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第六話

「あの事件が起きた日の午後、

 呉羽ちゃんは池のアヒルに餌をやりに来ていました。

 僕は休日だったので、

 大神公園の木漏れ日の中で読書を楽しもうと出かけたんです。

 声をかけようとしたら、

 僕に気づかずに呉羽ちゃんは池の向こうに走っていきました。

 

 どうも知り合いをみつけたみたいでしたね。

 池のほとりのベンチに並んで座って、

 なんだか熱心にその人たちと話しているようでした。

 話が終わったら、呉羽ちゃんは走って公園から出ていきましたよ」


 これは重要な手がかりだ。健二は身を乗り出して、高橋に訊ねる。


「それは、警察に?」


「ええ、話しました。けれども捜査に進展はないみたいですね。

 新聞でも、このことについて報道してくれませんし」


「呉羽が話していた人たちについて、詳しく教えてください」


 高橋は、宙に視線を向け、記憶をたどっている様子を見せた。やがて彼は口を開く。


「同じベンチに座って、呉羽ちゃんが主に話していたのは、

 水兵帽と水兵服の少年です。

 11か12か……小学生くらいに見えましたね。

 その隣に、洋装の職業婦人らしい人が座っていました。

 彼女の髪型の名前は知らないけれど、

 このごろよく見る流行りのものだったから、若い人だと思います。

 あと、書生服の男がベンチの脇に立っていました」


「妙な取り合わせですね……一体何を話していたんですか?」


「わかりません。

 こんなことになるとは思わなかったので、

 あの時は邪魔にならないように遠慮して、

 離れた場所から見ていただけなので。

 声は聞こえたけれど詳しい内容まではわからないんです。

 同じ理由で、細かい人相も見えなかったし、よく覚えていません。

 それでも、重要参考人だから、

 大神公園やその近辺にまた三人組が来ないかと思って探しているんですけれど、

 あれから一度も見かけないんですよ」


「ちょっと、横から失礼するがね」


 二人に話しかけてきたのは鹿島という古参会員だ。定年退職後の余暇活動として[真世界への道]へ入ったと自己紹介では語っていた。


「ワシはそれらしい三人組を上野で目撃したぞ」


「ええっ」


「本当ですか!」


「ああ。まちがいない」


 松木と高橋にうなずいてから、彼は語る。


「国立博物館の仏像の前で書生と、水兵帽の男の子が……

 ああ、思い出したら、また頭が痛くなった。

 とにかくそれらしい二人がいて、

 後から洋装の若く美しい職業婦人が合流した。

 三人とも、かなり親しい仲のようだったな」


 松木健二は、その言葉を心に深く刻みこむ。


([真世界への道]に入ってよかった。そして茶話会を開いてよかった。

 おかげで、こんなに有力な手がかりを入手できたぞ!)


 警察をあてにせず、彼は自らの手で殺人犯を見つけだそうと決意した。



   ◆◆◆◆◆◆



 瀬野から礼文を通じて、義知は音矢の新しい報告書を手に入れた。それは[真世界への道]を考察したものと水晶細胞実験台の症状を記したもの、あわせて[二冊]だ。


 仕事の速さに感心しながら、彼はリビングのソファで考察のほうを読む。彼が関心を持っているのは報告書の中身だ。だから表紙がインク消しで一部分修正されていることに、義知は気づかなかった。


《実験台4号の部屋にあった[真世界への道]の小冊子には、

 神智学の用語や、魔術関係の基礎知識などが解説されていました。

 また、生贄をささげて魔術師になるための儀式の手順が書かれた

 小冊子も別にありました》


 自分が与えた知識を、この下請けはどれだけ吸収し、どのように考察しただろう。期待を持って、彼は読み進んだ。


《これまでは実験台の犯行が

[真世界への道]と関係しているということを証拠隠滅するために、

 関係書類を全て焼却してきたのだと思います。

 でも、今回は住所を書いてある部分だけ回収されて、

 それ以外の文書の始末は指示されていないと実験台は言っていました。

 この理由がよくわかりません。

 もしかしたら焼却用薬剤の在庫が切れたのかもしれません》


(いや、あの薬はまだある。お前に文書を渡すため、

 今回は燃やさないように礼文に命令しておいたんだ)


