17.間話_彼らしいですよ
寒い…外が寒い。
__その時・・・。
「何だ?この糞ババア!?」
「なんだ!?こいつまさか・・・ハンセン病じゃないだろうなッ?寄るなっ!」
「神の怒りに触れた不浄な者だ!近づくな!下がれッ!」
「ひいぃ来るんじゃねーよっ!」
大声と共にどろめきが起こった。
大衆の群れはそれを一斉に避ける。
すると小柄なマントを羽織った影が大衆から押し出された。
それは王子の前に出ようとする。
追いかけ、止めようとする衛兵達。
「と・・・止まれ!王子様に近づくな!」
「何故止めて下さらないのだっ!」
一人の衛兵が大衆に向かって怒鳴る。
「ハンセン病のババアなんかに近づけるかッ!
お前ら下僕が止めるんだよッ。仕事だろうがッ!」
「私達だって近づきたくありません!」
「なんだと!?」
「貴方たちだって王子様の下僕だろうがっ!」
「煩いッ!」
衛兵と貴族の大衆は喧嘩を始める。王子とマスィールを置き去りにして。
一方小柄な影は王子の足元に倒れこみ、クシャッと丸まった。
「お、おふじざま・・・。わたじでず・・・わたじがヴィリア・・でず・・・。」
王子とアルベルトそしてマスィールはお互いぎょっとしたように足元に蹲る何かを凝視している。マスィールの顔は青ざめ、若干強ばった。
「あふじさま・・・わ、わたじがわがりまぜんか?ヴィリアでず・・・。」
「何を言っているのだ?ウィリアだって?」
王子は眉根を寄せ、困惑している風だ。
彼は兎に角、老婆を立たせようと手を貸した。
すると顔をあげた老婆の顔を見てしまったのだ。
「ああっ。」
それだけ言うと王子はその老婆を突き飛ばした。
「・・・なんと・・醜いのだ・・・恐ろしい。」
その顔は老いによってもたらされたものではない病的な歪みがあった。
その歪みは恐ろしく・・・この世のものとは思えないものだった。
その老婆は悲しげに顔を歪める。その表情の変化がなんとも恐ろしい。
アルベルトは息を飲むとグラリと傾いだ。
「(マスィール殿・・・。貴方はなんということを・・・。
憎いとはいえ他者を呪い自分を偽って愛する者に近づく・・・。
ああ、罪深い。なんて罪深いのだ・・・。私も同じことをしている。
私は愛される努力もせずにあろうことか王子という餌を用意して・・・彼女が食いつくのを待てばよかった。そして・・・今も騙している。彼女を愛したばかりにどうしてこうも悪に流れ着くのか・・・。ただ彼女に憧れ、手に入れたいと思っただけなのに・・・。)」
アルベルトは目の前の老婆から目が離せなかった。
「(俺たちは怖かったんだ・・・。美しい存在に愛される筈もない惨めな自分を憎んでいる。
罠や偽りを以てしか愛する者に向き合えない・・・。なんて惨めな・・・。)」
「お・・・おふじざま・・・。」
「(・・・そしてこの犠牲の羊・・・。)」
王子はへたりこむ。それでも老婆は迫ってくる。
「ヒッ・・・来るな・・・。来るなぁ!」
にじり寄ろうとする老婆をこれでもかという程強く蹴り飛ばす王子。
溺れた人間のように狂った風に足をばたつかせる。
驚愕と恐怖に打ち震え、そして目には底冷えするような
怯えの色をこれでもかというほど湛えて・・・。
その姿は悪魔を見た人間の姿・・・或いは亡霊を見た姿だろうか。
兎に角婚約者を見る目では決してない。
「王子!その方は・・・ウィ・・・いえ老婆です。蹴られるのはよろしくありません。
(言えない・・・言えないさ・・・すまない、本当にすまない・・・。)」
「うう・・・。なぜわがってぐれないの?」
悲痛なうめき声をあげると老婆はそのまま泣き伏してしまう。
「おいッ!この糞ババアッ!」
喧嘩から衛兵達が戻ってきた。
彼らは老婆の悲痛な慟哭などお構いなしに
彼女の腕を羽交い絞めにし王子から遠ざけようとする。
「おふじざま・・・おうじさ・・・グフゥッ」
衛兵の一人が彼女の腹を蹴り飛ばした。
「うるせぇんだよ!糞ババアッ。お前みたいな奴は隔離施設に閉じ込めなきゃならん。
その前に取り敢えず牢にでも入れておくか・・・。」
「ああ・・・やべて・・・ぐだざひ・・・。」
彼女はズルズルと引きずられながら扉の向こうに消えていく。
マントの裾からレースのついたクリーム色の生地が飛び出す。
それは若い女が着るような色で老婆が着るようなものでは無かった。
「ちょっと待て!待つのだ!」
それに気づいた王子は大声をあげる。
だが衛兵にその声は届かなかったようで彼らは扉の向こうに消えてしまう。
