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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十二章 星雲 
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第三話

10月1日、水曜日。


「香ちゃん、どうしたの? 御飯が冷めてしまうわよ」


「いいからほっておいて!」


 フスマ越しに聞こえる母の声に、由井香はつっけんどんに答えた。


「……あなたの分はぜんに乗せて、廊下に置いておくから」


 コトリと、外から音が聞こえる。[膳]とは、一人前の食事を乗せるための、足のついた四角い台のことだ。由井家ではすでに普段の食事では[ちゃぶ台]を使用していたが、来客をもてなすために膳も残してあった。


「……落ち着いたら食べてね」


「いらないったら!」


 母の足音が遠ざかってから、香は我慢していた泣き声をもらす。


「う、うう」

 

 自室で座りこむ彼女の傍には、健二からの手紙が落ちていた。


 父親が裕福な松木健二の自宅には、この時代には珍しく、電話が引かれている。それを使って礼文は健二と直接話し合った。その内容を伝える手紙が香に今日届いたのだ。


「わたしが、せっかく書いた議事録を使わないで……

 ううっ……自分の記憶で会議の結論をまとめて礼文さんへ報告したなんて……

 議事録を読ませてと、松本さんのほうから連絡してくれれば、

 わたしはすぐに会いに行ったのに! 

 わたしをノケモノにするなんて、ひどい! 恨んでやる!」


 常に自分の存在を尊重してほしいと望むが、行動は受け身。そして逆恨み。

 このような性格でもあるので、両親は香が社会人失格だと判断したのだが、彼女に自覚はない。


「でも……来週の水曜日に、あの家で研修を兼ねた運営会議があるから……

 それに出席しないと、またあの笛田が点数を稼いで、

 わたしは取り残されてしまう……」


 笛田晴子が持参した菓子をみんなが、特に礼文と健二がほめたたえるところを想像し、香は畳をガリガリとひっかいた。


「こうなったら、わたしは手作りのお菓子で対抗してやる! 

