、工事してくれた。

 うふふふふう。やっぱり頭が固い大人はダメだよ。

 結局やってくれるなら、

 最初から素直に『はい、わかりました』って言えばいいのにさあ」


 胸を張る義光氏を見て、義知はひきつった笑顔を浮かべた。


「……ありがとう。パパはとってもすごいなあ」


 30年近くも義光氏の息子を務めている経験が、彼にこう言わせた。


 父は、自分の思いついたことがいつまでも受け入れられないでいると、最後には激怒するからだ。


 礼文を連れてきたときのように、義知の好み通りの思いつきなら、大いに喜んで父を満足させてやってもいい。しかし気まぐれな思いつきの全てに付き合っていると、義知の身が持たない。


 だから気に入らない時は、まず拒否する。放置するうちに父が飽きてくれればそれで良し。いつまでも父が興味を失わなかった場合だけ、ギリギリのところで受け入れてやる。これでなんとか義知は父のおせっかいをやり過ごしてきた。


「ね、ね! そうだろ、そうだろ! うふふふふう」


 自分の行為に対する感謝を、義光氏は喜んだ。息子の言葉が棒読みであることに、彼は関心を持たない。



 元からある宿舎は、長細い建物の二階が工員の部屋。一階は北から風呂場、脱衣所、水洗便所、衣料品倉庫、玄関、食糧倉庫、調理室、食堂を兼ねた集会室、工場長室と並んでいる。大戦景気で儲けたせいか、なかなか良い設備がそろっていた。


 もし、将来もこの景気がずっと続くと信じた染物業の社長が、不況の到来に打撃を受けて改装費や運転資金を返済できず、工場敷地内で一家心中しなければ、富鳥建設への負債としてとりたてられることはなかっただろう。そして事故物件でなければ、いくら父の頼みでも広い土地と建物を義広が格安で提供しなかっただろう。


 集会室の隣、建物の南端に工場長室はある。平の工員たちが使う部屋は外廊下のある東側にしか窓はないが、この部屋は南だけでなく東西の壁に窓があった。そして北側の壁中央には大きな本棚が作りつけられている。義光はその前に立った。


「うふふふふう。さあ、これの仕掛けがわかるかな?」


 義知と礼文は本棚の前に立ち、動かそうと試みるふりをした。もし、[種明かし]の前に細工の痕跡を見つけたら、たちまち義光氏は不機嫌になると二人とも予測したからだ。


「5、4、3、2、1、0! はーい終了! 

 うふふふふう。ね、わからないでしょう? パパの考えた擬装は完璧だね」


「うん、ぜんぜんわからないや」


「旦那様のお知恵は、私などよりも、よほど優れていらっしゃいます」


 両者の追従を聞いて、義光氏はとくいげに胸をはった。


「仕掛けはこれ!」


 本棚に並べてある厚い本の1つを抜いた。そこに手を入れて操作してから、義光氏は本棚の右側を押す。縦軸を中心に本棚は80°回転し、秘密の出入り口が表れた。


 正確には、秘密の隙間だ。


「……どんでん返しを作ったって、言われたんだけれど……」


 忍者屋敷などにあるカラクリなら、一回転するだろう。そう思って、義知は本棚をさらに押す。しかし、仕掛けはそこで止まったままだ。


「ああ、そうだ。

 ちょっと通路の幅が足りないから、つっかえて回らないんだ。

 ま、ささいなことだから、気にしないで。

 とりあえず、先にこっちの説明をしてから、

 新しく作った側の案内をしてあげるよ」


 義光氏は隙間に小太りの体をこじ入れた。彼の体は狭い隠し通路をほとんど塞ぐが、なんとか前後に進むことはできる。


 義知と礼文は痩せているので、行動に支障はない。


 秘密の通路に備えつけてあった懐中電灯で足元を照らしながら、義光氏は進む。


「うふふう。歩いても、靴音が響かないでしょう。

 そのために、良いジュウタンを敷いたんだよ」


 義知はうなずいた。足に伝わる感触でわかる。これは離れに敷いてあるものと同じくらいに上質。つまり高価ということだ。ただし、通路自体の作りは雑なようで、歩くとやや床が沈むように感じる。義光氏に脅されて変な建物を急いで作らされたため、作業員たちは、粗い仕事をしなければならなかったのかもしれない。


