第十一話
意外な答えに戸惑う音矢を見下ろしながら、彼女は片足を上げた。
「ふふふふ。私の下着、何色だと思う?」
すると、薄桃色の柔らかい生地は太ももにまといつき、その輪郭をきわだたせる。
「ほらほら、見たいんでしょう? 私の、し、た、ぎ」
彼女が足を振るとスカートが翻り、形のいいフクラハギがのぞく。
「……いや、あの、その……」
ひるんだ音矢に、彼女は追い打ちをかける。
「見たくても見られないけれどね。だって……私、履いていないから」
「う」
翡翠の目の前で、音矢の顔色は真っ赤に変化する。その上、鼻腔からは一筋の鮮血が流れた。
「音矢くん!大丈夫か!」
しかし返事もなく、音矢は前かがみになり、その場にしゃがみこんだ。
翡翠はかばうようにその前に立ち、蝶子に話しかける。
「なんだかわからないが、すごい攻撃だ!
手も触れず、神代細胞も使わず、
言葉だけで血圧を上昇させ、毛細血管を破るとは!
不思議だ! 説明してくれ!」
「ふふ、そうね。これは[おんな]だけが使える、
[おとこ]だけに効果のある魔法ってとこかな?」
翡翠は首をひねった。
「ボクは男だが、効いていないぞ」
「ふふふふ。ボクちゃんだものねえ。おまけに[天使]だもの。
ふふ、[悪魔]には効果抜群だけれどね」
音矢を見下ろして、彼女は足を高く蹴り上げる。スカートが華麗に舞った。
ヒラヒラと揺れるが、長い裾が広がっているので、太ももの奥まではぎりぎりで見えない。そのような視覚効果を与えるためにデザインされたドレスは、有効に使われていた。
音矢は目を伏せ、早口でつぶやく。
「二一が二、二二が四、二三が六、二四が八……」
「どうした! いきなり掛け算九九をとなえるなんて!
この場に関係ないだろう?
……まさか、あいつに精神を操られているのか!」
翡翠はしゃがみ、音矢の肩をゆする。
「しっかりしろ!正気に戻ってくれ!」
その背後で、蝶子は腰の後ろに隠していた両手を広げる。その右手にはハンマーを握っていた。舞台道具の制作に使うものだ。体の前で両手持ちに握り直し、振りかぶる。
「隙あり!」
3メートルの高さから、蝶子は音矢に向けて飛びかかった。
それと同時に、音矢は翡翠を抱えて横に転がる。
ドガン
目標を失った蝶子は勢いよくタイル張りの地面に激突した。
音矢はその上めがけて飛ぶ。宙にいるあいだに空間界面を発動し、緑色の膜をまとった状態で苦痛にもがく蝶子の背に着陸した。
手さぐりで触手を見つけると、音矢はそれを抱くような形で両手を合わせ、そっと離す。手と手の間に糸状の空間界面が形成された。
これまでは紐ぐらいの太さだったが、翡翠が調整して細く強靭な糸になっている。
巻いた糸を強く引き、左右に動かす。すると触手に食いこんでいく。音矢はこのようにして暴走患者を攻撃しようと考え、翡翠に調整を頼んでいた。
音矢を乗せた蝶子の体は20センチほど浮いたが、また地に落ちる。男一人を加えた重量を持ち上げるほどの力は触手にないようだ。
「ぐぼええ!」
激突したせいで顔面がつぶれ、蝶子の声は不明瞭だ。
しかし、彼女が何を叫んだかはわかった。首のない人体が動きだしたからだ。
肉体を蝶子の触手に操られ、手足をぎこちなく動かすが立ち上がるところまではいかない。触手からその感覚が伝わったのか、蝶子は命令を替えた。
死体たちの動きが止まり、そのかわりに首の断面を蝶子に向けてズルズルと地面を這う。触手を縮めて死体を引き寄せているのだ。
