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第五話

「翡翠さんは[あること]を内緒にしなければいけないと

 瀬野さんと約束しているそうですが、その内容に見当がつきました。

 翡翠さんは、20歳くらいの大人ではないですか?」


「……え……」


「音矢くん!」


 瀬野が絶句している横で、翡翠も戸惑いを見せる。二人の反応に満足し、音矢は言葉を続けた。


「もちろん、姿はこのとおりで12歳くらいに見えますが……

 たぶん、幼少時の栄養と運動が不足していたうえに、

 休眠を繰り返したせいで、成長が遅れたのでは?」


「な、なんでわかったのよ! 翡翠くん、どういうこと!」


「あはは。翡翠さんは、瀬野さんとの約束を守っていますよ。

 なんとなく怪しいと思ったので、ちょいとカマをかけてみたんです。

 でも、瀬野さんがそうおっしゃるなら、

 僕の推理は的中ってことですね。あはは」


「うわ……」


 失策に気づき、瀬野は頭をかかえた。


「これは純粋に、僕の探偵趣味の活動結果なので、

 翡翠さんに責任はありません。

 そして、もうバレてしまったので、

 翡翠さんは大人としてふるまっても大丈夫ですよ。


 雑木林で迷子になってみせたり、

 ライオンの銅像にまたがってはしゃいでみたり、

 畳の上に広げた新聞を踏んで転んだり、

 ハサミを使いっぱなしにして見失ったり。


 そんなふうに、

 わざと無思慮で不器用で幼児的なふりをしなくてもかまいません」


「わざとではない……ふりなんか、してない」


 翡翠はうつむいて膝をかかえた。それは彼が不機嫌になった印だ。


「あ、あはは。……ヘソを曲げないでくださいよ」


 音矢は身軽く立ち上がり、台所から清酒の一升瓶をもってきた。それを翡翠の横に置く。


「はい、大人なのですから、晩酌もありです。

 食事会の献立には、お酒のツマミになるものも作っておきましたよ」


「おおっ! いいのか!」


 一瞬で不機嫌は消し飛び、翡翠は喜びに満ちた笑顔を浮かべる。


(おとぎ話の鬼は、お酒が好きなものだけど……翡翠さんにもあてはまるな)


 一升瓶だけ渡して、食事会のために飯を炊いている間はお預けなどという野暮なことを、音矢は計画しない。今日は瀬野の来る時間に合わせてあらかじめ支度をしておいた。早めに炊いた飯はすでに酢と合わせ、刻んだ梅干しやタクアンを具にした細巻寿司となっている。腹の足しにもなるが、つまみも兼用だ。


