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第一話

 新田音矢は夢の中で水たまりを覗き込んでいた。


 そこに映っている姿は、現実のものとは異なっている。


 大きくて先端が少し垂れた耳。全体に黒い毛並だが、口の周りだけ白い。

 下を見ると前足と後ろ足の先も白い。


(僕がいつも自分の象徴として絵にかいている姿とそっくり……)


(そうか、今の僕はイヌなんだ)


 夢特有の意識で音矢は納得する。


 彼は鼻に刺激を感じた。なんだか気になる匂いだ。


 音矢は花が咲く野原を走り、匂いを追跡する。それは地面の下から漂ってくるようだ。


 発生源を求めて草花をかき分け、前足で地面を掘ってみたが、土が固くてわずかしか削れない。


(僕だけでは無理だ)


 音矢は協力者を求めて吠える。


(ここ掘れ)


 わんわん


(ここ掘れ)


 わんわん


 その声に答えるように、スコップを担いだ翡翠と瀬野がやってきた。この二人は人間の姿だ。


『音矢くんが何か見つけたぞ。掘ってみよう』


『お宝があるかしら』


 二人と一匹で力を合わせて地面を掘る。


 現れたのは、尖った黒い石と奇妙な土人形だ。


『すごい! 石器と土偶が出てきた!』


 翡翠は満面に笑みをたたえて、音矢の首を抱く。


『ありがとう! 大発見だ!』


 小さな手で頭を撫でられて、音矢はうれしくなりシッポを振った。


 しかし、瀬野は顔をしかめる。


『なによ、こんなもの。ただの石と汚い土くれじゃないの』


 長い足を上げて、発掘物を踏みつぶそうとする。彼女の動作に合わせて、スカートが翻った。


『違う! これは古代人の遺物でとても貴重な』


 わんわんわん!


 翡翠が言い終わる前に、音矢は瀬野の足に飛びついた。


『なにするのよ!』


 瀬野が蹴り上げた靴先が、音矢の目の前に迫る……




(うあっ)


 音矢は布団の中で目を覚ました。


 傍らには、例のごとくオバケくんがいる。


(どうも、このごろヘンテコな夢ばかり見るな)


 金縛りにあいながら、音矢は考えた。


(ひょっとして、夢は僕に何かを告げようとしているのかもしれない)


 音矢は枕元にいる等身大の薄白い塊に心の中で話しかけた。


(今の夢……その意味するところは)


(蹴られる覚悟を決めて飛びつけば)


(瀬野さんのスカートの中を見られるかもしれない、ということか)


(オバケくん、彼女はどんな下着をつけていると思う?)


 音矢は枕元の気配を探る。まったく変化がない。


(……冗談を言った時は、やっぱり反応がほしいなあ)


 少し、音矢は寂しくなった。




 ――さあ、昔々の物語を始めましょう――


 これは異なる世界の物語。


 そして


 ――オカルトを探究する物語――



 1923年の7月ごろ、故郷の河原で音矢は捨て犬を見つけた。雑種犬の仔犬だった。全体は黒いが口の周りと手足の先は白い。


 音矢は自分の焼き芋を少し分けてやった。仔犬がシッポを振って食べるかわいらしい姿は、その年の2月に[一ツ木のおじさん]を失った音矢の心を慰めてくれた。


 次の日、音矢は自分がオヤツとしてもらった煮干しを新聞紙にくるんで持ち、河原に向かった。


 しかし、仔犬はいなくなっていた。


 一人で煮干しを食べながら、音矢は思った。


(まだ名前もつけていなかったな……友達になりたかったけど……)


 あの犬はよそにいったのか、誰かにひろわれたのか、今になっても音矢にはわからない。しかし、もう会えないであろうことは当時11歳だった彼にも理解できた。


 そのことは悲しかったが、爆竹を使用したカスが残っていなかったし、血痕もなかったので、音矢は安堵した。少なくとも、捨て犬が悪童たちに爆竹でいじめられた事実はないという証拠となるからだ。


 後に茶筒爆弾事件を絵にするとき、音矢はあの犬を思い出して自分の象徴とした。



   ◆◆◆◆◆◆



 やっと論文の下書きが終わった。ダイニングルームにあるソファで扇風機の風にあたりながら、富鳥義知は執筆の疲れを癒している。


(これを提出すれば、軍もオレに一目置くな。

 なにしろ、先任の研究者たちを全滅させるような

 神代細胞漏出事故を収束できる物……

[回収石]の開発に成功したんだから)


 それを作るアイデアを出したのは音矢で、神代細胞を加工したのは翡翠だ。しかし、義知はまったく悩むことなく、自分の功績にしようとしている。音矢が提出した一連の報告書をまとめた論文も、彼は自分だけの名義で軍に提出する予定だ。


