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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第六章 支配 
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第二話

 朝食の後片付けは音矢だけの仕事でなく、二人で行う。


 翡翠の受け持ちは金ダライの水につけた食器をヘチマタワシでこすり洗いすることだ。と言っても、アジを乗せた皿と味噌汁の椀はタライに入れる前に湿らせた新聞紙で音矢が拭っておいたから、ほとんど汚れはついていない。水でさっとゆすげば落ちる。


 翡翠は大きなザルに洗い終わった食器を移した。仕上げは音矢の担当だ。皿を布巾できれいに拭き、食器棚にしまう。そうしながら、水だけになったタライをまだかきまわしている翡翠に音矢は話しかけた。


「翡翠さん、神代細胞の分離精製ってどうやるんですか。

 研究を進めるために、見せてもらいたいんですが」


「ボクも君に知ってほしい」


 翡翠は顔を上げて答えた。


「だが、気味悪がられて嫌われるからと、

 瀬野さんには君に見せるなと言われている……」


 話の途中から、徐々に翡翠はうつむいていく。


 先日、翡翠は研究を進めるため、音矢に協力を求めた。それは瀬野に禁じられていることだった。

 しかし、翡翠は彼女の指示が矛盾してばかりなので不満を持ち、ひそかに反抗を始めようとしていた。それでも、いざ行動に移すとなると、やはりためらいがあるらしい。


(瀬野さんは、翡翠さんにとって文字を教えてくれた恩人だし、

 初恋の人でもあるから、しかたないな)


 音矢はあらためて翡翠を説得することにした。翡翠が瀬野に対して反抗することは、音矢にとっての利益をもたらすからだ。


「僕は多少気味悪くったって、嫌ったりしないのはおわかりでしょう?

 とにかく研究を進めて

 神代細胞の暴走を鎮める方法をみつけないといけません。

 でないと、

 これからも [真世界への道]に騙された人が暴走する前に始末するしかなくて、

 新しい死者が出ます。

 そんな悲劇を防ぐためにも

 僕が手伝えることがあったらやらせてください」


「そうだな。犠牲者を増やすのはよくないと、

 瀬野さんも思ってくれるだろうか……」


「あともう一つ、引っ越してから一度も掃除していないんではないですか? 

 布団と敷布と枕は翡翠さんが廊下まで引っ張り出してくれてますから、

 干したり洗ったりしてますけれど、部屋にホコリがたまってきてませんか?」


「……そうだ。ボクはホウキやハタキをうまく使えないから、

 掃除をするなと瀬野さんに言われた。

 置いてある機械を壊すといけないからと……」


「で、瀬野さんは、翡翠さんの替わりに掃除してくれましたか?」


「いや、君も知る通り、

 彼女は生活費と米などを運んできて、

 家計簿の監査をして、食事をして帰る。掃除はしていない」


「そりゃあ、不衛生すぎます! 

 ホコリをたくさん吸いこむと、ゼンソクになりかねません。

 あれの発作はとっても苦しいと、弟が言っていましたよ」


 ここぞとばかり、音矢は大げさに驚いて見せる。


「だから、僕を翡翠さんの部屋に入れたのは、

 掃除のためと瀬野さんに言いましょう。

 事後承諾だと怒られるかもしれませんが、

 まあ、そこは土下座でもして謝れば済むことです。

 なんといっても、翡翠さんの健康を損ねたら大変ですから、

 瀬野さんもわかってくれるでしょう」


「……ああ」


 翡翠はうなずいた。音矢は内心だけでほくそ笑む。


 音矢はとうとう翡翠の部屋に入ることを許された。

 この貸家に越してきた日、瀬野から翡翠の使う書斎には絶対に入るなと命令された。翡翠も嫌がるので、音矢は無理に入室をしなかった。

 しかし、音矢は日々の努力で翡翠の信頼を得た。

 中廊下の奥にある書斎の扉が、今、音矢の前で開かれる。





 音矢にあたえられた三畳間とは違い、書斎は洋間だった。


(畳がないから正確にはわからないけれど、だいたい六畳くらいかな)


