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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第六章 支配 
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第四話

 翡翠に相談されたことを、瀬野は食事が終わってから切り出した。


 一番おいしいものを食べるのは一番最後というのが、彼女のやりかただ。

 自分にとって楽しいことを、瀬野はゆっくりと味わいたかった。


「音矢くん、翡翠くんがハサミを使いたいって言うのに、止めたって本当?

 ダメじゃない。翡翠くんが成長する機会を奪ってはよくないわよ」


 瀬野は自信たっぷりに、音矢を叱責する。


 食後のお茶を注いでいた音矢は、瀬野のほうを見た。


「え、ええ。翡翠さんは手先が器用でないから、危ないと思いまして……」


 急須からの流れが、茶碗からそれた。


「おっといけない」


 あわてて布巾で拭く音矢を見て、瀬野は彼が動揺していると思った。叱責におびえた結果だと、彼女は満足した。


「音矢くん、なんでもかんでもダメでは翡翠くんのためにはならないわ。

 ハサミくらい使わせてあげなさい」


 自信を持って、彼女は命令する。


 その言葉を聞き、


「はい。わかりました」


 自分より上司に気に入られている目障りな音矢は、瀬野に服従した。


 そして、


「瀬野さん、ありがとう!」


 彼女が愛する、かわいくて哀れな翡翠は、目を輝かせて喜び、瀬野に礼を言った。


「いいのよ。私は翡翠くんが立派になってほしいの」


 自分の優しい思いやりある振る舞いに対する二人の反応は、瀬野を大いに満足させた。


 その上、音矢は瀬野が催促する前に新しい報告書を作成していたし、次に来るときにはまた報告書を渡すと約束している。音矢を説得する苦労もなしに成果をあげられて彼女は幸せを感じていた。



   ◆◆◆◆◆◆



 瀬野が帰社してから、翡翠は口を開く。


「もう、[種明かし]を求めてもいいか?」


「はい、車の音も聞こえなくなりましたからね。

 さすがに、瀬野さんも遠くに駐車してから

 こっそり様子をうかがいに来るほど、疑り深くもないでしょう」


 そう言いながらも、音矢は下駄をつっかけて外に出、地面に耳をつけて足音を確認してきた。


 茶の間に戻った音矢に、翡翠は質問する。


「なぜ、瀬野さんはハサミを許可してくれたんだろう。

 このあいだは、箸を使えるようになったら怒ったのに」


 音矢は冷めかけた茶をすすり、澄ました顔で答える。


「それが計略です。

 まあ、翡翠さんが不用意にハサミをいじって怪我することを、

 僕が心配していることは事実ですからね。嘘ではありません。

 だから注意して取り扱ってくださいよ」


 念を押してから、彼は[種明かし]を始めた。


「瀬野さんは、僕より瀬野さんのほうが偉い、

 瀬野さんのほうが翡翠さんを大切にしているって、

 翡翠さんに認めてほしいんでしょうね。

 だから、僕の意見を否定し、翡翠さんの望みを叶えるように動くんです」


「……わからない。なぜ、彼女はそう考えるのだろう?」


 翡翠は首をひねる。


「あはは。翡翠さんは社会から隔離された孤島で育ってきていますから、

 [他人と自分を比較し、常に優位に立ちたい]という願望を

 理解するのはかなり難しいでしょうね。

 でも、そういう心の動きは、

 小説などを読んで他人の経験を学んでいけば、だんだんわかってきますよ」


 翡翠の教育という名目で [萬文芸]などの雑誌を購入する許可を、音矢はドサクサに紛れて瀬野から確保している。それをさらに拡大解釈させて、彼は駅前商店街の古本屋で買った単行本を翡翠に与えていた。


 最近、[円本]と呼ばれる1冊1円の文学全集が大量に出版されて値崩れをおこしたので、音矢はそれを安く仕入れている。もちろん、そのお下がりは自分も読む。


「つまり、これからの課題ということか」


 翡翠はうなずいた。


 彼を納得させてから、音矢は次の計略のために布石を打つ。


「だから、やりたいことがあったら、

 あらかじめ瀬野さんに話を通して顔を立て、

 許可をもらえたら瀬野さんに感謝をする。

 この手法は効果があるみたいですから、

 これからも少しずつ許可を増やしていきましょう。

 そういうわけで、

 翡翠さんがやりたいことの目録を作っておいてくださいね」


 裏の白いチラシと鉛筆を、音矢は翡翠に渡した。


「わかった」


 さっそく、翡翠はチラシをちゃぶ台に乗せて、なにやら考え始める。



   ◆◆◆◆◆◆



 瀬野が翡翠たちの定期監査に行くのは、水曜日だ。それを聞いて、礼文は毎週木曜日には事務所に詰めることにした。津先は給料が据え置きなのに週休が2日に増えて、喜んでいる。1930年〔光文5年〕時代にはまずない高待遇だ。それがどんな意味を持つのか、礼文は津先にまだ教えていない。


 次の小冊子発行は、義知の原稿が仕上がってからだ。新たな神代細胞の実験も、まだ軍部から催促は来ていない。とりあえずこちらの仕事は待ちの体勢なので、時間つぶしに受け取った報告書を読み直す。


《僕は尋常小学校の理科程度の科学教育しか受けていません。

 あとは[萬文芸]などの記事で読んだ

 寄せ集めの知識だけしか持っていません》


(あの日は歪んだ意見を好き放題に喋り散らしていたな。

 だが、一応は、自分が無知であると心得ているのか)


