第八話
激しい雨の中、音矢は翡翠の誘導に従い車を目的地に向かって走らせた。住宅地を抜けた先に、それは見つかった。
「ここだ」
指さした家の所番地を、音矢は地図で確認する。
後部座席の瀬野に、彼は疑問を投げかけた。
「また、[萬文芸]の読者交流欄に乗っていた住所ですよ」
暴走患者の位置は、やはり音矢が先立って調べていた、交流欄に記載されている住所と一致していた。
「研究機関のほうで、
僕の作った名簿の当人を調べてくれるって話はどうなっていますか」
「音矢くんが作ったこの一年分の候補者が54人で、
それ以前の掲載を入れると、もっと増えるわ。
まだ全部調べきれていないのよ」
「そんなに、研究機関は人手が足りないんですか?
でしたら、この車さえ貸していただければ、
僕と翡翠さんで調査のお手伝いを」
「よけいな真似はしないで!
ふらふら出歩いて、
[真世界への道]にあんたたちが捕まったら元も子もないわ!」
瀬野はきっぱりと拒絶した。
「なるほど、道理ですね。ではやめておきましょう。
差し出口をたたいて、もうしわけありません」
(調査にことよせて、翡翠さんとあちこち出かけて遊ぼうと思ったけれど、
それは無理みたいだな)
(まあ、ガソリン代もかかるし、
もらい事故でも起こされたら機密保全どころではないし、しかたないか)
音矢は軽い気持ちで口にしたのだが、瀬野にとっては非常に痛いところだった。
([研究機関]に実態がないことを、音矢は嗅ぎつけようとしているのかしら)
(その延長で、私と礼文が通じていることがバレたら……
私は翡翠くんに嫌われてしまう。嘘をついてだましたと、恨まれてしまう)
ハラハラしている瀬野の耳は、音矢のボヤキを捕らえた。
「また、金持ちの家……」
翡翠の指差した家は住宅街の端にある、豪邸だ。
「富の格差ばかり、こうも見せつけられてばかりいると、
均分主義者に鞍替えして、強盗でも働きたくなりますね。あはは。
富を貯めこんでいる有産階級を処罰して、
奪った財産を均分化すると称して自分たちで使う。
そんな、幕末の御用盗みたいなことを、
リューシャの均分主義者は、やらかしていたみたいですよ」
音矢はそう言いながら、背嚢を開けて装備品を取り出す。
車の中で、音矢と翡翠は電気工事人のような作業服と半長靴に着替えた。翡翠には作業服に合わせたアゴ紐つきの帽子も用意してある。
音矢の背嚢にはあらかじめ水筒、氷砂糖、応急処置用の救急箱、そして汚れた手を清めるためのおしぼりが準備されている。
作業服のポケットにはハンカチと鼻紙、鎖つきキーホルダーが入っている。軍手もはめた。暴走した信者の脳を破壊するための武器、リベットペンは音矢の胸ポケットに差す。
彼は小型電波送受信機を翡翠に渡し、神代細胞を保存するためのガラス瓶は、革鞄に入れて音矢が持つ。
今回は回収用に他の道具も詰めた。
例のごとく、信者の家の戸締りはされていなかった。それどころか扉は開け放たれていた。
音矢は出発時に車につんでおいた傘を翡翠にさしかけてやり、並んで雨の中を行く。
それを見送って、車内で瀬野は礼文の到着を待つ。患者が暴走したことは、音矢の報告を受けてから、もう一組の電波送受信機で礼文に連絡済みだ。
音矢が失敗すれば、この家ごと焼き払い、翡翠を守りつつ暴走した神代細胞を回収しなければならない。 そのような作業は、彼女一人では無理だ。だから礼文に手伝ってもらわなければならないのだが、それも不安をかきたてる。
(リューシャ……均分主義……
音矢は礼文の素性にも気づきはじめているのかもしれない)
彼に他意はなく、[萬文芸]で仕入れた雑学を披露しただけなのだが、それに瀬野は気づかない。
(ああ、もうこんな仕事、嫌!
いつ嘘がバレるか、いつ警察に見つかるか、恐れ続けるのはもう嫌!)