 ナスの浅漬けや豚小間のカラシ味噌炒めなどの料理も運び、そのまま食事会となった。



   ◆◆◆◆◆◆



「……あんたが殺人の罪悪感を

[みんなやってることだ]なんて開き直ることでごまかしているといって、

 酔いつぶれたから、

 かわいそうになって私も炊事を手伝ってあげようとしたのよね……

 それが、詭弁きべんだったなんて! 私の同情心をかえしてよ!」


 悔しそうに瀬野は酒をあおる。次々に予想外の情報を出されたせいで彼女に生じた混乱がおさまったせいか、じわじわと騙された怒りがわいてきたようだ。


「どうもすみませんでした」


 音矢が下げた頭をはたいてから、彼女はコップをつきだす。


「悪いと思っているなら、せめてお酌でもしなさい!」


「はい、ただいま」


 音矢はうやうやしく、一升瓶から酒を瀬野の器にそそぐ。


「でも、それに気づけなかったのには、理由があるのよ。

 他に考えなければならないことがあったから、

 そっちに集中していただけ。

 私の頭が悪いわけではないからね!」


「理由?」


 好奇心をそそられたのか、翡翠はコップを置いて瀬野の言葉を聞く。


「……夜が明けてから、

 手伝いとして朝ごはんを炊いているときに自分の失言に気づいたのよ。

 それでどうごまかそうかとあせっているうちに、焦がしてしまうし、

 さんざんだわ」


「それでは理由というのがよくわからない。失言とはなんだ?」


「そうか、翡翠くんは聞いていなかったわね……

 私は[大人二人と子供一人分]のお酒をもってきたと、

 音矢に言ってしまったの……あれが失言よ……」


 うつむいて、瀬野は自分の行為を悔やんでいるようだ。


「それであやしまれてしまった。

 そう、私と翡翠君が大人で、音矢は未成年という……」


「なるほど」


 翡翠はうなずいた。


 しかし、音矢は首を横に振る。


「いえ、その発言に僕は違和感を持ちませんでした。

 あのとき僕は、

 瀬野さんと自分が大人で翡翠さんが子供、と解釈したんです。

 僕はまだ20歳になってはいませんが

 自分自身を独り立ちした労働者、

 つまり成人に匹敵する者と認識していましたから。

 瀬野さんは無意識に叙述トリックを使っていたんですね。

 たいしたものですよ。あはは」


 明るく笑う音矢を、瀬野はにらむ。


「じゃあ、いつ気づいたのよ」


「最初の違和感は食事会の次の日でした。

 翡翠さんの手を握った時に、子供の手とは違うと感じたんですよ。

 昔、右手をケガしたときにお医者さんから聞いた記憶をもとに推理しました。

 手のひらの骨……手根骨というのは成長するにつれ、固くなっていくそうです。

 だから、12歳くらいならまだ柔らかいでしょうに、

 翡翠さんの手は小さいけれど

 骨格だけはしっかりしているように感じました」


「そうなのか?」


 翡翠は自分の手を見る。そこに瀬野の手が重ねあわされた。


「ちょっと触らせて……うん。言われてみればそんな感じかも」


 自分の推理に聞き入る二人の様子は、音矢を楽しませる。酒を飲んではいないが、彼の心は昂揚した。


「それがきっかけとなり、お二人の発言を分析していくうちに、

 外見とは違い、もっと歳がいっているのではないかと考えたわけです。

 たとえば……こないだ上野にいったときなんか、

 『あなたは、[まともな大人の体ではない]んだから』なんて、

 瀬野さんはおっしゃってましたよね?

 本当の子供には、そんなことを言いませんよ」


「うわあ」


 瀬野は頭を抱える。


「それ以前にも、南方実篤さんを始末した帰りに、

『ボクは子供ではない。大人だ。そう言ったのは瀬野さんだ』と

 翡翠さんが言ったら、あわてて止めていましたよね」


「ああもう……なんでそんな細かいところを……」


 頭を抱えたまま、瀬野は不平を漏らす。


「それに加えて、せんに部屋にあった木箱を全部調べようとしたら、

 [あること]に関わりがあるから開けないでくれと

 翡翠さんに頼まれた箱がありました。

 あの中身はウイスキー瓶でしょう。

 大きさと重さから推理しましたよ。

 あと、運ぶ時にガラスの触れ合う音も聞こえましたからね。

 家に軟禁状態の生活で鬱屈が溜まれば、

 大人だったら酒でも飲みたくなるのもわかりますよ。

 [酒は憂いの玉箒たまははき]といいますからね。あはは」


 音矢は謝罪をしていたときとはうってかわって、得意げに自分の推理を語る。


「年齢が20歳くらいというのは、実験が始まった時期から判断しました。

 沖縄付近の無人島にある神代細胞を発見したのが

 薩摩藩ではなく、大日本帝国海軍ということなら明治以降のことです。

 でも維新直後では、研究にあたる科学者だってまだ育成されていません。

 その後も日清、日流の戦争がありますから、

 軍部が南方を探索活動できるほどの余裕ができて、

 科学的な支援が可能になるのは明治の終わりごろでしょう。

 なおかつ、関東大震災前に実験へ協力できるくらいに

 水晶さんが成長していたとすると、まあ、僕より少し上くらいかなと」


「……まったく、あんたは……探偵趣味にもほどがあるわ」


 困った様子の瀬野に、音矢は質問した。


「なんで、こんな嘘をついていたんですか?」


「翡翠くんがかわいそうだからよ。

 成人男性なのに、こんな幼くて貧弱な姿なんてみっともないでしょう。

 だから賢い子供だということにしたの。

 音矢くんが気味悪がらないようにね」


 瀬野の言葉に、翡翠はうつむく。


「姿のことでしたら、

 神代細胞製の角がある時点で

 他の人とちがっているのは、わかりきってるんですからね。

 見かけと年齢が一致しないくらい、ささいなことです。


 まあ、初顔合わせの時点では

 僕の性格が把握できていなかったから、いたしかたないとします。

 他の三人さんは翡翠さんの角を受け入れなかったのも事実です。

 でも、それからもう半年近く過ぎているのに、

 僕がそういうことにこだわらないということが、

 理解していただけなかったんでしょうか。

 もっと早く正直に打ち明けてくだされば、

 翡翠さんだって堂々と晩酌ができたのに、

 なんで秘密にこだわっていたんですか?」


「……それは……いろいろと……

 いったん口にしたことを[あれは嘘でした]って告白するのも……

 言いづらかったし……」


 瀬野はそのように弁解した。だが、翡翠に秘密を作らせて、それを音矢から隠せと命じた理由は、他にもある。


 事実を隠し続けるために、会話するとき常に緊張を保たなければならない。そうすれば、自然と心に隔たりができる。彼女は自覚していないが、瀬野を育てた諜者の組織も同じ手口を使い、一般人と隔たりができるようにしていた。心を開いて会話できるのは、同じ組織の仲間だけ。そうやって、諜者の上層部は構成員を組織に依存させている。無意識のうちに、瀬野はその手口を翡翠にも使わせた。


 使い捨ての実験台になるはずの音矢と、翡翠が親しくなりすぎないように、瀬野は本当の年齢を隠して子供のふりをしろと命じたのだ。


 そして[発達不全の翡翠を愛してくれるのは私だけ]とも、彼女は教えていた。音矢と仲良くなれず、翡翠が孤独なままなら、彼は瀬野にすがるしかない。そうやって、彼女は翡翠を独占しようとしていた。


