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第四話

「なによ! あんた、天使なんかじゃない、鬼だったの! 

 私をだましていたのね! 本物の天使さまはどこにいるの!」


「だから、ボクはそんなものではないと」

「言い訳しないで!」

  母の鮮血を浴び、髪も顔も緋に染まった呉羽は叫んだ。


 彼女が放つ、むき出しの怒りを浴びて、翡翠の防衛本能が刺激された。


  彼の体に混ざった神代細胞が空間界面を発動させていく。翡翠の神代細胞は音矢よりも大量にあるので、より強固だ。床に触れた部分もはじけることなくバリアを形成し、反発力で翡翠の身体を5センチほど持ち上げた。


  呉羽は力任せに空間界面を殴りつける。

 しかし柔らかく受け止められ、翡翠に傷を負わせることはできない。


  怒りのままに、呉羽は空間界面にまたがって強力な拳を振り上げ、叩き続ける。


 その背後から

「やあ、ワンピースの裾がまくれて、

 かわいいお尻と太ももが丸見えだ。眼福、眼福」

  陽気な声が聞こえた。


  拳の動きをとめ、呉羽は振り返った。グランドピアノのむこうで、音矢はニコニコ笑っている。


「ガアアアアッ!」

  獣の叫びをあげて、呉羽は突進した。その行く手をピアノが阻む。力任せに彼女はそれを持ちあげる。神代細胞は魔物めいた力を彼女に与えていた。


「ひゃあ、怖い。退散しよう」

  音矢は背を向けて部屋から出た。廊下を走る音に続く、階段を駆け下りる音をかき消したのは、呉羽がピアノを横に倒した音だ。


  翡翠は空間界面を解除し、音矢を獰猛に追跡する呉羽の後を追う。


  彼が廊下に出たとき、呉羽はまさに階段を駆け下りようとしていたところだった。


  一段降りたところで彼女のバランスが崩れた。勢いよく階段を転がり落ちる。そして次に固いものと固いものが衝突する音が下で響く。


  翡翠は階段を続いて降りようとして尻もちをついた。階段の踏板に油が塗られていたのだ。


「せえの!」

  音矢の掛け声だ。翡翠は下をのぞく。


  階段の下に、呉羽が横たわっていた。その頭の脇には壊れた火鉢のかけらが飛び散っている。衝突する音の正体はこれだったらしい。


  音矢はバナナが乗っていたクリスタルの大きな皿で、何度も呉羽の頭部を殴っているが、神代細胞が修復していくので絶命しない。しかし破壊と回復の速度が合わず、呉羽の顔はブヨブヨとした赤い肉になった。


 そこまで叩かれたためか、無目的にバタつかせていた呉羽の手足の動きがいったん止まる。

 すかさず音矢は胸ポケットからリベットペンをとり、呉羽の目であった部分に突き刺す。引き抜いてから、音矢は呉羽から走って遠ざかる。


 その足を、意識を取り戻した呉羽の手が追ったが、ぎりぎりのところで届かなかった。


「5,4,3,2,1、……」

  音矢が数を数える声。

「0!」

  破裂音。

  液体が噴出する音。


  廊下を歩く足音が近づいてきて

「終わりましたので、神代細胞の回収お願いします」

  一階から音矢が翡翠に声をかけた。



   ◆◆◆◆◆◆



  瀬野のバッグの中から振動音が聞こえた。1秒ほどの間をおいて、規則的に鳴り続ける。


「まさか、勝ったの? 音矢が」

  瀬野は頭をかかえた。


「マグレ勝ちが続いたようだな。では私は引きあげるよ。

   君と一緒にいるところを二人に見られたら、よけいに事態が混乱する」


  礼文は瀬野の車から離れ、自分の車へと去った。

  彼の背筋が伸びた姿勢は厳しい訓練を受けた軍人を連想させる。しかし、その足取りには乱れがある。

  古傷でもあるのか、礼文はわずかに左足を引きずっていた。



   ◆◆◆◆◆◆



  瀬野の操縦で車は現場から離れ、貸家めざして夜道を走っていく。


  助手席には翡翠がいた。彼は床の血で汚れた服と帽子を隠すために、音矢の絣を頭からかぶっている。座席の上と床には古新聞紙が敷かれ、血液で車内を汚さない配慮がなされていた。後部座席も同じだ。


