アーシュ16歳10の月 捨てられてない!(ケナン視点)
今日もセロはぼんやりと馬に乗っている。俺はセロと並びながらそう思った。ぼんやりしていても姿勢良く、まったく体勢は崩れないのだが、抜け殻のようなセロを見ていると歯がゆくて仕方ない。
大切に思っていた婚約者に「待たない」と言われたのはそれはショックなんだろうが、そこまで引きずるほどのことだろうか。
俺は領主の三男だが、領地を継ぐのは長男だから、気楽なものだ。野心もないから、得意な剣を生かして王都の騎士団でかなりいいところまで行っていた。しかし、30年前の戦争以後、内政に専念する帝国は強大だが脅威ではなく、外敵のいないフィンダリアには戦う理由がなくなっていた。そのためいいところまで行ったという思いは単なる自己満足であり、剣も実戦向けというより、貴族のたしなみ程度に落ちていたのだということは、帝国の子羊たちに出会って初めて自覚したことだった。
勝負であっけなく負けてから、警護どころかいくら挑んでも勝てず、そのうち魔物があふれたという知らせになんの迷いもなく立ち上がった彼ら。どんどん話を進めていくウィルも、もしものことまで考えるアーシュも年下ながら尊敬に値する人物だったが、俺にとってはなんといってもセロだった。自分の役立つ領域を知り、出しゃばらない。方針が決まったら迷わず動く。
それが剣士としてものすごく気持ちがいい。セロが兵士に好かれるのはそのせいだろう。
昼休憩になり、馬から下りて、食べたくもなさそうに一人サンドをかじっているセロ。兵たちもちらちらと心配そうに見ている。
「そろそろしゃっきりとしろ、セロ」
アレクセイ様があきれたようにセロに声をかける。
「船の仕事はちゃんとやる。それ以外に口を出すな」
「ちゃんとできそうもないから声をかけているんだろう。女に捨てられたくらいでなんだ」
「捨てられてない! ただ」
「ただなんだ」
「待たないと言われただけだ」
セロはそれ以上話したくないと言わんばかりにサンドにかじりついた。
「やれやれ、ちょっと後押ししようとして兵舎の兵をそそのかしたのに、結局このざまか。アーシュも大変だな」
セロははっと顔をあげたが、またすぐにサンドに戻った。きっかけはアレクのおせっかいでも、結局自分が悪かったって思っているんだろう。
「やっぱりお前か、犯人は。どおりで機密が漏れたわけだよ」
ギルド総長とかいう優男が苦々しげにそう言った。それにしても子羊と言いギルド総長と言い、仮にも皇弟に気安すぎないか。
「帝国に行くということしか言っていない」
「ほっとけよ、アレク、若者同士のことなんだから」
「しかし歯がゆい」
「結果これだぞ。無事行ってこれんのかこれで」
セロを見てあーあと肩をすくめた。俺は一歩前に踏み出してアレクセイ様にこう言った。
「私も付いていきます。少しはお役にたてるかと思いますが」
「西領のところの三男か、確かに助かるが」
「セロは海路を疑う私の父親を、その意気込みだけで説得したつわものです。すぐに立ち直るかと」
「そうだといいがなあ」
「アーシュは確かにすばらしい少女ですが、失ってそこまで嘆くものですか」
失ってない。セロのほうから小さな声がした。俺たちの話は聞こえているようだ。
少し前、ダンとセロを連れてマリスの父のもとに連れて行った。もっとも彼らにしてみたら彼らが俺を連れて行ったというだろうが。国境はマリスにとっても遠いところではない。西領の領主として、父は状況を注視していたようだ。
だからダンがユスフ様からの推薦状を持ってやってきたことも、俺がそれに付いてきたことも歓迎してくれた。
特に特産のニーナの油を石鹸にするという案にはとても乗り気で、ダンジョンからの油を製油し、獣脂の生産もというダンの工場には、領主として最大限の援助をすると申し出てくれた。同時に、工事の関係でフーヴの町の物資が不足しそうであること、それをマリス方面からも賄いたいという考えには、よく先を見通していると感服しきりだった。
また、すでにナズの父とも知り合いだったことも大きい。
順調に行くかと思われた話し合いは、セロの港を使わせてほしいという言葉で止まった。
「港を使った交易など考えたこともない。ここは漁港であって、交易に使うほどの船が出入りする深さはない」
とにべもなかった。しかしセロはあきらめなかった。
「私の新しい船は漁船を少し大きくしたくらいの大きさで、キリクの漁港ですら出入りできる大きさです。今はなんのメリットもなくても、いずれ数年後、メリダからシュレムに届いた魔道具が二週間もしないで手に入るとなったらどうですか」
「む」
「しかも、キリクとの海路が開けたら、ノールの町の鍛冶の品が一週間で手に入る。マリスを経由して商売が盛んになる。何より」
セロは強い瞳で父を見た。
「マリスから穀物を運べれば、今年の冬、キリクは飢えずに済む。キリクには友だちがいるんだ」
利だけでは動かなかっただろう父は、その一言に負けたのだ。
しかし、そのセロは今はこんなふぬけた状態だ。
「小さな頃もこんなことあったなあ。セロとウィルが勝手に剣の修行に飛び出そうとして、アーシュを悲しませたこと」
ギルド総長はセロを見ながら静かにそう言った。
「あのときの原因は、なんだったかな。アーシュはセロを甘やかしすぎだと思ったが、ついに荒療治に出たかな」
「そんな幼いころからご存じなんですか」
「ああ。俺はどちらかというとアーシュの味方だがな」
「はあ」
なぜわざわざセロに聞こえるように言うんだろう。
「でも普通は婚約者なら待ってるっていうものじゃないですか」
「うーん。どうだろうなあ」
「それに、探して追いかけて来いなんて、けっこう気の強いこと言ってましたよね」
俺の言葉にギルド長はそれだという顔をした。
「ケナン、お前、意外と使えるやつだな」
「はあ?」
ふと気がつくと、セロが顔をあげていた。
「探して、追いかけて来い……。捨てられてない。俺、まだ捨てられてない!」
そうつぶやくと、立ち上がって草原のほうに走って行った。ギルド総長が、ほっと息をついた。
「やれやれ、やっとアーシュの言葉が全部しみ込んだか」
「なんのことです」
俺がそう聞き返すと、
「いっつもアーシュには何でも許してもらってたから、言わなくてもわかってくれてるって甘えていたんだろうよ」
アレクセイ様がそう言った。
「絶対他の男には振り向かないってわかってたから、ちゃんと話したり、はっきり分かる形で大事にしたりするのを怠ってたんだよ」
「それは私でもわかります。貴族のお嬢さん方にそれをやったらどんな評判を立てられるか」
「まあ、俺らは庶民だからなあ?」
ギルド総長がそう言って笑った。確かに、恋人というより家族のようだった。
「まだ16と18だ。無茶するところを本来は親が止めてもいい年頃だが、親もいねえ。自分たちで無意識にセーブしてたんだろうなあ。あと一歩が踏み出せねえ」
ギルド総長はアレクセイ様に首を傾げた。
「ん? この状況、何となく記憶にあるぞ?」
「叙爵の記念のパーティーの時だろう。あの頃から一歩も進んでないのか、あいつら」
「少なくとも婚約はして、対外的には牽制したってとこだな。あーあ、草原で剣を振りまわしてやがる」
「若いなあ。ほら、みんな! 少し休憩を延ばす! あそこで若さを持て余してるやつの相手をしてやってくれ!」
セロと訓練できるのならいつだってやる。アレクセイ様に付いていた兵もみんな草原に飛び出した。




