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同族殺しは愚者である  作者: 三月弥生
第二章 慕情結句
22/111

    黒の美鬼(2)



「………………」


「ナ……ナナキさん」


 空から降り注ぐ日の光を浴びて水面を煌めかせる湖、その畔に佇む黒の妖花は注ぐ光すら吸い込む漆黒を纏ってなお美しい佇まいを崩さない。そんな美女を前して名無は眼を細め、いきなり抱き抱えられ混乱していたレラもナナキの肌に触れ心色を読み只ならぬ状況に陥ったのだと察知する。


(見た瞬間、寒気が奔った……それに何だ、この違和感は?)


 名無は抱えていたレラを自分の後ろに隠し、大刀を握る手に力を込め……そして緩めるという不可解な行動を何度も繰り返していた。

 自分達の前に姿を見せた女性に警戒心を抱いているというのに、それとは裏腹に敵意が萎え身体から力が抜けていくような奇妙な感覚。だが同時に、ここで武器を手放してはならないと多くの死線をくぐり抜け培われ、磨き抜かれた名無の第六感が警鐘を鳴らしていた。

 ――目の前にいる人物は只者では無い、と。


「そう怖い顔をしないでちょうだい。と言うより、初対面の相手にそんな無粋な物を……」


 警戒を緩めない名無に微笑みを向けていた美女だったが、不意にその笑みが驚きの色を宿す。


「風変わりの……に、その左眼…………。そう、貴方が…………」


「………………」


 何かに驚いたと思えば、今度は艶やかな笑みを強める美女。いったい彼女が何を考えているのか分からず、名無は鋭い眼光を向け臨戦態勢を維持し続ける。


「あら、ごめんなさいね。彼方を笑ったわけではないの……それに、このまま睨み合っていても時間が勿体ないわ」


 少しもぶれること無く大刀を構える名無を前に、美女は流れるような所作でスカートをつまみ優雅に頭を垂れる。


「私の名はエルマリア・ノイン・ヴァルファール、魔族の中で長生きだけが取り柄のしがない吸血鬼よ」


「吸血鬼…………っ」


 焦りと動揺こそ顔に出さなかったものの、名無は自分が取ってしまった行動が余りに軽率だったと後悔した。だが、名無が前もって考えていた対応を捨ててまで武器を向けてしまったのも無理は無い。

 彼女自身、長生きだけが取り柄だと口にしていながら問答無用で凶器を向けられたというのに全く力みを感じない自然体である。その一方で隙だらけのようで一分の隙も見えず、色気と共にひしひしと溢れ出ている強者としての存在感が突発的に名無を戦闘状態へと完全に移行させたのだ。


(どうする、すでに彼女の中では俺は敵だと認識されてしまったはずだ。武器を手放して戦う意志がないことを示すか? いや、武器が有ろうと無かろうと魔法という手段もある。油断を誘う手だと勘違いされたら余計に事態を拗らせかねない)


 ――取るべき対応を間違えた。

 今更それを悔やんでも意味は無いが、せめてエルマリアに一目で吸血鬼と分かる特徴があればこうはならなかっただろう。

 自分が知る吸血鬼は髪の色が金や銀、目の色は地のように紅く肌が病的なまでに白い人とは全く異なる空想上の生物だ。他にも吸血鬼に対する固定概念はあるがエルマリアにはそれが無い。


 普通の人間、それも日本人と然程変わりない黒い髪と瞳、肌も健康的で耳も尖ってはいない。唯一該当するものがあるとすれば、年齢や性別に関係なく誰もが敬い讃える類い希無い美貌を持っているという点だけ。自分以外の普通の人間がエルマリアを見ればそもそも彼女が吸血鬼であると言うことすら考えもせず声を掛けるであろう事は容易に想像できる。

 しかし、今の現状はそんな色恋とは程遠い。こちらの行動次第で一気に戦闘に入りかねない。

 流れた時間は戻らない……名無はエルマリアに対し何が最善となるのか目まぐるしく模索する。その時間は数秒程度のものだったが、今の彼にはそれ以上の時間に感じた。


「私に貴方達と争う気は無いないわ……許してくれないかしら?」


 しかし、緊張に身を強ばらせていた名無とレラに向かってエルマリアの方が先に頭を下げた。状況からして彼女が謝る理由は無い、むしろ彼女の姿を見ただけで過剰とも言える反応をした名無が謝らなければならないのだが……。

