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第十話

 音矢は瀬野に地図を見せる。


「翡翠さんが示した方向には、印が無いんです。

 これは、どういうことを意味していると思いますか? 

 僕が手に入れた[萬文芸]よりも古い号の読者交流欄に

 悩み事相談の手紙が掲載されたのか? 

 それとも、また別の入会窓口があるのか? 

 でなければ、記載された住所とは違う場所で暴走してしまったのか?」


 しかし瀬野は、疑問を音矢と共に考える余裕を失っていた。


「そんなことは今、どうでもいいでしょう! 

 どうするの、方向だけわかっても、距離がわからなければ到着時間も

 ……住所がわからなければ道筋だって……

 一方通行に引っかかったら……間に合わなかったら……」


 瀬野は、無意識に愛用の大きな鞄をさぐり、ハンカチを出した。いらだっているときのクセで、それを手のなかでもみしだく。


「大丈夫。なんとかします」


 地図をたたんで、音矢は立ち上がった。


「翡翠さんが今ここで感じる方向は記入してあります。 

 とりあえず、お二人とも車に乗ってください」


 私道を抜け、国道を少し走ったところにある交差点で音矢は車をとめた。翡翠を連れて降車する。幸い、この時代は自動車の普及率が低いので、駐車しても支障はほとんどない。道路の脇に新聞紙を敷き、その上に音矢は地図を広げて磁石で方角を合わせる。


「翡翠さん、もういちど方向を教えてください」


「こっちだ」


 音矢は交差点を目印にして起点とし、翡翠の示す方向を地図に線で記入した。


「さっきとは、地図に書く角度が違うな」


「観測する翡翠さんが移動したからですよ」


 そう言いながら、音矢は貸家で書いた線と交わる場所を指さす。


「三角測量の要領です。こんどの患者は、ここらへんにいますね。

 すると、最短距離を行くには、この道を……」


 どうやら、目的地に行くめどがついたようだ。車の中で瀬野は、ほっと息を吐く。


「わかりました。翡翠さん、車に乗ってください」


 これまでとは異なる事態が起きても、音矢は冷静に適切な行動をとっている。それを見た瀬野は、複雑な思いを抱いた。


(性格は悪いのに、役に立つ。それがなんだかしゃくにさわるわ。

 いっそ無能なら、返り討ちにあって終わりなのに)


 もし、音矢が始末に失敗すれば、瀬野と礼文で実験台のいる家に火を放ち、神代細胞を石化させて回収しなければならない。それはとても困難で危険な作業で、失敗すれば彼女も死ぬ。


 しかし、そんな厳しい現実を直視することを瀬野は無意識に避けている。だから、音矢を逆恨みし、返り討ちを願うことに矛盾を感じない。



   ◆◆◆◆◆◆



 電気工事人のような作業服と半長靴に着替えた音矢と翡翠は、連れだってモダンな建物に足を踏み入れた。


「なんだ? これは」


 翡翠は玄関の床を指差した。


〈こちらへどうぞ〉


 そんな言葉と、屋内に向かう矢印がチョークで描かれている。


「僕たちを案内してくれるんでしょう。

 まったく、実験台さんたちは親切ですね……

 おまけに、ちょうどいいものがある。借りていきましょう」


 音矢は神代細胞の回収に必要な道具を入れた革鞄を肩にかけ、傘立てに使われているらしい壺を抱えた。土足のまま廊下に上がり、矢印に従って進む。帽子のアゴ紐を確認して、翡翠もそれに続く。