 銀座で遭遇した折、音矢は均分主義をおとしめる発言をしていた。礼文はそのせいで、音矢に反感を抱いている。


《だから、ちゃんとした教育を受けた学者さんみたいななことはできません。

 でも、僕は翡翠細胞によって免疫を獲得しているので

 危険な水晶細胞を素手で扱えます。

 それで、学者さんが研究する時、楽になるような工夫をしてみました。

 そして、これからは素手でいじってみてこそわかるような実験をして、

 その結果を報告します》


 音矢の出した結果は、礼文にとって役立つものだった。


(まあ、工夫だけは評価してやってもよい)


 礼文は瀬野から受け取った細胞のことを思い出す。三番目の人体実験で回収された水晶細胞は、小さな塊として切り分けてあった。


 その理由を音矢は報告書第2号で説明していた。


《水晶細胞の実験をするときには、計量が必要だとおもいました。

 でも、量ろうとしてうっかり触れると学者さんが感染してしまいます。

 そんなわけで、あらかじめ計量して小分けにしておいたほうが

 学者さんにとって使いやすいと考えました。

 そして、それぞれがくっつかないように経木で仕切りを入れておきました》


 経木とは、紙のように薄く削り出した木のことだ。1930年〔光文5年〕ごろには、肉やコロッケなどを包む包装材として一般に使われていて、雑貨屋などで手軽に購入できた。


《なぜ、そのように思ったかというと、

 外食したときに、

 蕎麦屋の店員さんからカレー南蛮に

 片栗粉でちょうどいいトロミをつける方法を聞いたからです。

 目分量だと固くなりすぎたり、ゆるくなりすぎたりするので、

 面倒がらずにきちんと計量するのがコツなのだそうです。


 そのために便利な道具を近所の雑貨屋さんが仕入れてきたというので、

 帰り際に買ってきました。それは計量スプーンと計量カップです。


 実際、神代細胞を入れる生理的食塩水を作るとき、

 上皿天秤やメスシリンダーでいちいち量ったりするよりも、

 あらかじめ計量スプーンでは何杯カップでは何杯入れるか計算しておいて

 その通りにやった方が楽でした》


 報告書の次の頁では安全性にも言及されている。


《人体から離れた少量の神代細胞はエーテルエネルギー不足で死滅していき、

 石化してから粉のように崩壊してしまうのだそうです。

 その速度は大きな塊ほどゆっくりで、細かい破片は早くに消えてしまいます。

 原理としては、

 夏日にさらされても大きな氷塊や、カチわり氷の集まりは

 なかなか溶けないけれど、

 カキ氷はすぐ溶けるようなものらしいです。


 そして神代細胞が人体に影響をあたえるためにも、

 ある程度の量が必要だそうです。

 その最低限の必要量を研究者が家にある水晶細胞を取り分けて見本としました。

 それは梅干し2つぶんくらいの塊でした。

 それを上皿天秤で測ったら、約30gほどでした。


 だから、今回採取した水晶細胞を約15gに切り分けました。

 ちょうど大さじ1杯くらいの量なので、計量スプーンが役立ちました。


 神代細胞を切り分けたけれど、

 同じ瓶に入れておたがいに協力して

 エーテルエネルギーが逃げないようにできるようにしてみました。

 そして切り分けた塊2つで、人体に定着する量になっています。

 だから、1つだけをうっかり触ってしまっても、

 1週間ほど他の神代細胞から離れていれば、

 繁殖速度より白血球に食われる量が多くて、

 感染した細胞は死滅するとおもいます。

 ただし、これはあくまでも仮説で、まだ実験していません。


 研究者の証言では、

 前主任たちは感染の拡大をふせぐことよりも、

 むしろ効率的に感染させるために、

 一人に感染させるために必要な神代細胞の最低限の量を割り出す研究や、

 感染した人がどうなるか経過を観察するという実験ばかりしていたようです》


 礼文は水晶の細胞を採取する機械を初めて使おうとしたときのことを思い出す。手順にしたがって針を取り付け、水晶の腕を輪に通した。スイッチを入れれば静脈に針が刺さり、血液と共に水晶細胞が流れ出るはずだった。


 しかし、何も起こらない。


 礼文は直接注射器で水晶の静脈を刺してみた。医学の心得はないが、見よう見まねで試した。

 確かに針は刺さっているが、血液は出ない。


 ナイフで切ってはみたが、一瞬、血がにじんだだけですぐに水晶細胞が湧き、傷口を埋めてしまう。


 どうやら、先の主任が研究していた7年前よりも水晶細胞が活発に働くようになったらしい。


 これでは細胞だけ分離して持ち運ぶことができない。保存されていた水晶細胞は、研究させるために翡翠のもとにすべて置いてきてしまった。


 困った礼文は水晶ごと銀座のビルにつれていき、麻酔をかけた呉羽に直接神代細胞を感染させた。麻酔薬と注射器は、孤島の研究所にあったものでまにあった。しかし神代細胞を取り出す機械が役にたたないので、礼文は島口という母屋の奉公人に頼み、大工道具を借りて処置を行った。


 両手を五寸釘で打ち抜いたことで、ちょうど30gほどの細胞が呉羽に取りついたらしい。適正な量など、その時の礼文は知らなかった。


 孤島の研究所から資料は持ち出してきているが、へたくそな字で書かれているので、非常に読みづらい。そのようなわけで、礼文はほんの一部しか資料を解読していない。


(ゴム手袋だけで防護するのは不安だった。これなら取扱いが楽だ)


(……そして、小分けになった水晶細胞を大量に貯めておけば、

 水晶本人をこちらで面倒をみる必要がなくなるのではないか? 

 ただボーっとしているだけの役立たずなど、[真世界への道]には必要ない)


 礼文がこれからのことを考えていると、電話のベルが鳴った。新しい報告書を届けるという入谷からの連絡を期待して、彼は受話器をとる。





次回へ続く






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