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第七話

 音矢はゆっくりと、翡翠の証言を引き出していくことにした。


「瀬野さんは、翡翠さんの家族のことを話したがりませんね」


「それは、彼女の配慮だと言われた。

 ボクの生い立ちと家族は異常で、普通の人が知ったら不快になるから、

 くわしいことを教えると、音矢くんに嫌われると注意された」


「あはは。そんな心配をしていたんですか。大丈夫です。

 僕の家族も普通ではないことが、藪入りの付添でわかったでしょう?」

「……ああ」


「だから、遠慮なく話してください。

 僕は普通じゃない家族に慣れっこですから、いやがったりしませんよ」


(よし、うまくいった。

 僕の過去を撒き餌にして、翡翠さんの口を開かせる。これも計略の成果だ)



「翡翠さんのお父さんと兄弟の水晶さんが

 神代細胞に関わっていることは事実でしょう。

 研究を進めるための手がかりになるかもしれません。

 知っていることを話せる範囲で教えてくれますか。

 どのように研究が進んできたか、過去を振り返って検証すれば、

 現在の位置、そして未来への進路も見えてきますよ」



(神代細胞の開発史がわかれば、研究機関の実態がわかるかもしれない)


 思惑は見せず、あくまでも翡翠のためを装って、音矢は話を勧める。



「わかった。それなら家族、そして過去に起きたことを話そう。

 ……まずは、ボクたちの出生から始めるか」


 音矢はふところから手帳を出した。


(神代細胞は、成長済みの人間に感染すると暴走する)


(だから、翡翠さんが神代細胞と一体化したのは、

 赤ん坊のころなのかな?

 そのくらいなら、脳も未発達だし、

 ハシカと同じで、小さいうちにかかれば軽く済むとか)


(親が研究室で双子をあやしているとき、

 うっかり神代細胞を浴びせてしまったのかも)


