アーシュ14歳9の月1週目
9の月の1週目は、選択を決めるためのお試し授業だった。朝はやっぱり6時から剣の訓練だ。昼は宿題もなく、のんびりと過ごし、空いた時間はナズとフローレンスとフィンダリア語の勉強をした。
侯爵令嬢には取り巻きが付き物のはずだが、アレクと婚約していたために、勢力争いからは外れていたのだという。つまりさみしく過ごしていたので、今お友だちがいるのは楽しい事なのよって笑っていた。
ナズが少し片言なのは、帝国語を話す機会がなかったからだけなので、みんなでおしゃべりをしている間にどんどんうまくなっていった。ハルクもだ。
買い物も順調に済んだ。バターは高級品かと思ったが、メリダで主に使っていたココの実の油よりは安かった。クリームはコミルの実に比べたら高くつくが、お砂糖は少し安い。コスト的にはメリダと大して変わらずにできそうだ。
ポイントは、やはりコッカの卵をいかにしっかり泡立てるか。バターもしっかりふんわりとさせる。ぜいたくに白っぽいお砂糖を使う。小麦粉を混ぜて、たったこれだけなのだが、寮の調理室にいい香りが広がった。
うん、ふんわり。しかし試食の人数が多い。ダンとウィルと、アロイスとテオドールとエーベル、フーゴとハルクとベルノルトとライナーと、イザーク?
「買い物に付き合っただろう。結果を知る権利がある」
もっともです。ありがとう。セロは甘いものはそれほどでもないので苦笑して見ている。女子?ギラギラしておりますとも。さて、お茶にクリームとお砂糖を入れてと。どうぞ。
「お茶にクリームとお砂糖?こんなにたくさん?」
はい、フローレンス。飲んでみて?
「っ!なんて芳醇な味。お茶なのにぜいたくで、これだけでデザートみたい」
ケーキはいかが?
「フワッとしているのにバターの豊かな風味が広がって口の中で溶けていく。至福だ……」
フーゴ……。聞いてないし。イザーク?
「うむ。買い物につきあったかいがあった」
よろしい。
「メリダの子羊亭のものとはだいぶ違うね、アーシュ」
「うん、ダン、油の種類を変えただけなんだよ、どう?」
「行ける!この甘さには本当はガガがいいんだけど」
「やっぱりまだ見つからない?」
「うん。でも、問題はこのお茶とケーキが帝都で受け入れられるかだよ。みんな、どうだ?」
みんな無言でうなずいている。しかしフーゴが難しい顔をして言った。
「このふんわり感は新しい。けど、お菓子職人なら、すぐまねをする。お茶ならましてそうだ」
「メリダではガガがあったからな。まねできなかったんだけど。帝国では特許はないのか」
「ある。それを勧めようと思ってたんだ」
「製法か、製品か」
「材料は平凡だからな。その製法で作った商品ということで登録だな。お茶は無理だろう」
「お茶とケーキ1切れで1000ギル。いけるか」
「いける。俺にも噛ませろ」
「お前んち商売は」
「食肉と皮革、それから衣類だ」
「関係ないからダメだ」
「店舗とか探せるぞ」
「それは当てがある。今回は買い物以外絡んでないだろう。別の時にしろ」
「他にも商売の種があるのか、やっぱりお前らおもしろいな」
さすが商人の息子たち。トントンと話が進んでいる。店舗の当てってなんだろう。
「ふんわり感のあるお菓子って、帝国にもあまりないの?」
「ないな」
「もっとふんわりしたケーキもあるんだけど」
「作ってみてくれ!」
ということで次の日シフォンケーキを作った。クリームをゆるく泡立てて添える。
「これも特許だ!」
1週目のうちに、商業ギルドに連れていかれ、バターケーキとシフォンケーキの二つが登録された。商業ギルドには私は口座を持っているし、既にメリダでの実績もある。簡単に登録できて一安心だ。
「なあ、週末うちに来いよ。うちの商売見せたいんだよ」
フーゴに誘われた。フローレンスにもだ。
