動き出す針 其の三
記憶を振り切るかのように立ち上がり、落ちたシャーペンを拾い、携帯を片手にとる。
「真玉……真玉……」
アドレス帳の中から、真玉の文字を引っ張り出すと、十一桁の数字が表示される。
まだあれから一度も連絡をしていない相手に、急に電話なんてしてもいいものか。
そもそも、あの時でさえ緊張しっぱなしでまともに話せなかった女性に電話をしていいものか思い悩んでいた。
しかし、今日教室で見たあの人と同一人物なら、全く問題ないであろうこともまた事実。
千早は意を決してディスプレイに触れる。
プッ プッ プッ
なかなか繋がらない。
プッ プッ プッ
待っているこの時間が妙に長く感じられる。
プルルルル
――繋がった。
千早は何から話すべきか考えながら、携帯に耳をあてるが、なかなか相手側が応答しない。
「はい」
随分と長い間呼び出し音を聞いた後、電話口から声が聞こえた。
「もしもし、千早です」
「え? ……どなたですか?」
「え? あの、鳳です。この間の」
「…………この間? なんかありましたっけ?」
――なんだって?
千早は耳を疑った。
――なんかありましたっけ? 何言ってるんだこの人。
「あの、真玉琴巴さんですよね?」
思わず本人かどうか確かめてしまう。
「……そうですが」
「……婚約者に対してそれはないんじゃないんですかね」
思わず感情が露になる千早。
「……ああ! そうでしたね! そうですよね。千早さん、ごめんなさい。学校のことでつい……」
学校のこと、と聞いて、やはりそうなのかと半分確信をする。
「そのことでお聞きしたかったんですが。……俺のクラスの担任って、どうなってんですかね?」
「へ?」
「というか、大学生っておっしゃってましたよね?」
沈黙が電話口で漂う。
「そっちこそ、高校生って、なんですか」
今度は千早が口を噤む番だった。
確かに自分も祖父に大学生だ、と紹介されてしまった。同じ学校になんてならなければ、嘘をつき通せたのにどうなってるんだ、と千早は頭を抱える。
「それは、祖父が誤って紹介してしまっただけですよ。話がまとまると思ってなかったのかもしれませんね。それで? 琴巴さん、一体おいくつなんですか?」
「……ご存知の通り、二十三です。社会人二年目ですから」
「七つ上ですか」
「そうですが」
思ったよりは差が少なかったと千早は思ったが、色々と話しが違いすぎる。
「改めて、会ってお話したいんですが」
「結構です。会って話すこともありません」
さすがに千早もカチンときた。
「あの。婚約してくれって言ったのそっちだよな? その態度はないんじゃないの」
冷静がモットーの千早にとって、女性に感情をむき出しにするなどもってのほかだったが、自分で思っている以上に感情をコントロールできないでいるらしい。
「……気が変わったんです。このお話、なかったことにして下さい。……でもわかりました。失礼にあたりますし、お会いします。次の日土曜日でどうですか」
千早は素早く手帳を確認し、生徒会の仕事がないことだけを確認した。祖父や父の急な用事が入っても、真玉の令嬢との用事であれば見逃してくれるであろうと考える。
「土曜日で大丈夫です。昼過ぎ、二時頃にお迎えにあがりますよ。それまでお互い、整理しましょう」
それだけ言うと、千早は電話を切った。
携帯を片手に、先日の見合いの席を思い出す。
そもそも見合い話は祖父がもってきたもので、きっと真玉琴巴の意思とは無関係だろう。
そして、見合いを四度失敗していると言っていたことを思い出し、確かにあの調子では失敗もするだろうと妙に納得もした。だからこそ、恋がしたいという可愛らしい一面を垣間見た気がして、この偽装婚約を引き受けたのだ。
だが、今さっきの電話ではそんな可愛らしさはどこかに消えてなくなってしまっていた。
教室で見た、あの女性とも一致しないような気がして、千早はどれが正しい彼女なのかわからなくなっていた。
「ま、土曜にはわかるか」
この関係が続くか、それとも終わるか。土曜日まであと三日。
生徒会が忙しくなる前に色々な面倒事は終わらせておきたい千早は、最早この婚約に意味などないのでないかと考え始め、彼女次第ですぐにやめてしまおう、と思い始めていた。
なにやら不穏な動き……?
拙い文章をお読み頂き、ありがとうございます。