 付属の鉛筆を構え、翡翠の証言を書きとめる用意をしながら、音矢は過去を推測する。


 しかし、


「ボクの傷は開腹して内臓を観察されたときにできた。

 父はボクたちのことを、生体解剖が可能な実験動物として作ったんだ」


 彼の予想を超えた言葉に、音矢の手が止まった。


「生体解剖……そのために作るって……」

 翡翠の様子を音矢は観察する。普段と変わらない表情だ。


「お母さんはどんな人だったんですか?」


 だから、音矢も平静を装うことにした。翡翠の生まれが異常だと騒いだら、瀬野の言葉が正しかったと証明することになるからだ。


「父の日記によると、

[とうがたった娼婦]というのを安く仕入れてきたそうだ。

 しかし、それがどういう意味なのかは書いていなかった。

 瀬野さんに聞いたら、例のごとく機密ということで拒否された。

 君にはわかるか?」


「……わかりますけれど……」


 確かに、これは異常で嫌悪感をそそる話だと、音矢は思った。しかし、それは態度に出せない。


「まあ、いちいち個別に引っかかっていたら、話が進みません。

 気になるところは箇条書きにしておいて、後でまとめて検証しますから、

 続きを聞かせてください」


 さすがに笑ってごまかすこともできず、音矢は先送りを選ぶ。


「日記には、こう書いてあった」

 記憶を呼び起こすためか、翡翠の目線は、宙に向けられていた。


「ボクの母は、古代遺跡から発見された神代細胞と混合された精子を注入され、

 妊娠した。

 現在よりも活性が低かった神代細胞は

 母体の脳ではなく、胎盤などの組織と胎児に同化した。


 異質な胎児を二人も孕んでいるせいで母は重度の妊娠中毒症にかかり、

 臨月までは持ったが、限界を迎えた。

 ボクと水晶は肺水腫で死亡した母から帝王切開で取り出されたそうだ。


 母を持たない乳児の世話が非常に困難だったので、

 胎児を使う実験はそれきりになったと記述されていた」


「さらっと凄いことをいいますね……」


 鉛筆を動かす音矢に不思議な感情が湧く。

 それは嫌悪ではない。彼がこれまで知らなかった感情だ。

 自分の心の動きが腑に落ちないまま、手帳に書きつけているとき、翡翠が突然立ち上がった。


「大変だ! エーテルエネルギーの強い反応がある!」

「え? また新しい患者が?」

「そうだ。まだ暴走はしていないが、神代細胞の増殖が始まっている。

 第1号よりも早いが、第2号ほど急激ではない。

 両者の中間くらいの速度だ」


 音矢は手帳を閉じた。

「では、聞き取りは中断しましょう。

 瀬野さんに連絡して、車を持ってきてもらわないと」

「頼む」


 小型電波送受信機のスイッチを入れ、音矢は瀬野に急を伝える。

 次は出撃の支度だ。


 音矢は自室に戻り、背嚢から水筒とアルマイトの弁当箱を取り出した。

 台所でヤカンから水筒に湯冷ましを注ぎ、弁当箱に固く絞った手ぬぐいを詰めながら、音矢は不審な感情の正体に思いをめぐらす。


(なんだろう、この気持ち。

 翡翠さんの境遇をかわいそうに思うのとはまた別に、

 もうひとつの気持ちがある)


(そうか、敗北感だ)


 これは、勝利を至上とする音矢にとって初めての体験だった。


 堂々たる正面攻撃どころか、宣戦布告さえも行わない。相手が油断している隙にからめ手から敵の弱点をつき、言葉巧みに誘導し、罠をしかけ、時には敵より強いものを利用して叩き伏せる。このような戦いを彼は続けてきた。


 そんな、卑怯ともとれる計略を使ってまで避けていた敗北だ。


 しかし、彼にとっても意外なことだが、音矢はそれをすんなりと受け入れている。


(僕は自分の家庭事情がけっこう不幸だと思っていた。

 だから悔しまぎれに、

 奉公にも出ないで両親に養ってもらえる進学した同級生を、

 自立できない子供だと、僕は軽蔑していた。

 僕と同じように小卒で働き始めた同級生や小僧仲間は、

 やさしいお母さんに大切に育てられた甘えん坊だと、見下していた)


(でも、翡翠さんの生い立ちは、僕よりはるかに悲惨だ。

 それなのに、僕のことを甘ったれなんて見下していない)


(あの人は、普通の人なら耐えられないような辛いことを乗り越えて、

 くじけず前に進もうとしている)


 自分よりも小さく非力な翡翠が見せた、強い心。それが音矢にはまぶしかった。


(だから……僕は負けを認めてしまったのか)


 自室に戻って、装備品の確認をし、音矢は瀬野の到着を待つ。その間に、ふと疑問がわいた。


(生体解剖用の実験動物として作られ、

 死んだ母の腹を切り裂いて取り出された悲惨な過去は、冷静に話した)


(ということは、翡翠さんの隠しておきたい[あること]って、

 いったいどれだけすごい秘密なんだろう)


(いや、あの人の基準自体が普通ではないから、案外大したことはないのかな?)


(まあ、それはそれとして、始末が優先だ)

 音矢は思考を切り上げて、地図と方位磁石を手に茶の間に向かう。翡翠に暴走患者がどちらにいるか、方向を示してもらわなければならない。



   ◆◆◆◆◆◆



 ドアに開いた穴から、実篤は姉の部屋を覗く。椅子が扉の前においてある。


「この戸は外開きではないか。意味がないぞ。愚か者」

 姉は、自分よりも賢い。そんな思いこみが否定され、実篤は拍子抜けした。


 穴をさらにひろげる。そこから返り血にまみれた顔をつきだし、姉に見せつけた。


 彼女の口から悲鳴が上がる。恐怖におののく様子が、実篤の怒りをあおった。

 本当はこんなに弱弱しい女なのに、偽の権威で実篤を従え、こき使い続けてきた。騙されたのだという認識が、彼を駆り立てる。


 顔をいったん引き、実篤は左手を穴に入れて内鍵をひねった。開いたドアの前にある椅子を蹴り倒し、彼は室内に乱入する。


 姉の部屋は、彼のものより散らかっていた。片隅に置かれたベッドの前、畳の上に敷いたジュウタンの上で、姉は体を丸め、座りこんでいる。


 実篤は、剣を突きつけて叫んだ。

「謝れ!」

「ごめんなさいごめんなさいごめんなさいごめんなさい」


 何に対して謝るのか、訊ねることもせずに姉は土下座した。それが実篤の怒りをさらにかきたてる。


「均分主義など、ゴミだと言え!」

「均分主義はゴミです均分主義はゴミです」

 彼女がことあるごとに口にし、他人にも啓蒙してきた思想を、姉はあっさりと否定した。


「なんたることだ……このような愚かで弱く、信念の欠如した存在に、

 我はずっと押さえつけられていたとは……」

 天を仰いで、実篤は嘆く。


 こみ上げてくる涙を、彼は左袖で拭いた。しかし、返り血のせいで、余計に顔がべたつく。なにかきれいな布が欲しい。窓により、左手でカーテンをつかみ顔をこする。再び姉を責めようとして床に目を向けたが、そこには誰もいない。


