見合いという名の罠
春らしい空気が漂う四月の第一土曜日。
「千早、今日はお前も来い。大事な用がある」
夕方祖父から連絡があり、断る理由もなく迎えの車に乗り込んだ。
大事な用、と言う時は本当に大事な用なのだ。取引先との会食だとか。
オーダーメイドのネイビーのスーツを着込み、シルバーのネクタイを締める。少しでも年齢より年上にみられるようにわりと渋いネクタイを締めるようにしていた。
車が止まったのは有名な老舗の日本懐石料理店だ。
業務提携をすることで話がついた鳳グループと真玉財閥は、真玉財閥が経営するこの店で会食の席を設けていた。
「いやーやっと話がまとまったな」
「ああ、思ったより下の連中が駄々を捏ねたがうまくまとまってくれて何よりだ」
鳳グループ会長の鳳純一と真玉財閥社長の真玉誠は日本酒を交わしながら交渉が捗ったことに満足していた。
ホテル経営を中心とした鳳グループが、懐石料理を専門とする店を多くもつ真玉財閥と手を組み、より一層日本食に力を入れていこうという趣旨で業務提携の話が持ち上がってから二年、やっとの思いで重鎮を説得し今日に至ったのである。
そして、それと平行してもう一つの提携も話が進んでいた。
「それで、あの話ですが」
真玉が日本酒を注ぎながら、鳳に目配せをした。
「そうだったな。千早、今日はお前の見合いの席だ」
ゴホッゴホッ
その場で茶碗蒸しをほお張っていた千早は意味不明な言葉に驚きまだ熱い茶碗蒸しを喉に滑らせ咳き込んだ。
「なんの話ですか、おじい様」
「なにって、お前ねえ、目の前に座ってる麗しきお嬢さんを見てなんとも思わんのか」
目の前に座ってる女性――というとこの人だろうか。
控えめに桜が散りばめられた淡い桜色の振袖に身を包み、似合わない銀縁の眼鏡をかけ、先ほどから一言も口を利かず、ただ黙々と食事をしているこの人か。
「業務提携と同時に進んでいたのが、お前たちの見合いだよ。その……お互い歳も近いし、話が合うんじゃないかと思ってな。なぁ、真玉さん」
「あぁ。二人とも大学生ということで、結婚も視野に入れる時期だろう。これくらいで一度見合いをするのもいいかと思ってな」
にこにことする祖父たちの顔が少し引き攣っている。孫をなんの用意もなく見合いに連れ出したことへの罪悪感でいっぱい、という顔だ。
……ん? 大学生?
千早は聞こえた言葉にひっかかりを覚え、祖父を振り返る。
「おじい様! 俺、来週から高二なんですけど!?」
口元を押さえ、ぱくぱくさせながら必死の抗議をするも、祖父はうまくやれ、という顔をするだけだ。
ため息をつきながら、千早は仕方なく座り直す。
大学生から結婚なんて考える人はほとんどいない。いくらいいとこのお嬢様だって。
二人になったときにうまく断ってくれるよう頼もう、と重い口を開いた。
「鳳千早です。まだ経営を学んでいる最中で未熟者ですが、どうぞよろしく」
当たり障りのない挨拶だけで済ますのが千早流だ。
「真玉琴巴です。私はその……将来のことはまだ考えていないのですが、その……」
言葉に詰まった琴巴を見て、こういうはっきりしないタイプは苦手だ、と千早は思った。
「すみませんね、うちの孫はどうも人前が苦手でして」
すかさず真玉がフォローを入れるが、余計に琴巴は下を向いてしまった。
「なに、きっと我々がいるから話しにくいのでしょう。千早、食事が済んだら庭園で茶ができるように手配して頂いたから、二人で行ってきなさい」
この場で食後のお茶を断ることもできず、千早はため息まじりにはい、と答えた。
「行きましょうか」
全ての食事が済み、祖父たちは大量の日本酒で大変気分良くなっているようで、気分転換に外に出たくなり目の前の女性に声をかけた。
「あ……はい……」
慣れた手つきで袖をおさえ、綺麗に立ち上がるその姿は、大和撫子というに相応しかった。
庭園を歩きながら千早は早々に話を切り出した。
「この見合い話ですが……」