 普通の論文とは異なる、言文一致体の報告書を読んでいるうちに、いつのまにか義知は、心の中で下請けに話しかけるようになっていた。


《手に入った小冊子を読んで、

[真世界への道]の現在の状態、

 そしてこれから彼らが向かう方向を推測してみました。

 あの文書は、

 これまでの会員が当然知っているはずとされてきた知識を

 もう一度確認する、

 あるいは魔術についてなにも知らない人に一から教えるために

 書かれたもののように思えます。


 つまり、あの組織を管理する人は、

 旧会員を再教育する必要を感じたか、

 それとも新規に加入した人を指導する必要にせまられたか、

 もしくはその両方かと思われます。


 このことから、[真世界への道]は組織を引き締めたうえで、

 さらなる拡大をもくろんでいると予想されます》


 自分が思ってもいなかった解釈をされて、義知は驚き、そして喜んだ。


(……そこまで考えていなかった。

 報告書を作っている本人を啓蒙してやるつもりだったが……

 礼文は実験台を確保するために[真世界への道]を拡大しようとしている。

 あの文章が礼文と組織全体のため役立つものだったとは……)


(うん。もちろん、俺はそのためにやったんだ。礼文に自慢してやろう)


 義知は、礼文が[真世界への道]を乗っ取って均分主義活動団体に作り替えようとする、その野望に気づいていない。


《それから、自分が[真世界への道]の総領だと仮定して考えてみました。

 組織拡大だけしても、烏合の衆では困ります。

 だから、会員の結束を高めるためにこれから行動するなら、

 組織の綱領を成文化し、それに基づいた旗と歌を定めると思います。


 大勢の人間が集まれば、その中での規則が明確でないと混乱します。

 だから、あいまいな慣習ではなく、はっきりとした文章にまとめて、

 構成員に知らしめる必要があります。

 これは国でいう憲法と法律にあたります。


 そして、組織固有の旗を集会時に掲揚し、

 みんなで声を合わせて組織をたたえて歌うことで、

 同胞としての意識を高めることができます。

 これも国家などの集団を運営するために

 世界中でよく行われていることです》


([憲法発布]か。小学校で習う知識だ。

 そして国旗掲揚と国歌斉唱も、ごく普通の行事だ)


 1930年〔光文5年〕、この時代では、学校での国旗掲揚に反対する者があらわれたり、国歌斉唱の伴奏を教師が拒否するような事態など、誰にも想像できない。もしもそのようなことを行えば、即座に思想犯として逮捕されるような時代だった。


(なるほど。あまりにも当たり前すぎて、

 高等な思考を常とする俺には盲点となっていたが……

 これこそ小卒平民ならではの発想だな。

 だが、やってみる価値はある。

 効果のほどは、諸国家の例を見ればあきらかだ)


 しかし、こまごまとした規則の条文を定めるのは、いかにも面倒くさい。


(そういう卑俗なことは礼文に任せるとして、

 旗はどんなデザインがいいか……

 そもそも、なんで俺は[真世界への道]って名前にしたかというと……)


(そうだ。子供の時に読んだ本。黄色いレンガの道……)


 【オズの魔法使い】を義知は本棚から取り出した。これは1900年に出版されたライマン・フランク・ボームの児童文学だ。〔大正〕の次の年号が〔昭和〕ではなく〔光文〕となる世界の日本では、[萬出版社]が翻訳して[萬文芸]よりも対象年齢層の低い[萬少年]という雑誌に掲載し、のちに単行本化された。義知が手にしているのは、それだ。


(礼文に読ませて、これを参考にして旗を作らせよう)


 自分の芸術的な才能については、義知はとっくの昔に見切りをつけていた。だから、部下に丸投げする。


(手ごろな歌もどこかで見つける必要があるな。

 俺は作詞作曲なんてできないから。

 たぶん礼文にもそんな特技はないだろうし)


 本を傍らに置き、義知は再び報告書に目を通す。


《それから、儀式の手順を記した小冊子の題名について感想を述べます。

 これは3号のところにもあったのですが

[魔術師となるための手引書]ではあまりにも実用的な名称にすぎ、

 浪漫ロマンがないと思います》


(確かにそうだな。

 実験台に渡す小冊子の作成は礼文に任せたが、

 やはり、リューシャ語が母語では細かいところまでゆきとどかないのか。

 よし、次回から[魔術師への階梯]としよう)


([回収石]を開発しただけではなく、

[真世界への道]運営に役立つ意見も出してくるとは。

 まったく役に立つ下請けだ)


[真世界への道]の会員は、義知が外国の文献を翻訳して得た知識をありがたがって受け取り、感謝するだけだ。それは礼文も同じこと。以前は魔術に関する薀蓄うんちくの聞き役を務めるだけだった。


