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第四話

 生活費を渡しに来た瀬野と音矢は、いつものようにちゃぶ台をはさんで雑談を始めた。


「確かに怪しいとは思いましたけれど……」

 今日は、音矢が神代細胞の一件にかかわることになった経緯を話している。


 栄養剤の効果を調べる実験という名目で音矢は誘い込まれたと瀬野は聞いている。その状況をもっと詳しく知りたいと彼女は求めたのだ。


「ただの栄養剤の治験というには大げさだし、

 報酬も高額で、妙な話だから、

 勧誘してきた人の話を聞くだけ聞いてみようと思ったんですね。

 僕の好奇心が刺激されたといいますか」


 翡翠はというと、二人のそばに座って、畳の上に広げた新聞を眺めている。それは今日の日付ではない。ときおり鉛筆で丸を書いたり、線を引いたりして落書きなどもしている。


「僕が勤めていた呉服屋がつぶれて収入がなくなったのに、

 実家の母と弟に仕送りするお金が必要だったってこともありますし。

 それで、説明を聞きながらお茶とお菓子をすすめられて、

 飲んで食べて……

 気がついたときは孤島に向かう船の上、

 なんて急展開になるとは予想していませんでした」


「そんな乱暴なやりかただったの?」


「瀬野さんは関知してなかったんですか」

「被験者の確保は私の担当ではなかったのよ」


 瀬野がこの質問をしたのは礼文に頼まれてのことだ。

 彼女自身も、音矢が危険な実験にかかわることになった理由を知りたくなったので了承した。


「まさか、自分の身に、冒険小説のようなことがおきるなんて……

 普通は考えませんよ。

 神代細胞の件にしたって、いままでつちかってきた常識を突破しています。

 自分の想像力の限界を越えた事態に対応しきれなかったというか、

 まあ、僕の未熟さが原因ですね」


 音矢は苦笑した。


 彼の隣で、翡翠は鉛筆を置く。落書きにあきたようだ。

 身を起こして、彼は音矢と瀬野を交互にながめる。


「それより、礼文ってどんな顔をしてるんですか? 来歴はわかりますか?」


 いきなり、その時彼女が意識していた人物の名を音矢にだされて、瀬野は動揺した。


「な、なんで今さらそんなことを聞くの? 

 私は知らないって前にも答えたでしょう」


「だって、敵の首領がどんな奴か知りたいですよ。

[彼を知り己を知らば百戦あやうからず]って昔の人も言ってますし。

 瀬野さんが知っていることだけでも教えてください。

 翡翠さんに聞いても、

 目が二つあったとか、口は一つだったとかしか答えてくれなくて

 ……目が大きい小さい、鼻が高い低いみたいに、

 詳しい人相を表現できないみたいなんです。

 背の高さとか、歩き方の特徴とかも覚えていないらしくて」


「すまない。人間の姿かたちを記憶しておく必要があるなんてことを、

 ボクはこれまで考えたこともなかったんだ」


 これまで無関心だった翡翠が、二人の会話に加わろうとした。

 それに気づく余裕もなく、瀬野は弁解する。


「だから、知らないわ。

 私が翡翠くんを担当する前に礼文は孤島にやってきて神代細胞の存在を知り、

 私が本土にいるときに孤島を襲撃して

 すべての資料と水晶くんを持ち出したから。

 顔を合わせたことがないんだもの、礼文の人相なんてわからないの」


「あれ……そうだったろうか……

 礼文が来た同じ日に、瀬野さんにも会ったような……」


「翡翠くん、時系列を間違えないでよ。

 あなたは日付にうといんだから、

 別々の日の出来事をごっちゃにしてるんでしょう」


「そうか。ボクの記憶違いか」

 翡翠はそれで納得したが、音矢は矛盾を見逃さなかった。


(瀬野さんは、

 [研究機関]に属する他の人たちが不動産屋をあたって

 礼文らしい人物が来なかったか尋ねてまわってるって、

 せんに言ってたのに……)


(それなら組織に礼文の姿に関する資料が残っていないとおかしい)


(やっぱり嘘はよくないな。

 その場その場で適当なことをいうから、

 自分でついた嘘の内容を忘れて発言に矛盾がでるんだ)


(でも、今それを指摘するのは得策ではない。

 瀬野さんが何もしゃべらなくなってしまう。

 この人の心を緩ませて、もっと情報を引き出さないと、

 研究機関の実態がわからない)


 音矢は、追及を一時断念し、食事の支度にかかる。

 彼は今日、かねてからの計画を実行するつもりだ。 


 瀬野が生活費を届けに来る日の恒例となった、三人でちゃぶ台を囲む夕食。

 今回の献立は鶏肉の照り焼き、枝豆の塩ゆで、ナスの焼き浸し、ミョウガの吸い物、白瓜の浅漬けだ。それにカマドで炊いたばかりの飯がつく。


 ただし、今晩の食事はいつものように、なごやかな展開にならなかった。

もめごとは、翡翠が得意顔で箸をとったことから始まる。




次回に続く

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