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5.ヴィア・ドロローサ

ヴィア・ドロローサ(苦難の道)=イエスが処刑される前歩んだ道。

または失恋したものが歩む道…。

「・・・ああ、スザンナよ。お前の美しい瞳!

知っているか?あの星よりもわが胸に明るく輝くものを?

そうだ、お前の瞳。あの琥珀色の柔らかい光!

空は高く星は遠く。空の星を抱いてみたいと私は幼い頃願ったものだ。

だが今空の星に勝る星は私の傍にあり、いつでもそれは私を映している。

それは、君の瞳だ。スザンナ!」

ギルバートはステージの前のテーブルを陣取ってビールを飲んでいる。

その為ステージで曲を披露する二人の表情がよく見える。

高らかに頬を上気させて情熱の阿るままに歌うのは彼の可愛い恋人、

ルイッツァだ。彼女は自分達の恋を歌に投影しているのか無我夢中で歌っている。

そんな彼女はなんだか艶かしくて抱き寄せてキスがしたいなとぼんやり

ギルバートは思ってしまう。

もしかしたら・・・それはここにいる観客すべてが思っているかもしれない。

それくらい、今の彼女は活き活きしていて魅力的なのだ。

彼女の魔法にかけられ観客はうっとりと歌に聞き入る。

「ああ、スザンナよ、君の香りが立ち篭める。

今私のいる寂れた小道に人はなく、ひっそり浮かぶ枯れ木の他には暗い闇。

木枯しが彼らの肢体をすり抜け優しくキスをするよ。

彼らの甘い喘ぎが聞こえるようだ。冷たい彼らの恋人にキスをねだっているのだね。

彼女はそっけなく過ぎ去っていくというのに。彼女の名残を忘れられずに。

私の身体に残る君のキスの痕はまだ熱いよ。感せずにはいられないんだ君の香りを。

ああ、もう一度だけ君の胸に顔を寄せ、溢れる髪先の感触を・・・」

「げ、げほ。ごほほっ。・・・し、失礼。」

咳とともに旋律が切れる。ミカエルは真っ赤な顔をしていた。

「なんだよー。いいところだってのに・・・。」

ギルバートの席の近くに座る粗野な印象の男が野次を飛ばす。

音を長く切らせたままでは観客は夢から醒めて不満を募らせる・・・。

不穏な空気になりつつあるのを感じ、ギルバートは宥めようとその男の隣に腰掛ける。

「まぁまぁ、そう怒らず。あいつ最近恋人と別れちゃったんですよ・・・。

今の曲は昔の恋人のために作曲したんですよ・・・。」

「そ、そうなのか?あの若い先生も大変なんだな・・・。」

打って変わって同情的な態度を取る男。

彼は酒を大げさに煽ると悲劇的に芝居かかった調子で…

「・・・ああ、世の男の地獄、失恋よ!哀れな失恋者に幸あれ!」

と宣った。その声は大きく、よく響いた。

彼は更に取り出したハンカチで涙を拭いてみせる。

・・・皆のえぐるような視線が一斉にミカエルに降り注ぐ。

なんともいたたまれない空気が漂った。

この男…わざと?と訝しげにギルバートは男の様子を伺うが

男は本気で同情しているようだった。だがその目には涙はなかった。

どうやら同情していることを粋に美しく表現したかっただけのようだ。

はぁぁと今日何度目かのため息が溢れる。

「・・・フラれたの先生?」

「・・・というかこれ先生が作った曲だったんだ?惚気てるなぁ。」

「・・・失恋なんか大したことない。俺もこの前フラれたばっかりだ!」

口々に好き勝手ミカエルに話しかける観客。その目は同情、好奇、笑いを湛えている。

「・・・すみません・・・気にしないで・・・続けますから・・・。」

ミカエルは苦悶の表情でピアノに手を置く。ルイッツァに目で合図をする。

ルイッツァも若干気まずげに頷く。

そりゃそうだ、とギルバートは思う。

恋に浮かれていた時は小っ恥ずかしい歌詞でも気にせず彼も嬉々として人前で披露していたものだ。

だがフラれたあとは古傷と小っ恥ずかしさだけが残る・・・これはそういう曲なのだ。

だが、人々はこの曲が好きになったのだ。残念だなミカエル、とギルバートは心底気の毒に思った。そして同時におかしみも感じだ。滑稽な恋の顛末だ。

「・・・髪先の感触を感じたいものだ。豊かにたゆたう君の白い胸に閉じ込めてくれ。

