ノートの謎(前編)
「今日はこのお店の評判を聞いて相談をしに来たんです」
ある日の開店直後、お店が開くのを今か今かと待っていた様子の男性が入ってきた。どうやら彼は喫茶店の店長らしい。こないだ男性が謎を解いてもらったという話を聞いてここにやってきたのだという。
「いったいどうしたんですか?」
カリンが聞く。俺はその間に彼が注文した醤油ラーメンを作っているところだ。
「実はこのノートなんですが、どなたかの忘れ物のようなんです。床に落ちていたのを他のお客様が発見してくださったんですけど」
そう言って彼が取り出したのは一冊のノートだった。
「それで、誰が忘れたのかを調べようと思って中を読ませてもらったんですが……」
「中身を読んだだけでは持ち主に心当たりがなく、誰に返せばいいのか分からないということでいいんですか?」
カリンの推測に男性は頷く。
「こうしてもう数日ノートを預かっている状態なんです」
「それで、どうにか持ち主の推測をしたいのでこの店に相談しに来たと」
カリンはなるほど、と頷いてそのノートに目を通す。
「ちなみに忘れていきそうな候補の方は何人くらいいますかね?」
カリンの質問に今度は男性が懐からメモ帳を取り出す。
「3人です。1人はシンガーソングライターを目指している男性のAさん。2人目が本を読むことが好きな女性のBさん。3人目が勉強好きの男子学生Cさんです。その日は他にノートを取り出したお客様はいませんでしたし、全員がよく私の店でノートを取り出しているのを見ますから間違いないかと」
「なるほど。では、読ませていただきますね」
カリンがノートを読み始める。
「お待ち。ゆっくり食いな」
その間に俺は男性にラーメンを差し出す。
「ありがとうございます」
男性はそのままラーメンをすすり始めた。
「○月×日、今日はアメリカに行ってきた。自由の女神像がとても美しい。ハンバーガーがおいしかった。○月□日、今日はドイツに行ってきた。ハンバーグがおいしい……って何ですかこれ?」
ノートを読み始めたカリンだったが、数ページで声に出して読むのを投げ出してしまった。そのまま全体にさらっと目を通していく。
「アメリカに行った次の日にドイツに行くなんてどんな人ですか。いくら私が記憶喪失だからってさすがにどこに何の地名があるかくらいは分かりますよ。こんなの地理的条件をまったく無視してます」
というかむしろ怒っているようにも見える。その数分後にノートを読破したカリンの話によれば、他にも中国に行った次の日にオーストラリア、さらにその次の日にイギリスに行ったりしていたところもあったらしい。
「はい。ノートは終始こんな感じで、私としても推測のしようがなく、今回お力をお貸し頂きたいと思った次第で……」
ラーメンをほぼ食べ終わった男性はカリンにそう説明する。
「確かにこれでは誰の持ち物なのか判断が付きませんね。というか、このノートを真に受けて考えていたのではいつになっても真相には辿りつけないと思います」
カリンはそう言ってノートを閉じる。
「このノートに書かれていることは真実ではないでしょう。それに、いくつか引っかかる点もあります」
そう言って彼女はあるページを開く。
「例えば最初のここですけど、アメリカのハンバーガーがおいしいと書いた人が本場ドイツのハンバーグをおいしいとしか書かないのは不自然です。比較しているのならまだしもその描写すらありませんし」
それから、と彼女は今度は先ほど自分で言っていたオーストラリアのページを開ける。
「オーストラリアではカンガルーとコアラを見たらしいですが、中国では天津飯を食べ、小龍包を食べたそうです。これって変じゃないですか?」
「……それの何がおかしいんだ?」
俺が聞き返す。
「おかしいじゃないですか。どうして中国でパンダを見なかったんですか?」
「……そういやそうだな」
中国のパンダと言えば、世界的にも有名なものだ。よくテレビで特集が組まれるほど知名度もあるし、実際つい先日カリンは俺とその様子が詳しく説明されたテレビを一緒に見ていた。オーストラリアでコアラとカンガルーを見るような人間がパンダを見過ごすとは考えにくい。だが、それ以外にも気になるところがあったような気がする。
「それにもっとおかしいのはこの天津飯です。中国には天津飯はないって店主さんこないだ説明してくれましたよね?」
「俺が今引っかかったのはそれか」
俺も思い出す。そのテレビを見た時に昔聞きかじった程度の知識をカリンに説明していたのだ。
「つまり、このノートには偽りの情報ばかりが数多く示されてるってことです。ちょっと考えただけでもこれだけの不審な点があることを考えると、このノートの情報を頼りに持ち主を探すのは得策ではないでしょうね」
カリンはノートを閉じると、男性にそのノートを返す。
「そうですか……」
男性はがっかりしたような顔で立ち上がると、帰ろうとする。
「ただ、そのノートの持ち主を特定するくらいならできるかもしれません。今の情報である程度私の中でも考えがまとまりましたし」
男性はカリンのその言葉を聞いて笑顔を取り戻す。
「それじゃあ……」
「はい、ここからが本当の謎解きです」
カリンは自信たっぷりな表情でそう言い切った。




