アーシュ16歳9の月 お前ってそういうやつだよ(ウィル視点)
「早くても3年後だと思っていたよ」
アレクが少し削れた狭間の大岩を見ながらつぶやいた。
「俺もだ。その頃にはみんなでフィンダリアを回り終わって、アーシュがフィンダリアのどこかで宿屋を開いていて、俺はその亭主で」
セロも岩を眺めながらつぶやく。
「しっかり者の奥さんなのに、旦那はふらふらしててって町の噂でさ」
「ふらふらしてること前提かよ、20才だぞ。ただのろくでなしだろ」
俺はそう突っ込んだ。がセロは聞き流す。
「アーシュのことだから、この町でもあっという間に溶け込んだように、きっとその町でも溶け込むんだ。だから安心してそこから始めようって思ってたんだよ」
「お前は勝手なやつだからな」
俺は容赦なく指摘する。セロは心外だという顔で俺を見た。
「俺が本当に勝手だったら、アーシュに宿屋なんかさせないよ」
「お前……」
「他のやつのために働かせたりしない。どこにだって連れて行くんだ。海にだってさ」
「まさか」
「一緒に並んで海風に当たるんだ。時には交代で見張りに立ち、苦難を共に分かち合う。そしてたとえ嵐にあったとしても」
セロのアイスブルーの目が見ているものが恐ろしかったのだろう、アレクが口を挟んだ。
「大丈夫だ。この大陸の海はめったなことでは荒れない。嵐のときは港にいればいいんだ」
しかしその言葉は宙に浮いた。
「最後まで、一緒だ」
まるでアレクの言葉が聞こえなかったように、夕暮れの草原にセロの言葉が落ちた。
ドカッ。セロが体を折った。
「うっ、ウィル、何を」
「何をじゃねえ。勝手に夢を見るな。勝手に将来を語るな。お前が何をやったとしても、結局アーシュに迷惑をかけるということだけはわかった」
俺はセロの腹を殴った手を顔の前でまた握った。
「残っても、去っても、結局アーシュに心配をかける。それならやっぱり、キリクと帝国のために働け」
「俺は俺の夢のためだけに働く。結果それがお前のためになるなら、それでいい」
「勝手なやつだ。だがそれでいい」
俺はやっと表情を和らげることができた。どんなにみんなと一緒の時間を過ごしても、こいつは結局心の中では一人だった。でもそれでいいんだ。
「子羊の中の一匹狼だな」
あきれたようなアレクに、
「すでに羊ですらないな」
とダンが突っ込んだ。確かに羊の皮をかぶっていただけかもしれないな。だが俺たちを見ろよ。
もう父さんのまねをしなくていいとわかっていても、何となく切れない俺の髪は草原になびき、剣で鍛えた大柄な体を際立たせる。静かに立つセロは細身ながらしなやかで、短く刈った銀の髪と相まって油断のならない空気をまとう。柔らかな笑みを浮かべるダンは、シャツにきちんとベストのボタンをとめ、辺境の町だというのに、若いながらも商人の落ち着きを見せている。
メリルで寄りそっていた子羊では、もうないんだ。
でも、それは別れを意味しない。それぞれの力を、それぞれのところで尽くす。そうだろう、アーシュ。
「ではセロ、行ってくれるか」
「もちろんだアレク。船はすでにできている。船員のあても一人いる」
「こちらでも海に詳しいものを一人つけよう」
アレクの言葉にそう返事をすると、セロはこう口に出した。
「あと一人、ケナンを連れて行く」
「ケナン? あの騎士の坊ちゃんか。なぜだ」
けっこう活躍しているんだが、発言が少ないから目立たないんだよなあ。坊ちゃんと言われて俺はケナンを気の毒に思った。
「マリスの領主の三男だ。マリスには大きめの漁港がある。いずれそこもつなげる」
「それにしても、本人にそこまでの覚悟があるか」
「ないだろうな」
セロはあっさりとそう言った。
「ないだろうなって、セロ……」