  床と座席の古新聞紙の上で音矢は、返り血で染まった作業服からスタンドカラーシャツと袴に着替えた。

  彼らの手や顔についた血は、すでにおしぼりとハンカチでぬぐった。音矢の横には回収された神代細胞の入った革鞄がある。


  足元に置いた背嚢から氷砂糖を出すと、音矢は丈夫な歯で噛み砕き、水筒に詰めた湯冷ましで流しこむ。


「ああ、一息ついた」

  背もたれに音矢は寄りかかり、独り言をつぶやいた。

 そして緊張がとけたせいか、彼のいつもの癖がでた。[抜刀隊]のメロデイを口笛で吹き始める。


「いったい、どうやってあなたたちは呉羽を倒したの?」

  瀬野の求めに応じて、翡翠は音矢がどのように呉羽を倒したか瀬野に語った。


「……音矢くんは、

 彼よりも圧倒的に強い力を持つ彼女を恐れずに立ち向かい、倒した。

 実に勇敢な行為だ」

「私には、勇敢というよりも鈍感におもえるけどね」

  瀬野は呆れたように答えた。


「これから倒そうという敵の前でバナナを食べるとか、

 焼き飯作って死体の横で食べるように勧めるとかって、

 ちょっと信じられない。嘘みたい」


  彼女は落胆のあまり、音矢をほめることを忘れていた。

  待機中に音矢のことをおだてたが、それは危険な仕事に駆りたてるためだ。本心からではない。


「いや、ボクは嘘などついていない。すべて事実だ」

「そういう意味じゃあなくて」


  音矢の行動が常識外れであることを瀬野が説明しようとしたとき、後部座席から


「ああ、面白かった。なんて僕は運がいいんだろう。まったく僕は幸せだ」

 などという言葉が聞こえた。


  動揺した瀬野のハンドルさばきが乱れる。

「どうしました。瀬野さん」

 やっと、道路の端に寄せて停車した瀬野に、音矢は心配そうな声をかける。


「やっぱり、人殺しの話を聞いて怖くなりましたか? 

 僕の体力も少し回復してきたし、車の操縦を交代しますか?」 

「そうじゃあ、なくて」

  瀬野は混乱していた。


(今の言葉のように、人を思いやる心を音矢は持っている。それなのに)


「そうとう残酷な殺し方をしておいて、面白かったって…」

  人が人を殺す。それは人間が構成する社会での最大の禁忌だ。


「…運がいい……幸せって……どういうことなの?」

  身体をひねって振り向き、瀬野は音矢の顔を見つめる。


「いえ、別に大したことではないですよ。

 ただの独り言ですから、お気になさらずに。あはは」


  彼女の目に映る、音矢の顔は……普通だった。


 ごく平凡な目鼻立ち。しいていえば濃くて真っ直ぐな二本の眉が彼の特徴なのだろうが、それも人並み外れた個性とは言えない。雑踏に紛れてしまえば、すぐに見失ってしまう程度の特徴だ。