音矢はいっそう糸に力をこめる。やっと一本切れた。その触手に繋がっていた死体は動きを止める。本体から離れた神代細胞は群体に戻り、死体から這いだした。塞がれていた傷口から凝固しかけた血液が垂れる。
「ここまでか!」
取り囲まれては不利だ。音矢は空間界面を解除しながら横に転がった。手も使って跳ねるように起きると、駆け足でさらに距離を離す。
「よ……く……も……」
フラフラと立ち上がる蝶子の顔は、やや歪んでいた。神代細胞で修復しても、鏡を見ていないので細かいところまでゆきとどかなかったのだろう。
「みんな、立って」
高さのずれた左右の目で音矢をにらみながら、蝶子は命令する。
しかし、首のない5人と、人質のふりをさせていた死人の体はジタバタするだけだ。
「ああ、練習の時はうまくいったのに!」
音矢に気がとられて集中できないのか、死体の鮮度が落ちたからなのか、あるいは両方ともなのか。
「やっぱりこれしかない!」
蝶子の体が、再び上昇する。だが、一本切れたためか、前回よりも低い。
「さあ、私のし」
蝶子がすべてを言い終わる前に、音矢の手から小石ほどのものが飛んだ。瀬野にもらった仕掛けつきキーホルダーの[ペンギンくん]だ。
クチバシを押すと、ペンギン型の分銅にしこまれた細い鎖が1メートルほど伸びる。それを振り回し、遠心力を乗せて投げ、音矢は蝶子の顔を狙った。
「ぎゃあ!」
家事のあいまにコツコツと、音矢はこの武器を使いこなせるように鍛錬していた。
その効果は確かにあった。狙い通りに的の中心に当たった[ペンギンくん]は鼻を砕き、陥没させる。脳にも衝撃が届いたのか、触手の制御を失った蝶子はまた地面に落ちた。
「翡翠さん、空間界面を発動させて、この人を押えてください!」
「わかった!」
翡翠を蝶子の足に乗せ、音矢は触手ではなく蝶子の首を絞めた。しかし、肉に食いこんだはいいが、すぐに傷が修復されるので意味が無かった。そして、首の骨を切るには音矢の力が足りない。
「これは失敗か! 翡翠さん、いったん離れて解除してください!」
自分も解除して糸も消し、音矢は軍手をはめた手で蝶子の落としたハンマーを拾った。
「よいしょ!」
掛け声とともに、振り下ろし、蝶子の頭を砕こうとする。
しかし、外れた。彼女も音矢の動作をまね、横に転がってかわしたのだ。
触手を体に巻きつけながら、蝶子は転がる。
止まったと見えた瞬間、巻いた触手を一気に伸ばし、勢いよく音矢に体当たりしてきた。まるで夜店で売っている巻紙の筒がついた笛のようだ。
空間界面を展開する余裕はない。音矢は右手のハンマーで蝶子を斜めに打ち、力をそらして激突を避ける。しかし衝撃で手首が軋んだ。
「うう」
痛みで音矢はハンマーを取り落とした。
そんな状態の音矢に、戻った蝶子が再び体当たりを仕掛けてきた。
二人の間に、空間界面を展開した翡翠が割って入る。
現代科学では解明できないバリアーに運動エネルギーを吸収され、蝶子は緑の膜にそって下に落ちる。顔面が地面に三度めの激突をした。
「ありがとう! 助かりました!」
音矢も空間界面を形成し、蝶子を踏みつける。
「翡翠さんも乗って、触手を切り落として!」
「わかった」
自分の空間界面を使い、翡翠は糸を形成して蝶子にまたがる。触手を糸で押え、体重をかけて切っていく。翡翠に腕力はないが、音矢の糸よりも細く強靭なので切れ味がいい。
音矢も糸を作り、右手は脇を締めて固定し、左手だけの動きで彼女の体を削ぐ。落ちた肉片は反対の足で蹴り、本体から遠ざける。筋肉を削がれ、骨が露出した手足は力を失い、持ちあがる様子がない。首を振ってうめき声をあげているが、それ以上の抵抗はできないようだ。