「うちもですわ。バターとクリームを使ったものの幅が広がることを家の者にも教えたいの」
それにダンが答えた。
「今週は予定が決まってるからな」
「何がある?」
「ダンジョンと市場調査」
「俺も行く」
「ダンジョンは行ってもしょうがないだろ」
「ダンだってそうだろ」
「退屈しても知らないぞ。中には入らないし」
「何でもやってはみるものだろ」
「俺たちも行く」
「ベルノルト、ライナー」
セロがため息をついた。今週の放課後は、ずっと騎士科の面々の相手をさせられてちょっと疲れていたのだ。セロとウィルに勝てないものだから、次々と挑戦者が出てくる。
「ダンジョンに入るなら冒険者にならなくちゃダメなんだ。冒険者になるのを家が許すとは思えない」
「説得してくるから」
「ダメだ。ダンジョンでは死ぬやつもいる。剣が強いだけで入っていいものじゃないんだ」
「俺たちの強さじゃたりないってことか!」
ベルノルトが声を荒げた。セロはうんざりして、更に説得しようとした。
「親の許可をもらってきたらいいんじゃない」
私は冷たく言った。しかしベルノルトは気づかず、素直に顔が輝いた。
「やった、やっぱり実戦だよな。ありがとう、アーシュ」
「アーシュ……」
セロが何か言いかけ、みんなは気がついて静かになった。
「ベルノルト、あなた」
私は呼びかけた。
「ダンジョンって、魔物を倒して強くなる、簡単な場所だと思ってるでしょ」
「だって、剣姫だって癒し姫だって行けるとこなんだろ。12歳になってればなれるって聞いたし」
「ベルノルト、やめろ」
「え、なんで、お前だって冒険者になったんだろ。俺アーシュに答えてるだけだぞ」
テオドールが止めたが、まだ言っている。
「オーガとかどんな感じなんだろうな」
「だから言ったろ、アーシュ。ベルノルト、お前は連れていかない」
「セロ、なんで!」
「やめろって!ベルノルト!」
「テオドール、お前も、なんでだよ」
「アーシュの父さんは、ダンジョンで亡くなったんだよ……」
「え……」
「アーシュたちはメリダではな、冒険者をやって自活しながら、冒険者が安全に帰ってこられるよう、しっかり食事を取る手伝いをずっとしてたんだ」
「ねえ、ベルノルト」
「……はい」
「父ちゃんが死んだのはね、もうずっと前なの。その事はもうしかたないことなの。けどね、メリダの人にとって、ダンジョンは生活の場なの」
「生活?」
「私たちは10歳からダンジョンに入ってる。何のため?ご飯を食べるお金を稼ぐため。10歳のセロとウィルが2人で1日2000ギル稼いでくれた。それで8歳の私とマルを養ってくれたの」
「10歳に、8歳」
「そこから二年間、ダンジョンで魔物を解体し、荷物持ちをし、戦闘訓練をして、やっと12歳で冒険者になった」
私はベルノルトを見て言った。
「12歳でいきなり冒険者になる人もいる。けど、訓練してないと、怪我もするしヘタをすると死ぬ。アロイスやテオドールも、エーベルも、メリダできちんと訓練を積んで冒険者になったんだよ」
「解体は最初はキツかったなあ」
テオドールがそう口を挟んだ。
「でも、倒した魔物は持って帰るのが基本。切り捨てて帰るんじゃないからね。ダンジョンは命をかけた仕事場。遊びで行くのは、他の冒険者の狩場を荒らすことにもなる。私たちだって、ダンジョンに行くのは肉のためと、お金を少しでもかせぐためなんだよ」
部屋が静かになってしまった。
「ごめんね、少し刺激の強い話だったかな。ダンジョンにはちゃんと向き合う気になったら来たらいい。今の考えのままではダメ。いい?」
ベルノルトは静かに頷いた。テオドールがぼそっとつぶやいた。
「そもそも剣姫と癒し姫にだってかなわないくせにな」
「何だって?」
もう、ケーキの話だったよね?




