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第八話

 上野に行った翌日は、翡翠たちには特に予定がない。瀬野からの警戒命令も出ていない。


 平常どおりに朝食の片づけを終えると、翡翠は物置から古新聞を出してきた。茶の間に広げてめくっている。やがて、目的のものをみつけた。


「おお、これだ! なんとなく気にかかるから、覚えていたんだ」


 茶箪笥の引き出しを翡翠は次々と開ける。その中からハサミを見つけた彼は、広告の周りを切る。

 ギザギザな切り口になってしまった。だが、翡翠は自分に与えられた道具を使うこと自体が楽しいので、仕上がりはあまり気にしていない。


 彼は縁側に出て、庭で洗濯をしている音矢に切り抜きを見せた。


「音矢くん、この広告に書いてある、身長の伸びる薬を買ってくれ。

 伸びるだけでなく、体力増進効果もあるそうだ。

 ボクは大きく強くなりたいんだ!」


 インターネットが存在しなかった時代には、通信販売の媒体として新聞などが使われていた。今、翡翠が手にしている広告記事は、体格を向上させる薬のものだ。それ以外にも、毛生え薬、豊胸剤、ホクロのとれる美顔水などの広告が、商品の効能をわかりやすくあらわした絵を添えて紙面に掲載されている。


「それは、たいして効果がないと思いますよ」


「なぜだ?」


「本当に効くなら、富国強兵を唱える政府が公式採用して、

 増産体制を作り国民に配布します。こんな広告を打つ必要なんてありません」


 そう言いながら、音矢は茶の間に上がる。


「しかし、背が伸びた人の喜びの声が添えられて……」


「そんなこと、広告を作った人が適当に書いたんですよ。

 要するに、礼文が神代細胞を[願いのかなう薬]と嘘をついて信者を騙し、

 実験台にするのと同じ手口です」


 音矢は、翡翠が広げた新聞を手に取り、[毛生え薬]の広告を見せた。


 次に昨日の新聞を探して広げ、風刺漫画を音矢は指で示す。それは国会で統帥権干犯と軍備削減問題について討論する、実在の議員の特徴を誇張して描いたものだ。4月に始まったこの抗争は、まだ決着がついていない。


「ね? この薬が効くなら、偉い人が率先して使ってますよ。

 でも、この人もこの人も、つるつる頭です。

 確かに広告には[ビオフェルミン]や[スマイル目薬]みたいに

 まともな薬も載っています。

 でも、こんなふうに、どう見ても怪しい薬も掲載されています。

 いわば玉石混合な状態ですから、それを見分ける知性が必要ですね」


 音矢の言葉を聞いて、翡翠の表情は曇る。


「それほど効果が無いものを、なんで広告するんだ。

 嘘はいけないことなのだから、警察が取り締まることはないのか」


 翡翠は口で不満を表すだけでは物足りないのか、手で新聞を叩いた。


「それほど害悪もないから、放置しているんでしょう。

 新聞社は広告料で儲けたいし、

 広告を信じる素直な人は、

 お金を払ってから品物が届いて効果が無いと理解するまでの間、

 望みがかなったところを夢みて幸せでいられる。

 幸せな夢の代金を受け取って、薬品会社は利益を上げる」


 説明してやりながら、音矢は庭に下りて中断していた洗濯を再開する。


「[都合よく望みをかなえる薬がある]という夢で、三者が得をし、

 新聞社と薬品会社は儲けた利益の中から税金を国に収めているんですよ。

 だから、警察も放置しているんです。

 あんまりにも高額だったら詐欺として立件するんでしょうがね」


 説明を聞き終ると、翡翠は古新聞を叩く手を止め、立ち上がった。


「……そうか。だが、ボクは夢だけでは満足できない。

 効果がないなら、いらない……」


 肩を落とした翡翠は、そのまま自室に向かおうとする。


 その背に音矢は声をかけた。


「翡翠さん、読み終わった新聞は物置に戻すか、

 たたんで部屋の隅に置くかしてください。畳の上に広げたままでは困ります」


 フスマを開けて、廊下に出ようとしていた翡翠は振り返った。


「どこが困るのだ。

 また読みたくなった時に、いちいち広げる手間が省けるだろう」


 音矢は庭から答える。


「あはは。翡翠さんも屁理屈が言えるようになりましたか。

 だいぶ成長しましたね。

 でも、新聞の始末はきちんとやらないといけませんよ」


 少しいらだった様子で、翡翠は音矢のほうに向けて足を踏み出す。


「なぜ、始末をしないといけっ!」


 ステン ゴチ


 言葉の途中で、翡翠は仰向けに倒れた。



   ◆◆◆◆◆◆



 庭の中央にあるタイルの一枚は簡単に外せるようになっている。フタのようになっているタイルを開けると、紐をかけることができるフックが現れた。これは庭を稽古場として大道具を設営する時の位置を決めるとき、目印をつけられるように設置されたものだ。