 しかし、音矢にそのような小細工は通じず、瀬野の嘘は暴かれてしまった。


 それ自体も悔しい。だが、彼女の自尊心を傷つける事実はもう一つある。


「晩酌ができるようになったからといって、

 飲みすぎはいけませんよ。体に悪いですからね」


「わかっている。

 だからウイスキーも一晩に専用の小さなコップに一杯と決めている。

 以前それ以上飲んで二日酔いになったことがあるからだ。あれは苦しい」


「そうですよねえ。

 最初の食事会では僕も飲みすぎて、変な夢を見るし、

 目が覚めてからも頭が痛いしで……」


 瀬野が嘘を翡翠に強要したという事実を暴いても、音矢はそれを責めることなく、平常通りの態度でいる。


(自分が騙されていたことがわかれば、怒るものでしょう? 

 私だって詭弁にひっかかったと理解したら腹が立ったし……

 それが普通よ)


 瀬野も生まれた時から嘘の名人だったわけではない。小学生のころには、親や教師を騙すのに失敗して、ひどく叱られたことが何度かある。


(でも、音矢は私が礼文と通じていることをほのめかすくせに、

 私が嘘をついたということをはっきりと認めたときは、何も言わない)


(まったく、こいつは何を考えているの? 理解できない。

 ああ、頭が痛くなってくる)


 音矢は、瀬野に好意を抱いている翡翠の手前、ひどく瀬野を責め立てることを避けた。くわえて瀬野の面子にも配慮した結果、このようにふるまっただけなのだが、そんな配慮を彼女は察することができなかった。



   ◆◆◆◆◆◆



[兎狩り]はとくに問題も無く実施された。


 それぞれが受け取った紙には『アジサイ 移り気』『コスモス 純潔』などと書かれていた。礼文は、受け取った言葉は[秘密の首領]からのお告げであるので、その意味をよく考えるようにと言い、それで会はお開きとなった。次回の開催日は未定ということで、決まり次第、手紙で連絡する手はずになっている。


 後片づけは健二にまかせ、礼文と津先は退出する。それに合わせて会員たちも帰宅していく。


 しかし、健二はなんだか物足りないと思った。同じように感じたのか、席に座ったまま近くの人と雑談をしているらしき会員も何人かいる。集会所の管理人に聞いてみると、その日は次の予約も入っていないので、彼の勤務時間が終わる30分前、午後4時半までならそのまま茶話会を開いてもいいと許可してくれた。それならあと1時間は話せる。


 管理人は給湯室の使い方を松木に教えた。そしてヤカンと茶碗などの茶話会セットを貸し出してくれた。茶葉は管理人が事務所で飲んでいるものを実費で分けてくれた。それは健二が自腹で支払う。


 他の利用団体も、よく茶話会を開いて親睦を図るそうだ。あらかじめ予約すれば大量発注を受けてくれる店もあるので、軽食を提供することも可能だとも言われた。近所にある定食屋の〈ワクムスビ〉では握り飯や稲荷寿司に幕の内弁当、〈パンの大神〉という店ではサンドイッチや菓子パンなどを注文することができる。


 どうやら、呉羽と公園に遊びに来た日に健二が買ったパンの耳は、そういう注文が入った時にでた余剰物らしい。今度から、会費を徴収して茶話会を開くことを提案してみようと、健二は思った。


 居残ったのは、健二を入れて六人だ。茶を準備したテーブルに車座になり、受け取った言葉の解釈について意見を交換する。健二が見つけたのは、『クローバー 私を思って』だった。


 ひとしきり語り終わった時、一人の男が健二に話しかけてきた。彼の名は高橋という。


「松木さんは、この近くで5月に起きた事件の……

 御一家と同じ苗字ですね……もしかしたら……」


 高橋は大神町に住んでいて、一家皆殺し事件のことを知っていたのだ。隠し事は良くないと思い、健二は正直に答える。


「やはり、松木さんちの御身内なんですか? 

 それは……お気の毒に……ご愁傷様です」


 この時代の葬式は自宅で行うのが普通だ。しかし、通常の死ではないうえに、現場検証の都合と、家には生々しい血痕が残っていたということもあり、葬式は大神町から遠く離れたところにある菩提寺を借りて身内だけで行った。参列できなかった高橋は、この場でお悔やみを述べる。


「本当に、とんだことで……」


「惜しいことですな。

 親御さんたちも、娘さんも、まだまだ死ぬような年ではなかったのに」


 死者を悼む言葉は、他の四人も口にした。彼らも、高橋のようにあの事件と松木健二がつながっているかもしれないと予測していたようだ。居残ったのは、その件について野次馬根性で質問したかったせいもあるのではと、健二は少し不快になる。


「うちの妹と、呉羽ちゃんは尋常小学校で同級生だったんですよ。

 あの子は女学校に入学しましたが、

 妹は高等小学校に進んで、今は行儀見習いということで

 良家の小間使いをさせてもらっています。

 僕は近くの設計事務所に勤めています」


 自己紹介の後、高橋は重要な情報を健二に語った。





次回に続く






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