アーシュ15歳8の月ノールへ
マルの婚約が成り、盛り上がった力比べも落ち着いたころ、私たちはマッケニーの領地にある街、ノールに向かった。
ニコとブランは力比べなどそっちのけでダンジョンに潜っていたが、私たちが北に向かうと聞いて大喜びでついて来てくれた。
マルの婚約については、
「おまえがなあ」
としきりに心配していたが、祝福はしてくれた。私のこともマルのこともマリアとソフィーに話すのが楽しみらしい。マルはああ見えて家事は何でも得意だ。料理はうまいし、掃除もてきぱき、刺繍だってできる。ただ少し、何というか少し、そう、夢中になると物事が見えにくいというか。
私が一生懸命、ニコとブランにマルは大丈夫と説明したのだが、2人は私をかわいそうなものを見るような目で見るのだった。
「それ、そのままアーシュに当てはまるからな」
「まあ、セロとオーランドがそれでいいんだからいいんじゃないか」
「待て、オーランドは知らないんじゃないか?」
「それなら知らないままのほうがいいだろう」
失礼な。私と同じならますます大丈夫に違いない。
キリクのダンジョンは帝国のダンジョンと違って涌きははっきりあるのだそうだ。外から冒険者が来ることはほとんどないのだが、魔物を少しでも多く間引いてくれる強者はいつでも歓迎されるらしい。そのためニコとブランの同行もあっさりと許可が下りたのだ。
帝国に来てダンジョンの魔物が少ないと気づいた頃、私はメリルから遠いからかな、と思っていた。メリルの東には魔物がいるという大陸があるため、東には航路がないと聞いた。つまり、西に行けばいくほど魔物の勢いが弱くなるのかと。しかしキリクのダンジョンは帝国よりも魔物が多い。不思議なことだ。
馬車で1週間の距離だが、私たちは今度こそ馬に乗せてもらった。毎日筋肉痛で大変だったが、秋の気配がする草原を馬で駆け抜ける爽快さと言ったらなかった。それでも慎重に一週間、ノールに着いた。
大鹿の放牧に天幕を使うことはあるが、基本的にはキリクの人は街に定住している。北寄りでやや寒く風の強いノールは、どっしりとした石造りの建物が多かった。街の入り口から大きな湾と、小さな船がいくつか見えた。湾の入り口が狭いため海が荒れても湾内はあまり影響を受けず、一定の漁獲量があるそうだ。また、山沿いからは鍛冶の音がかすかに聞こえる。
ノールについてニコとブランはさっそくダンジョンに行ってしまった。
しかし、私たちはまずノールの街を見て回った。族長の館は大きく敷地が広いが、それはみんなが集まるからであって、族長がぜいたくな暮らしをしているわけではなかった。また、スラムのようなところもない。
「ダンジョンの利益は貢献順に分配されるのでな。そこまで貧富の差はない」
「孤児が見当たらないようですが」
私が聞くと、
「部族の者はある年齢になると集められて訓練を行うから、親のいない子でも部族で面倒を見ているんだ。孤児がいないわけではないが、誰かが必ず面倒を見ているよ」
と言う。いい国だと思う。
「しかしな、男はダンジョンでみんなのために働く、女はそれを支える、常に部族単位でやるべきことが決まりすぎていて自由がない、と感じるものもいるのさ」
スティーヴンさんがそうつけ加えた。
「たとえばもっと勉強をしたい、と思っても、それがキリクで役に立つわけではないだろう。だから高等学校などないわけだ。また、商売に関わりたいと思うだろう。しかし、新規の商売など必要とされていない。結局ダンジョンに入るか、既存の職業に就くかの選択肢しかないんだ」
「たいていはそれで満足しているんだ。それにノールでは漁師と鍛冶やと言う選択肢もあるしな。戦いたくなければ中央に行き農業に就くこともできる。そういった移住も部族長会議で話し合われ、許可されるんだ」
「だからやりたいことがすぐできるわけではないんだよ。私には窮屈でしかたない」
「兄さんみたいに出て行く人は少ないんだがな」
「外に出たい人を、マッケニー商会で引き受けるわけにはいかないのか?」
「うちでか?今までいなかったからな」
ウィルが話に加わった。私もちょっと話してみた。
「例えば帝都にキリク専用の寮、宿舎みたいなのを作るんですよ。マッケニー商会で下働きをしつつ、言葉を覚えたり、いろいろな経験を積んだりする。マルのお店で働いてもいいし」
「まあ、商会が儲かっていることは確かだからな。そのくらいの余裕はある。利益は施設を整備することでキリクに還元してきたつもりだが、別のやり方もあるか」
「勉強したい人の留学前の研修にも使えますよ」
「ふむ」
ケネスさんに族長、スティーヴンさんが三人で話し合っている。
「来年の部族長会議でこの案を出してみようか」
「現状に不満を持っている若者は一定数いるからな。他の領地からも受け入れることにすれば……」
「行きっぱなしになるのは困るが、何人かはキリクによいものをもたらしてくれるだろう」
ひととおり街を見ると、セロは船を見に、ウィルとダンは鍛冶を見に行ってしまった。私とマルは館に残り、サラに約束したドーナツを作ることにした。
移動の間サラともずっと一緒だったが、まるでマルとは姉妹のように似ていた。マルの聞き分けを良くして、大人しくさせて、いい子にさせたような女の子だった。それではまるで違う人だろうって?いやいや、表情が変わらないところ、食べることが好きなこと、夢中になると案外周りがみえないところなんかほとんど一緒で、ウィルが気にかけるのがとてもよくわかった。私とマルは妹ができたみたいに喜んだ。もっとも、後で聞いたらサラも妹ができたみたいと思っていたらしい。3人、同い年なのにね。
ドーナツ用の材料と獣脂は持ってきていたので、館の庭でドーナツをあげた。いいにおいに、訓練していた小さい子や、手の空いた女衆が集まってきた。揚げたてドーナツに、砂糖を少し。はい、どうぞ。
「おいしい!」
「こんなもの初めて食べたよ!」
あげてもあげてもなくなっていく。次第に男の人も集まってきて、ついにドーナツのたねがなくなってしまった。
「また明日、ドーナツあげますから!」
ということで解放してもらった。やれやれ。
「ねえ、サラ、漁港でしょ。魚を油であげたりしないの?」
「塩焼きにしたり、煮たりオーブンで焼いたりはするけれど、こんなにたくさんの油を使ったりしないわ」
「えっと、ダンジョンから魔物の肉は取れるんでしょ?油は?」
「油?肉と皮だけよ?」
ドーナツの揚げ油はドーナツにしか使えない。もし魚をあげるとすれば、新しい油がいるのだが……。
「えっと、解体所は……」
「ダンジョンの中よ。私はあまり行ったことがないの」
ダンジョンの中だって!
「だって解体して残ったものはそのままダンジョンにおいてくればいいわけだから」
確かに。目からうろこだ。ダンジョンからは良質なお肉と皮だけ持ち出せばいいと。メリダでは外で解体して骨や何かはまたダンジョンに入れてたもんな。よし。明日はダンジョンに行って、獣脂をとらせてもらおう。忙しくなってきた。