 心をこめて努力すれば、

 大量生産された既製品なんかよりも素晴らしいものが、

 きっとできるはず!」


 受け身ではなく、自発的に行動すれば、方向がアサッテにいく。これも香の欠点の一つだ。


 10月8日、水曜日。


 香は風呂敷包みとハンドバッグを手にし、松木家の正面玄関から中に入った。

 恐れていた殺人事件の痕跡は見当たらない。ほっとして、彼女は健二に勧められたスリッパを履いた。


「水曜日なのに、大学はいいのかい?」


「大丈夫。休講になったから」


 本当はサボりだ。これまで香は真面目に出席してきたが、笛田晴子に対抗するために、講義を欠席した。父の発言で学問に意義を見いだせなくなったせいもある。


 先に立って応接室に案内しながら、健二は感想をもらす。


「そんなに大学の講義というのは、しょっちゅう休むものなのか。

 実業学校だと、みっちり授業が詰まっていたけれどな。

 伊吹も、金曜日に続いて今日も休みだそうだよ」


「金曜日?」


 健二が開けたドアの向こうには、伊吹俊樹がいた。布カバーがかかったソファに座った彼は軽く手を挙げて、香に挨拶する。


「おはよっ」


 ソファに囲まれたテーブルには急須と茶碗、そして魔法瓶が置かれていた。おまけに菓子屋のものと思われる紙の箱まである。


「伊吹は先週の金曜に来て、掃除を手伝ってくれたんだ。

 今日も礼文さんを迎えるにあたって、仕上げの清掃を一緒にやってくれたし、

 お茶を入れるための湯も提供してもらった」


「なに、近くだからさ。気にすんなって……え?」


 香の顔を見て、俊樹は息をのんだ。そこには強烈な憎悪があったからだ。


「抜け駆けするのは、女だけではなかった……」


「え、なに? え、え?」


 付け焼刃の強気がはがれ、俊樹はただうろたえる。


「おい、由井さん、どうした?」


「…………」


 健二の問いに、香は答えない。


 両親への態度と違って、不満を感じても彼女は静かだった。松木邸で開かれるこの会議、そしてこの[真世界への道]という集団に、[まだ]慣れていないからだ。


 涙を浮かべて無言で立ちつくす香に、男二人は対処するすべを知らず、気まずい沈黙が応接間を支配する。


 その箱に入った菓子は、茶話会で提供するものを決めるために見本として購入したと説明され、香はひとまず落ち着いた。そして、自分が持ちこんだクッキーも候補に入れてくれるように頼んだ。[真世界への道]の役に立つことで、組織内の地位を高めようと彼女は考えたのだ。


 やがて礼文が松木邸に着き、あいさつの後、皆で菓子の味見をすることになった。


 彼女が精魂こめて焼き上げたクッキーを食べ、三人の男たちはなんとも言えない表情を浮かべ、それぞれポケットから鼻紙やハンカチを出した。口内の異物を吐きだすためだ。しかし、それを見た香がまた涙を浮かべる様子に気づき、彼らは異様な物体を茶でむりやり喉に流し入れる。



   ◆◆◆◆◆◆



 屈辱が蘇り、香は唇を噛んだ。その横で、いきなり窓ガラスが叩かれる。


「きゃっ」


「おお、香! 心配ないぞ。我が家を守るため、わしは計略を実行中だ!」


 庭から窓越しに彼女を驚かせたのは父だ。彼はその手にしたものを振って見せた。短く切った竹を数本、板に縄で括りつけた道具は、先ほどから香を悩ませていた耳障りな大きい音をたてる。


鳴子なるこを屋敷内のあちこちに設置した。今から庭にかかる。

 そしてこれらが発する警報は、駐在所の警察官にすぐさま届く! 

 なにしろ、うちの隣だからな。

 ああ、わしの親父どのが警視庁の要請に応じて土地を貸してやったおかげだ!

 そしてこのわしはさらに加えて公衆電話もそのかたわらに誘致している!

 小作人たちが電話を使用したくなるたびに、

 威儀を正して地主さまにお願いしに来るのは気疲れするだろうからだ! 

 小作人の感謝を集めて争議を防ぐという計略が、

 別口で役に立とうとしている。

 もしも、火曜日に芹川家を襲った残虐な犯人がうちに目をつけたとしても、

 駐在所が隣接しているとわかれば逃げるだろう! 

 そして万が一襲撃してきても、

 この鳴子をならして知らせれば、

 公衆電話から本署に連絡して応援を呼んでもらえる!」


 1930年〔光文5年〕、都心の交番はともかく、郊外の駐在所にはまだ緊急連絡用の電話線は引かれていない。警察幹部たちはその必要性を訴えてはいたが、財源不足を理由に大蔵省から拒絶されていた。


「だから家にいるときは安心してよい! 

 出かけるときには、徒歩で駅に向かわず自家用車を使え。

 護衛として手の空いているものを連れていってもいい。

 すでにその旨は奉公人たちに申しつけてあるから、遠慮しなくていいぞ」


 ジリリリリ


 父の上着のポケットから、ベルの音が聞こえる。彼はそこから目覚まし時計を取り出し、音をとめた。



「昼休憩時間がもうすぐ終わる。

 とりあえず屋敷内はすんだから

 残りの作業は終業時間を迎えてから再開するとしよう。

 明るいうちなら、犯罪者の襲撃もないだろうしな。

 では、さらばだ」


 時計をポケットにしまい、父は自宅の広大な敷地を挟んで駐在所と反対側にある施設に向かった。そこは特定郵便局で、彼はその局長だ。明治の初め、由井家の先々代は前島密の政策に協力し、自宅の横に特定郵便局用の建物を作り、そこの局長に収まった。その職務は次代へ、そして当代へと受け継がれている。


