アーシュ16歳11の月 フーブの町は
酒場が落ち着き、一定数の客がついたころ、工事の仕事に来ている人から、家族を呼びたいという話が上がった。短期ではなく、長期の仕事になりそうなこと、家族が住むのに環境がいいことなどが理由だそうだ。
「でもご家族は王都なんでしょ? こっちはずいぶん不便じゃない?」
「子供が産まれたばかりで置いてきたが、もともと身寄りがいるわけじゃねえし、ここなら職場も遠くねえ。どのくらいの仕事になるかわからねえが、少なくとも半年は離れずにいられる」
そう照れたように言う若い人だけでなく、家族を呼びたいという人が何人かいた。
「町の空き家を借り上げて整備するか、町長の使用人部屋を本来の用途に戻すか。新しく建てるか」
と悩んだ結果、町の空き家に少し手を入れて借り上げることになった。
「うーん、これは私の管轄外のような気がする」
だんだんそんな気がしてきた。住むところと食べることならアーシュに任せちゃえってなってない? よし、これはカッセさんたちに任せよう。
そうしてやるべきこととそうでないことを区別し、工事用の宿舎が出来上がったころ、コサル候が再びやってきた。
「話には聞いていたが、ずいぶんとにぎわっているな」
「でも宿舎ができたので、そろそろ建築の現場の人はダースに帰るはずですよ?」
「それなんだが」
コサル候により、私やウィルだけでなく、カッセさんなどの町の代表者、兵舎の副官、工事の責任者などが一通り集められた。
「これは春からのことになると思うが」
もう12の月にかかろうとしていた。
「ここフーブの町を独立させようという案が出ている」
「独立……北領からですか?」
カッセさんがそう聞き返した。
「北領からというより、フィンダリアからだ」
「「「ええー!」」」
部屋中に驚きが走った。
「すまん、正確に言うと、独立ではない。自治区といったほうが正しいか」
それならわかる。
「でもなぜですか。狭間を開通したら、ごく普通の国境の町に戻るはずです」
ウィルがそう首を傾げる。
「ウィルやアーシュ、皆がここで頑張ってくれている間に、あちこちで大きく物事が動いたのだ」
コサル候がそう話し始めた。
「まずユスフ様が、自らこの地の領主として来たいと主張した」
「何も領主じゃなくてもいいのではないですか?」
「王族はたいてい国内の貴族と婚姻を結び、つながりを強化するか、あるいは軍にかかわりフィンダリアを守る仕事に就くかする」
まあ、そんなところだろう。
「ユスフ様は、これからはこれまでのようにキリクとは疎遠ではいられないだろうと。帝国とキリクもこれまで以上に結び付くであろう中、フィンダリアが後れを取ってはならぬと主張したらしい。フーブから王都まで10日以上、何が起こっても王都に判断を仰いでいては決断に時間がかかりすぎると。また、ダンジョンの管理という大きな仕事もある。王族の自分が治めることで、辺境であっても迅速な判断ができ、また王家に忠実でいられるとおっしゃったらしい。それでも年若いことでもあり先のことと保留されていたらしいが」
コサル候は一度息を継いだ。
「セロがな」
「セロが!」
私は背筋がピンと伸びた。
「マリスに船で乗り込んできたらしい」
やっぱり。私はウィルとダンと目を合わせ、力強くうなずいた。やったんだね。
「マリスの領主とはすでに約束があったらしい。ノールからマリスまでとは、寄港地もないのに、無茶なことをしたものだ。そもそも、帝国の東端シュレムからノールまでだって航路などないのだぞ」
コサル候はあきれたようにそう言った。その危険をどんなに嬉々として乗り越えたことだろう。海を見つめるセロの姿が目の前にはっきりと浮かぶように思えた。
「たどりつけないこともありうるから、それほど多くは持たせられなかったようだが、キリクから穀物も届いたらしい。飼料も高騰しそうになっていたところに安心材料だ。すぐに王都に連絡が来て大騒ぎになった」
たどりつけない、その可能性は考えないようにしていた。しかし人の口から聞くとやはりつらかった。
「アーシュ、大丈夫だ。たどりついたんだ」
「ダン……」
ダンがそっと肩を背中を叩いてくれる。
「フィンダリアがキリクとつながる前に、帝国が直接キリクとつながる。こちらのほうが中央の面々にとっては脅威だろう。今まではフィンダリアを通してキリクとつながるしかなかったのに、そうではなくなる可能性があるのだからな。焦りもする。そこでユスフ様の案があっという間に通ったと、そういうわけだ」
なるほど。しかしそれではこれからフーブの町はどうなるのだろう。
「ノールとマリスはつながった。しかし、ノールはこれからキリクの中央との連絡があり、それから物資の移動があり、配分がある。まだまだ時間はかかる」
確かにそうだろう。
「とりあえず、町長の館を領主館として借り上げ、整えたい。それに合わせて中央からユスフ様についてくる役人の住むところ、そしていずれはキリクからの駐在大使などを住まわせるところもほしい」
そんなに話が進んでいるのか。
「したがって、人員の入れ替えはあってもしばらく建築の関係者はここにとどまってもらうし、また人数が増えるぞ、アーシュ」
ええ? なんで私……。
「それはカッセさんたちにお願いしてはどうでしょう」
「無茶言わんでくれ。急激な変化に元からの住民は慣れるだけで精一杯だ。できるだけ協力はするが、やはりアーシュやサラ、そしてウィルやダンにお願いしたいのだが」
ウィルがふっと口元を緩めた。
「わかりました。メリダからの魔道具の需要も増え、病への取り組みから魔石の流通も増える。俺の帝国の友もいずれキリクとの取引を大きくするつもりでいた。数年先だと思っていた流れが、少し早く来ただけのことだ。俺がキリク側の代表として、決断すべきことは決断します」
「では私とサラとマルは、住んでいる人が快適になるように調整する役割を」
「私は物資の流通を担います」
ウィルに続いて私もダンもそう宣言し、サラとマルもうなずいた。
「この危機にあなた方がいたことで、問題の解決が何年早まったことだろう。右往左往するどころか、このフーブの町ですら全滅しかねなかったのだ。感謝を、ただ感謝を」
コサル候は頭を下げ、町の人も兵舎の人もそれに倣った。
うん、すごく感動するシーンのように見える。でも、感謝したから、これからも面倒なことはやってねと、そういうことだよね。私たちは下げられた頭の上で視線を交わし、苦笑いしたのだった。成人しても、結局いろいろなことに巻き込まれているなあ。
夕食前のひと時、私は広がる草原を一人で眺めに行った。枯れた草が、冬の初めの冷たい風になびいている。今はまたノールだろうか。もうシュレムに戻っただろうか。マリスからなら、急げば二日でここまで来れる。
私は首を振った。セロの小さな船が、いくら荷物を積めたとしても限りがある。何往復もしなければならないだろう。草原にセロの影を追うより、今は航海の無事を祈ろう。待っているから。待っているから。