「すごく、気になるの。いいから答えなさい」

「はい」

  音矢は覚悟を決めたようにうなずいた。


「残酷っておっしゃいますけど。

 僕の装備では一撃で倒すことができない相手なんですから、

 罠でもつかって動きをとめてから、

 何度も攻撃して倒すしかないでしょう。

 原始人がマンモスを谷に追い落として、

 大きな石をたくさんぶつけてしとめるようなものです。


 そして僕は20世紀に生きる現代人ですから、

 原始人よりも高度な運用をするために、この頭を働かせました。

 罠に誘導するため、鈍感にみえるようにふるまって、わざと怒らせたんですよ。

 計略です」

 すこし得意げに音矢は語った。


「神経がまともなら、そんな状況で迫真の演技なんかできないわよ。

 つまり、あんたはもともと鈍感なの!」

「まあ、そういう解釈もありますね。あはは」

  音矢は瀬野の非難を笑ってごまかした。


「それで、面白かったっていうのは……

 自分で考えた計略を自分の身体を動かして実行していくのは面白いですし。

 それがうまくいったのは運がいいからですよ。

 僕の言ってることはそんなに変ですか?」


「ちがう……うまく説明できないけど……

 ああ、なにが[普通の見本]よ。ぜんぜん違うじゃない。嘘つき」


  音矢は苦笑した。

「嘘ではありませんよ。

 僕の身長、体重、視力などの数値は、全部が日本人の平均と一致してます。

 せんに[萬文芸]の企画で、

〈これが普通の見本だ!〉と日本人の平均値をあつめた特集がありまして

 記事を読んだ奉公人仲間が僕のことをそう呼んでからかったんです」


「なによ、それ……」

「ね、嘘ではないでしょう。あはは」

  瀬野は頭の芯に、違和感をおぼえた。なにか異常なものをそこに刺されたような気分だ。


「まあ、呉服屋でも最初はそのまま[普通の見本]と呼ばれていたんですが、

 しばらくして余計なことが付け足されました」

「なんて?」

「それが[ただし人格をのぞく]なんですよ。ひどくありませんか?」

  大真面目に言われて、瀬野は絶句した。


「…………そうだ、幸せっていうのはなによ。

 人を殺して、幸せって普通じゃないわ」



「普通の人間って、

 普通の顔をして普通の生活を送りながら、

 自分が幸せになるために、

 他の誰かをだましたり、痛めつけたり、時には殺したりするものでしょう」

  音矢は平然とした態度で答える。


「新聞の報道でも、殺人犯のご近所さんが、

『あの人は、ごく普通にくらしてました。挨拶もしてくれてました』

 なんて証言するのはよくあることじゃないですか」


「そうなのか?」

  翡翠が首をかしげる。

「ボクの読んだ本には、そんなこと書いてなかったが」


「実際、呉羽ちゃんも言ってたでしょう。自分は母親にだまされたって。

 肉体的には傷がなくても、あの子の心は傷つけられたし、

 最後のよりどころである楽しみも奪われた。

 それは心を殺されるのと同じことですよ。

 そして、自分の娘をそういう目にあわせるのが、

 あの母親にとっての幸せだったみたいだし」



  音矢は明るく笑った、

「ようするに、人殺しなんて、誰にでもできる普通のことなんですよ。

 いちいち騒ぐようなことではありません」


 それを聞いて、翡翠はうなずく。

「なるほど。そういうものだったのか」


「納得しないで!」

  瀬野は叫んだ。


「しかし、音矢くんにそのようなことをされたら、ボクは困るな。

 ボクはだまされたり、傷つけられたり、殺されたくはない」


「大丈夫です。普通の人間にも普通なりに個性はあります。

 僕が他人を攻撃する理由、

 それは自分を守るため、もしくは利益を得るため、ただそれだけですから」

  音矢はきっぱりと言い切った。


「加えて、僕は餌をくれる手にかみつくアヒルみたいなことはしません。

 そんなことをしたら、つぎから餌をもらえなくなりますからね。

 そして翡翠さんが所属する研究機関は僕に報酬をはらってくれる。

 だから僕は翡翠さんや瀬野さんを攻撃しません。安心してください」

「わかった。それなら安心だな」


「………………」

  瀬野は混乱していた。

  彼女は音矢のことを、単なるお人よしな働き者だと思っていたが、どうやら違うらしいということがわかってきたからだ。


「しかし、報酬を払うのは研究機関だ。

 ボク自身がきみにあげられるものはなんだろう?」

「僕も人間ですから、自分の働きが正当に評価されるとうれしくなります。

 だから、僕のやったことがお気に召したら、

 おほめの言葉でもくれてやってくださいな」

「わかった。これからそうしよう」


「なんて、身もふたもない、殺伐とした会話なの……」


 この時、1930年〔光文5年〕。


  当時の人々は義理と人情を重んじ、合理的な判断よりもその場の感情に任せた行動をすることが人として正しいことと教育されていた。


 また、自分の要求をはっきりと口にせずに、相手が察してくれるようにほのめかすのが常識とされていた。