 香は口をゆがめてつぶやいた。


「ああ、嫌だ。国家権力にたかって私腹を肥やす資本家め」


 この近辺に、公共施設は他にもある。芹川家が拒絶した公道や小学校分教場の用地を由井家は提供した。その地代で国債を購入し、配当を受け取ることによって由井家は安定収入を得ている。


「実際、お父さまはオデブだし、そのうえハゲだし」


 自分が口にした言葉が、回想をうながす。優しい表情を取り戻した香はヌイグルミを抱きなおし、それに語りかけた。


「コンコンちゃん……でもね……あの日」




 クッキーを飲みこみ呼吸を整えてから、礼文はこう発言した。


『これから[真世界への道]はますます発展し会員が増える。

 そうなれば、全員に手作り菓子を配ることはできなくなる。

 個人宅で生産するには限界があるからな。

 つまり、会員同士で扱いが不均分になってしまう。

 それはよろしくないから、

 茶菓子は大量生産できる専門業者に最初から任せるとしよう』


 さらに、厚意はありがたくいただくと、クッキーを彼は持ち帰ってくれたのだ。香はその配慮に感謝した。





「あからさまに、[これは不味いから茶話会には出せない]とは言わず

 ……さりげなく礼文さんは、かばってくれた。

 わたしに恥をかかせまいとして……」


 彼女の白い頬に、赤みがさす。


「わたしよりずっと年上だけれども……

 うん。単なる中年ではなくて、

 足は少し不自由だけれど姿勢が良くて、体も引き締まっているし……

 西洋人みたいに顔の彫りが深いし、ハゲではないし……

 そして松木さんよりも、礼文さんのほうが格上だものね。

 だから、わたし……礼文さんのほうにアタックしてみようかな? ふふっ」


 彼がクッキーを持ち帰ったのは、瀬野と音矢に嫌がらせをするためだ。そのことを香は知らず、虫のいいことを考えている。



   ◆◆◆◆◆◆



 やがて夕暮れ時、由井氏が鳴子の設置を終え、一風呂を浴びてから晩酌を始めるころ。

 帝都の下町で二人の男が待ち合わせの場所、〈大衆酒場 のみ寿久禰すくね〉に到着した。しかし、彼らは時間を空けて入店し、偶然をよそおって隣どうしに席をとる。これは秘密裡に行われる会合だからだ。


 国家を管理する者は、自分たちが制御しやすいように法を定め、守るべき規律を教育することで人を枠の中に囲いこもうとする。しかし、ある種の人間は知恵を働かせ、囲いの隙間をぬけ、あるいは乗り越える。酒場のカウンターに並ぶこの二人。彼らも、自分たちを閉じこめる枠組みから外に出ようとする、そんな種類の人間だ。


 それぞれが個別に注文したものが運ばれてくる。従業員がその場を離れてから、酔っ払いたちの喧騒に紛れて、彼らはこっそりと語りはじめた。


 目つきの鋭い、陰惨な表情の男が、たたんだ新聞を二人の間のカウンターに置き、意味ありげに指で叩く。


「……ご助力いただき、ありがとうございます……」


 そこに書かれていたのは、殺人事件に関する記事だ。


「なに、お互い様、もちつもたれつってことさ」


 その左側に座ったのは彼より年齢が上で、大きな口と、ややつぶれた鼻を持つ、ブルドッグに似た顔立ちの男だ。


「ああ、そうだ。あんたから送られた報酬は先日、確かに受け取った。

 思ったよりも、たんまり入っていて嬉しいぜ」


 彼はそのいかつい顔には似つかわしくない、無邪気な笑顔を浮かべた。


「とにもかくにも、最初の取引は成立した。

 これで俺たちは一蓮托生いちれんたくしょう、呉越同舟ってやつだ。

 末永く、よろしくお願いしますぜえ。っくくくくく」


 しかし、その喉で笑う声には、どこか薄暗い響きがある。


 ブルドッグに似た男、彼の名は工藤。彼を知る者はひそかにこう呼んでいる。[外道の工藤]と。



 次回に続く



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