第六話
音矢は先日疑問に感じたことを、定期監査に来た瀬野にぶつけてみる。
ちゃぶ台の上に地図を広げ、[真世界への道]の被害者宅が、貸家を中心として少しずつ広がる同心円を描いていることを彼は指摘した。
「瀬野さん、まるでこの家の位置が、
礼文にバレているみたいな状況なんですけれど?」
音矢の予測通り、瀬野はあわてた。
「ぐ、偶然よ!
この家のことは最重要機密ってことに研究機関ではなってるんだから!
だいたい、たった三つくらいの事例では、判断できないでしょう!」
「なるほど。それも道理ですね」
これは音矢の本音だ。彼としても疑うには根拠が薄すぎると思っていたが、悪戯心がわいて瀬野にカマをかけてみただけだ。そうしたら、激しい反応をしめしたので、瀬野が嘘をついていることがわかった。
成果を確認した音矢は、次に翡翠に目を向ける。翡翠は小首をかしげて、なにか考えているようだ。
ちょうど話題を変えるきっかけになりそうだったので、音矢は水を向けた。
「翡翠さん、なにかわからないことでもありますか?」
「ああ、なぜ、
8キロしか離れていないところへ平均時速30キロの自動車で行くのに、
あんなに時間がかかったのか考えていた」
少し前まで算術がわからなかった翡翠が、もう時速と距離の問題を理解できるようになっている。音矢は感心しながら、翡翠の問いに答えた。
「そりゃあ、自動車で行くからですよ」
「どういう意味だ?」
音矢は地図の道路を指でなぞって説明する。
「この貸家から国道に出るためには、
雑木林の中に作られた、
部外者が入らないように
わざと行き止まりに見えるように曲がって作られた私道を
通らなければなりません」
国道から貸家に向かうには、行き止まりに見えるところの手前で急ハンドルを切って方向転換し、樹の上から垂れている枝で隠された通路に入らなければならない。
「つまり真っ直ぐでない道ですから、余分な距離があります。
おまけに、国道への出口は福子さんの家とは反対方向でしたから
その分の時間もかかります。
だからといって、雑木林を突っ切って目的地へ直進はできません。
木と木の幅が狭くて、人は通れても車が通れないところがあるからです。
そういうわけで私道をぬけて国道に出てからも、
角々を曲がったり、一方通行をよけたり
車の通れない細道を避けたりして遠回りしなければならないから、
時間がかかります。
とくに、ここの部分なんかはものすごい回り道になってますよ。
たぶん、大きな畑を持っている人が、
そのど真ん中へ道路を通すことに反対したんで、
迂回する道が作られたのでしょう」
地図による説明を、翡翠はうなずきながら聞いている。
「最短距離で移動するために車を使わなかったら、
8キロ歩くことになりますけれど、
それだと翡翠さんが力尽きてしまうでしょう」
「なるほど」
音矢はそっと目を動かし、瀬野の様子もうかがった。
彼女の表情は落ち着いているが、鞄から出したハンカチをもてあそぶ手は止まらない。
(あはは。あせってる、あせってる。瀬野さんをからかうと面白いなあ)
音矢は、瀬野の反応に満足した。
瀬野はというと、地図を覗きこむ二人を見ながら悩んでいる。音矢が放った質問の意図を読みかねているのだ。
(あっさり引き下がった……どう考えても怪しいのに……
なんで追求しないの……)
(給料をもらっているから上役である私に逆らえない
……といっても限度があるわよ)
(無理な仕事を押しつけられても、
逃げることなく真面目に働いて、
そのうえに食事会では手料理でもてなしてくれる……
でも、こいつは[お人好しの音矢くん]で済まされるような人間ではない)
([人殺しなんて誰にでもできる普通のこと]なんて言いきるし、
実際に残酷な手口で6人殺しているし)
(そんな狂暴性があるくせに、なによ、この優しそうな笑顔は)
音矢は礼文と瀬野との内通を疑い、それをほのめかすことで彼女を攻撃してくる。しかし表面的な態度は瀬野に対しては好意的で従順だ。音矢の矛盾した行動が、彼女を混乱させている。
(横濱に行ったとき、音矢は私のことを…………
まさか、あれが本心?)
(でも、私が好きなら、
もっと積極的に距離をつめてきそうなものだけど……
あれ以来、恋愛感情をまったく音矢は見せようとしない)
(その上、横浜からの帰り道では、
私が提案した里帰り計画が無駄に終わったことを
口では指摘しないけれど、
腹の中では、あざけっているような……
意地悪なそぶりを音矢は見せる)
(なんなのよ。音矢はなにを考えているの?)