 したがって、瀬野の反応は普通といえる。


  新田音矢という、この男は、彼がこれまで受けてきたであろう、教育や常識から解放されていた。

 そして能動的に禁忌とされていることを行っている。


 そのような存在を、瀬野は理解することができなかった。

 だから

「あんたはおかしい! ぜったいにおかしい! おかしすぎる!」

  非難した。


「まあまあ、僕は[言われたとおりに働く道具]として、やとわれただけですから。

 人格については問われていません。

 そして、僕は命じられた仕事をはたした。それでいいでしょう。

 落ち着いてくださいよ」

 そして、音矢はこれまで彼がやってきたのと同じように、非難を受け流した。

 それは彼にとって当たり前の行為なので、とくに意識はしなかった。


  世界を変革する使命を帯びた、特別な人間。

[真世界への道]の信者が目標とする存在。

 いうなれば、

 安全な陸地から、危険がひそむ海に獲物を求めて飛び込む、最初のペンギン。


  音矢がそんな存在であることを、彼自身も、瀬野もまだ気づいていない。

 なぜなら、瀬野は礼文から詳しい教義を聞いていないからだ。


 そして、音矢は呉羽が教義の核心部分を語っているとき、台所にいたので聞いていない。


 そのうえ、教義の全てを聞き届けた翡翠は、まだ世間の常識を完全に習得していない。だから音矢の異常性に気づかなかった。


「しかし、呉羽ちゃんもかわいそうですね。

 母親にだまされて、助けをもとめたら変な宗教にだまされて。

 自らの手で実の両親殺して、あげくの果てに自分も殺されて」

  音矢は非難を避けるために話題を変えた。


「本当に悪いのは、彼女を追いつめた母親と、

 だまして実験台にした礼文と水晶……むしろ呉羽くれはちゃんは被害者ですよ」





 ――そう、これは――


 ――異世界(大正の次が昭和ではなく光文になった世界)で

  勇敢(というより鈍感)な青年が

  混沌(とした状況にまきこまれた被害者)と戦う物語――


 ――そして――


「なに、他人事みたいに言ってるの。自分で殺したくせに」


「僕は悪魔だから殺す。魔術師になる資格を得るために僕を殺すって、

 むこうから言ってきたんですよ。

 それも、単なるかよわい女の子ならまだしも、

 魔物みたいな力をふるう凶悪な獣として。

 僕はまだ死にたくないですから、当然受けて立ちます。

 殺らなければ僕が殺られる。つまり正当防衛です」


「でも、すこしは悪いと思わないの?」

「全然。だって僕と呉羽ちゃんは命を懸けた戦いをして、

 結果、僕が勝った。

 勝てば官軍。負ければ賊軍。つまり正義は僕のほうにあります」


「……あんたが[抜刀隊]の歌が好きなのって……」

[抜刀隊]とは、官軍側を讃える内容の軍歌である。


「そういうことです。正義という錦の御旗を掲げて敵を征伐するって、

 じつに気分がいいものですよ。あはは」


「ああああ、なに……その減らず口。建前を並べて屁理屈こねて……

 それこそ悪魔の論理よ。人間にはついていけない」

  瀬野は頭をかかえた。




  ――悪魔が正義の名のもとに、魔獣を退治する物語――




「あああ、わけがわからない。頭痛い」


「あはは、瀬野さんもですか。僕が呉服屋でつけられた、別のあだ名は

[頭痛発生機]なんですよ。

 まったく、なんでみんな僕の話を聞くとそうなるんですかね?」


  音矢はしゃべりながら床の古新聞で血のついた作業服を包む。さらに座席の新聞を使い、汚れが内側になるようにして固く丸めた。それと背嚢を邪魔にならないよう隅によせ、革鞄を持って後部座席から降りた。


  鞄を背中側に回して操縦席側のドアを開ける。

「やっぱり瀬野さんは休んでください。交代しますよ」

 ふらふらと、瀬野は後部座席に移動する。そのドアを閉めてやってから、音矢は操縦席についた。革鞄は足下におろす。


「あれ、翡翠さんが寝てる。疲れたんだな」

  助手席にいる翡翠のまとっている絣の着物を直してから、音矢は自分の両ほほを叩いて気合をいれた。

「あとすこしで家だ。がんばって安全操縦でいこう」

 そういって、音矢は車を発進させた。


「……普通に戻った……あんたいったいなんなの?」

「僕はいつだって普通ですよ。普通に生活して、普通に働いて、普通に殺す」

「またそれ!」

「こんな普通のことをしているのに、けっこうなお手当てをいただける。

 なんていい仕事なんだろう。だから僕は幸せなんです」

「あああああ」

  瀬野はうめいた。


 しばらくしてから、彼女の唇が笑みを浮かべる。


「ねえ、音矢くん」

「なんですか?」

「明日の夜、翡翠くんも入れてみんなで食事会をしない? 

 これからも一緒に働くんですもの。親睦を深めたいのよ」

「いいですねえ、それ! 楽しみだなあ。あはは」

「うふふ」

  笑いあう二人と、眠る翡翠を乗せて、乗用車は夜道を走っていく。


  次回に続く。

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