 彼女はそれを中心に紐で測りながら大きな円をチョークで描く。そしてフックから紐を外し、端を小石で固定しては、円周をその半径で分割し、六等分した。その六角形の辺の一つがちょうど庭の入口に向くよう、調整してある。最後に角と角を線で結び、六芒星を作る。


 その中心に、[真世界への道]の新しい記章となった獅子宮の印、♌を描いた。


「ほら、魔法円みたいになった。効き目がありますように。なむなむ」


 彼女はできあがった図形を拝んでから、次の支度にかかった。



   ◆◆◆◆◆◆



 膝を立てて畳に座った翡翠は、痛そうに頭をさすっている。とっさのことで、翡翠には空間界面を展開し、身を守る間がなかったのだ。


「なぜいけないか、わかりましたか。

 畳の上に新聞を広げっぱなしにしていると、

 それを踏んで滑って転んで、

 後頭部をちゃぶ台の端にぶつけて痛い目に合うんですよ」


 洗濯する手を止めて、音矢は翡翠に注意した。


「予想できることなら、音矢くんが片づけてくれてもいいではないか」


「それでは、翡翠さんの生活態度が改善しません。

 今は手に何も持っていなかったからよかったものの、

 もし、ガラスのコップを持っているときに転んで、

 その破片が刺さったら大怪我をしますよ。

 そうなってから後悔しても遅いんです。

 普段から気をつけて行動してください」


「……たしかに痛そうだ……わかった。これから片づけるようにしよう」


 そう言って、翡翠は床の新聞をたたみ始めた。


「引き出しも、元通りに閉めてくださいね。

 茶箪笥の前を通るときに、でっぱった引き出しにぶつかると痛いですよ」


 一応注意してやってから、音矢も洗濯を再開する。



 敷布を洗濯板にこすりながら、音矢は考えた。


(……あれ、こんなこと、せんにもあったような……

 そうだ。じいちゃんが……)


 音矢は、祖母を追うように亡くなった祖父が、まだ元気だったころの出来事を回想する。


『音矢! 新聞紙を広げっぱなしにするんではない! 

 きちんとたたんでおけ!』


『どうしていけないのさ? 

 つぎによむひとの、ひろげるてまがはぶけるじゃない』


『口答えするな! たためといわれたら、すぐにたため!

 まったく、ちかごろの子供は生意気だ。

 わしがお前くらいの時には、そんなことはなかったのに』


『そりゃそうだよ。

 じいちゃんが5さいのときは、

 あたまにチョンマゲをのせているひとが、

 まちで[かわらばん]をうっていたんでしょう? 

 ひろげようにも[しんぶんし]そのものがないや。あはは』


『違う! 目上の者に言われたことに、素直に従えといっているんだ!』


『めうえのもの? 

 そんなら、じいちゃんはそらをとぶトリや、

 きのうえにいるサルのいうことをきくんだ。

 じいちゃんのめよりも、うえにいるから。あはは』


『いいかげんにしろ!』


ボカ


(そうだ、その日の新聞にのっていた広告の絵が面白くて、

 他にも絵はないかと、ありたけの新聞を広げて探していて

 ……最後に頭をなぐられたんだ)


 回想を終え、音矢はそれについて考えをめぐらせた。


(たったの5歳から、僕は屁理屈をこねていたのか。

 我ながら、あつかいづらいガキだ)


 思わず、彼は苦笑する。


(……なんで、急に過去のことを思い出したんだろう? 

 ずっと忘れていたことなのに)


(そうか、今までは、現在を生きるために働き、

 未来のために勉強するのに忙しくて、

 ゆっくり自分の過去にあったことを思い返す暇が無かった。

 ここの仕事に慣れてきて、心にゆとりが生まれたんだな)


 音矢はそう結論づけて、納得した。この現象の意味は、まだ彼にはわからない。



   ◆◆◆◆◆◆



 奈々子は、座長と主演女優がいる部屋のドアを叩く。


 扉の向こうで、あわただしく身づくろいする気配を、彼女は感じた。


「なんだよ、うるせえなあ」


 不機嫌な声に取り合わず、奈々子は用件だけ伝える。


「すいません、庭にきてください。アザミさんもいっしょに」


「お前に命令される義理はないぞ」


「いえ、マダムがお呼びなんです。

 全員庭に出てきてとおっしゃられています」


「ちっ……仕方ないな。後援者の言うことには従ってやるか。

 アザミちゃんも、支度して」


 なんとか、二人とも庭に来てくれるようだ。ほっとして、奈々子は別の劇団員も呼びに行く。





次回に続く






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