スザンナ。光の妖精よ、恋の女神よ!私の命!」

歌詞は過激になってゆき、そのせいでただでさえ渋いミカエルの顔が悲しみと恥ずかしさでなんとも形容し難い顔になっていく・・・。

観客の一部が噴き出した。隣の男も小さく笑う。

ギルバートもミカエルには悪いが少し笑ってしまった。

しかしさすがは芸術人というべきかミカエルが紡ぐバラード調の旋律にもう震えや迷いは見られない。彼はこのステージを成功させることのみに神経を集中しているようだった。

内心色んな感情が渦巻いているのに指先は確固たる意思で空気を切り裂いていく。

友人のプロ根性にギルバートは脱帽する思いになる。

そんな様子を見ていたらいつの間にか彼の笑いは引っ込んでいた。

「おかしなことだ。少し前まで溢れる情熱をほとばしらせ

二人で抱き合っていたのに。空っぽになり何も感じなくなるまで。

でもまた君が欲しくなる。君は今、どうしているだろう?

君は私を求めているかい?私がそうであるように。君はそうであるだろうか?」

そうではなかったんだろうな・・・とギルバートは独りごちた。また別の感情がしんみり

彼を支配する。友の様子を見て恋の苦しみに満ちている様を感じる。音楽に載せ百面相を晒すミカエルは磔刑への道を歩むキリストのそれのようだ。人生の苦悩に懊悩しつつ魂をより高尚なあちらの世界に飛ばしている。フラれたミカエルは終わった恋をこの苦しみの曲にのせ忘我の境地で紡ぐ。恋に殉じる殉教者の心持ちであろう。

自虐的に恋を振り返り、その神聖な思い出を抱いて彼は苦悶する。

そして彼は思う。俺はルイッツァと別れるのだろうか、いつの日か、と。

そして耐えられそうにないと結論づけた。絶対に俺はルイッツァを手放すわけにはいかない、ミカエルのようになりたくない、と彼は強く感じた。俺はルイッツァの最初で最後の男にならねばな、とギルバートは握りこぶしを固めた。

「この星を君が見ていればいいと思うな。ああ、スザンナ。キスが欲しい。とろけるようなとびきり甘いやつがね。あの続きが待ちきれないよ!この木枯らしのように気まぐれでつれない可愛いスザンナ!」

ギルバートはビールのグラスに目をひかれた。

泡が消えたビール。ロウソクの光に浮かび上がったような幻想的なその風情。

更に色味が増した黄色は黄金を溶かし込んだよう。その時、その水面に星がパチンと弾けた。

__ああ、この泡はあいつの恋のように儚いような・・・。

ギルバートはグラスをゆっくりと回してみる。

パチパチパチ・・・と無数に弾ける。

「・・・綺麗だ。」

「何やってるんだ?」

傍らの男が尋ねる。

「・・・いえ・・・この泡が綺麗だと思ったんです。」

「・・・そうか。泡が綺麗なんて面白い奴だ・・・。

俺はそのビールの色が綺麗だと思う。」

「いや・・・そのビールは幸せの色なんです。

だけどそこからいつかは出て行かねばならない・・・。

私達はちょっとしたきっかけで苦難へまっしぐら。

・・・でも脆く美しいって思ったんです。」

「・・・お前の言っていることは分からんなぁ。

幸せは掴んでおけば良いじゃないか・・・。」

「・・・掴んでも手から溢れていくのが幸せなんです。」

「・・・分からんなぁ。」

ソプラノの透明な歌声が静かに消えていった。彼女は歌い終わったようだ。

それでもミカエルの伴奏は続く。

恋に浮き立つ若者の揚々たる歩み__まるでスキップをしているかのようだ

__を表現するピアノの音。在りし日の彼の思い出が虚しく孤独に響く。

在るべきパートナーを失くし慟哭するその音。

それはピアニッシモに変化した。

この恋に浮かれ身を焦がしていた青年が後日暗黒の落とし穴に嵌ると

誰が知り得ただろうか?

路傍の石のような人様の一瞬の恋の輝き。


芸術という適当な題材でストーリーを書いているので、

なんかキザな感じになってしまいますが…まあご愛嬌です…

読んでくれてありがとうございます!( ^)o(^ )

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