アーシュ16歳8の月お茶販売
前庭には休憩用に天幕の張ってある場所があり、おあつらえむけにテーブルまで用意されている。私たちはそこをさっさと借りると、魔石コンロをとりだしてお茶の用意を始めた。こんな時のために、カップも結構用意してある。傍らではサラがドーナツの種を作っている。本当は少し寝かせるのだが、まあ、臨時だし大丈夫でしょう。
まだ、8の月だ。午後の日差しは暑い。そんな中、前庭ではさっそく手合わせが始まり、剣の音と歓声が響いている。何をやっているかとちらちらと眺める者もおり、やがて指示を出し終えたコサル侯も、フィンダリアの文官もやってきた。
「やれやれ、本当に出店を出す気か。君たちは本当に貴族なのか……」
あきれたように眺めている。
「だから何回も言っているように、元はメリダからの留学生。あえて何かと聞かれれば、私は」
ちょっと詰まった。私はなんだろう。
「子羊館の女将だろ」
ダンが優しくそう言った。そうだ、どんなに離れていても私のルーツは子羊館なのだ。
「私の仕事は宿屋の女将。冒険者でもあります。サラは」
「私はドーナツ屋さん」
「俺は生粋の商人だな」
サラはドーナツ屋さんだったのか。マッケニー商会の代表の姪でもあり、部族長の娘でもあるのだけれど、サラの中で今一番大きいのがそれなんだろう。なんだか嬉しそうだ。コサル侯は、
「正直、何を言っているかわからん。なんだか頭が痛い」
と頭を振っている。
「そんな時には冷たいお茶ですよ。さあ、これをどうぞ」
「うむ。ありがたい。こ、これは!」
コサル侯は冷たくて甘いお茶を一口飲むと、驚いて声を上げたがそのままごくごくと飲みほした。
「うまい……」
「もう一杯いかがですか?」
「いただこう」
そこでサラがドーナツを揚げ始めた。私は文官の人も呼んでお茶を振る舞った。
「うまい……」
「これはまた……」
サラは一回目のドーナツに手早く砂糖をまぶしている。手持ちの紙に巻いて、はいっと。
「直接かじるのか」
「まあ、外ですし」
「う、うむ」
文官さんもね。
「「「うまい……」」」
夏に揚げたてのドーナツもいいものです。しかし困った。
「うーん、みんな仕事中だからお金持ってないよね。今日は無料で振る舞うかあ」
「まあ、迷惑料だと思うか。どうやら俺たち、面倒をかけたみたいだしなあ」
ダンがうなずいてくれた。サラはもくもくとドーナツを揚げている。
「じゃあ、始めるよ」
「よし」
「冷たいお茶、甘いお茶いかがですかー!」
声を張り上げると、ドーナツの匂いにそわそわしていた人たちが集まってきた。お茶もドーナツもどんどん配っていく。こういう時はカップがたりなくなるので、大きな桶に水魔法でこっそり水を張り、使ったカップをどんどん洗って回していく。
いつの間にか前庭ではセロたちだけでなくあちこちで訓練が始まり、お茶を飲んでは参戦、あるいは観戦という、なんだかイベントみたいなことが起こっていたのだった。お茶もひと通り振る舞ったころ、やっとセロたちが戻ってきた。
「俺たちにもお茶くれ」
「やっと解放されたよ」
「まあ、結構満足できた」
最後はマルだ。
「もう少し相手をしてくれよ」
「まだ足りねえよ」
うん、どうして兵士たちってこう、自由なのかな。セロは帝国の学園でもこうして騎士科の生徒にからまれていたなあ。お茶をグイッと飲み干すと、ウィルは、
「じゃあ、俺たちが茶を出してるから、代わりにアーシュ行ってこい」
と私に振ってきた。
「え、でも」
「じゃあ、マルも行きますか」
「マル、満足したって言ってたでしょ!」
結局私も最後は疲れるまで剣の訓練となったのだった。
ケナンはそれを見てセロにしぶしぶ話しかけた。
「お前たちは、気にならないのか、妹や、その」
「婚約者だ」
「婚約者!」
どよめきが起きた。
「婚約者がああして、兵にまみれて剣を振っていても」
「気にならないが? アーシュはだいたい互角だしな。マルのほうが強いくらいだし」
「そういうことではなく」
「女だてらに?」
「それもある。けがをするかもしれない」
「だとしても、死ぬようなことはないだろう」
一見冷たいその言葉に、どよめきも収まった。
「フィンダリアにはダンジョンがないからな」
「ダンジョン……」
「ほら、想像もつかないって顔をしてるぜ。帝国でさえ兵の訓練にダンジョンを使うのになあ」
セロはあきれたようにそう言った。セロの実力がわかっている以上、兵たちも悔しいが余計なことは言えない。
「俺たちは冒険者だ。メリダでは日々ダンジョンに潜って魔物と戦っていた。中には死ぬやつもいる。剣の訓練はすなわち、死なないためなんだ。それをアーシュは何より知ってる」
「死なないため、か」
「メリダでは騎士団だって魔物から町を守るために戦うのさ」
「それにしては、あの二人は楽しそうだぞ」
息を切らしながらも口元は笑い、楽しそうに剣を交えている。
「8歳から休まず剣を続けて来たからな」
「そんな幼いころから」
「あいつらだって最初の叙爵は、涌きを収めたからだってこと、知っとけよ」
「まさか!」
「ちなみにダンを商人だってバカにするなよ。涌きに関わったとはいえ、商売を通して叙爵されるその手際をなめないほうがいい」
「……」
生意気なだけの若者ではなかった。
フィンダリアは平和な国だ。先の帝国の南部への侵略の時も、フィンダリアには火の粉は飛ばなかった。その後も併合した南部との調整で帝国が外に目を向けることはなく、だいぶ長いこと争いのない時代が続いている。
温暖で自然が豊かな平和な国だが、ただあえて不足を言うのならば、帝国には入って来るメリダの便利な魔道具が手に入りにくく、手に入ったとしても魔石は輸入頼みということだ。そんなフィンダリアにわざわざ帝国やキリクから人が来ることもあまりない。したがって兵も目的がないといえば、ない。
確かに、この若者たちに護衛はいらない。むしろサラとダンという戦わない二人に四人護衛がついていると言ってもいいくらいだ。そしてこの六人が本気になったら監視など意味がなく大きな問題を起こせるということでもある。
ケナンは背筋がぞくっとした。
10月12日2巻発売記念更新6日目。
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