 二人はエルマリアの謝罪に戸惑いの表情を浮かべる。


「何故、貴女が謝る?」


「見たところ私の――吸血鬼の事を知らないみたいだけど、本能的に私を危険だと感じ取ったのでしょう? それに今も背中で隠している女の子を護ろうとしている、誰が見ても私が不用意に貴男を警戒させていると分かるわ」


「……出会い頭に不躾な真似をしてしまってすまなかった、俺も貴女と戦う気は無い」


「なら、お互いに誤解が解けたと言う事で良いでしょう。それより、早く湖から上がった方が良いわ。暖かいと言っても濡れた服のままだと風邪をひいてしまうかもしれないわ」


「ああ、そうしよう……レラもすまなかった」


「あ、謝らないでください。私も吸血鬼の方を見るのは初めてで……力になれなくて、ごめんなさい」


「君が謝る必要は無いと思うんだが……まあ、今は湖から上がろう」


 対輪外者武器をホルスターに納め岸に上がってレラに手を差し出す名無、レラも差し出された手を握って湖から無事上がる。勢いよく飛び込みはしたものの、濡れているのは足下のあたりだけで幸い被害は少ないようだ。


「あまり濡れてはいないみたいね、魔法で乾かすことは出来る?」


「それなりに加減は出来る、これくらいなら問題ない」


「そう、なら良かったわ。でも、こうなった原因は私なのだから……うん、お詫びにこの先の街にある私の屋敷に招待しましょう!」


「いや、服が濡れたくらいでそこまでして貰う訳には……」


「勿論無理強いはしないわ、けれど休める時に休むのは旅人の鉄則なのではなくて? 他にも入り様な物も揃えなければいけないでしょ? 遠慮は要らないわ」


「………………」


 無理強いはしないと言ってはいても、旅を続ける身としては安易に無視できない事を聞かされては断り辛い。だが、エルマリアが浮かべる笑みと柔らかな声音からは本当に自分達の意志を尊重する気概が窺える。

 名無はエルマリアの提案を受け入れるべきか迷うも、旅には食糧の補充と情報収集が必須。何より可能な限り体調を整えることも求められてくる。何から何まで手を焼いて貰うわけにはいかないが、ゆっくりと身体を休める宿を確保できるのならこれを逃がすてはない。


「貴女の言う通り、これからの事を考えても休めるに越したことは無い。ここは貴女の申し出をありがたく受けさせてもらおう」


「話は決まりね。そちらの……レラちゃんも良いかしら? ナナキ君は受けてくれるようだけど」


「は、はい! 私もエルマリアさんのご厚意に甘えさせて頂きます!」


 慌ててレラもエルマリアの問いかけに答え、深々と頭を下げた。二人とも滞在を選んだことが余程嬉しかったのだろうか、エルマリアは胸の前で手を叩き満面の笑みを浮かべた。


「そうと決まれば早速向かいましょう。此処から少し歩かなくてはいけないけど、山の麓に家の者達を待たせてあるの」


「移動手段は?」


「優に六人は乗り込める馬車よ。貴方達が連れてる子は従者の一人に乗って貰うようにするから、二人は私と一緒に馬車の方へ乗ってちょうだい」


「わかった、それで滞在期日は何日まで許してもらえる?」


「特に期限を設けるつもりは無いから好きなだけいてくれて構わないわ、私は街の領主もしているのよ。でも、街にいる魔族は私だけだからレラちゃんとゆっくり話をしたいものね。自分以外の魔族の子と話すのは本当に久しぶりなのよ」


「……それはどういう事なんだ?」


「それ、と言うと?」


 名無の質問の意味が分からなかったのか、エルマリアは眼をパチパチとさせる。


「これから向かうのは魔族の街では無いのか? 話の流れからして他の住人がいるのは確かだ、なのに貴女は魔族は自分だけと言った」


「ああ、その事ね。何も難しく考えなくて良いわ」


 エルマリアは辻褄の合わない言動を指摘されながら、悪意では無い悪戯心の様な物がにじむ妖艶な笑みを浮かべて見せた。





「私が治めている街『シャルア』は私を除いた街の住人全員が人間、と言うだけの事よ」










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