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勝てば官軍 【魔術開発物語】  作者: 桜山 風
第十二章 星雲 
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第二話

 10月16日、木曜日。瀬野は昨日音矢たちから受け取った神代細胞の瓶詰めを礼文に届けた。そこで口論となり、彼女は早々に彼の事務所を退出する。

 

「ああ、むしゃくしゃする……そうだ。また、あそこに行こう」


 あまり険しい顔で帰社するのもいかがなものかと思われたので、瀬野は寄り道をして三越の裏にまわり、地蔵をまつった寺にむかう。繁華街のざわめきも、境内ではさほど響かない。瀬野はときおりこの静かな空間に訪れて心を癒す。しかし先週の場合、彼女は別の目的で寺に行った。



   ◆◆◆◆◆◆



 10月9日の昼前、瀬野は礼文からもらった紙袋を手にして銀座の裏通りを歩いている。中身は彼が[真世界への道]の会員から差し入れてもらったというクッキーだ。愛用している大きな革バッグにそれを入れないのは、その菓子がとても不味くて嫌なものだからだ。


(このクッキーはどうしましょう)


 礼文に騙されて瀬野はそれを食べてしまった。だから腹いせに音矢に与え、彼が苦しむさまを見物して自分も楽しもうと思い、礼文からおすそ分けしてもらったのだ。しかし、彼女の考えは変わりつつある。


(……食べ物でイタズラするのは……

 うん、やっぱりよくないわ。

 私は上品だから、それほど根に持たないけれど……音矢の場合は……)


 彼女の脳裏に、過去の記憶が蘇る。


(夕次郎兄ちゃんが、

 曙夫あけお兄ちゃんの好きなクリまんじゅうに

 カラシ酢をこっそり注入したとき……

 いつもは優しい曙夫兄ちゃんが大激怒して

 ……ああ、思い出すだけでも怖くなる)


(音矢も曙夫兄ちゃん同様、

 普段は穏やかだけれども食い意地がはっている。

 もしも食品でイタズラをしたら、

 私はとんでもない仕返しをされるかもしれない)


 だが、彼女も明治生まれで大正時代にしつけを受けた人間だ。いくら不味くとも、食べ物を無駄にするのには抵抗がある。


(そうだ。クッキーはハトにでもあげましょう)


 1930年〔光文5年〕。この時代では、ハトへのエサやりは禁止されていない。それどころか、上野公園や浅草寺など、たくさんの人々が集まる場所では、ハトに与えるための豆を売る屋台まであった。


 彼女は三越の裏手にある寺に立ち寄る。その寺の境内には、ちょうど都合のいいことにハトの群れが舞い降り、地面をつついてアリなどを食べている最中だった。


 瀬野が紙袋からクッキーを出すと、人なれしている鳥たちはその足元に寄ってくる。


「さあ、お食べ」


 彼女が地面に置いた菓子を、一羽のハトがさっそくついばむ。


 クー、クック、クー……ク? 


 鳥の動きは唐突に止まった。そして


 クェー! グゥェー! グゲェー!


 異様な声をあげて、そのハトは飛び去る。他のハトも危険を感じたのか、それに続く。


 さすがにこんな物を尊い寺院に放置できないと、瀬野はクッキーを紙袋に戻し、デパートのゴミ箱に捨てた。



   ◆◆◆◆◆◆



(……ハトがあんな声で鳴くなんて、初めて聞いたわ)


 回想しながら、瀬野は寺に入る。そのとたん、


 バサバサバサ


 境内にいたハトの群れは一斉に飛び立った。


「私を覚えていて、またクッキーを食べさせられると怯えて逃げたのね」


 取り残された瀬野は、空を見上げながらつぶやく。


「私も料理は下手で……

 ドロドロのグチャグチャの、

 おぞましいとしか言えないようなものを

 作ってしまったことがあるけれど……

 あのクッキーはもっとひどい。

 だって外見は普通だから、それが危険物だってわからないじゃないの。

 そして一口食べたら最後、脳天に突き抜ける致命的な味が……

 どうしたら、あんな恐ろしいものが出来上がるのかしら。作ったのは何者?」



   ◆◆◆◆◆◆



 危険なクッキーの製作者である由井香は、今日は平日だが女子大を休んでいる。しかし、[真世界への道]の活動のためではない。火曜日に近所で大量殺人が起きたからだ。犯人の目星はまだついていない。それにおびえた母が、香のことを案じて家にとどまるよう勧めた。香も、このごろ学問に興味がもてなくなったので、あえて逆らわなかった。


 時間を持て余した彼女は、とりあえず午前中、押し入れの整理をしてみる。いったん中の物を全て出し、不用品を選りだそうとした。だが、特に捨てたいものはない。結局彼女はまた同じようにしまおうとしたが、一つだけ残す。


 それは彼女が幼いころに、かわいがっていたヌイグルミだ。幸いなことに長持の中に密封されていたので、カビや虫食いの被害はない。やや防虫剤の臭いが残ってはいるが、この時代に生まれた香は、それに慣れていたので特に不快を感じなかった。