(音矢が返り討ちにあってくれれば、これで実験は終わる。
そして私は翡翠くんを孤島に戻して、静かに見守ってあげられるのに)
声に出さず、瀬野は音矢の死を祈った。
◆◆◆◆◆◆
居間に仁王立ちで、実篤は侵入者を迎えた。
「なんだ、貴様は!」
実篤は、悪魔と思われる男を見るなり、叫んだ。その、悪魔という役割で現れた若い男は、まるで電気工事人のような作業服を着ている。威圧感のかけらもない。顔立ちも平凡そのもので、体格も優れているわけではない。毎日鍛錬をしている実篤は徴兵検査では甲種合格だった。だが、この悪魔だったら、せいぜい乙種がいいところだと実篤は思った。
「そんな普通のなりで、我を倒そ……」
非難しかけた言葉が止まる。
「礼文から聞いたぞ。これまでの不適格者を、貴様は二人も倒しているそうだな。
平凡な見かけで我を油断させようとしても、その手はくわん。
罠に使えそうな物品は、すでに片づけてある」
胸を張り、実篤は重々しく言葉を発した。
「悪魔よ。我は汝を退治し、魔術師としての資格を得ん」
若い男に続いて、小柄な人物が入室した。
「あなたが水晶さまの弟、翡翠さまか。天使役のお勤め、かたじけのうござる」
実篤の目には、天使は12歳くらいの少年に見えた。年少にもかかわらず、重大な役目を担う。自分の姉に引き比べて、立派だと彼は思った。
「我は南方実篤。
最高学府である帝都帝大の学生にして、唯日主義者なり」
その大学を中退しようとしていたことを、彼は語らなかった。まだ在籍していることは事実であるし、なにより学歴を自慢して、天使に自分を認めてもらいたかったからだ。
「見よ! あの雄々しき姿!」
実篤は左手で床の間の掛け軸を指す。
「我は[真世界への道]の魔術師となり、
その力をもちて[ヤマトタケル]のごとき英雄とならん!」
胸を張って叫び、彼は儀式を開始した。
「魔術師生誕の儀式、開場!」
手にした半透明の剣を振り、実篤は暗唱する。
「我のもとに天使と悪魔もろともに現れり。
しかして、
我は天使に回生の望みを抱く理由を明言する。
我は天使に生贄を捧げしことを宣言する。
我は悪魔を打ち砕いて力をしめし、魔術師の資格を得ることを誓言する」
[回生の望みを抱く理由を明言する]とは自分が魔術師を志した理由を説明すること。
「我は……」
しかし実篤は、真の理由を話すことができず、言葉につまる。
姉が支持しているから均分主義に反発し、対抗する思想である唯日主義に走ったが、実篤の言動が過激に過ぎてその仲間からも排除されつつあるので[真世界への道]に頼ったとは、言いづらい。元凶である姉が見かけ倒しのカスだったとわかった今ではなおさらだ。
そういうわけで、実篤は建前を語る。
「我は、唯日主義で大日本帝国を救うために、魔術師を志した!
その後顧の憂いを断つため、家族を葬った!」
「はあ、そのご遺体はどちらに?」
悪魔が真面目な顔で問う。
「二階の廊下にあるが、それは後で天使様に見分してもらう。
最初の魔術師候補は、
二階から降りる階段に罠を仕掛けられて倒されたと聞いている。
だから、我は上には行かぬ。この着物にたっぷりとついた返り血が証だ」
「あはは……さようで……」
悪魔は困ったように頭をかいた。
どうやら、同じ手で実篤を倒そうともくろんでいたようだ。
「それでは、この国を唯日主義で救う手立てとは、どのようなものなのでしょう。
その具体案を教えていただけますか?」
「我は……」
[真世界への道]に送った手紙の内容を実篤は思い出した。
実篤は唯日主義ならこうするだろうと形から入り、言葉遣いや剣道の稽古ばかりに力を注いだので、まだ主義の深いところまで学んでいない。
だから、唯日主義者以外でも話題になっている、1930年〔光文5年〕4月から始まった、一番の社会問題を実篤は建前として使った。
当然、悪魔も常識としてすぐに納得してくれると思ったのだ。
実篤は再び宝剣を振り回す。その拍子に切っ先が電燈の笠をかすめ、室内の光と影がわずかに揺れた。
「我は重大なる罪、統帥権干犯を裁く!
君側の肝であるところの、総理大臣を暗殺する!
