通学
「暑ぃ~な」
朝っぱらじんわりと汗をかき、あぜ道を歩く。ちゃんとしたアスファルトで舗装された道路もあるにはあるけど、学園まではこっちの方が近道。
今日の予報はゴブリンの出現に注意だ。近所の爺さんがさっき教えてくれた。一応、気を付けておこう。まあ相手がゴブなら猟友会の皆さんが何とかしてくれるのだろうが。
そうだなぁ、出会ってしまったらいつも通りの対応だな。
ゴブが武装してなかったらボコっちまって、武装してたら逃げちまおう。
毎日の通学如きでリスクはとりたくない。ノーリスク上等だ。俺は戦士系の職業とかに目覚めた人じゃないしね。あくまで俺のレベルは5。職業レベルでもなく能力レベルでもなく、俺レベル5だ。絶対に無理はしない。
「タロ君、おはよっ」
「オウ、おはよ」
元気いっぱいって感じで声を掛けてきたのは、俺の幼馴染のキョーコだ。
黒髪ショートで目ん玉キラキラで小麦色に肌が焼けてて、ミニスカからニョキっとでた生足が悩ましい。そんな女だ。
俺たちは軽く手を挙げ挨拶を交わし、キョーコは当然のように俺の横に並ぶ。キョーコは「久しぶりだね。こういう感じ」と言って嬉しげだ。俺も悪い気分じゃない。
「タロ君、聞いた? ゴブ注意報」
「さっき田中の爺さんが教えてくれた」
「そっか、最近よく出るよねゴブのヤツ。
アイツら女の敵だから誰か撲滅してくんないかな」
「ハハ。確かにそうだな」
「だよね」
たわいのない会話を交わし二人で歩く。
「キョーコ。お前、今日朝練なかったのか」
「うん。陸上部が使ってるトコ荒れちゃったから……」
落ち込むキョーコ。
何やら地雷を踏んてしまったらしい。反省。
「ゴメンな」
そう言ってキョーコの頭をポンポンした。
するとキョーコはニャハっと笑ってリズムよく歩き出した。相変わらず切り替え早いヤツだ。
でもそれがコイツのいいトコで、キョーコは元気なのが似合ってる。ただ、弾むミニスカがとっても悩ましいが。
俺たちの通う学校は近場の山の中腹にあり、結構な坂道を登る。
通学の仕方は人それぞれで、バスもあればチャリ通のヤツもいる。
俺はいつも歩きだが、普段のキョーコはランニングがてらの走りだ。
あぜ道から坂へと続く公道にでると、目の前をバスが通り過ぎていく。乗っているのは初等部の子たちが中心だ。
世界が変わるまでは、小学生の集団登校なんていう恐ろしい習慣があったらしが、そんなものは今はない。当然だ。無駄に子供を死なせる必要はないからな。
昔を知る大人は「日本の安全神話が壊れてしまった」などと言って、嘆く素振りをしながらもかつてを懐かしむが、俺らの世代にとって安全神話なんて言葉は死語でしかない。生まれた頃には、もう世界が変わってしまっていたのだから……
坂道に入ると中等部以上の生徒たちが登校している姿と、登校の安全を見守る猟友会の皆さんの姿が見えた。時折、大学生らしい兄ちゃんたちがバイクで坂を駆け上ってゆくのを羨ましく思いつつ、キョーコのお喋りに付き合った。
「ねえタロ君。今日の猟友会の人たち多くない?」
「そうだな。結構出てんのかな? ゴブのヤツラ」
最近の注意報は当たらないことも多い。
ゴブだけじゃないのかもしれない。
「ゴブだけじゃなかったりして?」
キョーコも同じことを考えていたらしい。眉をひそめ不安を覗かせながらそんなことを言った。
その気持ちは分からなくもない。
この前なんて、ゴブ注意報だったのにオークの小隊が出たからな。しかも、全身金属鎧のマサカリ付きで。戦える能力を待たない普通科の学生なんてパニクってた。俺も当然ビビってた。
だってそうだろう? 身長2メートル級のマッチョデブがフル装備で襲って来るんだぜ。普通、ビビんだろ?