 香は気がふさぐと言って、昼食は自室に運んでもらう。家族との接触を、彼女はこのごろ避けがちだった。

 孤独だが気楽な食事を終えた香の耳に騒音が届いた。どうやら部屋の外側、廊下で誰かが作業をしているらしい。しかもだんだん近づいてくる。それを不快に思った香は、食べ終わった食器を膳ごと廊下に出し、フスマに心張り棒(しんばりぼう)をかけて外から開けられないようにした。


 耳障りな音を避けて、窓際に香は座り、ひさしぶりにヌイグルミを抱きかかえた。その生地は少々くたびれ、色もややくすんできてはいる。だが、それは香と共に仲良く遊んだ体験が積み重なった結果だ。


 なじんだ手触りが心を癒していくことを感じながら、彼女は目を上げて本棚を見る。そこには平塚雷鳥の著作がある。香が憧れていた女学校の先輩からもらった本だ。


 その先輩が中心となってできた社会活動グループは、すでに無い。ある日、発起人である先輩は、一身上の都合により転向したと会合で発表した。それを聞いたメンバーにも動揺が広がり、グループはその会合を最後として解散した。親密な仲間を失い、孤独になったという悩みを[萬文芸]の読者交流欄に投書した香は、礼文からの手紙を受け取って[真世界への道]に入会することとなる。その後女子大に彼女は進学したが、そこの学生たちは社会改革などあまり興味を示さない者ばかりだったので、香は表面上の付き合いしかできずにいた。


「ねえ……コンコンちゃん……わたし……」


 ヌイグルミの太く長いシッポをもてあそびながら、香は最近起きたことを回想していく。



   ◆◆◆◆◆◆



 9月28日、日曜日。大神公園と松木邸で行われた[真世界への道]の会合から帰宅した由井香は、出迎えた家政婦に父と母からの言付けを伝えられた。大事な話があるから、座敷で待てとのことだ。


 香は説教をくらうと覚悟した。日曜日にたびたび出かけるのは同じ女子大の友人と一緒に銀ブラをするためだと嘘をついているが、実際は[真世界への道]の活動だ。社会改革を目標とする団体に再び加入し、積極的にかかわっていると両親が知れば、きっと怒るだろう。高橋太一が言っていたように、改革を目指す団体は、反社会勢力とみなすのがこの時代の風潮だ。


 それでも弾圧に負けはしない。香は口を引き締め、正座して父を待つ。


 やがて障子が開いた。


「おお、香。おまえは良い娘に育ってくれたな」


 父は上機嫌だ。


「ちょっと、これを見てごらんなさい」


 母は手に持っているものを広げた。


 由井香の母が広げたのは、お見合い用の釣り書きだ。


「えっ!」


 それに貼られていた写真を見て、香は抗議の声を上げる。


「これは、今年のお正月に撮ったものでしょう! 

 あの時は、ただの家族用アルバムに貼る写真だっておっしゃったのに!

 だましたのですか!」


「おまえのためだ」


 父はどうどうと言い切る。


「お見合い写真を撮るなどと正直に言い、写真館に連れ出したなら、

 おまえはガチガチに緊張して、変な顔になっただろう。

 しかし、この写真は良い。

 おまえが軽くお屠蘇を飲んで気がほぐれているうちに、

 自宅の庭で蔵の白壁を背景にササっと撮った。

 だから余分な映りこみもないし、笑顔が自然で実にかわいらしい。

 そもそも正月だから、

 わざわざ振袖をおまえに着せる理由をこじつける必要もないしな。

 我ながら良い計略だった」


「あなた」


 自画自賛する父に、母が続きをうながす。


「うむ」


 咳ばらいをしてから、父は本題を口にした。


「喜べ。この写真の効果と、わしの口利きで、やっと一件好感触を得た。

 そのうち相手方の釣り書きが来るだろう」


「ええ!」


 驚く香に、父はさらに自慢する。


「わしは、先方にこう言ったのだ。

『うちの香は、長男と次男の間に生まれています。

 つまり、私の妻は男女両方生めるはらの持ち主ということになりますな。

 その遺伝を香は母から引き継いでいるのです』と」


「……」


 それを聞いた香の顔色が変わる。


「あなた」


 不穏な気配を感じ取り、母は父を止めようとした。だが、彼はそれに注意を払おうとせず、話を続ける。


「そして、わしはおまえの一学期の成績も見せた」


「そんな! 勝手にわたしのものを……

 しかも、あんな成績を他人に見せるなんて!」


 抗議をされて、父は首をかしげる。


「なぜ怒る? わしはおまえに学費を出している。

 つまり出資者なのだから、当然の権利だ。

 それに、あれはまったく見事だぞ。

 全教科が[可]とは狙ってとれるものではないが、見合いにはもってこいだ。

 落第するほどのバカではないが、

 男を尻に敷くほど賢すぎもしなくて知識の偏りも無く、ちょうどいい」


「……!」


 怒りのあまり香は絶句してしまう。


「そして身体測定でも健康そのもの。

 だから

 『香はきっと、そこそこ頭の良い丈夫な男の子を産みますよ。

  嫁にどうですか?』

 と持ちかけて回ったら、朗報が今日届いたのだ」


「…………お父さま、酷い! 