その声を聞き、琴巴は顔をあげた。
「このお話、ぜひお受けしたいと思います!」
直角九十度に下げた琴巴の頭から、飾られていたかんざしがぽとりと落ちた。
予想外の言葉に千早は言葉を失いつつも、落ちたかんざしを拾う。
「ひあぁぁぁぁごめんなさい!」
勢いよく千早の手からかんざしを受け取り、手の中におさめながら下を向く琴巴。
「あの……すみません……その……実は、私お見合いも五度目で……
そろそろおじい様に飽きられてしまいます。
といっても、形だけで構いません。少しの間だけ、フリをして下されば。
最終的に合わなかった、ということで結婚には至らなかった、として頂ければ結構です。お願いします」
目の前で再度頭を下げられ、千早は困惑した。
自分は彼女にこの見合いを断ってもらうよう頼みたかったのに、完全に立場が逆転している。
「……あなたはそれでいいんですか」
千早は目の前の女性を訝しげに見つめた。
きっと女性にとっては大事な時期であろう大学生活を、年齢を偽った自分と共に結婚一歩手前、という危なっかしい状態で過ごしてもいいものだろうか。
「はい。その……恥ずかしながら、初恋もまだでして……結婚なんてとんでも……」
あまりの恥ずかしさに顔を真っ赤にしているのがこの暗がりでもわかるほどだった。
こういうタイプは意外と頑固だ、と悟った千早は、彼女に手を差し伸べた。
「わかりました。あなたが良い恋ができるまで、ということですよね?
それならいいですよ。それに、あなたと婚約すれば、その間俺も自由、ってことですよね?
変に他の婚約話を持ってこられることもないだろうし。
てなわけで、利害関係の一致ってことで。
あなたが納得いく恋愛ができるよう、できるかぎりサポートしますよ。
偽の婚約者として」
「……あ、ありがとうございます……!!」
千早の手は宙に浮いたままだ。
琴巴は目の前に差し出された手をとることなく、かんざしを握りしめていた。
「あのー……これは、サポートはいらない、という意味でしょうかね」
意図を読み取れない千早は、宙に浮いた手を引っ込めることもできず、困惑していた。
「えっ? いえ、サポートは、ぜひ、お願いしたく!!」
なんとも謎な歯切れの良い返事が返ってきた。
「えと……すみません」
だんだん声が小さくなる目の前の女性の扱いに困った千早は、差し出した手を引っ込めた。
「琴巴さん、でしたよね。とりあえず連絡先教えてください。
今後のことは後日話し合いましょう。まだ緊張されてるようですし」
「はい……すみません……」
「……? なにか謝るようなことありました?」
「えと、いえ……すみません……」
その場でとりあえず連絡先を渡し、来週の土曜日までに連絡する、ということで話がついた。
席に戻ると、祖父たちは嬉しそうに二人を見た。
「おぉ、二人とも、話はまとまったかね?」
「どうだ、いいお嬢さんだろう」
酒が入るとどうしてこうも陽気になれるのか、と頭がくらくらする思いだったが、千早も約束は守らねば、と口を開いた。
「おじい様、琴巴さんとの婚約のお話、進めて頂いて構いません」
鳳は驚いた顔で千早を見て絶句していたが、相手は別だった。
「おぉ、千早くん、この話、受けてくれるかね。ありがとう、ありがとう。
さあ、一緒に飲もうじゃないか」
おちょこを追加で頼もうとする真玉を、結構です、と遠慮する千早。
それをじっと見つめる純一。
その視線に気づいた千早は、にこりと不気味な笑みを浮かべた。
こうして、周りを巻き込んだ偽装婚約生活が始まった。
はじめまして、九蘭颯です。
自分の高校時代、こんな事件が起こったら最高だったな……などと思いながら書いています。
なんとか最後まで書き上げ、皆を幸せに……できたらいいな。
誰もが幸せになることが人生じゃない。辛いことも乗り越えていくのが人生。
そんなことも交えながら書いてみたいと思います。
少しでも興味を持っていただけたら光栄です。