第二話
「えっ!
[研究機関]が[真世界への道]の隠れ家をみつけて、
そこに保管されていたこれまでの小冊子を押収してきたんですか!」
「残念ながら、敵を捕らえることはできなかったわ。
それに、会員名簿などは隠れ家ごと燃やされてしまったから、
戦果はこれしかないんだけれど」
「それでも、大手柄ですよ。すごいですねえ!」
口では感心しながらも、音矢はちゃぶ台に並べられた文書を見て、戸惑いを覚えた。
(……やっぱり、瀬野さんが礼文と通じているというのは勘違いで、
[研究機関]はきちんと仕事しているのかな?
ちっと、これまでの推理に自信がなくなってきた……)
(いや、あまり不手際が続くと、[研究機関]の面目にかかわる。
自分たちの実力を僕らに示すため、
[真世界への道]と話をつけたのかもしれない)
揺れる内心は表に出さず、音矢は小冊子を左手に取り、パラパラとめくる。
「実篤さんからの文書も返してもらえましたし、
昨日の蝶子さんからも小冊子を入手できました。
こんなに資料があれば、
右手が動かせない間も、僕は頭を使ってお役に立ってみせますよ。あはは」
笑う音矢を見て、瀬野は不快になった。
(これを読んで、良い報告書を作成したら、
また、音矢が功績をあげてしまう。そして、ほめられる)
礼文に聞かされたところによると、本来の神代細胞研究主任になるはずだった富鳥の息子が、音矢の働きを気に入っているようだ。この文書も、音矢に知識を与えようとするものだという。
(なんだか、入谷先生も音矢のことを高く評価しているみたい。
慰安のために外出させてやれとか、おいしいものを食べさせてやれとか)
(なによ。私は単なる走り使いみたいな扱いで、全然ほめてくれないし、
ご褒美だってもらえないのに。くやしい)
だから瀬野は、始末が終わるまで、文書を渡すのを先延ばしした。
(音矢が暴走患者に返り討ちになっていたら、報告書なんて書けない。
それなら文書を渡しても無駄になるからね)
しかし、事態は彼女の期待を裏切った。そんな失望は表に出さず、瀬野は微笑んで音矢の前にいる。
◆◆◆◆◆◆
大神公園の集会所に向かう津先の後ろから、少女たちのおしゃべりが聞こえる。妄想に使うネタがないかと、彼は歩きながらもその声に集中した。
「あの公園……オバケが出るんだってさ……夜中ではなくて、白昼に」
「ええ? 本当?」
「わたしの弟とその友達が、セミ取りに行ったときのことなんだけど、
なんか、アヒルが変に騒ぐからそれを見に行ったら、
ちょうど出くわしたんだって。
全身緑色に染まった[アオミドロ男]が、
うめき声をあげながら、岸に這い上がろうとしているところに……」
「やだあ!」
津先の背に冷や汗が流れた。彼女が語る[アオミドロ男]とは自分のことだ。津先は初めて大神公園を訪れた時、アヒルの群れに襲われ、アオコで真緑に染まった池に落ちた。その時は気づかなかったが、子供に目撃されてしまったようだ。
「ありえないわよ! オバケなんて!」
「でも、アヒルが騒いだってことは、
あやしい何者かが池にいたわけでしょう……怖いわ」
「松木さん……そんな話が好きだったわね。
あの子が聞いたら、きっと喜んだろうに……」
そこから、女学生たちの声はしんみりしたものになる。
「ひどいこと、わたしは松木さんに言ってしまった……
[真面目ぶってる良い子ちゃん]なんて……」
「わたしもよ……自分が習い事をサボって、お母さんに怒られたから……
ピアノで賞を取っている松木さんとくらべて、
わたしは怠け者のダメな子って言われて、その八つ当たりで……
ごめんなさい。松木さん……」
(松木?)
最近、関わり合いができた人物の苗字を聞いて、津先の意識は前方の景色を忘れて声に集中する。
ガコ
背後の声に気をとられ、津先は道端の電信柱をかわしそこねてしまった。顔面直撃ではないが、歩行にあわせて揺れていた手が、柱にぶつかる。
痛みをこらえる津先の後ろで、クスクスと笑い声が聞こえた。
屈辱を感じたが、ふりむいて怒鳴りつけるわけにもいかない。せめて距離を離そうと、彼は歩く速度を速める。
(これも、新入りのくせに会合を仕切りたがる
あいつの印象が残っていたからだ。
ちょっと背が高くて顔がいいからって調子に乗りやがって。
兵役を終えて、しばらくは疲れを癒すから、
定職につかずに社会福祉活動として
[真世界への道]会合の幹事をやりたいだと?