 これではまるで血統書つきのイヌを繁殖用に売りこむみたいではないですか!」


 やっとのことで香は声を張り上げたが、それを父は意に介さない。


「それがなぜ悪いのだ? 

 どこの家でも良い子を産める嫁を欲しがっている。

 需要があれば、供給するのが資本主義社会というものだ。

 そしておまえが良い家に嫁げば、康介も祥介も引き立ててもらえ、

 由井家は繁栄する。

 おまえ自身も、優秀な跡継ぎを産めば

 舅姑、そして夫に価値を認めてもらえるから大切にしてもらえる。

 産んだ息子が立派に成長すれば、母に孝行してくれるだろう。

 わしは、おまえが生涯にわたって苦労せず、

 幸せにくらせるように計らっているんだぞ。

 現代社会では、独身女性が経済的に自立するのは困難だ。

 かといって、

 わしらが死んだのちは

 由井家の長男である康介の援助を受けるというのも肩身が狭かろう。

 おまえはあいつの嫁と仲が悪いからな」


「それは、あの人が」


 抗議に耳を貸さず、父は自分の話を続ける。


「つまり、おまえが若くてきれいで商品価値が高いうちに良縁を引き寄せ、

 裕福な家へさっさと嫁に行って、

 そこの跡継ぎを生むのがもっとも楽な道なのだ。

 わしはおまえを幸せにするため、

 父親として愛情をもって行動しているのに、なぜわからんのか」


「わかりません! わたしはそんな古臭い価値観に縛られたくない! 

 わたしは自分の実力でもって、独立した人生を切り開いてみせます!」


「それは険しく厳しい道だぞ。おまえの能力では無理だ」


「無理ではありません! 絶対に、わたしはあきらめない!」


 憤然ふんぜんとして、香は席を立った。


「おい! まだ話は終わっていないぞ!」


 引き留める父の手をかわして、彼女は自室に向かう。その後ろ姿を見送って、母と父はそれぞれの思いを口にする。


「……香ちゃん。あなたは自分で思っているほど有能ではないし……

 職場でうまくやっていけるほど器用に世渡りができないのよ」


「このご時世、働く女への風当たりは強い。

 偏見による蔑視べっしは横行しているし、

 みだらな軽口でからむ男はたくさんいる。

 それをいちいちとがめず笑顔でかわすのが、

 職業婦人の心得とされているのだ。

 理不尽な話ではあるが、それが現実。しかし、香は……」


「先ほどのように、

 わたしたち両親に対しても、

 ちょっと気に食わないことを言われたら直球で猛抗議ですからねえ」


「もしも上司にあんな態度をとったら即座にクビ、

 職場に居残れたとしても腫れもの扱いで冷遇され出世は望めない。

 つまり昇給もなしだ。

 ただでさえ女性の基本給は低いのに、それでは経済的自立など見こめない。

 かと言って、あんな性格では

 [(みず)から営業する]と書く自営業はさらに無理だ。

 そのうえ親に似て、芸術的な才能もないときている」


「でも、それを面と向かって指摘したら、よけいにスネるでしょうし……」


「はあ」「ふう」


 父と母は、同時にため息をつく。


「どうしたものか」「どうしましょう」


 そして同じことを口にした。



 部屋に閉じこもり、香は手帳を取り出す。それには今日の会合で彼女がとった議事録がある。


(お手洗いが使えないと聞いて、あわてて帰ったものだから、

 松木さんに渡しそびれてしまった)


 あの時、香はそろそろ用を足したくなってきたが、気恥ずかしくて言い出せないでいた。そこにちょうど鹿島吉次郎が年寄り特有の不躾ぶしつけさで便所のことを口に出したので、彼女は便乗できるかと期待した。しかし、松木邸の便所が使用不可能と聞いて絶望し、香は鹿島と共に退出し、公園の公衆便所に急いだ。


(でも、それを利用しよう)


(議事録を必要とする松木さんは、絶対にわたし個人と連絡を取ろうとする。

 そうして二人きりになって親密に話して、他の人と差をつけてやる)


 香は、笛田晴子のことを思う。


(ゴザやら、お茶やらを準備して、

 男性の好感を得ようとするなんて、あざとすぎる)


(今日は出し抜かれてしまったけれど、次はわたしの番だ)


([真世界への道]の会合を取りまとめる松木さんに取り入って、

 わたしは中心に近づく。

 そして会の中で確かな地位を手に入れ、婦人活動家として頭角を現してやる)


(そうすれば、お父さまだってわたしの能力を認めざるを得ない)


 香は手帳をそっと胸に抱く。


 しかし、彼女の目論見は成功しなかった。


 次回に続く




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