11 迷いの先(1)
剣を手に、信義を掲げ生を駆け抜けた者よ
汝が血を分けたる我が親愛の火がその身を清めん
清き灰、清き魂は森羅へ帰す
死せる人よ、嘆く事なかれ
死せる人よ、立ち止まる事なかれ
死せる人よ、振り返る事なかれ
汝が旅路は我が灯火で安寧の地へと導こう
『静穏示す燈の火』
フォルティナの口上と共に唱えられた火属性魔法。戦う為では無い、傷つける為では無い。燃ゆるその炎は死した家族を送る慈しみの焔……静かに、穏やかに。
キトとロワー、そしてベッカーの棺を優しく包み込み天高く揺らめき燃やしていく。
『反逆の境』に突如として降りかかった襲撃戦から三日、戦火の後が色濃く残る森林――ベッカーが命を散らした場所で、異形の魔法具によって犠牲となった三名の葬儀が行われていた。しかし、その規模は大きいものでは無い。
今回の襲撃にさいし限定的な出入りしか出来なかったはずの深域の特性を突破して敵の侵入を許してしまった原因も判明していなかった。この状況下では落ち着いて死者を送る事は難しい、それ故にその場に集まっているのはベッカー、キト、ロワーの親族と特に友好が深かった者達。
そして、ベッカーの死によって新たな長となり葬儀の進行も担わなくてはならないフォルティナの補助をグノーが、心情を慮り付きそう事を申し出たレラとティニーが。
そして『未完魔律調整体』の討伐は済ませたとは言え、未確認の個体が潜んでいる可能性がある森林内部での葬儀。フォルティナ達から少し離れた場所には戦闘の可能性を加味し『反逆の境』に置いて最大戦力である名無と戦闘経験のある流の姿もあった……その全員が黒いローブを纏い死した三人へ黙祷を捧げる。
他の住人達は葬儀が終わるまでの間、防衛時と同様に一箇所に集まり些細な異変にも対応出来るよう陣を敷いていた。そんな彼等もまた名無達と同じように黒のローブを纏い死者を悼んでいた。
「…………親しくなった人の死は初めてか?」
「初めてじゃない、けどね」
つつがなく葬儀が進む中、葬儀に参加しながらもフォルティナ達から少し離れた場所で周囲の警戒に当たる名無と流。
今のところ敵の気配は感じられず、二人は涙を流し燃える棺の前に立つフォルティナ達を見つめる。
「中等部の頃、地元の街で『強化獣種』の討伐があったんだ。Aクラスが五体、初任務で避難誘導を任されたんだけど……その時に」
幾ら輪外者と言えど、中等部の生徒では『強化獣種』との戦闘は荷が重すぎる。
戦闘許可が認められる高等部に進学できるまで、中等部の生徒に許されているのは避難誘導や負傷した生徒の回収と引き渡しといった支援任務のみ。支援任務で『強化獣種』との戦闘に発展する事は稀である。
しかし、流の初任務においてそれは起きてしまった。
「輝って言うんだけど小さい頃からずっと一緒だった幼馴染みで、本当に同い年なのかなって思うくらいしっかりした子だった。大人みたいに冷静で、難しい本を読んでて、どんな時でも落ち着いてて頼りになる男って感じで女の子にモテモテで同級生よく嫉妬の涙を流させてたっけ」
くすり、と幼馴染みの少年との思い出を振り返し笑みを零す流。だが、その表情に混じり込むのは親しい友人を失った悲しみの色。
「先輩達と『強化獣種』の戦いが予想以上に激しくて、状況を正確に把握しきれないくらいの乱戦になっちゃったんだ。そのせいで『強化獣種』の一体が戦線を抜けて俺達がいた住宅街まで来ちゃったんだよ」
逃げ遅れてしまっていた一般人の避難誘導も殆ど終わり、避難誘導の中で親とはぐれてしまった女の子と一緒に避難所へ向かうだけ。その時、戦闘区域から外れた一体と遭遇してしまったのだ。
それも殆ど傷を負っていないライオンとトラの交配種、ライガーと呼ばれる強化獣種。本来、人工的な環境で無ければ生まれる事の無い種ではあるが『強化獣種』であれば珍しく無い個体。
その戦闘能力は言うまでもなく脅威、戦闘経験のない自分達では討伐は不可能。時間稼ぎくらいは出来ても……小さな女の子を護りながら逃げられるとは思えなかった。
「せめて女の子だけでも逃がしてあげられないか考えたんだけど、死ぬって思っちゃったら考えが全然纏まらなくて……情けない話だよね」
「…………」
「でも、やっぱりって言うか輝は落ち着いてて自分が時間を稼ぐから女の子を連れて逃げろって」
目の前の死と向き合っても少しも焦らないで、普段と変わらない自然体で的確な判断を下した輝の姿は今の自分でもきっと出来てない。
『お前はその子を連れて先に行くと良い、避難所に到着したらすぐに護衛班の先輩方を連れてきてくれ』
