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第三話

 ドアの奥は応接室だった。西洋式の調度品にまじって、なぜか和風の大きな火鉢がおかれている。訪問客にソファーをすすめ、たどたどしい手つきで、呉羽くれははテーブルに茶をおいた。

  革鞄を床にそっと下ろした音矢をみて、彼女は微笑む。


「あなたが悪魔だったの? なら合格はまちがいないな。よかった」

 謎の発言の後、

「どうぞ。毒は入れてないよ」

  呉羽は友好的に茶をすすめる。


「はあ」

  意図がつかめないので音矢は曖昧に返事をした。


「悪魔は自分の力で殺さなければ、真世界にいたる道は開けないからね」

「真世界? 何だ、それは」

翡翠ひすいは首をかしげる。


「そうやって何も知らないふりをしてわたしの知識を試験するんですね。

 礼文さんにきいたとおり……大丈夫、おさらいしたから」


「なにを言っている?」

 それに答えず、呉羽はテーブルにおいてあったマッチをすった。

 そして、火鉢に入れた小冊子に点火した。


 なにかの薬品がしみこませてあったのか、紙は勢いよく燃えて、不思議な色と匂いの炎があがった。


「……魔術師生誕の儀式、開場……」


  手を祈りの形に組み、呉羽は暗唱する。


「我のもとに天使と悪魔もろともに現れり。

 しかして、我は天使に回生の望みを抱く理由を明言する。

 我は天使に生贄を捧げしことを宣言する。

 我は悪魔を打ち砕いて力をしめし、魔術師の資格を得ることを誓言する」


 となえていくうちに表情は消え去り、逆に目には狂信の光がうかんだ。


  一呼吸おいて、翡翠を見つめ、彼女は語り始める。


「わたしは母にずっと騙されてきました。

 立派なピアニストになることが母の恩にむくいる

 ただひとつの方法だと……

 だから、わたしは苦しくても練習を続けてきました。

 しかし、母は友達と遊ぶ時間さえない

 わたしの唯一の楽しみまで奪おうとしました。

 そんな暇があるならレッスンに打ち込めと言って。

 わたしは毎月 [萬文芸]を読むことだけを心の支えとして生きてきたのに」


「え。[萬文芸]?」

  音矢が驚いたように言った。


「ひょっとして、

 あの雑誌の読者交流欄で水晶さまのところに導かれたの?」

「そうだけど、それがどうしたっていうのよ」

「僕もあの雑誌の愛読者なんだ。毎月買っているよ」

「あなたも?」

  愛読者仲間とわかって親近感がわいたのか、呉羽の顔に年相応の表情がもどる。


「僕が好きなのは【萬一口話】、連載では【帝都探偵団】だね」

「【萬一口話】はわたしも好き。連載は【巴里の吸血鬼】が一番」

「へえ、女の子だったら

【鹿鳴館の白薔薇】のほうが好きそうだと思ったんだけど

 意外だな」


  盛り上がる二人に、翡翠が口を挟む。

「君たちは何について話しているんだ?」


 その質問には、音矢が答えた。

「ほら、島で読ませてあげたでしょう。

[萬文芸]という

 おもしろい話がいろいろ乗っている雑誌の話ですよ。

 翡翠さんは[阿弗利加アフリカ旅行談]が気に入っていたじゃないですか」


「あの、象に乗ってアフリカ大陸を旅する話か? 

 たしかにあれはおもしろかった。しかし」

  翡翠は小首をかしげる。


「なぜ、小説の話を今するんだ?」


「あああああっ」

  呉羽は頭をかかえた。

「やられた……せっかく気持ちを盛り上げたのに台無し! もう、意地悪!」

  涙のにじむ目で呉羽は音矢をにらんだ。


「さすが、悪魔ね。みくびっていたわ」

「いや、べつに、あはは……」

  曖昧に笑ってごまかすと、音矢は別の話題をだした。


「そういえば、ご両親は?