そのために科学を超えた力を欲したのだ!」
「[統帥権干犯]? なんだ、それは?」
しかし、天使役の翡翠が問題の根本的なところをついてくる。
その問いに実篤はまごついた。だから、声を荒げてごまかした。
「現内閣、その首領である総理大臣は、統帥権を干犯している!
なんと許しがたき大逆! 干犯反対! 干犯反対! 断固阻止! 断固阻止!」
しかし、翡翠はしつこく質問した。
「それは、どういうことなのか? わからないから教えてくれ」
実篤はいらついたが、手引きに[天使は何も知らないふりをして、志願者を試す]という記述があったことを思いだした。それで我慢をして、彼は天使の相手を務める。
「干犯は悪事なり!」
「だから、干犯とはなんだ?」
「すなわち、統帥権を犯すこと!」
天使は納得したようにうなずいた。
「つまり、統帥権とは、女性の名前か。
総理大臣という人は、
統帥権さんという女性に、[みだらな行為]とかいうものを行ったたのだな」
真面目に発言する天使の隣で、悪魔が苦笑した。
「……新聞の政治記事はつまらないといって
翡翠さんは読み飛ばしたり政治家の顔に落書きをしたりしていましたが、
これからは三面記事や連載小説だけでなく
勉強の一環として政治欄の見出しだけでも真面目に読んで
一般常識を学んでもらいましょうか。
やはり[萬文芸]だけでは知識が偏ってしまいますね。あはは」
しかし悪魔の言葉は実篤の耳に入らない。
彼の意識は天使の[みだらな行為]という発言に対しての怒りで占有されていた。
こちらは真剣に話しているのに、下ネタで嘲弄されたと彼は感じたのだ。
感情にまかせて宝剣を振ると、それは勢いよく電球の笠にぶつかった。
激しく揺らめく光を受けて、彼の影は伸縮する。天使と悪魔の顔にかかる陰影も目まぐるしく変化した。
「違う! そんなことも理解できぬとは!
貴様それでも大日本帝国の、臣民か! 不忠者!」
[非国民]という言葉は、1930年〔光文5年〕にはまだ一般で使われてはいなかった。
罵られたが、翡翠は反撃することなく素直に謝る。
「すまない。ボクはずっと孤島で暮らしていて、世間の常識に疎いんだ。
でも、できるだけ学びたいと思っている。
いい機会だから、教えを乞いたい。
あなたは、帝都帝大の学生と言っていた。
つまり最高学府というところで、たくさんの知識を得ているんだろう?
統帥権干犯についてボクに講義をしてくれ……ください。お願いします」
「ふざけていたのではなく、ただ単に無知であったのか」
低姿勢で謝罪されて、実篤の気分は良くなった。そして、未熟なるものを導く選良という自負が彼を動かした。
だから、なんとか説明しようとする。
「軍縮条約が……」
しかし、実篤は言葉に詰まった。彼自身も、唯日主義仲間が愛読している[石北新聞]の論説を流し読みして結論だけ暗記しているだけなので、詳しく答えられない。
「とにかく、悪いことだ! 悪いから、総理大臣を成敗する!」
「それではわからない」
きっぱりと答えられて、実篤は言葉に詰まった。自分でも説明になっていないと思ったからだ。彼の気持ちを反映するように、宝剣を持つ右手が下がる。
「ああ、話が進まない……僕が説明しますよ」
天使との会話に割り込まれて、実篤は反感を覚えた。
悪魔という役割で現れた男は、実篤よりも年下なようすで、工事人のような作業服を着ている。とても高学歴には見えない。
「何だと! 貴様にできるのか!」
実篤の怒号を、悪魔は涼しい顔で受け流した。
「ようするに、せんの世界大戦で多くの国が甚大な被害を受けたから、
しばらく戦争しないために、一斉に軍を縮小しましょうって、
国際会議で決めたわけです。
それに出席していた日本代表も、
よその国とは付き合いがあるから、うちも減らしますよって答えて帰国した。
でも、減らされる側である軍隊は損するから反対したい。
そういう不満を持っている軍人さんたちに野党が手を貸した。
なぜかというと、
野党は今の内閣を作っている与党に、いちゃもんをつけたいからです。
『軍の編成を決めるのは[統帥権]を持つ天皇陛下だ。
