アーシュ16歳9の月 来た人は
次の日には、ユスフ王子は狭間の視察をし、街のようすを一通り眺めたら、午後からケナンとセロたちに連れられてダンジョンに入った。本来ダンジョンの中の視察など予定に入っていなかったはずだが、どうしても行きたかったのだろう。
本来止めるはずのロイスは一緒になってわくわくしているし、コサル侯は安全を確認した後で、渋い顔をしたが許可を出していた。保身を考えればユスフ王子に危険が及ぶようなことからは遠ざけるべきだろう。しかし、国内にダンジョンができたという非常事態に、親身になる王族を一人でも作りたかったということ、そしてセロたちへの信頼もあっての許可だったと思う。
一方、ある程度の探索が進んだら、ウィルは落ち着いたようで、私が宿泊場所にあくせくしているのと同時に、狭間をどうするかに関心が移っていた。
「もう二週間たつだろう」
「そうだね」
ダンジョンに行く一行を見送ったウィルと私は、今日も岩で埋まった狭間の前に立っている。
「まったく工事が始まらないよな」
「ほんとだね」
9の月を過ぎて10の月に入れば魔石以外にも収穫の終わった麦などが行き来するはずだった。しかし、
「これ、一カ月やそこらじゃ終わらないよな」
「うん」
ウィルは眉を曇らせる。
「俺さ、ノールでずいぶん鍛冶の様子を見て来たんだよ」
「知ってる。ウィルは鍛冶、セロは船。いつかメリダの魔道具師を呼びたいって言ってたね」
「そう。その時に聞いたんだ。ノールはキリクの北の端だ。それでも、剣をはじめ金属製品をけっこうフィンダリアに輸出しているんだ」
「そうなの。輸出しているにしても、帝国にだと思ってた」
キリクの人にとってフィンダリアは通過するだけ。ここの国境の利用は主に帝国かと思っていた。
「フィンダリアは帝国との境目でさえ低山地帯だ。鉱石はこのキリクとの境目の山脈沿いにしか産出しないらしい。だからこそコサル侯が、近くの町の採掘師を呼んだそうだが、いつまでも姿を見せないだろう。帝国でさえ顔を出そうとしているのにさ」
「そういえばそうだね」
「鉱石や金属はすぐになくても困らないかもしれない。けど、代わりに入って来る麦や食料品なんかは、なかったらもう今年の冬には困るんだよ」
ウィルは岩の向こうを透かすようにじっと見つめた。
「でもキリクの穀物は自給できていたよね?」
「10割じゃないんだよ。特に北の方はそうさ。春の植え付け前にわかっていたら生産を増やすこともできるだろうが、もう今年はある分で賄わなければならないとしたら?」
「でも、でもダンジョンの魔物の肉もあるでしょう」
「うん、それが救いだろう。おそらく、不作の年のための備蓄もある」
ウィルは不安を振り切るように、自分に言い聞かせるようにそう言った。
私は去年の今頃を思い出してみた。マルの婚約が決まった後、ノールで過ごした充実した日々のことを。
「去年ノールで、私が獣脂の作り方を教えてたのは知ってる?」
「ああ、みんな喜んでたよな、魚のフライも」
「そう。その時にね、レーションの作り方も教えて来たんだ」
「そう言えばそうか。あんまり興味がなかったからな」
「レーションそのものはまあいいとして、大事なのはオートミールなんだよ」
「ああ、懐かしいな、アーシュがもらってきて、教会の奥で蒸して潰して乾かしてたよな。魔力の訓練だからってずいぶん乾かすの手伝わされたよな」
ウィルが思い出してくすくす笑っている。
「あれ、燕麦だから」
「知ってるよ」
「うん、キリクは馬が多いから燕麦の産地でしょ? メリダと同じで、馬にしか使っていないんだから、ちゃんと転用すれば人間用の食べ物になるのにね」
ウィルははっとしてそうかという顔をした。
「なら! 今年の冬くらいはなんとかなるかもしれない!」
「問題は、ノールからどのくらい広まっているかなんだよ。まだ一年しかたっていない。食べ方も教えて来たけれど、今年の部族長会議で広まったかなあ」
「うーん、けっこう保守的な国だからなあ」
ウィルは腕を組んで唸り声を揚げた。
「俺頭はいいけど、だからと言って頭を使うのが好きなわけじゃないからな」
「残念な発言だよ」
私は思わずツッコんだ。
「剣だけ振れていたらどんなにいいか」
一つのところに留まって、みんなをまとめてダンジョンに入る。確かにウィルにはそれが合っているのかもしれない。
「岩を壊して運ぶのなんて専門外だしな。けど、正直なところ、どこまでフィンダリアがやってくれるのか。そしてキリク側はどうなっているんだろう」
そうなのだ。まったく連絡もつかないのだ。キリク側でどうなっているのか不安も大きい。
じりじりとした思いのなか、その次の日に待ちに待った帝国一行がやってきた。連絡が来てどれだけ急いだのだろう。結局マッケニー商会も途中で合流したようだ。
フーブの町の小ささに配慮したのか、騎馬と馬車の混成だが、驚くほど少人数でやってきていた。
「帝国からわざわざ痛み入ります。私はフィンダリア第二王子、ユスフと申します」
「うむ、皇弟アレクセイと申す。本来きちんと使者を立てるべきだが、キリクとの交易は我が国にとっても大切なもの。このような状況になり申しわけない」
まず王族同士での挨拶だ。アレクはすぐに表情を緩めると、ユスフ王子にこう言った。
「幼き頃お会いしたことがあるが、覚えておられるだろうか」
「はい! 騎士隊と混じっての剣の訓練をしている姿を、今でも忘れられません」
どうやら顔見知りと言えるようだ。仲の良いようすにほっとした空気が流れた。後ろの方では馬車から人が下りてくる。
馬車は三つだ。マッケニー商会のものが一つ、マッケニーさんが急いで下りてきてウィルとマルに飛びついて、二人を苦笑させている。そうやってみるとやっぱりマッケニーさんはウィルとそっくりで、周りの人からもそういう関係だったかと納得の視線が飛んでいる。
もう一つはアレク関係のものだろう。そしてもう一つが、
「あー、めんどくせえな」
懐かしい、メリダの言葉が聞こえる。
「よ、一か月ぶりだなあ?」
グレッグさんだ! グレッグさんは馬車から下りると伸びをして、セロの背中を手のひらでトン、と叩くと、私をぎゅっと抱きしめてくれた。
「アーシュ、セロ、ウィルとマル、はあっちか、災難だったなあ」
「ううん、できることをしただけだよ」
「そうか、お前たちにとっては災難でも、フィンダリアにとっては幸運だったってことだな」
グレッグさんは私を優しく眺めると、
「セロ?」
と声をかけた。セロは黙って頷いた。それだけで何か通じ合っているようだ。馬車からはまだ人が下りてきている。あれ?
「やあ、アーシュ、僕も一ヶ月ぶりかなあ」
ジュストさんだ!
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