 玄関には三人分の靴があったからご在宅だと思ったんだけど」

「二階にある、わたしの部屋にいるわ。邪魔にはならないから安心して。

 天使様にはあとで見てもらうわ」

  呉羽は口の片方だけで笑った。


「とにかく、雑誌を読むことを禁じられて怒ったときに、

 私の心に真の望みが啓示されたの。 

 そしてそれを私はかなえた。

 つまり、わたしには魔術師たる特別な素質があるの」

「それはよかったね。どんな願い? それから魔術師ってなに?」

  音矢はやさしく話しかける。


 しかし、呉羽はそっぽを向いた。

「もう、あんたの話は聞かないわ。悪魔め。

 あとで殺してやるから待ってなさい」


  再び呉羽は翡翠をみつめ、口を開く。

「幾度もの戦火で世界は混乱し、科学文明は限界に近づいている。 

 そう、今こそ改革の時。古の儀式を復活させ、

 世界の誤りを正し、[真世界]を築く。

 それがわたしたち[真世界への道]信者の目的」

宙に目をすえ、呉羽は暗唱する。


「その道を開くのは信者の中から選ばれた、特別な素質を持つ魔術師。

 魔術師は現代科学を超えた力をもって世界を変革する」


「普通の人間は毎日同じことを繰り返すことしかできない。

 人類に新しい道を指ししめし、進化させてきたのは特別な素質をもつ者。

 しかし、とりたてて個性のない普通の民たちは

 自分たちに理解できない心を恐れ非難する。

 そのため選ばれた民たちは迫害される」

  呉羽はそこで口を閉じた。


「わたしも苦しめられました」

  一呼吸おいてから、教えられた教義ではない、彼女自身のこころを呉羽は語る。


「特別な力のない、単なる虫けらに等しい普通の民に。

 日々努力を強いられることなく、のんきに遊んでいる普通の同級生に。

 いい子ぶってるって私はのけ者にされて……」

  自分の言葉で悲しみがよみがえったのか、呉羽の目に涙がにじんだ。そのとき


  ぐーーー


 音矢の腹が大きな音をたてた。

「ごめん、軽食しか食べてないから、もうペコペコで」

 そういいながら、音矢はサイドテーブルを見た。そこには大きなクリスタルの果物皿に盛られたバナナがある。

  1930年[光文5年]という時代では、めったに庶民の口には入らない高級品だ。


「ああああっ、もう、邪魔してばっかり! それが悪魔の仕事でもいらいらする! 

 バナナが欲しければあげるわよ!」

「わあ、ありがとう。呉羽ちゃん、気前がいいね」

 さっそく音矢は皮をむいて、バナナをうまそうに食べた。


「それで足りなければ、台所にあるものなんでも好きにしていいから、

 あっちに行ってて!」

「じゃあ、お言葉にあまえさせてもらうよ。腹がペコペコなんだ」

  音矢は立ち上がった。呉羽は彼をにらみながら吐き捨てるように言った。

「勝手にすれば」


「あはは、うまいこというね。台所だけに勝手にしろか。あはは」

  音矢の軽口に、呉羽は一層腹を立てた。

「台所はガラス戸のむこうよ。さっさと行って」


  翡翠は一連のやりとりを訳が分からないといった顔で見ていた。

  孤島で育った彼には、台所のことを別の呼び方で勝手と呼ぶという、一般的な知識がないので、音矢がダジャレを言ったことにも気づいていない。


  音矢が応接室を出ていってから、呉羽は深呼吸をして心を落ち着かせ、再び口を開いた。

「わたしはいつも孤独でした。

誰もわたしのことを受け入れてくれませんでした」


  台所のほうから、音矢の独り言が聞こえる。

「わあ、冷蔵庫だ。しかも水道だけじゃない。ガスコンロまで……

 でも包丁がない。おかしいな」


 いらだった様子で呉羽は開けっ放しのドアを閉め、ソファーに乱暴に腰をおろし、告白を再開する。

「文通友達を探してみたけれど、わたしの苦しみをわかってくれません。

 でも一人だけ例外が……礼文さんだけがわかってくれました。

 礼文さんはわたしが特別な人間である可能性が高いといいました。

 そして薬をくれました。

 普通の人間なら願いがかなうだけ。

 でも特別な人間なら魔術師として生まれ変われる薬です。

 なかなか効果がでませんでしたが今日やっと現れました.