『駄目だ、輝一人を置いていけない! 俺の方が戦闘向きだ、輝がこの子を連れて――』
『いや、風の異能を持っているお前の方が早く動ける。それに戦線にいる先輩方から逃れた『強化獣種』がこの一体だけとは限らない。戦闘には不向きだが時間稼ぎであれば俺の『隠形遅覚』の方が適している』
輝の異能『隠形遅覚』は最大で十秒間、対象となった相手の五感を減衰させる事が出来る異能。能力を発動させる対象の数が少なければ少ないほど減衰効果が大きくなる、流達の前にはいる『強化獣種』は一体だけ。
輝の異能が最大限の効果を発揮できる状況、決定的な攻撃力はなくとも敵の力を衰えさせることの出来る異能は時間稼ぎにはうってつけの異能だ。悔やべくは戦闘を許可されていない身ゆえに武装も許されていなかった事だろう。
『行け、このままだと三人とも殺されてしまう』
足止めんに適した異能であれば、下手に戦えるよりも生存できる可能性は高い。しかし、だからといって友達を、親友を置いていける訳がない。
目の前の死に挑み意味なく死ぬか、輝の言葉を信じ蜘蛛の糸のように細い最良の可能性に賭けるか。
どちらか一方を選ぶしかなくて、選ぶことが出来なくて……そんな自分に輝は言ってくれた。
『どちらか一方で迷ったのだろう?』
『なら、お前の答えは既に出ているのではないかな』
『後は貫けば良い、選んだモノが後悔で塗れてしまわないように』
そう背中を押してくれた輝の言葉で、自分は女の子を連れて避難所へ向かった。
「女の子を無事に避難所に送って、その後すぐに先輩達と一緒に輝の所に戻ったんだ。戻ったんだけど……まあ、結果は言わなくても分かるでしょ?」
時間にして十分程、流が輪外者の身体能力と『風製製統』を最大限に使って住宅街から十キロ以上……遠く離れた避難所へ辿り着き、援軍を連れて輝の元へ戻った時間。身体能力の発達、異能の制御。そのどちらも未熟だった頃の流であれば充分過ぎる速さではあった。だが、それでも既に友と『強化獣種』の決着は着いていた。
戦闘があった住宅街は倒壊した家屋が幾つもあり、崩れた壁やひび割れた地面にはべっとりと赤い血がこびり付き、血の主であろう少年はもう人の形を成していなかった。
力強く、安心させるように送り出してくれた彼の頭は何処にも無い。
首から下は右腕が頭同様、肘から下が失われ腹部からは人皮によって包まれていた内容物が零れ出ていた。
『……て、る……』
流の知る輝の姿は無残にも『強化獣種』によって奪われた。面影は全てが腹の中に。その光景と事実に流は言葉を失い崩れ落ちたが、援軍に駆けつけた上級生達の手によって討伐されたのである。
「その後はもう駄目駄目だったよ。吐いて、泣いて、騒いで、わめき散らして、また吐いて……フォルティナさんみたいに耐えられなかったよ。男なのに情けない話だよね」
「そんな事はない。大切なものを失い取り乱す事に年齢も性差も関係ない、彼女だって本当はそうしたかっただろう――託されたモノがさせてくれなかっただけだ」
『反逆の境』に住まう仲間達の命を背負い率いる長の責任とその重さ、娘の幸せを願う父親としての言葉と想い……残されたものを悲しみと涙に埋もれさせてしまわないようにと。
「名無でも?」
「ああ、失う時は失う。どれだけ強くても、どれだけ強くなってもな」
流の問いかけに対する名無の言葉は断言。それでも力の無い静かな声音が、問いかけた疑問に対する明確な答えである事を流は悟った。
「そっか……名無でも……」
強ければ自分を、自分以外の誰かを護れるようになる。だが、強いだけでは本当に護りたい人は、護りたいものは護りきれない。名無という流が知る輪外者の中でも最強であろう少年でも大切なモノを取りこぼしてきた。その事実に流は堪えるように拳を握る。
「――待たせてごめんなさい」
愛する家族との死別に耐えるフォルティナ達とは別の、徒労感にも似た空気を纏っていた名無達ではあったが、芳しくない雰囲気に飲み込まれてしまう前にフォルティナの声がかかる。
「もう良いのか?」
「ええ、つつがなくね。猫先生が居てくれたし、レラさんにティニーちゃんにも手伝ってもらったから」
弔詞の言葉と共に放たれた安寧の炎は灰も残す事無くベッカー達を天へ還し鎮まり消えていた。ロワーとキトの家族達も涙を流し拭い互いを支えあい街への帰路を歩む。そんな彼等の背に涙がにじむ瞳を拭うレラとティニー。
「て……手伝えたかどうか分からないですが助けになれたのなら良かったです」
「ティニー、フォルティナお姉ちゃんのちからになれた?」