[真世界への道]を作ること、組織を拡大することを礼文は義知に勧めた。


 だが、神代細胞の研究については[回収石]のような画期的なアイデアを出すわけではなく、軍からの催促が無ければ礼文は実験さえやろうとしない。


(そして、パパは……)


 義知は、ため息をついた。


 彼は今までの人生で、この一連の報告書のような、義知自身にとって役立つ提言を受けた[覚え]がない。新鮮な興味を義知はもった。


「さて、こうなったら、

 もっとたくさんの知識を与える必要があるな。

 この下請けを教育すれば、さらなる成果を上げてくるだろう」


 やはり、自分の書いた文章を生かして実際に運用してもらえるのは、うれしいものだ。


(次は、神智学だけではなく、その原点たる神秘学の解説をしてやるか。

 いわゆる[オカルティズム]だ)


 義知はさっそく原稿用紙を広げ、啓蒙のために原稿を書き始める。


《オカルトの語源はラテン語で……》


《つまり、日本語で直訳をなせば、[隠されたるもの]を意味し》……)


《……魔術師とは、すなわち

 神が人間を従属させんがために秘匿ひとくせし知識や技術を、

 悪魔の力を借り暴き出さんとする、いわば探索者であり……》


 具体的な読者をイメージすることで、義知の筆は滑らかに動いていく。    



   ◆◆◆◆◆◆



 酒宴の次の日、音矢は汚れがたまった家を雑巾がけしながら考える。


(しかし、翡翠さんが本当に20歳だったとは。

 自分で推理しておいてこんなことを言うのもなんだけど、

 信じられないな。

 むしろ、12歳だったとしても立ち居振る舞いが未熟すぎる。

 ライオンに乗ったり、不注意でハサミを見失ったりした件がいい例だ。

 本人も自覚していて、それを恥じているみたいだけれど……)


(でも、今はまだましになったほうだ……

 孤島で瀬野さんに紹介されたときは、もっと言動が幼かったもの)


 音矢は手を動かしながら回想にふけった。


(そうだ。翡翠細胞の投与後は僕にずっとくっついてまわって、

 寝る時もそばに……)


(後で理由を聞いたら、

 『水晶細胞と違って翡翠細胞を投与された人は、怪物化や暴走はしない。

  しかし、翡翠細胞を投与されたこれまでの実験台は、

  結局適合できずに原因不明の衰弱と錯乱を起こしてみんな死んだ。

  だから、同じ細胞を持つ仲間が生きている間だけでも、共に過ごしたかった』

 というものだから、わりとひどい話だ)


(翡翠さんは孤独な子供だと聞かされていたから、

 かわいそうに思って添い寝して、

 背中をトントンして寝かせつけまでしてあげたけど。

 おかげで寝相の悪い翡翠さんに蹴られまくってよく眠れなかった。

 僕より2つも年上の男と同じフトンで寝たと考えると、ちょっとな……)


 本来の年齢にふさわしい体格の翡翠が抱きついてくるところを想像し、音矢は背中がムズムズする。だが、好奇心もわいた。ちょうど拭き掃除も一段落したところでもある。


(もし、翡翠さんがちゃんと成長していたら、どんな姿になったんだろう。

 ためしにかいてみるか)


 音矢は雑巾と汚れた水の入ったバケツを片づけた。口笛で[抜刀隊]のメロディを吹きながら、彼は自室に戻り、スケッチブックを開く。


(まず、今の顔を薄い線で下書きして、

 それから目から下の部分が成長したと仮定した線を……)


 かきあがった顔は、まだ大人には見えなかった。


(15歳くらいの顔だな。これを見ながら修正してみよう)


 今かいた紙を外し、新しいページに音矢は鉛筆を走らせる。


(今度は顔だけではなくて全身像をかいてみよう。

 雑誌のグラビアに載っている外国人俳優を参考にして背広姿で……

 下書きよりもっと顎の線を強く……

 翡翠さんが気にしている角は中折れ帽で隠して……

 よし。これなら成人男性の姿といっていいだろう)


 2枚目にかいた絵を、音矢は色鉛筆で着色した。


 1枚目の絵をスケッチブックにはさみ、音矢は本棚にしまった。15歳くらいの翡翠をかいた絵が、瀬野にどのような反応をおこさせるか。この時点の彼は特に意識していない。





次回に続く









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