「なに?」

 おどろいた実篤は廊下に出た。

 そこには、彼が気をそらしたすきに、匍匐前進ほふくぜんしんで脱出した姉の姿があった。


「なんと、卑怯者でもあったか!」

 激怒した実篤は、廊下に這いつくばる姉の背に、宝剣を叩きつける。


「天誅!天誅!天誅!天誅!天誅!天誅!」

 何度も何度も刻み、姉は肉片と化した。


「はあっ、はあっ……この程度なのか?……我を迫害した者どもの力は……」

 荒い息をつきながら、実篤は自問自答する。


(ひょっとしたら、[真世界への道]の力など必要なかったのかもしれぬ。

 宝剣を持ち出すまでもなく、素振りに使っている木刀で殴りかかれば)


(いや、殴ると言って脅せば、父も母も姉も屈服し、

 我の望みどおりにふるまったかもしれぬ)


(そう、殺す必要などなかった……)


 実篤は、頭を激しく振って、嫌な考えを消し去ろうとした。


(いまさら後戻りなどできぬ! 日本男児に許されるのは前進のみ!)


「うおおおおお!」

 彼は宝剣を振りかざし、叫ぶ。


(そうだ。このようなことは大事の前の小事)


(我が魔術師となる資格を試みるため、天使と悪魔が訪れる)


(その試みを見事に超えることに集中せねばならぬ)


(だが、その前に……身辺整理をせねば。

 我は魔術師となり、こんな小市民的な家から出奔するのだ!)


 実篤は自室に戻り、礼文からもらった[魔術師となるための手引書]とその付属品を机の上に並べる。


[試み]の手順を確認したら、その小冊子を、郵便で送られてきた封筒ごと燃やせとも言われた。もちろん、これまでに[真世界への道]から届いた手紙もふくめてだ。付属品の小瓶にはそのための薬剤が入っている。


 しかし、実篤は手に入れた薬剤を別の目的に使った。

 恥ずかしい写真を始末する。それが彼にとって、とても大切なことだった。


 だが、写真を一枚一枚確認しながら剥す時間もないし、右手が宝剣でふさがれているので、細かい作業ができない。それでアルバムごと、家族の思い出とともに写真を跡形もなく薬剤で燃やすことにした。


 当然、[真世界への道]に関わる文書を燃やすには薬剤が足りない。アルバムで熾した火に文書をくべることも考えたが、大量の紙を一時に燃やして、火事にまで発展しては困る。実篤は料理を母や通いの奉公人に任せきりだったので、火の扱いに自信がなかった。


 しかたないので、特に念を入れて消去せよと記述してある[真世界への道]の連絡先や住所の書いてある封筒だけは、アルバムといっしょに庭で燃やすことにした。


 残った文書は自室のゴミ箱に捨てた。他の紙クズに紛れればわからないと、彼は思ったのだ。


 屈辱に満ちた記録をなんとか燃やし終わり、実篤はほっと一息ついた。残り火を消そうとしたとき、彼は頬に水滴を感じた。空を見上げると、黒い雲が天を覆いつつあるのがわかった。夕立がくるのだろう。


「これぞ天佑! 焚火の後始末をする手間も必要なし!」


 気をよくした実篤は家に入り、悪魔と戦う場として、どの部屋が適しているか、礼文の忠告を参考にして考える。


 狭いと自分が動きづらい。だから、一番広い、10畳の居間を戦場とすることにした。

 元々床の間にかかっていた掛け軸は外して客間にしまう。替わりに自室から持ってきた[ヤマトタケル]の絵をかざった。邪魔になりそうな座布団や座卓などの家具類もすべて客間に移動させたので、10畳間は広々とした。


 玄関を開け放ち、実篤は居間に戻る。

「さあ、我を試みよ、天使。我を試せ、悪魔」

 彼は困難な試験に合格し、強敵を倒すことで自分自身の価値と思想の正当性を証明しようとしていた。


 夕立の音が聞こえる。本格的に降り始めたようだ。室内が暗くなった。

 実篤は天井から下がっている白熱電球を灯す。




  次回に続く



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