王子は呆然として、その場に張り付いたように動けなかった。
「あの・・・服は・・・確かにウィリアが好んで着た服で
・・・この前訪ねてきた時も着ていたではないか?」
そう言って傍らのウィリア・・・マスィールをヒタと見据える。
「な・・・何ですの?王子様・・・。」
「君は・・・本当にウィリアなのか?」
「ええ・・・そうですわよ・・・。」
マスィールは強ばった頬を懸命に動かし笑いを作った。
「その唇は・・・。」
そう言うとマスィールの唇に王子は手をやる。
王子の指には真っ赤な紅がつく。
「ウィリアなら使わない色・・・彼女の唇は瑞々しいベリーのようだった。
だから彼女は口紅を使う必要が無かった。」
「今日は結婚式だったから・・・たまたまつけていただけよ・・・。
あの女のことを信用するの?あんな醜い病気まがいの女を?
どうしてよ!私あなたを愛してるのに!」
マスィールは全身を逆立たせて叫ぶ。
その様は衣装の色も相まってさながら火のようだった。
「・・・お前は誰だ?あの女は本当にウィリアなのか?
そんな・・・まさか・・・そんなこと・・・。俺はウィリアではない女と契りを結んだのか?」
そう弱々しく呟くと幽鬼のような風情でフラフラと扉から出て行ってしまう。
「王子様・・・王子!」
マスィールはその後ろ姿を追おうとするが・・・
「お妃様・・・さぞお疲れでしょう・・・。あんな老婆に絡まれて・・・。」
「さあ、こちらでお休みを、王子様はお疲れになったんじゃありません?」
貴族の人々に取り巻かれてしまう。
アルベルトは密かに王子の後をつける。
「(俺は・・・リュランに俺の罪を明かすべきなのか?
・・・確実に失ってしまのに。俺はそうなったら生きていても仕方がない・・・。)」
「…何もあんなに蹴らなくても…王子。」
ショックのあまりルイッツァは涙を流している。
「…ギルバートも私が交通事故に遭ったらああなるのかしら…。」
エグエグとしゃくり上げている。
「ギルバートがそんなわけないでしょう?」
ヴェーラが彼女を抱きしめた。
「ルイッツァ、あんたはギルバートが拘束されてナイーブになっているだけよ。
彼は優しいからそんなことしないわ。それにしてもこの劇は今のルイッツァにはきついかも。さっさと終わらないかしら。」
「…本当に人の心を抉るというか。なんというか。」
げんなりした顔でミカエルとベルナールは顔を見合わせた。
「…彼らしいですよ。」
ダフネンはうんうんと頷いている。
「案外俺こういうの好きかも。」
マルクスがケロリとのたまった。
舞台は反転し地下の牢獄。
本物のネズミとゴキブリが這い回っている
汚らしいその部屋に観客が悲鳴を上げる。
「ねぇ、ろうばんざん・・・。」
弱々しい声でウィリアは何処かに語りかけた。
「何だよ?ハンセン病のばあちゃん。」
若い牢番が出てきて聞き返す。
「あなだ・・・しげいようのどぐやぐもっでないがじら?」
「死刑用の毒薬だって!?そんなもの持ってないよッ?
おばあちゃん・・・死にたいの?」
大きく目を見開いた若い牢番は同情的に聞き返す。
「わ・・・わだじ・・・だいずぎなひとがいだの。
でも・・・もうだめ。わだじはじんだの・・・。いきでるとはいえない・・・。
ふみづげられ、なぐられ、ののじられ・・・いぎるじしんがない・・・。」
要領を得ない苦痛に満ちた叫び声だった。
若い牢番は悲しげに頷いた。
「・・・病気は神からの罰・・・ハンセン病は最たるもの・・・って言われているからね。
確かにおばあちゃんは生きてるとはいえないね。生きていれば辛いことの方が
多いかもしれない。」
ウィリアはボロ切れのように小さくなって静かに嗚咽を漏らした。
「・・・俺の姉ちゃんも精神を病んで・・・鎖で繋がれて教会の地下室に監禁された挙句、狂い死んだんだ・・・孤独のうちに。俺の姉ちゃんは器量よしで男は皆羨んだものだったのに・・・結婚した男が暴力男で酒飲みおまけに働かないっていうどうしようもない男だったのさ・・・。彼女は逃れたかった・・・でも・・・結婚は取り消せない。果てはその男の性病まで移された。ある日突然彼女は俺を見なくなった。その目にぽっかり暗い穴が空いていたよ・・・。
結局彼女は死ぬまで俺を見なかった。死に顔だけが・・・安らかでね。」
若い牢番は顔をしかめ眉根を寄せた。体の震えを抑えるようにギュッと己の腕を掴む。
「ばあちゃん・・・。死にたいの?