「フィンダリアの奴らで使えそうなのはコサル侯だけだ。あとは自分で考えて動くこともできない。平和な国だよ。その中で少なくともある程度優秀で、動きたいと思っていて、教えれば育つ奴、それがケナンだ」
なるほどな。
「侯爵の三男というのも助かる。本人が決断する前に連れていく」
鬼畜だな。
「セロは、とにかくまずノールとの航路を開いてくれ。もしお前が話してくれたように、昔は一週間で行けたとするなら、お前の新造船なら少なくとも同じだけの期間があれば行ける、はずだ。危険だがな」
先ほど嵐はないと言ったはずだが。
「もちろん、ちゃんとした船員を推薦する。もっともちゃんとしてたらそんな危険な船には乗らないと断るだろうがな」
アレクは皮肉げにそう言った。
「しかし、この冬が来るまでに、少しでも穀物を動かしておきたい。一度ノールまでの航路が通ったら、あとは北領の港から少しずつ物資を送るように陸路の体勢を整えるつもりだ」
「セロを使わず、最初からはできないのか。ノール側からは一日で北領に着くようだが」
セロがノールの漁師と出かけた時はそうだったはずだ。
「小さな漁村に、一日かけて見知らぬところまで荷物を運んで行けというわけにはいかない。運べる船もない。セロが行けることを証明したら、シュレムから船を北領に動かす。それにしても小さい船しか動かせない。収納袋を装備して、たくさんのものが運べるのはセロの船とメリダへの定期船だけなのだ。しかもメリダへの定期船はノールには大きくて入れない」
アレクはため息をついた。
「今のところ、ノールに行くことを想定して作ったセロの新造船が一番役に立つというわけだ」
セロは腕を組んで言った。
「いずれ行こうとしていた道だ。シュレムからノールまで。ウィルに会いにな」
「そうかよ」
俺は少し照れた。仕方ないだろう。
「だが、アーシュには」
アレクが気弱そうに言う。帝都にどっしりと落ち着かなければならない皇帝の代わりに、実働部隊として動いている皇弟がだ。これも仕方ない、体と心を救ってくれた、小さな姉のようなものだからな。
「後で話す」
セロはそう言った。
「後ってお前」
「マリスに行った後だ」
「そんな、そのあとすぐにたつつもりだろう。ギリギリではアーシュの気持ちがどうなる」
「わかってくれる」
「お前……」
そうして泣かせたことを忘れたのか。俺は忘れない。それを言おうとして口を開いた俺より、ダンが先に口を開いた。
「セロ」
「なんだ?」
セロはいぶかしげにダンを見た。
「俺はフィンダリアに残る」
「ダン、お前、帝国の物流に噛みたいんじゃないのか」
アレクが驚いたように言った。
「特別扱いということにしようと思っていたが」
「それはそれでありがたく。でもこの危機で、俺はフィンダリアに基礎を築く」
「そうか」
ダンは改めてセロを見た。
「お前、アーシュに安心しすぎなんだよ。いつだって周りを牽制して近づけさせないようにしているくせに、こんな時はあっという間に放りだす。無防備なままでな」
セロはぐっと詰まった。言い訳はある。キリクのため、ウィルとマルとサラのため。
「でもほんとは自分がしたいから、それに尽きるだろ」
その通りだから、何も言えない。
「だから言葉を尽くすんだ。建前じゃなく、本音で。それこそ、『やりたいから』の一言でアーシュはわかってくれるだろう。それすら惜しむようなら」
ダンはまっすぐにセロを見つめた。
「お前の後に控えている者は、いくらでもいるってことを覚えておけ。少なくとも俺は、ずっとフィンダリアでアーシュの側にいるぞ」
「……わかった」
セロはアーシュに言えるだろうか。ダンの言うことはもっともだ。でも、怖い。そうだろ、セロ。
すでに草原には、夕闇が落ちようとしていた。