 ……ふう疲れた。どう?」


「どうとはなんだ」

  翡翠はきょとんとして問い返す。


「だから、わたしが礼文さんから聞いた話を理解しているか

 試しにきたんでしょう」

「違う」

  翡翠はきっぱりと否定した。


「そう言ってわたしの決心が固いか試すのね。

 わざと否定してみて心がぐらついたら失格。

 これが試練の第一段でしょう」

「そんなことは知らな」

  言いかける翡翠を呉羽はさえぎった。

「大丈夫。儀式も母と父を使って済ませたから。みてくれる?」

  呉羽は席をたった。翡翠もあとに続く。


 その気配を察したのか、音矢が台所から声をかけた。

「翡翠さん一人でいってくれますか。僕、もう少しやることがありますので」

  台所からはジュージューとなにかを焼くような音が聞こえる。



   ◆◆◆◆◆◆



  急な階段を登ると短い廊下があり、それを挟むようにドアが2つ向かい合っていた。片方のドアはもう片方より頑丈なつくりをしている。


「ピアノの音が漏れないように工事したの」

  重そうなドアを呉羽はあけた。その隙間からうめき声と強烈な血臭がもれる。


「そのせいで助けをよぶことができないなんて面白いね」

  翡翠は部屋にふみこんだ。

  目の前を大きな黒いものが塞いでいる。


「せまいから気をつけて」

  呉羽は慣れた様子で左に移動する。


  部屋のほとんどを占めているのは大きなグランドピアノだ。

  翡翠は本から得た知識でその正体を判別した。

 だが、実物をみるのは初めてだ。


  部屋の壁からピアノまでは人が二人すれ違うのがやっとの幅しかない。

  呉羽はその前の小さな丸い椅子を奥によせ、翡翠を手招きした。

  部屋の奥には簡単な棚が作りつけてある。


  翡翠の足の下でなにかが滑った

 血がピアノの足をつたわり、床を濡らしていたのだ。


「私はアップライトピアノでいいって言ったのに、

 お母さんが見栄をはってグランドピアノを買ったから…… 

 お母さんの実家は田舎にあるから広いけど、お金がなくて買えなかった。

 自分が子供のころに抱いていた望みを、わたしに託すって言ってたけど、

 私の望みはみとめてくれなかった。

 読書している、わずかな時間だけでも現実からのがれて、

 楽しい世界で自由に遊びたいという望みを」


 うめき声はピアノの中から聞こえる。

  呉羽はピアノの蓋に手をかけた。

  片手だけでそれをもぎ取り、壁に投げつけてこわす。

「ああ、さっぱりする」


 ピアノの弦がならべて張ってある上に、人が二人詰めこまれていた。


  男の喉は切り裂かれ、すでに絶命している。

  女の手足は骨折し、腹に包丁がつきたてられていた。うめき声はその口から出ている。


「ピアノと一体になれって、お母さんはいつもそう言っていた。

 だから、その通りにしてあげたのよ」


「自分の親を殺すのは悪いことではないのか?」

  翡翠は、瀬野に教えられた常識を口にする。


「そして、怪我人には治療を行うものだろう」

  伸ばそうとした翡翠の手を呉羽は阻んだ。


「なぜ? これは私が一般社会の常識を捨てたということの証明なのに」


  彼女は小さな椅子に腰かけ、また暗唱をはじめた。


「選ばれた存在、完全な魔術師となるためには、

 これまで受けてきた教育や常識から解放されていなければならない。

 むしろ能動的に禁忌とされていることを行い、

 社会に衝撃をくわえ、変革を促すことが

 特別の人間に与えられた使命である」

  一息ついて、翡翠の顔をうかがう。


「これであってるでしょう」


「先ほどから、君はなにを言っているんだ?」


「否定されても私のこころは変わりません。

 水晶さまに永遠の忠誠をささげます。天使さま」


  翡翠の言葉は呉羽にとどかない。彼女は彼を教団からの使者と思い込んでいるからだ。

 どうすればいいかわからず、翡翠は立ち尽くす。そのとき


  ノックの音がした。


「失礼します。わあ、いきなりピアノが。なんだ、この部屋は」

  現れたのは音矢だ。


「バナナをもらったお礼に君の分も作ったよ」

  彼は皿に盛られた焼き飯と匙を手にしていた。


「具はちぎったキャベツとコンビーフ。包丁がなかったから……」

  壁に背をこするようにして、彼は呉羽に近づきピアノに目をむける。

「なんだあ、こんなところにあったのか」


  母親が再びうめく。

「あ、どうもはじめまして。お邪魔してます」

  音矢は彼女に会釈して、普通の挨拶をする。


「だ……れ……」

  目を開けた彼女は、自分の娘がそばにいることに気づいた。

「くれは……いたいよ……」

  弱弱しい声で彼女はうったえる。

「いしゃを……よんで……」


「しぶとい女。いやよ。わたしがいくら頼んでも聞いてくれなかったくせに」

  呉羽の目から涙がこぼれる。


「わたしはがんばった。でもあんたは満足しなかった。

 発表会で私が銅賞を取れば、あんたは次は銀賞を取れと言った。

 銀賞を取れば、次は金賞。きりなく責められ続けた。

 もう嫌だって言っても、やめられないようにおいこまれて……

 あんたは自分が満足するために、自分の望みをわたしにおしつけた。

 自分ができなかったことを、わたしにやらせて、喜んでいた。

 愛されて、はげまされたんじゃあない。

 あんたにとってわたしは、自分が幸せになるための道具だったのよ……」

  呉羽は顔を覆った。


「そう、わたしはわかったの。あのとき啓示があらわれたのよ。

 わたしの真の望みは、あんたを殺すことだって」

 その指の間から涙がこぼれる。

 こぼれる涙はやがて不透明な粘液になり、手の甲にまとわりつく。


「でも、君のことを傷つけたのはお母さんだよね。なぜお父さんまで」

「お父さんは好きでも嫌いでもないけど、お母さんをとめてはくれなかった。

 だから、共犯だと思ってやっつけたの」

  手の甲にたまった粘液はフヨフヨと蠕動している。過剰に増殖した神代細胞が脳から眼窩を通じて漏れ出しているのだ。


  今の段階では宿主である呉羽に付着しているだけだが、増えすぎた神代細胞はやがて脳を浸食して体の支配権を奪う。そして繁殖するために新しい宿主を探しに出かけ、強化された身体で暴力をふるう。次の犠牲者を出さないためには、まだ神代細胞の力が完全開放されていない、この段階で呉羽を殺し、一気に細胞を回収するしかない。