 窓際に木製のベッドがあり、そこに翡翠の布団が乗っている。反対の壁には本棚と机、そして収納用の棚があった。部屋の隅には木箱もいくつか置いてある。


 思った通り、本棚も、机も翡翠の手が触れていない部分はホコリをかぶっていた。ここまで汚れるとハタキは使えない。


 音矢は手にした雑巾で、層をなしてかたまりつつあるホコリをそっと撫でて取る。すぐに汚れがたまるので、それは空のバケツに入れた。予備はまだある。音矢は乾拭き用の雑巾をカゴに入れて大量に書斎に持ち込んでいた。


「なんですか、これは?」


 掃除をしながら、音矢は左手で机の上にある奇妙な物を指した。


「父が助手に作らせた神代細胞採取機だ。

 この輪になっているところにボクの腕を入れてスイッチを押すと、

 自動的に輪が締まって静脈に注射針が刺さり、

 ゴムの管をつたってビーカーに血液が貯まるようになっている。

 これはボクの腕に合わせてあるので、水晶には使えない。

 それぞれ別に機械がある。


 いま、やって見せたいし、

 未使用で消毒済みの針も孤島から持ってきたのだが、

 新しい針をつけることがボクにはできない。

 君に投与した分と、改良制御石を作った分は

 父が以前分離して、保存してある物を使った。

 しかし、その残りは翡翠、水晶ともに、あと3つだけだ」


「……見せてください。ああ、簡単な構造ですよ。

 これなら僕にも針はつけられます」


「そうか! では、新しい細胞を分離しよう」


「注射は平気なんですか?」


「このくらいの痛みなら耐えられる。大丈夫だ。」


 翡翠は服の上から腹を押えた。そこには生体解剖された名残の大きな傷がある。音矢はあえて、その動作に気づかないふりをした。


 翡翠の血を200ml、ビーカーに入れて、生理的食塩水を注ぎ2倍に薄める。食塩水は回収した神代細胞を浸すのに使うので、音矢は作り慣れていた。それに、最近便利な道具も彼は手に入れている。