 華族に生まれ、甘やかされて育った義知は、他人が自分に奉仕するのは当然だと確信している。


(下請けは良い仕事をしてくれたな。

 面倒で危険な実験を自発的に行い、結果をきちんと報告する。

 やはり、人間は引き受けた仕事を責任もってはたすべきだ)


 むしろ、奉公人の働きを認めてやる自分は公正だと考えていた。


 しかし最初から音矢の価値を認めていたわけではない。


 神代細胞の研究経過を音矢が翡翠から聞き取って箇条書きにまとめた第3の報告書を読んだとき、義知は下請けがあまりにも物知らずであることにあきれかえったものだ。





「エーテルが存在しない、だと?」


 礼文から渡された報告書を読み、義知は天井を仰いだ。


「……なんという無知……神智学によれば、

 エーテル体は人の精神エネルギーの根本たるものだ。

 そんな基本的なことを、こいつは知らんのか」


 神智学とは、オカルト系の学問であり、ノーベル財団や実業界であつかわれる一般的な科学ではない。

 したがってその研究結果が普通の新聞で報道されることもない。音矢が雑学の情報源としている月刊誌[萬文芸]でも、これまで神智学をとりあつかったものが掲載されることはなかった。


 報告書を書いた者が無知であることを嘆いていると、礼文が彼の経歴を伝えた。義知は肩をすくめる。


「平民で、しかも小卒なら、しかたないか」


 そのような低い階級なら、華族で帝都帝国大学院生である自分と比較すること自体が無意味だと、義知は思った。


「基本的な知識が足りない上に、

 報告書は語彙ごいが貧弱で、文体も卑俗すぎる。

 これでは正式な文章として認められない」


 大正の次の元号が〔光文〕となった世界では、一般的な文章は発音に即した仮名遣いと簡略化された漢字で綴られた[口語体]で書かれている。


 しかし法律の条文や学術系の論文は、明治時代から続く伝統を重んじ、旧字体の漢字と古典に則した文法を使う[文語体]と呼ばれる言語で記されるのが常だった。


「しかし、テニオハはあっているし、誤字や脱字もない。

 平民の無学者が書いたのだとすれば、この報告書も立派なものだ」


 しばし考えてから、義知は礼文に指示を出す。


「次の実験台には、[真世界への道]の会報を焼却しないようにさせろ」


 いきなりの提案にとまどう礼文へ、義知は親切に理由を説明してやった。


「こいつは無知な状態でも、そこそこの報告をあげてきている。

 ならば、正しい知識を豊富に与えれば、もっといい働きをするだろう。

 だから次の会報を通じて神智学について教えてやるんだ。

 ついでに、これまで発行した会報も、全部読ませてやれ。

 会員に配った余りが事務所にあるだろう。

 闇に迷う愚者に、叡智の光を当てて啓蒙するのは賢者の義務だからな。」


 義知は、慈愛深い自分に満足した。


 そして彼の命令によって、音矢は4番目の実験台の私室から、興味深い小冊子を発見することになる。



   ◆◆◆◆◆◆



「やあ、助かります。瀬野さん」


 普段、定期監査は水曜日に行うが、今日は臨時で日曜日に瀬野は音矢たちの暮らす貸家に訪れた。


 土曜日に実験台を始末する際、音矢は右手首を痛めた。そんな状態では料理が作れないので、音矢は調理の必要のない保存食料の差し入れを求めたのだ。


「日曜日は店も開いていないでしょうに、よく手に入りましたね」


「定休日が月曜の登山用具店があってね。そこで仕入れてきたの。

 翡翠くんが孤島にいた時からのつきあいよ」


「ああ、このカンパンを入れた袋には見覚えがあるぞ」


 1週間の食料を2人分ともなると、それなりの量がある。


 右手の使えない音矢を瀬野と翡翠が手伝って、車の後部座席につまれた大きな袋や箱を家の中に運び入れた。作業が終わると、瀬野は助手席のドアをあけた。


「オマケも持ってきたわよ」


 取り出された紙袋を見て、翡翠は歓声をあげた。


「おおっ! それは、このあいだくれた、カレーパンか?」


「そうよ。でも、今度は1人で全部食べてはダメ。3人で分けるの」


「わかっている! 自分の分だけ、よく噛んで、ゆっくり味わって食べる!」


「瀬野さん、ありがとうございます」


 音矢も礼を言ったが、それはどうでもいい。瀬野は翡翠の喜びにあふれた顔を見つめて、気分を良くした。それは、彼女の目的通りだが、瀬野にはもう一つ、気の重い仕事が課せられている。


 嫌なことは先送りし、三人での軽食を楽しんでから、瀬野は愛用の大きな革バッグから紙束を取り出した。




次回に続く


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