第四話
音矢は福子が作った芸術作品のことは省略して、長持ぐるぐるのことだけ語った。瀬野は残虐行為を好まないと知ったからだ。
「女性にたいして[まわす]を誤解させるように話す……
そういう冗談、笑えないわ」
「ああ、瀬野さんは下ネタもお嫌いですか」
話している間に、着替えは終わっていた。汚れた古新聞紙と衣服は風呂敷に包む。窓から入る風が心地いい。
「しかも、自分で言わないで、翡翠くんに言わせるなんて」
「いえ、別に僕がそそのかしたわけではなくて、
たぶん、翡翠さんはそういう意味があるということを知らな」
ぐー
会話に割り込むように、腹の虫の音が聞こえた。
「なに? また音矢くん? あんた、ほんとに食いしん坊ね」
「いえ、僕じゃありません」
「じゃあ、誰よ」
「ボクだ……腹が減った……」
翡翠はぐったりした様子でつぶやいた。
「ああ、今回は翡翠さん、活躍してましたからね。
長持をまわすのも手伝ってくれたし、
回収する神代細胞の量も多かったですし。
とりあえず、僕の氷砂糖をお分けしますよ」
背嚢に音矢は手を伸ばした。
「それよりもいいものがあるわ。ちょっと車を止めるわね。
揺れる車内で食べて、舌をかむと危ないから」
瀬野は彼女がいつも持ち歩いている大きな革製バッグを開ける。
そこから銀座にある名店の紙袋を取り出した。
「はい、カレーパン。三人分あるわよ」
先日、音矢の料理を翡翠がほめた。
それに対抗するため、食事会の前に別のおいしいものを出して翡翠の関心を引こうと、瀬野はわざわざこの日に買ってきていた。
「ちょうどよかった。翡翠くん、どうぞ」
「ありがとう!」
渡されたパンに、翡翠はむさぼりついた。
「翡翠さん、
[空腹時にこそ、よく噛んでゆっくり食べないといけない]と
一ツ木のおじさんが言って……ああ喉に詰めた。はい、水です」
音矢に渡された水筒の湯冷ましで、翡翠は詰まったパンを流し込む。
「……まだ、腹が減って……」
うつむいた翡翠に、瀬野は微笑んだ。
「じゃあ、カレーパンを全部食べてもいいわ」
「それは良くないですよ」
瀬野は素早くドアを開け、音矢をひっぱって、後部座席から降ろした。かわりに自分が翡翠の隣に座る。
「あんたは、自分の分が無くなるからそんなことを言うんでしょう。
翡翠くん、遠慮しなくていいわよ」
「ありがとう!」
うれしそうに翡翠は次のカレーパンを袋から出す。
――これは
(三人分のパンを独り占めするほど)貪欲な
鬼(に似た角をもつ研究者)が獲物をむさぼる物語――
「……ううう、痛い、腹が痛い。気持ち悪い」
翡翠は隣に座った瀬野にぐったりともたれかかっている。
瀬野と操縦を交代した音矢が、ハンドルを動かしながら話しかけた。
「そらあ、いくらお腹がへっていたからって、
三人分を一気に食べたら胃が痛くなりますよ。
しかもカレーパンは揚げ物のうえ、
香辛料の入った刺激物だから負担はさらに大きいです。
翡翠さんはこれまで食が細かったせいで消化器を鍛えていないんですから、
自重しないといけません」
「……わかった。身に染みた……」
音矢の正論に、翡翠は弱弱しく答える。
片手でハンドルを握りながら、音矢はカレーパンの紙袋を逆さにして、残っていた香ばしい揚げパン粉のクズを口に入れる。
それを見て、瀬野は眉をひそめた。
「意地汚いわねえ。ノライヌみたい」
「なにぶん、育ちが悪いもので。見苦しくて申し訳ありません」
袋を脇に置き、音矢は前を見る。
「ああ、[ノライヌ]で思い出しましたが、
僕はあそこでゴミ箱も漁ってきましたよ」
音矢はアクセルを踏みながら、疑問に思っていたことを、瀬野に問いただす。
「前回より神代細胞が多くて、持って行った瓶に入りきらなかったんです。
それでなにかいい容器がないかと探してみたら、
ゴミ箱に瓶が捨ててあったので、細胞を二つに分けて入れました。
その瓶……僕らが使っている神代細胞回収用の瓶と同じなんです。
……まるで前に回収して、瀬野さんに渡した細胞が礼文の手に渡って、
それをそっくり再使用したみたいに見えるんですけれど」
「そんなはずはないわ。
私は受け取った神代細胞を、ちゃんとあの孤島の研究所にしまってきたもの」
瀬野はきっぱりと否定した。
「そもそも、ガラス瓶は科学実験用の器具を作っている会社が
大量生産しているものなんだから、
礼文もうちと同じところで買ったんじゃあないの?」
「ああ、それなら説明が付きますね。なるほどなるほど」
「いいのよ。気にしないで」
いったん追及は途絶えたようにみえた。が、すこし間をおいてから、音矢は次の質問をはなった。
「信者のつけていた耳飾り……
水晶さんの角を砕いた制御石も鼻紙につつんでもってきました。
それが、前回と同じ形をしていたんですけれど、
これは量産品じゃないですよねえ」
「……角の先が同じような砕け方をしたんじゃないの……」
少し困ったような表情で、瀬野は答えた。
「ああ、普通の鉱物だって[劈開]とかいって、
結晶の構造で似たような形に砕けるものもありますからね。
そのたぐいですか」
車を走らせながら、彼は話を続けた。
「ちなみに方解石ってのは、
どんなに割っても平行四辺形のきれいな形になるそうです。
[萬文芸]の雑学紹介記事で読みましたよ」
「そ、そうなの……きっとそれね。まちがいないわ」
「これは不規則な形ですけれどね」
「不規則に割れる……[へきかい]? そういうものなんでしょう」
「なるほど……それでは、出がけに聞き損ねたんですが、今回」
音矢の追撃を、瀬野はさえぎった。
「いいかげんにしてよ!