なんて甘ったれた考えだ。労働は国民の義務だろうが。
もし、今日の[兎狩り]であいつに不手際があったら、
遠慮会釈なしに叱責してやる。俺は上級会員なんだからな)
痛む指先を意識しながら、津先は大神公園の集会場に向かった。
◆◆◆◆◆◆
礼文は均分主義活動家だったころの経験を生かし、[真世界への道]を新しい活動家を養成するための場所、[狐穴]へと作り替えようとしている。
その計画の手始めとして、[兎狩り]を行うことにした。これは反政府活動を行うための下準備として、命令通りに行動できる[子狐]と、無能な[アヒル]を選別するための作業だ。
非合法活動に携わる者は、おおっぴらに連絡を取り合うわけにはいかない。また、武器などの受け渡しも警察に見つからないように、細心の注意を払う必要がある。
その予行演習として、会員に封筒に入れた文章のやりとりをさせる。これが[兎狩り]だ。
ただ、平会員だけではなく運営側もまだ不慣れであるので、今回はごく簡単なものにする。
練習に使う文章は義知が所持している魔術関係資料のなかでも穏当な、ほぼマジナイに近い[花言葉]を集めた本から抜粋した。だから、他人の目に触れようが、万が一警察に見とがめられようが、オカルト趣味の団体がお遊びで行ったと言い逃れられる。
これから何度も[兎狩り]は行われるだろう。そうやって会員たちを訓練し、本当の反政府運動を実行するための能力を礼文は高めていくつもりだ。
◆◆◆◆◆◆
大神公園の集会所では[真世界への道]の会合が、つつがなく進行していた。
1930年〔光文5年〕の警察は劇場に[臨検席]を設け、警察官を配備して内容を検閲していたが、ここにその姿はない。
なぜならば、劇場と公園はそれぞれ異なる役所が管轄しているからだ。そして、劇場は江戸時代より昔からその原型があるが、公園の集会所は近年できたばかり。だから集会所に関連する法律の修正が間に合っていない。
また、取り締まる側の警察にも、事情はある。多人数を収容する劇場ならともかく、市民団体が少人数の会合を開く集会所にまで警官を配備するには、人員とそれにともなう予算が足りなかった。
集会所は軍隊の食堂に似た作りで、簡素な長テーブルとイスが備え付けてある。収容人数は約60人くらいだが、今日集まったのは20人ほどだ。使わないテーブルと余ったイスはあらかじめ司会者が端に寄せて積み上げ、人数分だけ講演台の前に並んでいる。それとは少し離して、司会者と演者用のテーブルも設置されていた。
津先と礼文がそれぞれ講演を終えると、司会者が立った。彼は背が高く、顔立ちが整った若い男だ。
司会者を自分の席から見る津先は心の中で舌打ちをした。これまでの進行に手抜かりを発見できなかったからだ。
津先から渡されたものを手にした司会者は、講演台の前に立つ。
「それでは、今回の特別行事である、[兎狩り]を始めさせていただきます」
参加者たちは、軽い拍手で答えた。
続いて司会者は封筒の束をトランプのように扇状に広げ参加者に見せた。
彼が着ている開襟シャツもズボンも、上質な生地を体に合わせて仕立てたものらしく、その動作を妨げない。
津先は司会者が質の良い洋服を気軽に着こなしているという事実に気づき、新たな嫉妬心を燃やした。彼は仕事用に既製品の安物洋服しか購入できず、手をあげる動作をするたびに、服がつって不快な思いをしているからだ。
(こんなやつはきっと、
普段着も専門の職人が仕立てた洋服でそろえているに違いない。
世の中は不公平だ)
1930年〔光文5年〕の一般家庭では、出勤着は洋服でも、帰宅してくつろぐときは家庭の主婦が縫い上げた和服を着るのが普通だ。普段から洋服を着て過ごせるのは、裕福な洒落者である証拠であった。
◆◆◆◆◆◆
「この中には印をつけた公園の略地図が入っています。
好きな封筒を選び、その中にある指示に従い、
公園内を探して文書の入った封筒を持ってきてください」
「はいな」「おう」
お互いに譲り合うなどして、参加者たちは素直に封筒を受け取った。彼らは中身を見て、それぞれ外に出ていく。
司会をつとめる松木健二も、最後に残った封筒を手に外に出た。地図を見ると、水飲み場のそばにある木の洞を探せと記されている。そこに向けて歩きながら考えた。
(この催しにどういう意味があるんだろう?
でも、あの礼文さんが勧めることだ。
きっと大切な行事なんだから、がんばっていこう)
生まれつき体格と運動神経にめぐまれた松木健二は、徴兵検査で甲種判定をもらい、陸軍第一師団歩兵第三連隊に配属された。この部隊は帝都近郷での警備がおもな任務なのだから、馬賊や抗日ゲリラと戦わなければならない満州送りよりましだと、周囲には慰められた。
しかし、敵との戦闘ではなく大日本帝国陸軍内務班のシゴキが、彼を追い詰めた。
今はどんなに苦しくとも、二年間の兵役を終えればもとどおりの日常に戻れる。それだけを心の支えにして、彼は自殺の誘惑から逃れ、なんとか除隊を迎えた。家族や友人に温かく迎えられた健二は、この世界があまりにも残酷であることを忘れようとしていた。
だが、叔父夫婦と従妹が何者かによって皆殺しにされたという知らせが、世界の真実を彼に突きつける。
(叔父一家は特に人から恨まれるようなことはしていない。
そして、現場からは現金も宝飾品も持ち去られてはいない。
怨恨でも、金欲しさでもない、意味不明な動機で
犯人は見るもおぞましい方法で人命を奪った。
法律と世間のしきたりに従って、真面目に暮らしていた一家が
理不尽な死を遂げた)
警察に教えられた状況から、健二はこのように判断した。
そして今に至るまで、警察はまったく容疑者を特定できず、報復する術もない。このままでは健二を含む遺族も泣き寝入りするしかないだろう。
平穏な日常の脆さを思い知らされた彼の魂はさらに傷つき、行き所をなくしてさまよう。そんなときに出会ったのが[真世界への道]だった。その指導者である礼文の説く教えは、暗闇の中で見つけた一条の光のように、健二には思われた。
次回に続く