「そうか、とても苦しくて悲しい生活を呉羽ちゃんは送ってきたんだね。

 かわいそうに」

  音矢は一人うなずいた。

 そして、焼き飯とスプーンを呉羽に渡す。

「気分が落ち込んでる時は、おいしいものを食べるにかぎるよ。どうぞ」



   ◆◆◆◆◆◆



「どうなのかしら。作戦の具合は」

  呉羽の家の前、瀬野と礼文は車の内と外とで結果が出るのを待っていた。


「あらかじめ、

 呉羽には覚醒した暁には目撃者となる両親を殺すように

 会話の中で思考を誘導しておいた。

 私とつながっている証拠となる教本も燃やすように指示してある。

 そして教団からの使者と彼女が思い込んでいる二人がやってきて、

 戦闘となる。


 まあ、まぐれ勝ちがそうそう続くはずもない。

 音矢くんとやらは私の信者に倒され死ぬ。

 翡翠は身内だと教えてあるから、彼は無事。

 しかし、非力な彼がどうしようもなくなって撤退してくれば

 中の状況がわかる。


 制御されていることがわかれば、そのまま回収。

 制御できなかったのなら家ごと焼く。

 神代細胞は焼かれても死なないが、呉羽自身の細胞は熱に耐えきれない。

 彼女は死亡する。そして焼け跡から神代細胞の回収」


  瀬野はため息をついた。

「……成功確率の低い、穴だらけの作戦ね。

 不確定要素が多する。矛盾だらけ。本当に、グダグダしすぎよ」


「これでも、なんとか辻褄を合わせようと努力したのだよ」

「それはそうでしょうけど、合わせきれてないわ」

「とにかく、必要であろうところの準備期間は与えてもらえなかった。

 見切り発車もいいところだ。

 まったく、あのお方ときたら……」

「ええ……」

  瀬野は深くため息をついた。そして、今更ながらの愚痴を口にする。


「始まりは、外の世界を知りたがってやまない翡翠に……

 そのくせ本で読んだとおりの道徳にこだわって人体実験に着手しようとしない

 翡翠に強制するための計画だったのに……

 世間知らずの彼に、一般人は見た目で差別するっていうことを

 骨身にしみさせるために……

 その結果生まれた憎しみで、

 人体実験で死者がでることにためらわないようにするために……


 あの方が思いついた、ありえない展開の計画、

 そもそも、成功するはずのない計画だった。

 本当は存在しない[研究機関]なんてものをでっち上げて、

 被験者までごまかすなんて……

 それが、どうして、なんでうまくいくのよ……どうして、こんな状況に……」


彼女に礼文も同意した。

「私のほうも似たような状況だぞ。

 亡命してきて、身過ぎ世過ぎのために紹介された仕事が、

 オカルトカブレな、とっちゃん坊やのおもりとはなあ。

 それだけでおさまってくれればいいのに、

 あの方が妙なことを思いついてしまったものだから、

 でたらめな事態にまきこまれてしまった」


「礼文さんもいけないのよ。

 その坊やさんが考え付いた教義なんて、

 ただそのままにしておいてくれればよかったのに、

 それを信じる宗教組織をきちんと立ち上げて運営して」


「つい、故国で活動していたときの血が騒いでしまったのだ。

 なにしろ鬱屈していたからな。

 私としては、組織運営の刺激剤になってくれそうな音矢くんとやらには、

 感謝しているよ」


「あああ、本当に、なんで、なぜ、こんなことになったの」


「もちろん、音矢くんとやらのせいだろう。

 混沌とした状況に立ち向かい、

 その戦いの結果、状況を前進させてしまったからな。

 翡翠の姿をそのままうけいれて、差別せずに手なずけ、

 あまつさえ暴走した神代細胞の回収方法まで自力でみつけだした。

 おかげであの方は帝都での実験にのりだしてしまったのだ。

