国の綻び1
南には、猛々しく連なる山々。
山には獣や木の実などの食糧調達のために、度々国の兵が動く。山の道は険しいらしく、一般の人間は、出入りが禁止されている。訓練を受けていない一般の者が入れば最後、死ぬまで迷い続けるらしい。
さらに、あの山の向こうには、”海”というものがあるらしい。
海とは、湖よりもっと広大な水たまり。さらに驚くことに、あらゆる人々はその水をしょっぱいのだという。調味料にある塩は、海の水から取り出すのだとか。
東には、栄え賑わう富んだ街。
この街は、他国との貿易が盛んな富んだ街、名を栄行という。
人が行き交い、物が行き交い、我が国一華やかで豊かな場所だ。人々の高揚を促す笛の音、そして人々の笑い声が風に乗って流れてくる。栄行は、朝から晩まで騒がしい。
西には、小さな村が点々としている。
栄行のような大きな街とは違い、騒がしさは微塵もない。けれど、そこには大きな川と肥料に富んだ土が存在する。そこの農民のおかげで、この国は食っていけているのだろう。それほどまでに、西の村々の産物は、この国を潤わせている。
そして北には―――我らが人間の、最大の敵である魔族の住処との境目である”荒れ地”が存在する。
ここでは、この国とリュタウとで壮絶な戦いが繰り広げられている。もし荒れ地で、我が国の兵士が負けてしまったなら、この国の豊かさは、消えてしまうのだろう。
そうしたら、この国の土地も、人も、物も、皆なくなる。
皆、皆、なくなる。
「―――なんて、ね」
そんなことは、戦争が始まって以来、数百年なかった。だからこそ、この国は今も豊かで、騒がしい。
*
この世には、大きく分けて七種類の人種が存在する。
臣者、妖精種、獣種、魚種、鳥種、魔族、王者。
黒や茶色の髪である「臣者」は、八割を占める人種である。臣者は一般の人種として、太陽国で生活している。
緑系統の髪をもつ「妖精種」、赤系統の髪をもつ「獣種」、青系統の髪をもつ「魚種」、橙色の髪をもつ「鳥種」の四種は、総称して「混種」と呼ばれる。
この四種はそれぞれ種類によって特色があるが、主には髪色で分類される。と、ここまでの臣者、妖精種、獣種、魚種、鳥種の五種を、一括して人間と呼ぶ。
我が国のアスラと敵対する、銀色の髪をもつ魔族。リュタウという言葉はこの地で、古の言葉より”異形”という意味をもつ。リュタウは、常識では考えられないような”力”を使う。その力を恐れたアスラが、リュタウを迫害し森の奥底に追いやったのが、戦争の発端なのだといわれている。
―――そして、金色の稲穂のように輝く髪は、この国では”後継者”と呼ばれ、古くから崇められ続けている。王者という人種として分類されているが、この世には一人しか存在しない。
先代が死ねば、再び金色の髪をもつ王者が現れる。昔から伝わる伝説で、金色の髪の人間は、神の落とし子なのだとか。伝説を信仰する国民は、金色の髪を勝利の象徴として大切にしているのだ。だから金色の髪は、国民にとっては神同然に扱われる。
*
ちょっとした出来心だった。城の中で育ち、外に憧れ続けるも一切外出が許されなかった少年には、奥底で燻った好奇心を抑えるなんてことは当然でなかった。付き人が目を離した一瞬に、城の敷地に止めていた商団の荷馬車の中に潜んだのである。自分を探す付き人の声がする。焦っているに違いない、なにせ"国の宝"をまんまと逃がしてしまったのだから。荷馬車の中で笑いを押し殺していた。
商団が動き出す。荷馬車が大きく揺れ、隣に置いてあった木箱に頭をぶつける。声が出そうになるのを必死に呑み込み、高鳴る胸に笑みを零した。荷物の中にあった薄汚いローブを羽織ると、金色の髪にフードを被せた。
もう城を出ただろう。荷馬車に空いた穴から外を覗いた。うわ、と小さく少年は声を上げた。
木々が立ち並ぶ、薄暗い森。まだ夕暮れの時間ではないはずだが、木々の隙間を通る光すらあまりない。夜、と言われてしまえば納得してしまうほどに暗く、気味が悪い。森の道は険しかった。気付けばがたがたと荷馬車が揺れていて、そのたび床が軋む。しかし、城の外へ出たのは初めてで、その事実だけで少年はすっかり興奮していた。
「一雨来そうだなあ。今日は柚久利に泊まるか」
商人の一人が言った。
「それがいいかもしれないな。しかし、あそこは数か月前に"戦い"に巻き込まれたと聞くが、大丈夫だろうか。巻き添えは御免だぞ」
「ああ、大丈夫だろう。あそこは今、国の兵がいる。問題はないはずだ」
―――柚久利、数か月前に、"荒れ地"による戦いの巻き添えをくい、大きな損害を被ったと、誰かが話していた。"荒れ地"に近いということは、北の方角に向かっているということだろうか。商人数人の会話を聞きながら、高揚していた高鳴りが、ずん、と沈んだ。好奇心に乗せられて荷馬車に紛れたものの、これからどうしたらいいのかさっぱりわからなかった。とりあえず、馬車が止まったら、見つからないように出よう。