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第一話

 新田音矢は宇宙哨戒艇うちゅうしょうかいていの気密出入室にいる。


 彼は耳につけた飾り石に指をあて、そこに意識を集中しながら声を発した。


『空間界面起動』


 音矢の周囲に緑色の光が膜を作る。地上とは違い、起動するのに跳ね上がる必要はない。無重力なので、もともと彼の身体は浮いている。


『船外活動機、装着』


 彼の声に反応して、音矢の上から金属製の輪が降りてきた、それには機械でできた二本の腕がついている。輪は音矢の腰にくると、半径を縮め、空間界面を締める形で固定された。


『呼吸装置起動』


 音矢は個人用の装備を制御する板を手にしている。大きさはカマボコ板くらいだ。それを親指でこすると、彼が背負っている機械が動き出した。これは空間界面内の二酸化炭素を吸着し、かわりに酸素を適度な濃度で放出する機能をもつ。


『音矢くん、準備はいいわね?』


 通信士である瀬野の声が手の板から聞こえる。


『はい』


 音矢の返事と共に、宇宙船の気密出入室から空気が抜けていく。外部と内部が等しい、つまり気圧0になったとき真空隔絶扉が開いた。漆黒の絹地に宝石をまき散らしたような美しい光景が音矢の前に広がる。


『新田音矢、出勤しゅっきん


 瀬野の声と共に、背後の壁が動きだし、じんわりと彼を押していく。空間界面を勢いよく叩くと衝撃が吸収されてしまうので、宇宙空間に送り出す速度は遅い。


 外に出てから、音矢は板を操作する。すると、そこから発せられた信号によって動く機械の両腕は、手の平から窒素ガスを吹き出し、勢いよく彼を目的地に運んでいく。

 今日の仕事は、核分裂反応発電衛星の、地球局送電装置の点検だ。


 宇宙を飛ぶ音矢の目の隅に、なにか動くものが見えた、と思う間もなく、リンゴほどの小隕石が彼の頭部に衝突した。


 宇宙空間の相対速度では秒速100キロなど、ごく当たり前のことだ。そんな速度で衝突したが、空間界面は柔らかく震えて衝撃を吸収する。緑の膜は何事もなく小隕石を受け流し、音矢を守った。


 万が一、隕石で船外活動機が壊れたとしても、呼吸装置は24時間以上稼働できる。それだけ余裕があれば、手にした板の発する信号を聞いた他の作業員たちが彼を救援にくるので問題はない。


 音矢も小隕石の衝突は毎度のことなので、気にしない。


 口笛で[抜刀隊]のメロディを奏でながら、目的地に向かう……




 窓から差す夏の朝日が音矢のマブタを照らし、彼は目覚めた。タオル地の夏掛けは寝ている間にはねのけてしまったようだ。敷き布団の上で体を伸ばしてみると不自由なく動く。


(すごい。未来世界の夢を見た)


 今朝はオバケくんの姿がない。眠りが深くなったり浅くなったりする夢見の周期によるものだろうか。


(あんなふうに空間界面が利用されるといいな。

 単なる人殺し用の防具として使うだけではもったいない。

 なにしろ空間界面を形成するのは、

 現代科学では説明できない未知のエネルギーなんだから)


 夢で体験した、宇宙空間を自在に飛んでいく感覚を音矢は思い出す。それはとても爽快だった。


 身体を起こし、彼は身支度のために浴室に行く。今日、翡翠と彼は瀬野と行楽にでかけるからだ。音矢が着る絣の単衣ひとえは安物だから、せめて清潔にだけは気をつかいたい。


 音矢は、これから行く水辺の光景を早くも想像し、期待していた。




 ――さあ、昔々の物語を始めましょう――


 これは異なる世界の物語。


 そして


 ――芋虫が蝶になる物語――




 市橋奈々子は稽古場にある大きな鏡を見つめていた。


(ああ、この両頬にあるホクロ。

 これがなければ、わたしはもっときれいになるのに。

 まるで、アゲハの芋虫にある目玉模様みたい。大嫌い)


 3歩ほどさがって、こんどは全体を見た。


 小柄で、全体的に貧弱だ。もう20歳なのに、女性らしいふくらみに欠けている。

 だから、前回の芝居では少年役を割り振られた。


 この劇団において、奈々子の役割は衣装係だ。それでも役者の人数が足りないので、本意ではないが穴埋めとして、しかたなく舞台にあがっている。


 自分のプライドを守るための建前として、周囲にはそう話している。


 しかし、奈々子本来の夢は、女優、それもハリウッド映画にでてくるような、見る者すべてを魅了するような肉体美を持つ女優になることだ。


 だが、もし口にしたら、『そんな顔と体で、なれるわけがないだろう』と嘲笑されること間違いなしだ。だから奈々子は本音を話さない。


 鏡を見ながら、奈々子は今着ている服のことを考える。


(生地も良いし、薄水色の色合いも素敵。

 もらい物だけれど、私の体にちょうどいい。

 あやめマダムに教わって髪も断髪にしてみたら、さっぱりしたわ。

 ちょっと古いスタイルだけど、夏にはこの方が楽ね)