内閣はその下にある補佐役にすぎない。
その領分を[犯して]勝手に減らす約束なんかしてくるな!』っていうのが
統帥権干犯の内容ですね。
でも、別に問題はないんです。
なぜなら、国際会議に参加した人は、
大日本帝国の代表として派遣されているからです。
その件は、陛下もご了承済み。
内閣というか、総理大臣が、
この人を代表として送るのでよろしくお願いしますって書類を作って、
それに陛下は御名御璽をなされて許可をくだしたはず。
そういう手続きをしなければ、正式に派遣できません。
いわば、陛下の名代として出席した人が決めてきたことですから、
野党が文句をつけるのは筋が通らない。
むしろ文句をつけてる人のほうが、陛下のご意向に従わない逆臣です。
当然、その仲間になろうとする人も朝敵ですね」
意外にも、理路整然とした説明だった。そして、重要なことを悪魔は述べている。
「なるほど」
天使は納得したようにうなずいた。
「……そうだったのか」
そして実篤も。
「え?」
彼の言葉を聞いて、悪魔がきょとんとした顔をする。
「さすがは[試み]を行う悪魔。なかなか教養がある。
その身なりは、やはり油断を誘う罠。我が倒すべき強敵なり……
つまり、統帥権干犯を言い出した、野党政治家が悪いのだな!」
天皇を現人神と崇める唯日主義者としては、絶対に[逆臣]や[朝敵]となるわけにはいかない。さすがに、それは実篤でも理解できた。
「よし、あの……ええと、鳩……鳩なんとか、という議員と、
あと一人いたな……
そうだ、犬……なんとか、という議員も成敗しよう!」
実篤としては、天誅さえできれば、相手は誰でもいい。むしゃくしゃした気持ちを、暴力で解決することを彼は望んでいる。
なにより、せっかく授かった宝剣を使いたい。家族を斬るだけでは物足りない。
「成敗するのは、変わらないんですか……
と、いうか、肝心の政治家たちの名前もうろおぼえな状態で、
反対賛成を決めていたんですか……
いや、僕だって、統帥権のことは
[公平新聞]の解説記事で読んだ受け売り知識でしか知らないから
他人のことは言えないんですが。それにしても……」
悪魔が、さも呆れたと言った様子で額をおさえた。
「うるさい! 止むに止まれぬ真情の発露に理屈はいらぬ!」
実篤が一歩踏み出し間合いをつめると、悪魔は後ずさりしながら別の話題を口にした。
「せっかく帝大に入れたのに、お金持ちの家に生まれたのに……
普通にしていれば、出世できる流れに乗っているのに……
なぜ、わざわざ唯日主義だの[真世界への道]だのに入って
横道にそれるんですか?
僕たちの手の届かない幸せを持っているのに、それを捨ててしまうなんて、
もったいないですよ」
このようなことは、実篤にとっては唯日主義者となってからしょっちゅう言われていることなので、つい反応してしまう。
「幸せか……そういうからには、お前たちは不幸なのか?」
「まあ、下をみればきりはありませんが、
あんまりいい条件で生まれてきてはいませんね。
僕は、あなたとは比べものにならないくらい低い階級の生まれ育ちですよ」
悪魔の言葉を聞くうちに、実篤の視界が歪んだ。まるで目に涙がたまっているように、輪郭が揺らぐ。しかし、彼は気分が高揚しているせいだと考え、異常を放置した。
神代細胞が増殖し、脳から視神経をつたって眼窩にあふれ出していることに、彼は気づいていない。
「ならば、問う! お前たちに姉はいるか?」
実篤が語りながら歩を進めるたびに悪魔は下がる。天使もつられたように後退し、二人は壁際に追い詰められていく。
「いませんが」
「いない」
訳がわからないといった様子で答える両者が、実篤の怒りを誘った。
「そんないい条件で生まれてきて、不幸なんてぬかすな!
お前たちに、5歳上の姉がいる裕福な家庭に生まれたという
苦しみ、悲しみ、屈辱などわかるまい!」
まるで雲を踏むような気持ちになった彼は、隠してきた本音を口にする。
「無茶なこと、言わないでくださいよ!」
悲鳴を上げる悪魔に、実篤は切りかかった。
「天誅!」
次回に続く