あんた、私に喧嘩を売るつもり?
私が礼文と裏でつながっているって、疑ってるの?
不愉快だから、やめてくれない!」
「いえ、状況証拠みたいなものが見つかったから訊ねているだけですよ」
「……音矢くん!」
翡翠が声をあげた。まだ苦しそうだ。
「どうしました?」
「……君には感謝している。君はボクをいつも助けてくれる。
そして瀬野さんはいい人だ。ボクに文字を教えてくれた。
あの島から出る手立てを整えてくれたのも瀬野さんだ。
二人とも、ボクの大切な人なんだ。
だから……二人で喧嘩はやめてくれ。仲良くしてくれ……」
音矢は前を見ながらうなずいた。
「わかりました。
……確かに、身内を探偵ごっこでつつくのは、
ちょっとばかり趣味が悪いですね。心得ておきます。
申し訳ありませんでした」
真面目な声で、彼は謝罪する。
「わかってくれた?
とにかく、私と礼文が組んでいるなんてことはないから!
絶対に! ありえないから!」
「それが《本当》なら、安心できますよ。
それが《事実》なら背後から撃たれる心配なく僕は戦える。
信頼できる味方にめぐまれて、
なんて僕は運がいいんだろう。まったく僕は幸せだ」
あくまでも真面目な様子で、しかし部分的には強調しながら、音矢は瀬野の言葉に答えた。
[抜刀隊]のメロディを口笛で吹きながら、音矢は車を彼らの家にむかって走らせる。
瀬野は平然とした表情を作ってはいたが、心の中は煮えくり返っていた。
(あからさまに皮肉を言われて
……なにも言い返せない。くやしい)
これもみんな、礼文のせいよ)
◆◆◆◆◆◆
翌日、瀬野と礼文はテーブルをはさんで向かい合っていた。そこは福子を呼び出したのと同じ、銀座のビルの一室だ。
「別にバレてもかまわんだろう。
彼らの生活を保障しているのは君の雇用主だ。
君はその代理人として、彼らに命令する権利がある。
真実を知って反抗するようなら、しかるべく罰をあたえればよい」
テーブルの上には神代細胞が入った二本のガラス瓶と、鼻紙の上にのった制御石がならんでいる。紅茶はない。瀬野は礼文のもてなしなど受けるつもりはないし、彼も彼女をもてなすつもりがないからだ。
「私は……翡翠くんに嫌われたくないの。だって」
彼女の話にかまわず、礼文は自分の疑問を口にした。
「しかし、音矢くんとやらは高等な教育を受けているのか?」
「そんなことないわ。日本では最低限の学歴よ。
尋常小学校卒業なんて」
「それでも、文字を読むだけではなく、
地図を使いこなし、
距離と車の平均時速を使った式で移動に必要な時間まで計算できるのだろう?
実に優秀だよ。彼には特別の才能でもそなわっているのか」
「そんなもの、全部小学校で習うことよ。
日本の普通の人間なら普通にできること。
あいつはちょっとひねくれているだけの……
そう、あいつも言っていたわ。自分は[普通の見本]って呼ばれてたって」
礼文は驚きの表情を浮かべた。
「なんと……そうか、初等公教育が充実しているから……
士官ではなく兵卒の能力で、故国はあの戦争に負けたのか。
ならば、故国で士官教育を受けた私が、
この国の兵卒を率いれば……」
――そして、これは――
「なにをブツブツ言ってるの?」
「敗残兵の夢物語さ」
苦笑して、彼は答える。
――自暴自棄になっていた男が、
新たな希望に向かって一歩を踏み出す物語――
「まあ、音矢くんとやらのおかげで再び帝都の壊滅は免れた。
私としては、また他国に亡命する手間が省けてよかったのだが……
君の話を聞くと、彼は観察力と推理力に秀でているようだ。
そんな男がなぜ、
このような怪しげで危険な研究に実験台として飛びこんできたのだ?
どのように引きこんだ?」
「それは、私の担当じゃなかったから……」
「では、今度彼に聞いてみてくれ。じつに興味深い」
次回に続く