「ええ、二人が居てくれて心強かったわ……ロワーさんとキトさんは遺体が無い分、家族の人達が取り乱さないか不安だったから」
「…………ごめん」
「ナガレが謝る必要は無いわよ、私達だって何時どうなるか分からない中で生きてる。死んだのかどうかも分からない別れだって覚悟してる――あんたは父さん達の仇を討ってくれた、感謝してるわ」
「…………けど」
『未完魔律調整体』の器として奪いとられたロワーとキトの肉体、最早二人の面影など無い変容を遂げた異形の肉体は風刃夙砲によって跡形も無く消し飛んだ。それだけの威力が無ければ勝利する事が出来なかった、とは言え遺族の心境を考えれば最後の別れがこんな形で本当に良かったのか……そんな想いが流にフォルティナの言葉を素直に受け止められない後ろめたさとなっていた。
「ナガレ君の言いたい事も分かるけど、今は胸を張るべきだよぉ。それがベッカー達に取って何よりの供養でもあるからねぇ」
「猫先生」
けれど、そんな流を嗜めるように、慰めるように流の背中を優しく叩くグノー。
「ベッカー、ロワー、キトの三人が命を落としてしまったのは悲しい事だ。勿論、それで納得出来るかは別だって事も分かる……分かるけど、三人とも最後まで自分達の大切なモノを護る為に戦った。その想いは誇ってあげて欲しいなぁ」
難しいとは思うけどねぇ、とにっこりと笑って見せるグノーに流は眼を伏せた。
「それでこれからどうしようっかぁ、ナナキ君?」
「……何故、俺に?」
「何故も何もナナキ君次第でフォルティナの――ううん、『反逆の境』がこれからどう動くか決まっちゃうからだよぉ。フォルティナの前でこれを言うのは酷だけど、ナナキ君がボク達と一緒にいてくれたからこそフォーエンが受けた被害は小さくて済んだともいえるからねぇ」
深域に侵入してきた『未完魔律調整体』とその同一個体の全てを流達三人の手によって討伐するに至った。その結果から考えれば名無が流達と合流していればベッカーが命を落とす事は無く、小さな被害がより少ないものとなっていただろう。
だが、敵の別働隊が深域内に潜んでいる可能性も切り捨てる事が出来なかったのも事実。仮に別働隊が行動を起こし流達が退けた以上の戦力が割り振られていた場合、名無が流達と防衛拠点に戻るまで一体どれだけの命が散る事になるか……想像もしたくない程の被害だったに違いない。
別働隊が潜んでいる、潜んでいない。
葬儀の準備が終わるまでの間、名無も加わっての残存戦力の捜索によって別働隊の存在は確認される事は無かった。が、敵の侵入を許し相反する情報、状態が重なり合っている状況下に置いて流達に殲滅を任せ防衛に専念する事を選んだ名無の判断は決して間違ったものでは無い事は、この場にいる誰もが理解を示すものだった。
だからこそ緊急時に置いて最善の判断を下す事の出来る名無の存在は、圧倒的な戦闘能力という面以外でも心強い。ベッカーという誰もが認めるリーダーを失った今だからこそ『反逆の境』の戦力増強は急務なのだから。
「ナナキ君が此処に留まってくれれば、『反逆の境』はこれ以上の痛手を負うことはまず無くなるしねぇ。ボクとしてはフォルティナ達が落ち着くまで居てくれたらありがたいんだけどぉ……どうかなぁ?」
「………………」
グノーが名無に求めたのは『反逆の境』への所属――では無く滞在の延長。
名無の旅の始まり、これまでの道のりから名無が旅を止める事はないであろう事は察していた。だが、人的被害は最小に止められたと言っても、ベッカーという『反逆の境』の長として信頼してきた者の死はフォルティナ達の心に大きすぎる影響を与えている。
今後はフォルティナが新たな長になる。幼い頃からベッカーの跡継ぎとして見守ってき深域に住まう者達から反対の声が上がる事は無かった。
しかし、気丈に振る舞ってはいるが、フォルティナとベッカーの別れは苦渋と強制に染まりきったもの。どれだけの覚悟と悲哀をもって事をなしたか……その事実を知るからこそ反対の声が上がらなかったとも言えるが、それだけではフォルティナが負った心の傷は、背負った後悔と罪悪感は、選ばされた孤独感と喪失感はたかが数日で癒えるものではない。
そう、何時癒えるのか分からない。組織への所属とは違う、けれど見方によっては無期限とも言える旅の停滞を意味する提案に名無は――
「ナナキさん達は旅を続けて、貴方達がフォーエンに留まっても悪手でしかないわ。ナナキさん達にとっても、私達にとってもね」
名無が答えるよりも早く、回答を遮る様に重ねられたフォルティナの言葉によって弔いの場には不釣り合いな緊張感が走るのだった。




