アーシュ16歳8の月足止め
私はケナンという若者を見た。一見すると微笑みを浮かべているように見えるが、目はそうでもない。体つきはしっかりしている。メリダならば剣士と判断するが、フィンダリアで貴族の三男ならば騎士だろう。しかも侯爵の息子ならそこそこ地位は高い。不本意な仕事なのだろう。でもこっちだってそうだ。
私はダンに目配せした。ダンはうなずいて穏やかな調子でこう言った。
「特に大きな目的があるわけではないのですが、必要というのであれば旅程表を提出しましょう。ですが気ままな旅、案内などは必要ありません」
ケナンは明らかにムッとし、コサル侯は困ったなというように両手を広げた。
「大きな目的はないというが、エルクによると、いずれ商売を起こすことも考えているとのこと。そうなると、国益にもかかわることなので自由に、というわけにもいかないのだよ」
エルクとはナズの家名だ。春にナズの実家を訪れたことから、聞きこみが入ったのだろう。
さて、困った。正直なところ、そんな大きい問題とは考えていなかったのだ。しかし、ダンは気後れもせずこう言った。
「さて、そう言われても。国益と言いますが、私たちの商売でフィンダリアが損をするということは、まずない。それはエルクさんから説明があったと思いますが」
ダンがナズのお父さんを見ると、ナズのお父さんは深くうなずいた。しかし、コサル侯は、
「どうやらエルクは君たちのことを買っているようだが、まだ20歳にもなっていない若者たちだ。しかも爵位持ちの。成人しているとはいえ、できれば保護者を付けたい。あなた方に何かあっては、国際問題になるからな」
「保護者。それがこの若い騎士ですか」
セロがそう言った。口の端を少しゆがめて。その目は、お前ごときに俺たちが守れるのかとそう言っていた。二人の視線がぶつかる。
セロ……。挑発してるよね、これ。せっかくダンが穏やかに話を進めているんだけどな。私はちょっと頭が痛くなった。だって、私たちならセロがわざとやってるってわかるよ。でも対外的に見たらどうだろう?
帝国貴族のわがままなお坊ちゃまが、さっそく問題を起こそうとしているようにしか見えないんだけどな。
孤児だった私たちが、知らない人たちから見ればわがままな貴族にしか見えないなんて状況、ある意味ものすごくおもしろいんだけど、できればフィンダリアでも自由に過ごしたいからもめ事は起こしたくない。困ったなあ。
「いいんじゃないか、アーシュ」
「ウィル?」
「ついてきてもらえばさ。誰が来ても俺たちがしたいことは変わらないだろ」
「そうか、そうだよね」
「お貴族様となら部屋割で悩むこともなさそうだしな」
ウィルはニヤリとした。確かに、そう思えば気楽かもしれない。そのウィルの言葉に、ほっとするようすでコサル侯はこう話を進めた。
「部屋割などと。宿屋もこちらでお勧めの物を用意しますし、個室も取りましょう。今日は私の領主館にお泊りになればよろしい。もちろん、ケナンを筆頭にして必要な人材はすべてこちらでそろえるつもりだ」
コサル侯はそう言うとちらりと私たちに視線をよこす。
「お忍び、ということだろうか。ずいぶん身軽だが。それにしても、侍女や下働きの者も必要であろう。着替えなどもふさわしいものを用意しよう。できれば各町では町長の館にお招きするゆえ。特に今回はアーシュマリア殿がいらっしゃる。町によっては、そのお手を必要とするところもあるだろう」
私は胸がひんやりとする思いがした。自分が始めてしまったこととはいえ、病の治療はつらいものだった。やっと帝国でも私の手を離れ、医者がきちんと治療できるようになったのに。フィンダリアも帝国まで医者を派遣して訓練していたのではなかったか。また、帝国ほど患者は多くないのではなかったのか。
顔色をなくした私の肩をセロはぎゅっとつかむと、先ほどまでの挑戦的な姿勢ではなく、落ち着いた声で話し始めた。
「こちらも正直にうかがいます。帝国貴族は、ごく普通にフィンダリアに旅行に来ることはないのですか」
話が急に戻ったので、コサル侯は首を傾げたが、
「いや、数は多くはないが、旅行に来ることはある。普通に、というのがどういうことを指すのかはわからぬが」
「俺が言いたいのは、すべての帝国貴族に保護者を付け、領主館に招くのかということです」
「いや、それはない。が、あなた方は年若い。はじめに言ったように、聖女もいて、キリクにとって大事な方もいる。通常の貴族と同様には扱えないということだ」
セロはいっそう声を押さえた。
「私たちは帝国から爵位をもらっている。しかし、帝国人ではないということを理解してもらいたい」
「そう言えば、メリダからの留学生か……」
「その通りです。帝国には留学生としてきました。無事卒業し、いつか来てみたかったフィンダリアにやっとたどりついたところなんだ」
そうだ、セロとウィルはまだフィンダリアには来たことがないんだった。
「いろいろあって帝国での地位を得ましたが、それは俺たちの本質ではない。俺たちはメリダ人で、冒険者なんだ」
コサル侯は、それがどうしたという顔をした。セロは言い聞かせるようにこう言った。
「ひとつ。帝国の影響を警戒しているのなら、それはない。俺たちは帝国の利害を何も背負っていない」
コサル公をじっと見る。そしてセロはケナンに目を向けた。視線がぶつかる。
「ふたつ。俺たちは冒険者だ。剣も魔法も、向けるのは魔物にのみ。もめ事は持ち込まれない限りは起こしたことはない」
まるでもめ事はお前だというようににらみつける。さらに続ける。
「三つ。俺たちは一人ひとりが最高レベルの冒険者だ。守ってもらう必要はない」
セロはまたコサル侯に視線を戻した。
「四つ。帝国での病は、親しい人を治したことがきっかけであり、結果として国を救うことになったが、それがアーシュの使命ではない。それをフィンダリアで当然のように要求される筋合いもない。アーシュを聖女と呼ぶな。アーシュを利用しようとするな」
一言一言、区切るようにそう言った。セロ。
「五つ。したがって、お守りなど必要ない。これまで通り、安い宿屋に気ままに泊まって旅をする。その意志を無視して付き添いを付けるというのであれば、それは保護ではなく監視であって、権利の侵害と見なす。俺たちの旅が、貴族のお坊ちゃまに耐えられるとは思わないしな」
宣伝:10月12日『この手の中を、守りたい』2巻が出ます。