 彼女が今着ている袖なしのワンピースは、体の凹凸を強調しない真っ直ぐなラインの物だ。

 これは1920年代に流行したフラッパースタイルのドレスと、彼女は聞いた。


 劇団の援助者である有吉あやめ男爵夫人が、若いころの服を先日持ってきてくれたので、サイズの合う奈々子がありがたくいただいたのだ。爵位をつける堅苦しい扱いを嫌った彼女は、あやめマダムと呼ばれることを好んでいる。


 今は豊かな体型のマダムだが、10年前にはこの服が似合うモダンガールとして銀座を闊歩かっぽしていた。

 その美しさに大勢の人が注目したと、自慢を聞かされている。男爵夫人になれたのも、その美貌を見初められたからだ。


 奈々子にとって、嫉妬するよりも、マダムはあこがれの対象だった。


(いいなあ……)


 奈々子が洋裁のアルバイトをしている店も銀座にある。しかし街を行く人は、誰も奈々子に気を留めることはなく、通り過ぎていく。


(でも、私だって)


 自らの望みをかなえるため、奈々子は決意し、手紙を書いた。そして、欲しかった薬を手に入れた。その効果が、もうすぐ出るはずだ。


(だから、こんな姿はもう見納め。さようなら、今までの私)


 奈々子は鏡に背を向けた。



   ◆◆◆◆◆◆



 小柄な人物と、それよりもやや背の高い人物がプールに向かう。彼らは勢いよく水面に身を躍らせた。


 しぶきが盛大にあがる。宙に撒かれた水滴が夏の日光を分解し、一瞬の虹があらわれた。


 小柄な人物は水の感触を楽しむように、潜ったり、そのまま縦回転をするなどして遊ぶ。


 もう一人は平泳ぎですいすいと水をかく。水泳選手のように見事とは言えないが、息継ぎも、手足の動きにも危ういものはない。彼は幼いころから水に親しみ、泳ぐことに慣れているからだ。


 彼らが遊泳しているプールのそばには藤棚がある。


 今は8月。午前10時の日差しは、そろそろ肌を焼くほど強くなりつつある。その日光をさえぎる藤の葉陰で、若い女性が七輪で焼きトウモロコシを作っていた。プールで楽しむ二人が水から上がってきたときの軽食にするためだ。


 濡らした新聞紙で皮付きのまま包み、網に乗せて焼いて、ちょうどよく火が通った頃合いと見た彼女は軍手をはめ、焼けた紙と焦げた皮をむく。そして、きれいに列をなしたトウモロコシの実に醤油をハケで塗って軽くあぶる。彼女の調理で、香ばしい匂いがあたりに広がった。


 泳ぎ疲れた身体を横たえるためのデッキチェアも、喉を潤すための麦茶も、すでに彼女の手で準備されていた。


 彼女は彼らのために働くことを喜んでいる。それは、恋心からだ。平泳ぎを楽しんでいる男を彼女は愛していた。


 そして、彼女を雇ったのは小柄な方の人物。自分をこの仕事に就かせてくれた恩に、彼女は労働に励むことで報いたいと思っている。


 彼女の名は、中村ムメ。富鳥子爵邸の離れを担当する女奉公人だ。


 肩にかかる長さで切りそろえた彼女の髪を、そよ風が揺らした。まだ幼さが残る顔に煙がかかり、ムメは軽く咳きこむ。


「義知ちゃん! トウモロコシも焼けたみたいだし、そろそろ上がろうか」


 少し高い声が、庭に響いた。


「泳ぎすぎて冷えると、ポンポンが痛くなるよ」


 平泳ぎを中断しプールの壁によりかかって休んでいる人物に、小柄な人物は話しかけていた。


「パパ、やめてよ! 子供じゃあないんだから」


 その息子は反発心を覚えたのか、再度平泳ぎを始めた。


「うふふふう。言うこと聞かない子は、捕まえるよ!」


 富鳥元子爵は、みごとなクロールで息子の後を追っていく。小柄で小太りの体が水を切って勢いよく進む姿は、まるでアザラシのようだ。


 彼女の雇い主と、片思いの相手はドーナツ型のプールで楽しそうに水と戯れている。

 使用人であるムメは同じように遊ぶことなどできないが、そばにいて、彼らの世話をするだけで、ムメは幸せだった。


 焼き網の上にあるトウモロコシを皿に移してから、ムメは自分の未熟な胸をそっと押える。服に隠れて見えないが、彼女の手と素肌はペンダントの存在を確かめていた。


(うふ。これは義知さまからの授かりもの)


(礼文さんから渡されたけれども、

 馬の蹄鉄ていてつ型の飾りがついたこのペンダントは、

 もともと義知さまの胸にあった。

 それに紫色の飾り石まで足して、あたしにくださった)


(どういう事情か、ムメにはわからないけれど……

 でも、うれしい。

 こうやって肌に触れさせていることが、あのかたの助けになるなら、

 ずっとそうしていよう)