 次に翡翠の指示で、壁に付けられた棚から音矢は電気コンロの箱を下ろした。コイル状に加工したニクロム線に電流を通したときに発生する熱を利用するものだ。


「これで加熱する。

 スイッチの操作で手軽に使え、

 適度な温度になるとサーモスタットで電気が切れる安全設計のものだと

 瀬野さんに言われた。

 孤島には自家発電装置があったから、父もこれを使っていたのだろう。

 加熱していくと人体本来の細胞は死滅する。

 しかし、熱に強い神代細胞は残り、自らを守るために集合して群体化する。

 それを掬い上げて保存用の瓶に入れて洗浄し、

 湯煎にかけて細菌を殺し、蓋をして保存する」


 翡翠の説明を音矢は聞き、コンロと同じ箱に入っていた温度計も彼は使い、神代細胞分離作業を行う。


「それを皮膚に接触させれば、

 群体化した神代細胞は個別の細胞に分化し、

 自ら毛細血管壁に入っていく。白血球と逆の動きかただ」


 作業を見守りながら、翡翠は投与する時の手順を説明した。


 採血を始めてから一時間ほどして、音矢たちは翡翠細胞の分離に成功した。これは水晶細胞と違い、運動能力は低い。ビーカーの中で、薄白い細胞塊はおとなしくしている。


 生理的食塩水の中に浮かぶ翡翠細胞を、音矢は観察する。200mlの血液からできたのは、約30gの細胞だ。これは上皿天秤で測った。


「水晶さんのと、外見で区別できませんね」


「そうか? 眼を近づけてよく見てくれ」


「うっすらと……光が……緑?」


「実は、翡翠細胞には空間界面と同じ色がついているのだが、

 瀬野さんには見えないらしい。

 君は翡翠細胞が融合しているから、かすかに見えるのだろう」


 翡翠は後ろめたそうに、目を伏せる。


「実を言うと……君に翡翠細胞を投与する際に、それを利用した。

 父が以前に採取して保存していたボクの細胞も、

 水晶の細胞を入れた瓶と同じものに入っていたので、

 瀬野さんにはわからなかった」


「翡翠さんのお父さんは、どうやって区別していたんでしょうね」


 翡翠は木箱の一つを開けた。音矢はその中をのぞく。モミガラが詰まっていた。その表面を翡翠がなでると、回収用に使っているガラス瓶と同じものの上面があらわれた。


「ああ、衝撃から守るために、モミガラで保護しているんですね」


 米を脱穀したときに出るモミガラを緩衝材として使うのは、1930年〔光文5年〕にはよくあることだった。


「これが、ボクの瓶。そして、水晶の瓶がこれだ」


 翡翠が指さした水晶細胞の瓶を音矢は掘り出す。


 回収の時は気づかなかったが、目を近づけてじっくり見ると、たしかに薄く紫に光っている。その瓶には茶色く変色した紙の破片が残っていた。


「父は採取した日付や量と、

 翡翠細胞と水晶細胞の区別などを書いた紙を瓶に貼って保存していた。

 しかし、神代細胞の流出事故が起きた時に、汚れてしまったんだ。


 ……感染した神代細胞の影響で錯乱した研究員たちが殺し合いをした。

 父は拳銃で自殺した。

 その際に血が飛び散って、割れずにいた10本の瓶が全て判読不能になり、

 その中に翡翠細胞の瓶が4本混じっていた。

 瀬野さんは血を嫌がって汚れた部分を剥して捨ててしまったから

 よけいに区別できなかったようだ」


「あの人らしいですね」


 音矢は瓶を観察する。剥されなかった部分に文字が残っていた。音矢はそれを読む。

 かろうじて《××3月22日、採×》と判読した。かなり癖のある字だ。


 そして、これを書いたのは医学に携わるための教育と訓練を受けた人間だ。それなのに、静脈注射に特別な機械を必要としていたという。


 二つの事柄から導かれた推理を音矢は口にする。


「……この装置といい、文字といい……

 翡翠さんのお父さんも不器用で悪筆な人だったみたいですね」


「そうなのだろうか……ボクと同じ……」


 翡翠は父とのつながりを確かめるように、自分の手を見つめた。



   ◆◆◆◆◆◆



 次に瀬野が貸家を訪問した日、ちゃぶ台へ家計簿を広げる前に、音矢は土下座した。


「すいません。

 どうしても翡翠さんの健康が心配で書斎に入って掃除をしてしまいました。

 そして、好奇心から実験器具を使って

 翡翠細胞を分離するのを手伝ってしまいました」


 これまでの経験から、瀬野は激怒するだろうと音矢は予測していた。

 翡翠が迷子になった時のように、数発ビンタをくらう覚悟も決めていた。翡翠もそれを危惧しているようで、音矢の隣で身をかたくしている。


 だが、


「……そう。いいわ。善意からやったことなんでしょう。

 許してあげる。

 報告書に結果をまとめておいてね。

 それから、もうやってしまったことなんだから、

 書斎への立ち入り禁止を取り消すわ。

 翡翠くんの研究を手伝ってあげてちょうだい」


 意外にも彼女は物わかりがよかった。


「はい、わかりました」


 音矢は顔をあげて返事をする。その隣で翡翠が安心したように息を吐いた。


(急に態度が軟化したな。どういう風の吹き回しだろう?)


 瀬野の変化は、彼女の内部からのものではなく、上役に強制されてのものだった。

 彼女は定期監察に来る前々日、銀座にある弁護士事務所の一室で、上司に説教されていた。





次回に続く


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