 廊下を抜け、矢印の誘導に従ってもう一つの戸を開けると広い庭に出た。


「いらっしゃい。悪魔さん、そして天使さん」


 庭の中心で出迎えたのは、美しい顔立ちの女性だった。

 この建物にふさわしく、断髪に洋装というモダンないでたちだ。


 その前には全身血まみれの女が、硬いタイルの上にうつぶせで倒れている。


 庭にはチョークでなにかの模様が書いてあるようだが、血で汚れているので判別しづらい。その周りに六人の体が規則的に配置されている。彼らには首がなかった。


「遠慮しなくていいのよ。さあ」


 出入り口付近には、雑木林からの落ち葉が溜まっている。音矢が足を踏み出すと、靴底がジャリッと不快な音を立てた。


「ガラス?」


 コップを砕いたカケラを出入り口付近に撒き、その上に落ち葉をかぶせ、危険なものを隠していたのだ。


「あらあら。一度家に上げれば靴を脱いでくれると期待したのに、

 ひっかかってくれなかったの。残念だなあ」


 今回の実験台が、唇の端を吊り上げて笑った。


「あはは。マキビシを仕掛けてくれましたか。

 住所の件といい、

 今回は、これまでにない丁寧な[おもてなし]を期待できそうですね」


 笑いを返しながら、音矢も慎重に歩を進める。相手から目を離さずに、彼は革鞄と壺を下に置いた。


「翡翠さん、転ばないように気をつけて。

 タイルが露出しているところで待機していてください」


「わかった」


 翡翠はうなずき、指示に従う。


「魔術師生誕の儀式、開場……」


 お決まりのセリフを実験台は述べる。


 それが終わってから、音矢は相手に問いかけた。


「あなたが魔術師候補さんですね。

 名前などを、お聞かせ願えるでしょうか」


「古い名前は捨てたわ。私の新しい名は、蝶子。そう呼んで」


 腰の後ろに両手を回したまま、彼女は微笑んだ。


 喜びにあふれた彼女の目は輝き、頬も上気している。水晶細胞が脳を浸食しているため[蝶子]の精神は酒に酔ったように昂揚した状態なのだ。


「ふふふふ! 見て、私を! きれいでしょう! ふふふ! 

 ほらほら、顔だってつやつや、シミひとつないでしょう!」


 嬉しそうに、彼女は左右に顔をふってみせる。その姿は、薄桃色をしたドレスのなかで泳いでいるようだった。


 ドレスはまったくサイズが合っていない。彼女の体はそれほど華奢で、むしろ胸などは貧弱といっていいほどだった。しかし、夏の夕風になびく長い裾のドレスをまとった彼女は、昂揚した心がもたらす自信によって、その名にふさわしく、蝶のように美しく見えた。


「[真世界への道]にもらった紙類は燃やさないんですか?」


 音矢の問いに、蝶子は小首をかしげる。


「なんのこと? 