 その場の思いつきによるさまざまな不具合を、金で解決するのが義光氏の生きかただった。


 粗い仕事の痕跡は壁にもある。ところどころに隙間があり、暗い隠し通路に外からの光がいくつもの筋をつくっていた。


 しかし、義光氏はご満悦のようだ。その列をなす光を指さして、得意げに笑う。


「うふふう。ここから、研究所側がのぞけるんだよ。

 もとからあった宿舎側にはこんな隙間が無かったから、

 わざわざ開けてもらったけれどね」


 義知は新しい壁と古い壁を撫でてみる。手触りからして、古いほうは外壁だったようだ。窓を塞いだ跡もある。宿舎の片側に新しく研究所を継ぎ足したため、妙に奥行ができたらしい。


 狭い通路のどん詰まりに、鉄のハシゴが設置されていた。義知は上を見る。天井にあけられた穴の中をハシゴは貫いていた。続いて父の肩越しに覗きこんで床を見る。ハシゴの真下には四角い切りこみがあった。義光氏がしゃがんで操作すると、床板の一部が外れ、人が通れるくらいの穴ができた。


 そこから異臭と水の音が上がってくる。


「これが下水に通じる抜け道。ずっと進むと、川に出るんだ」


 1930年〔光文5年〕において、工業排水は法によって規制されていない。汚染された水を浄化することもなく、そのまま川に流すのが普通だった。


「工場用の管は太いからね。立って歩くのに不自由はないよ」


「そうなんだ」


「さようですか」


 義知と礼文はあいづちを打つが、そこに入ろうとはしなかた。義光氏も無理強いはせず、すぐに蓋を閉める。作ってみてから、気味の悪い虫が生息している下水管の中を移動するのが、とても不快であることに彼は気づいたからだ。


「上の通路もここと同じようにのぞき見ができるようになってるんだよ」


 義光氏はハシゴを指差すだけで、昇ろうとはしない。浮力に助けられるプール内とは異なり、自分の体型では地上での垂直移動はきついということを彼は知っている。


「そうなんだ」


「さようですか」


 そして、ハシゴの前に立つ富鳥元子爵を押しのけてまで上の様子を確かめに行こうとするほど、二人はこの建物に興味を持っていなかった。


 説明が終わったので、三人は回れ右をして出口に向かう。


 義知は、背後から不穏な気配を感じた。


 自分が設備に関心を向けないので父は機嫌を損ねたと、彼は思う。あわてて立ち止まり、義知は新しいほうの壁の隙間に顔を近づけて覗いた。


「ああ、本当だ。部屋の中が見えるよ。大きな鉄の檻もある」


「ね? ちゃんとしているでしょう。うふふう。

 ここから出たら、すぐに案内してあげるからね。

 落語で言う真打しんうちに期待していいよ」


 どうやら父は満足してくれたようだ。義知はひとまず安心した。


 しかし、見ている景色が嫌な記憶を呼び覚ます。


 研究日誌の記述によると、檻の中で神代細胞を投与された実験台を飼育し、死に至るまで観察していたはずだ。アルバムに貼られた写真を思いだし、義知は首筋に寒気を覚えた。


 おまけに、この土地は以前の持ち主が無理心中をするために斧をふるって家族を皆殺しにした現場だと父にも聞いた。だから今日の説明が終わったら、もう自分はここに立ち入る気はない。隠し通路の出口前で主人たちを待っている亡命者に、義知は命令した。


「礼文。研究所は、これからお前が実験をする場所だ。

 パパがせっかく作ってくれたんだから、大事に使って結果をだせよ。

 そして、子供たちを預かる津先もきちんと働くよう指導しておけ。

[真世界への道]の運営も怠るな」


「……心得ております」


 その答えは予想通りだった。富鳥家に身元保証してもらえなければ自分で住居も勤め先も手に入れることができない弱い立場の男に、義知はすべての責任と労働を押しつけた。



   




次回に続く



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