(あのかたは華族で、帝大の学士様……

 平民で小卒の、あたしみたいな奉公人なんかには

 手の届かないところにいる人だけれど、

 ムメは……義知さまをお慕いもうしております)


 そのペンダントに加えられた紫色の飾り石が、神代細胞という危険なものから作られたものであることも、その石へのエーテルエネルギー供給源として自分が使われていることも、ムメは知らされていない。



   ◆◆◆◆◆◆



 8月の不忍池は、ちょうどハスの花が見おさめになるころだ。翡翠たち三人は南側に回る。そこは特に蓮が多く、水面を覆った濃い緑の中、桃色や純白の花が顔を出している。翡翠の顔よりも大きい葉の上を、羽虫を捕らえようと、トンボたちが飛ぶ。


「みなさんも、新聞記事を読んだんでしょうね。

 平日なのに、池の周りが混んでますよ」


 一昨日の公平新聞に、不忍池と蓮の花についての記事が載っていた。もともと今日に上野公園へ行くことになっていた三人は、記事に興味を引かれた翡翠の要望で最初にここを訪れた。


「すごい……孤島にはない風景だ」


 翡翠はそうつぶやいたきり、ずっと池を眺めている。よほど気に入ったらしい。


 その隣で音矢は懐から出した手帳に、不忍池の全景、そして蓮の花と葉を鉛筆でスケッチしている。呉服屋に奉公しているころから、仕事の合間をぬって絵をかくことに慣れているので、彼の手技は早い。


 時刻はまだ10時だ。今日のために音矢は瀬野に頼んで白い水兵帽と水兵服を調達した。これまで着ていた黒い服と帽子は熱を吸収してしまうからだ。その衣替えの効果もあるから、あとしばらくは体力のない翡翠も夏の日光に耐えられるだろう。


 本格的に太陽が輝くころになったら、三人は帝都国立博物館に行って、日差しから逃れる予定だ。上野に出かけるというので、音矢も夏用とはいえ、正式な服装であるはかまも履いている。やはり、普段の着流し姿よりは暑い。


「きれいな鳥がいるわ」


 瀬野が指さした先を、音矢と翡翠は見た。クチバシが長く、青みがかった緑の羽毛に包まれた小さな鳥が、池に打ちこまれた杭にとまっている。


「カワセミですよ。

 ああそうだ。漢字で書くと、翡翠さんと同じ字になります」


 そう言いながら、音矢は肩から下げた鞄の位置を直す。今日は帆布製の肩掛け鞄を音矢は携行していた。愛用の背嚢は、手さげの革鞄と共に貸家に置いてきた。この二つは暴走患者の始末の時に使っているので、瀬野が[不吉]だと嫌うからだ。


「ヒスイとカワセミでは、まったく違う読みと意味なのに、

 なぜ同じ字なんだ?」


「あの鳥と同じ色の鉱石だから、同じ字になったらしいですね。

 カワセミは鳥本体の和名で、漢字をそのまま読んだ音がヒスイと」


 翡翠の言葉を受けて、音矢は[萬文芸]の雑学記事で読んだ豆知識を披露した。


「ややこしいわね」


 瀬野は眉をひそめた。鳥と鉱石が同じ漢字をつかっているという複雑な事実への感想だけでなく、生半可な知識をひけらかしたがる音矢への不快感も、その表情には混じっている。


「ボクも……同じ色だから、そう名付けられたのだろうか」


 翡翠はそっと新しい水兵帽を押える。彼はその下に、緑色の小さな角を隠していた。




「あちらには、動物園があるのだな」


 池の向こうを、翡翠は見つめる。


 すこし間をおいてから、翡翠は音矢に質問した。


「音矢くん、鉄のおりを壊すには、どうしたらいい?

 ボクは閉じこめられている動物たちを出してあげたいんだ。

 手伝ってくれ」


 音矢は首を横に振る。


「いや、そんな望みは聞けませんよ」


「なぜだ?」


 翡翠はとまどったように、音矢の顔を見上げた。


 彼にいつもの笑みはなく、真面目な表情を浮かべている。


「それは翡翠さんにとって不利益をもたらしますし、

 動物園にも損害を出しますし、

 なによりも、当の動物たちにも迷惑な話です。

 動物のためを思うなら、檻を壊して外に出したりしてはいけません」


 きっぱりと自分の要求を拒絶された。その怒りで、翡翠の頬が紅潮する。


「なぜだ! 狭い檻の中でうろうろして、餌をもらって食べて、

 時間が過ぎていくのをただ感じているだけの生活なんて、

 全くつまらない! 外に出て自由に行動した方が楽しい!」


「ああ、翡翠くんが……またヘソを曲げそう。

 音矢、あんたが断るからよ! 責任もって、なんとかして!」


 瀬野の言葉にうなずくと、音矢は腰をかがめて翡翠と眼の高さを合わせた。


「落ち着いてください。なぜできないか説明しますから」





次回に続く



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