 [真世界への道]からもらった小冊子や封筒は、

 薬と交換にするって手紙に書いてあったから礼文さんに渡したわ。

 そしたら、住所と連絡先の書かれた封筒だけ回収されたの。

 小冊子と手紙は点検されただけで返してもらったから、

 私の部屋においてあるわよ。燃やせなんて言われてないもの」


「……どうも、今回は異例づくめですね。なにがあったんだろう?」


「知らない。とにかく試験を始めましょう。でも、その前に」


 蝶子は足の先で、彼女の前に倒れている女性を指し示す。


「生贄はささげたけれど、一人だけ残しておいた。

 なぜかわかる? そう、人質よ。

 リベットペンを捨てて。でないと、こうするわ」


 蝶子は足で、女性の手を踏みつけた。タイルの上で、彼女の体は不規則な動きでのたうつ。言葉にならないうめき声も、彼女の喉から発せられる。


「ほら、痛がっている。かわいそうでしょう?」


 音矢は首を横に振る。


「かわいそうだと思うなら、

 あなたが踏むのをやめてあげればいいでしょう。

 僕には責任のないことです」


「あら……まあ、悪魔だから、冷酷なのはしかたないか」


 蝶子は、翡翠に目を向けた。


「ねえ、天使さん、悪魔を説得してよ。

 なんといっても水晶さまの弟ぎみなんだから、

 悪魔にはあなたの命令に従う義務があるわ。

 私を倒すための武器を捨てるように言って。

 でないと、まだ生きている罪のない人が殺されてしまうわよ。

 命を無駄に失うのはよくないわよね?」


 翡翠はきょとんとした表情で質問する。


「なぜ、その人は死んでいるのに、生きているように言うんだ?」


「え」


「え」


 蝶子と音矢は、同時に絶句する。


「なんでわかるのよ!」


「その人からエーテルエネルギーが感じられないからだ」


 断定した翡翠に、音矢は訊ねた。


「死んでいるなら、

 なんで体を動かしたり、声をあげたりできるんですか?」


「蝶子さんの背中から神代細胞が紐のように伸びて、

 この人の体に侵入しているからだ。

 内部で枝分かれして、

 呼吸筋のかわりに胸郭を動かし、声帯に空気を送っている。

 それにつれて体も動く。

 伸びているのはその紐だけでなく、

 他の6本は周りに倒れている人たちの首に繋がっていて、

 同じように体の中で枝分かれしている」


 音矢は目を凝らす。確かに紐のようなものが複数、蝶子の背から生えている。


「なるほど。軟体動物が使う、触手みたいなものですね」


 神代細胞で出来た触手は細く半透明で、肉眼では視認しづらいが、エーテルエネルギーの反応に注意を集中すればえる。翡翠の脳に含まれる神代細胞量は音矢のものより多いので、意識せずともえたのだろう。


「これも罠ですか。扉近くのマキビシ、見えない触手に、

 全身血まみれにすることで

 生きている人の肌色でないことを隠した動く死体。

 なかなかやりますね」


「卑怯って言いたいの? 

 でも悪魔さんは、これまでに3回も魔術師候補を倒している、

 つわものでしょう。

 そんな相手に、

 徒手空拳、無為無策で突っこんでいけるわけないじゃない」


 蝶子は、すねたように口をとがらせた。


「ごもっともです。僕も同様の手口で戦ってきましたから、

 強者に挑まなければならない気持ちはわかりますよ」


「それなら、素直に倒されてくれない? 

 そうすれば資格が手に入って……あら、もう願いがかなっている? 

 私は美しくなれたし、

 協力を頼んだのに私から逃げだそうとしたみんなも、

 この触手で捕まえることもできた。

 殺しても、みんなを動かせる不思議な力まで手に入った

 ……ひょっとして、私は……」


 悩み始めた蝶子に、音矢は愛想よく話しかける。


「そうですね。魔術師になれたなら、もう僕と戦う意味はないですよ。

 合格おめでとうございます」


 戦意をくじこうとする彼の試みは、通用しなかった。


「あら、ありがとう。お礼に、私の力をもう一つ見せてあげるわ」


 微笑む蝶子の体が、上昇する。


「ふふふふ。油断させておいて、バッサリなんて嫌だものね。

 悪魔の言葉を信じるほど私はマヌケではないわよ」


 上昇は地上3メートルほどの高さで止まった。肉眼では、まるで宙に浮いているように見える。


「すごい! 初めて見る現象だ!」


 翡翠が驚いたように叫ぶ。


「背中から伸びた触手が、

 首をもいだ人の体を支えにして彼女を持ち上げているんだ!」


「エーテルエネルギーの反応はどうですか? 

 もし、安定しているなら、最初の成功例になりますよ」


 音矢の問いに、翡翠は首を横に振って答えた。


「だめだ。むしろこれまでよりも増殖が速く、エネルギーの量も多い。

 肉眼ではまともに見える姿も、脳内は暴走時に近い。

 増えすぎた神代細胞が、

 患者の眼球を押し出したり体にまとわりついたりするかわりに

 触手化しているだけだ。

 このままでは、脳が食いつくされるのも時間の問題だろう」


「残念ですね。結局、やるしかないのか……」


 音矢は自分の目より上でユラユラと揺れている蝶子に話しかける。


「そんな服を着て、高いところに居たら下着が見えますよ。あはは」


 羞恥心を刺激しようとしたが、蝶子は意に介さない。それどころか、意味ありげな微笑みをうかべた。


「見たいの?」


「え……」


 音矢はとっさに返事ができず、口ごもる。







次回に続く



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