アーシュ16歳9の月 マリスへ
次の日、ダンはセロとケナンをお供に、さっそくマリスへ旅立った。
「何で俺が」
とはケナンのぼやきだが、ダンとセロは、せっかく領主の息子がいるのだからと手伝ってもらおうとしているのだろう。護衛だからということで私たちについて回っているケナンだが、状況が目まぐるしく変わるので、ついて来るだけで精一杯というようすである。今回も地元のマリスに戻ることになってあたふたしている。
こちらで宿の準備がなければ、私も付いていって町の雰囲気や、宿の立地などを確かめたいところだったが、ダンがしっかり見てきてくれるだろう。
「アーシュと俺は一緒に商売を立ちあげて来た仲じゃないか。アーシュの気になるところはちゃんとわかるから安心して任せるといい」
そう言って私にお茶目に片目をつぶって見せた後、セロを挑戦的に見たような気がしたが気のせいかもしれない。その一方で、もともと口数の少ないセロはいっそう静かだった。
「セロ」
声をかけるとセロはこちらに振り向いた。忙しくてゆっくり話す暇もない。けれど、
「マリスの海、楽しみだね」
そう言うと、少し笑って、
「ああ、よく見てくるよ、よく」
そう言って私の頬にそっと手を伸ばし、少しためらって頭をポンポンとなでてくれた。
「行ってらっしゃい」
と手を振る私に、ダンはしっかりと、ケナンは遠慮がちに手を振り返し、ただセロだけは何かが気になるように何度も振り返っていた。
バカなんだから。
私はくるりと町のほうに体を向けた。
何かを隠してるってことくらい、すぐにわかる。
狭間の前で今後の方針を決めたあの日、結局、セロたちが戻ってきたのは暗くなってからで、いつでも動けるように準備している私たちは技師たちとグレッグさん、それにジュストさんにレイさんに部屋を譲り、町長の使用人小屋へ移った。雑魚寝の用意はしたけれども、実際の使い心地を確かめるという名目だ。
男女別にするかどうかみんなで少し悩んだけれど、こういう機会はもうないだろうからと、久しぶりにみんなで一つの部屋で休むことになった。もちろん、サラは初めてなので恥ずかしそうな、わくわくしたような顔をしている。
使用人小屋といっても、家族がいる者のために作られており、寝室が二部屋と、台所と居間が付いているちゃんとした家だ。その二部屋の家具をどけると、広い部屋は6人ほどが寝られる部屋になる。
「懐かしいな、最初はわらの間に潜るだけだったのにな」
ウィルが懐かしそうにそう言う。
「うまやだもん、吹きさらしで、よく耐えられたと思うよ」
私もそう答えた。
「そう言えば、アーシュたちのメリダの話ってあんまり聞いたことがないわ」
とサラがうつ伏せになって枕を抱えたままそう言う。私が、
「私たちにとっては話すほどのことでもなかったし、そういえばそうだね。でも、帝国での暮らしそのものがサラにとってはおもしろかったんじゃない?」
と返すと、
「うん。でもね、ウィルとマルがキリクから離れて、どうしてメリダで冒険者になったのかは誰も話してくれないから」
と真剣な顔でそう言った。みんな、あー、という顔をした。その経緯については、ウィルもマルももうあまり気にしていないだろう。でもマッケニーさんにとっては今でも自分が許せない出来事だろうし、おそらく回りも気を遣って話さなかったんだろうな。
「サラ、話してもいいけど、楽しい話ばかりじゃないぞ」
ウィルは心配そうにそう言った。
「大丈夫。そのことで誰かのことを悪く思ったりしないから」
少しは話を聞いているのかな。トントン。その時、玄関から音がした。
「俺が行く」
セロがすばやく立ち上がると、剣を鞘ごと左手に抱えて玄関に向かった。
「誰だ」
「私だ」
なんだ、アレクだ。セロが扉を開けると、アレクが仏頂面をして立っていた。
「私がどんなにお前たちと一緒に過ごしたいかわかっていてこの仕打ちか」
「とは言ってもなあ。お前一人か?」
「こっそりまいてきたと言いたいところだが、騒ぎにならないようにちゃんと言ってきた。渋られたが、お前たち以上に強い護衛がここにいるかと言ったらしぶしぶ納得してくれたよ」
「しょうがない、入れよ。ご婦人がたがよければだぞ」
「おお、私は無害な男だぞ、おそらく大歓迎される」
「はっ、言ってろよ」
そんな会話を交わしてすぐにアレクはやってきた。はっと驚くサラだったが、私とマルは起き上がりもしないで、
「こんばんは、アレク」
と挨拶をした。
「前言を撤回する、セロ」
「前言の何をだ」
「私が無害だということだ」
「穏やかじゃないな」
「無害だと思われることはいらだたしいと今気づいた」
そうブツブツ言うアレクは私たちが驚かなかったことがお気に召さないらしい。
「そんなことより、さ、転がってみたかったんでしょ」
私が取り合わず促すと、
「むう」
といいながらも寝転がった。
「硬い」
「そうだねえ」
「狭い」
「なるほど」
「布団をかけてくれ」
「はいはい」
アレクに薄手の布団をかけてあげると、
「むう」
と言った。
しばらく誰も何も言わないでいると、
「いいな」
とつぶやいた。楽しいよね。仲のいい友達とこうしているとね。そうしてくるっとうつ伏せになると、こう言った。
「何か話すがいい」
「お前、やっぱり王族な」
ウィルがあきれてそう言った。
「ちょうどいい、俺たちがなぜメリダで冒険者になったかをサラに聞かせてやるところだった」
「それは私も聞いたことはないな、聞かせてくれ」
思い思いにうつ伏せになり、あるいは仰向けになりながら、私たちはウィルの話を聞いた。私たちはすでによく知っている話をもう一度。そしてサラとアレクは初めて聞く、義理の母親に捨てられた話を。
「何で泣くんだ、サラ」
ウィルは不思議そうにそう聞いた。
「だって、そんなつらい話、胸が痛くないわけないでしょ?」
サラは怒ったような声でそう答えた。
「私もその母親とやらに罰を与えてやりたいが」
アレクも同じようにそう言った。
「優しい人だったよ。ただ心が壊れただけだ。あえて誰が悪いかといえば、安易に結婚した父さんだろうし、その父さんも子どもをなくしたと思って十分苦しんだだろう。俺たちはだいたい幸せだったんだ。そしてその暮らしのおかげで、どこに行ってもどんな立場になっても自分を見失わないんだ。サラ、誰かを悪く思ったりしないんだろ?」
そう言ってウィルはサラの頭をなでた。
「だって」
「ありがとな、でもそういうわけなのさ」
そうウィルがおどけていると、マルが、
「そういうわけ。世界をまたにかけて剣を修業する兄妹のかっこいい話」
と続けた。いやいや、
「違うよね?」
そんな話じゃなかったよね。
「では世界をまたにかけて串焼きを制覇する話」
「それは近いかも」
マルが言うとなんだかその程度の話のような気がしてくる。
「もう、マルったら」
笑いだしたサラ。そんな和気あいあいとした話の中で、黙って私のことを気にしているセロ。なんかおかしいってわかるよね。
言いたいことは、はっきり言ったらいいのに。