(こいつの心を私は理解できない。気持ち悪い)
◆◆◆◆◆◆
音矢が以前に勤めていた呉服屋では職場恋愛は禁止されていた。
しかも、彼が小僧から手代に昇格した際には帳場に配置されて、男ばかりの中で働いていたので、18歳の音矢は男女関係に未熟であった。
そのうえ、家庭内では音矢は自分の母親と、いがみあいながら育った。
だからこそ、好意を抱いた女性との交際にも、母との関係に似たような状況を彼は再現してしまった。
まるで、それぞれ利き腕にナイフを持ち、反対の手を縛り合わせ、逃走が不可能な状態にしてから、お互いに相手の身体を刻みあうような状況。
このような付き合いかたが、音矢にとっては普通の楽しい男女交際だ。しかし、そんなイビツな関係は、瀬野にとって苦痛しかもたらさない。
◆◆◆◆◆◆
「それから、あともう一つ疑問があります」
音矢が顔をあげ、瀬野を見る。彼女のハンカチを握る手に力がこもった。
「水晶さんは研究の手伝いもしていたそうなんですが」
「それが何よ」
「翡翠さんが今12歳なら、双子の水晶さんも同い年。
震災による神代細胞の漏出事故で研究が中断されたのは7年前。
つまり、たったの5歳で科学研究の手伝いをしていたわけですか?」
痛いところを突かれた。瀬野は必死に言い訳をする。
「そ、そうよ! 二人とも、神代細胞が脳にあるからすごく賢いの!
翡翠くんを見ればわかるでしょう!
字だって、私が絵本を読んであげたら、その声を丸暗記して、
対応する絵本の文字と照らし合わせて覚えてしまったんだから!」
「へえー。それは確かにすごいです」
「それだけじゃあないのよ。図書室にあった子供向け辞書を利用して、
漢字まで独習してしまったの」
驚いたように、音矢は隣に目を向ける。
「翡翠さん、本当ですか?」
「ああ。部首の形から、漢字の読み方と意味を調べる方法が、
平仮名でわかりやすく書かれていたからな。
そこにあった国語の教科書も参考になった。
ボクは瀬野さんがいない間も本が読みたかったんだ。
知識を得るのは面白いことだとわかったので、がんばった」
これは紛れもない事実なので、瀬野は強調した。
「ね! 翡翠くんは頭がいいでしょう?
だから、兄弟の水晶くんも同じなの!
これなら5歳で研究の手伝いをしていたとしても、
不自然な状況ではないでしょう」
これで通ると思い、瀬野は安心しかけた。
しかし、音矢はさらに追及する。
「[不自然な状況ではない]……
まるで、捏造した結果を評価するみたいな言い回しですね。
そこは[不思議ではない]と形容すべきでは……」
「い、言い間違えたのよ!」
「あはは、すみません。言葉尻を捕らえるのは良くないですね。
これは僕の失言でした」
例のごとく、嘘の気配を見抜いているそぶりを見せてから、音矢は謝罪する。瀬野は不快感を覚えるが、彼女には解決策が見いだせなかった。
◆◆◆◆◆◆
瀬野が音矢にさんざんな目にあわされた次の日。
疲れた様子の彼女は新しい報告書を銀座の事務所で待っていた礼文に渡すと、そそくさと帰ってしまった。たいして心配もしてやらず、礼文は紙束を手に取り、読み始める。
「ほう、水晶細胞の性質を知るための実験か。どんなものだ?」
礼文は興味を覚えて紙をめくる。
《見た目が餅に似ているので、
塊を半分にちぎり、砂糖をつけて食べてみました》
それはあまりにも単純で原始的な行為だと、礼文は考える。
《神代細胞自体の味は特にありません。
噛むと普通の餅のように細かくなり、
唾液と混ざって食道までは行ったのですが、
胃まで下りずに這い上がってきました。
なんとか、大部分は口の中に戻りましたが、
道を間違えて鼻に行くものがいて、とても苦しかったです。
変なところに引っかかって、鼻から取れず、
何度もクシャミが出て、息がうまくできずに困りました。
ひょっとしたら、仲間が呼んだらそっちに行くかと思ったので、
吐き出した分と残しておいた水晶細胞の塊を合わせて、
鼻の穴にあてがってみました。
幸いにも、迷子の細胞は仲間に呼ばれて全部外に出たので、
よかったです》
あの生意気な男が七転八倒して苦しむ姿を想像して、我慢できずに礼文は笑い出す。
しかし、背筋がうそ寒くなるような気分にもなる。
今回はその理由に彼は気づかなかった。寒気の意味を礼文が理解するのは、もう一度報告書を読み返してからだ。
次回に続く