「全て切り落としたぞ」
「ありがとう! 次は、落ちている細胞を拾って、壺に入れてください。
元通りにくっつくと、また暴れ出します」
「わかった」
翡翠を蝶子から離すと、音矢も距離をとり、空間界面を解除して深呼吸をする。
空間界面は物理的な攻撃を防ぐが、その中にある酸素を使い切れば窒息してしまうという欠点を持つ。そして、とどめを刺すためにリベットペンを使うときは、解除していなければならない。バリアーで手先が丸く包まれた状態では、ペンのスイッチを押せないからだ。
新鮮な大気を吸い込んでから、音矢は蝶子を蹴って仰向けにする。これまでは触手が邪魔でできなかった。その上、触手を使って距離をとる蝶子の作戦で、空間界面で顔を覆って窒息させる手口も阻止された。
「やっと始末できる……」
安堵しながらも、音矢は警戒を怠らない。足で蝶子の顔を踏み、固定しながら、リベットペンを左手で胸ポケットから抜く。
それを蝶子の眼窩に突き刺して、ペンのスイッチを押す。
素早く音矢は後じさりをし、特殊弾薬が爆発するまでの秒を数える。
「……0!」
人体の水分と反応した爆薬が、もろい顔面骨ごと、蝶子の脳を吹き飛ばす。
音矢は大きく息を吐いて、右手の状態を見る。痛みはあるが、骨に異常はないようだ。
左手でポケットからハンカチを出し、対角線で折って右手首に巻きつけ、応急処置をした。
「翡翠さん、神代細胞回収はどうですか」
「いつもよりも効率がいい。回収石を使っているからだろう」
翡翠は作業着のポケットから紫色の石を二つ出し、地面に置いている。石にはそれぞれ穴があけられ、目立つように緑色の紐が大きな輪を作って通してある。小さなものだから、なくさないための用心だ。本来なら、紐の色は赤のほうが目立つ。だが、血が大量に流れた現場ではかえって色が紛れてしまうと音矢は考え、緑の紐を使った。
その石に向かって、元触手だったものや、切り落とされた首からこぼれた神代細胞は這いより、団子状に固まっていく。回収石に蓄えられたエーテルエネルギーに引き寄せられているのだ。
自分自身も手に精神を集中させ、翡翠は神代細胞を集めている。
「蝶子さんが死んだから、もう隔離する必要はないな」
音矢は肉片を入れた壺を翡翠に向け、片手で倒す。そこからも神代細胞がワラワラと這いだしてきた。
「それではお願いします。僕は他の仕事があるので」
痛めた右手をかばいながら、音矢は建物のほうに向かった。
戦いの興奮が冷めていくが、その状況の記憶は消えない。震える膝をごまかしつつ歩きながら、彼は独り言をつぶやく。
「今回は危なかったけれど、この程度の負傷ですんだ。
翡翠さんが僕をかばってくれるのが間に合ったからだ。
あれが少しでも遅れていたら殺られていたはずなのに、僕は助かった。
これは幸運なことだよ。そうだ。そうに違いない」
現実の中から都合のいいところだけを抜き出し、音矢はむりやり笑顔を作る。
「なんて僕は運がいいんだろう。まったく僕は幸せだ」
これから音矢は蝶子の部屋を探し、[真世界への道]の文書を手に入れなければならない。他にもいろいろ彼にはやることがある。
ついさっきまで死の危険が間近に迫っていたからといって、恐怖に震えている暇などないのだ。
庭を横切る途中、偽の人質にされていた女性の傍を通る。仰向けになったその人の顔を見て、ふと音矢は思った。
(ずいぶん大きなホクロが両頬にある人だな)
次回に続く