 もとからの後援者である、不死身の兵士をもとめる軍部だけではなく、

 帝都の治安を悪化させて

 古の都に玉体をお運び直しなどというヤカラまでひきこんで。

 横からの口出しで、状況はさらに混沌におちいった」


「あの方は、華族さまだけあって、むだに人脈だけはひろいのよね……

 ああ、あいつ……音矢が孤島で死んでいてくれれば、

 ここまで事態が急進することなかったのに。

 そうすれば翡翠くんはあの島で平和にくらしていけたのに、

 こんな危険なことにまきこまれて。

 このままの状況が進んだら、とんでもないことになるのに」

  瀬野は眉をひそめる。


「そんなあいつに患者の始末をさせるため、私は無理して誉めたりおだてたり……

 ああ、嫌になる。

 むかつくから空間界面の機能を調べると言って痛めつけてやった。

 でも音矢は怒らない。

 あいつの首を絞めてやっても、

 その絞めた道具をうけとって、ありがとうなんてお礼を言うなんて……

 あの男は、お人よしにもほどがあるわよ」


「武器を与えたのか? 死んでほしいという発言と矛盾しているな」


「私が味方であるという説得力を出すためよ。

 とどめを刺すものも一応あたえたけれど、

 もう一つは、私がたまたま鞄に入れていた、ほんの遊び道具のようなもの。

 水晶細胞の力にはかなわないわ。どうせ、孤島でもマグレで倒したんだろうし。

 ……あいつは、私の攻撃に手も足も出ないくらい弱いの」

「それなら、今回限りで済む。問題ないな」



   ◆◆◆◆◆◆



「毒なんかいれてないよ。コショウをきかせた特製焼き飯だよ」

  食べるようにすすめる音矢に、呉羽は目を向けようともしない。


「血の匂いが立ちこめている、こんなところで食べられるわけが」

「そうだね。普通の人ならね」


 その言葉に反応して、呉羽は匙を取り直した。

「食べられるわよ。食べてやる」


  呉羽が焼き飯に気をとられた

  その瞬間、


  音矢は作業服のポケットから蓋を外したコショウの小瓶を取り出し、彼女の顔に投げつける。

 たまらず呉羽が目をこすっている間に、音矢は空間界面を発生させた。


 いそいでキーホルダーの鎖を空間界面でくるみながら伸ばす。

  呉羽に向けて力強く足をふみこみ、キーホルダーのペンギンを投げた。


  練習通りの動作で音矢は呉羽の華奢な身体を背負い渾身の力をこめて鎖を締めあげる。


  助けを求めるように呉羽は母の身体に手を伸ばした。

 その指先に包丁の柄が触れる。

  深く刺さったそれを指の力だけで引き抜いた。栓となっていた凶器が外れたことで、抑えられていた血液が勢いよく噴出する。


  出血多量で絶命していく母の血を浴びながら、呉羽は音矢の背に包丁を突き立てる。


 しかし空間界面が刃をはじいた。


  何度も刺して、無駄だと理解したのか呉羽は包丁の向きを変える。

  鎖の食い込む首に刃先を差して隙間をつくり、左手の指をこじいれた。


  包丁を手放して、呉羽は自分の首を絞める鎖を両手で引く。その動作の間に、首の傷はすっかりふさがっていた。

  目から漏れて手の甲に付着していた神代細胞は、呉羽の意識がもとめるままに腕にしみこみ、筋肉を増殖させていく。数秒もしないうちに彼女の腕は男性である音矢よりも太く、たくましくなった。


  力の差で、じりじりと鎖の隙間は開いていき、ついに呉羽は自力で絞殺具から脱出する。

 その体にぶつかって、翡翠は倒れた。


  倒れた翡翠の頭から水兵帽が落ちる。

 そこから現れた小さな角を、呉羽は見てしまった。


  次回に続く



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