姉ちゃんにとっては辛いこの世の肉体を解脱する方が
はるかに幸福だったんだろうけど俺はまだ姉ちゃんを見ていたかった・・・。
だから・・・僕にはおばあちゃんを殺せないよ・・・死刑用の毒薬なんて持ってないし・・・。
それに俺はここを一歩も動けないんだ。職務だからね。」
クルッと背を向けてウィリアの部屋の前を去ろうとする若い牢番。
「おねがい・・・づらいんだ!」
ウィリアはその背に向かって叫んだ。
牢番は思わずその声に止まって振り返ってしまう。
そうして涙で濡れたそのグシャグシャに歪められた顔を見てしまうのだった。
「おばあちゃん・・・。」
牢番は何故そのまま去らなかったのか後悔しつつもウィリアと向かい合う。
ウィリアの目はぽっかり穴が空いた様に空虚で暗かった。
その目から流れた涙が青あざの上を流れるのを見て牢番は自身の姉を老婆と重ねる。
「(ああ・・・あの時の目だ・・・。)」
「ごのざき・・・いぎていげるがどうが・・・わたじはさぎをかんがえると
ぜつぼうじてじまう・・・。あのひとはべつのおんなとげっごんしちゃって
げっごんはとりげせないがら・・・わたじはくちはてるじかない・・・。
ぞれにごんなずかだで・・・あのひとがあいじてぐれるわげない・・・。」
「あの・・・結婚って?どういうこと?」
「わだじ・・・のろわれて・・・ごんなになった。もうなおらないんだっで・・・。
わだじにはきぼうがない・・・それでもあのひどがいでくれたらっで
おもっだけど・・・すでられぢゃった・・・。」
「・・・・・・・・・・・・・。」
「・・・だがら・・・もう・・・。」
「・・・分かったよ・・・ばあちゃん。」
牢番は一筋透明な涙を流した。
この老婆の展望のない未来が悲しかった。
「(何故・・・俺は死を与えることしか出来ないのだろう?
生きていて欲しいと願っているのに。
彼女を死なせるのは慈悲かエゴか、善か悪なのか・・・。
この選択のせいで俺の心は壊れていくだろう・・・何故関わってしまったのか?
どうして今日の牢番は俺だったのだ?)」
若い牢番は天を仰ぐと目を手で覆った。
指の隙間から次から次へとこぼれ落ちる涙が彼の服を濡らす。
彼はしばらくそうしていたが、決心したように
ウィリアの独房の鍵を取り出し、差し込む。
ガチャリとひしゃげた音は死の予感を漂わせ、それが彼を慄かせた。
「・・・この牢を少しの間だけ開けます。俺はおばあちゃんが出て行ったことを
職務を疎かにしていて知らなかった・・・。
・・・僕には貴女を直接的には到底殺せません・・・許してください。」
震え声で懺悔する彼は顔を伏せっぱなしだ。
彼は蹲りむせび泣いた。
そんな彼の肩にゴツゴツと変形したウィリアの手が載せられる。
「あなだは・・・じひのてんじね・・・。ありがどう。」
ウィリアは彼の頭にキスをするとゆっくりと死への道を歩みだす。
地下牢の連なりを抜けると地上に向かう階段がある。
その先をウィリアは進んでいく。
地上に近づくにつれ彼女の姿は神々しい白銀の光で包まれ見えなくなった。
彼女が去っても牢番はまだ頭をあげなかった。
「私が彼女を死に向かわせたのだ!
・・・それなのに彼女の顔を見れないとはなんと私は臆病な人間だろう!
ああ・・・なんてことを・・・。何が慈悲の天使だ・・・。」
牢番の声が孤独に響く・・・。
読んでくださってありがとうございます。
さっさと間話抜けたい。