そんな訳でキョーコの不安には「かもな。でも、お前の能力なら大丈夫だろ」と答えておいた。実際、無理して戦おうなんて気を起こさなければ、よほどの敵でもない限り逃げおおせるだけの力がキョーコにはある。「自信持っとけキョーコ」てな感じだ。
まあ当の本人は「…そういうんじゃないよ」と不満気だったが……
「…ん?」
猟友会のオッちゃんたちの雰囲気が変わったような。
目を細めてもう一度見てみる。
オッちゃんたちの表情には、苦味を噛み潰したような歪みが見て取れた。
「タロ君、どうしたの?」
キョーコは、お喋りの最中に上の空となった俺に気づき、疑問を投げかけてきた。猟友会のオッちゃんたちの変化には気づいていないらしい。
「猟友会のオッちゃんたちが緊張してるみたいだ」
「ウソ、本当に?」
「ああ、本当だ」
この手の感覚には自信がある。
俺のレベルは5だ。俺レベルに目覚める前の自分より、レベル5分の上積みがある。運動能力にしろ感覚機能にしろだ。キョーコもそのことを知っているため、特に反論もなく納得したようだ。
「ちゃんと柔軟してきたかぁ?」
「当然! タロ君は?」
「俺も当然だ。そもそも一般常識だしな、外へ出るときは柔軟してからにしましょうなんてのは」
「だよね!」
魔物に出会う予感があっても、俺たちに悲壮感は特にない。
猟友会の人たちもいるし、戦える武芸科の生徒もチラホラいるしね。
俺たちも含めて普通科の生徒は、戦える人たちの足を引っ張らないように避難行動をとればいいだけだ。その訓練も初等部の頃から定期的に受けてる。問題なしだ。
さて、そろそろかな……
猟友会の人たちが無線機で忙しなく連絡を取り始めた。
その様子を見ている通学中の生徒たちも慣れたもので、道路脇の雑木林から距離をとり、武芸科の生徒は前へ普通科の生徒は後ろに下がった。
武芸科の生徒たちは端末を使って学園にドレスコードを申請している。それは即座に受理されたらしく、特撮ヒーローの如く変身していった。注意報が出ている日の受理速度は速い。ちなみに、今から立て込みそうだから、ドレスコードとは何かの説明はまた後日ということで。
そして、もはや必要もない気もするが、猟友会の人たちが警告を発した。
雑木林が嫌な感じでざわつく――
「キョーコ」
「来る?」
「オウ。油断すんなよ」
「ウン!」
俺とキョーコが言葉を交わし終えたちょうどその時、雑木林の茂みを突っ切って小柄な影が飛び出してきた。
言うまでもなくゴブだ。
緑の肌に卑しい人相を浮かべ鋭角的な鷲鼻がウザったい。そんで身につけている物といえば小汚い腰ミノ一丁のみ。見事なまでのノーマルゴブリンだ。
「うわぁ……何回見てもキモ」
キョーコがうんざりと呟き、その視線はゴブの股間に向けられていた。
その理由は簡単で、女生徒を見たゴブがさっそく盛っておっ立てていたからだ。
そして、そんなのが次々と茂みの中から飛び出して来る。確かにキモい光景だ。何回経験してもこの生理的嫌悪は失くなってくれない。
それにしても伝統的なザコキャラだけあってノーマルゴブは弱い。早速、飛び出してきた一匹が生徒によって切り捨てられ絶命した。特に工夫もない袈裟懸けだったのに……さすがノーマルゴブ、役者が違う。猟友会の皆さんも武芸科の生徒に任せる気まんまんで、自分たちは不慮の事態に備え警戒中ってかんじだ。
生徒とゴブの戦いは最初の一匹が死んだのを合図に始まり、特にドラマもなく終わりを迎えそうだ。なんか一方的な情勢。
ただ、猟友会の皆さんが油断なく雑木林を睨みつけ銃口を向けていることから、まだ続きがあるのだと思う。予報が外れる予感がヒシヒシと高まってきた。
その時が来た――
「気をつけろ!」
猟友会のオッちゃんが警告を発すると、すぐさま銃を撃ち散弾を茂みにブチ込んだ。茂みの奥からは「ギャン」と犬のような鳴き声がいくつか聞こえ、俺たちにある予測をもたらした。手強いヤツがいると。
通常、ゴブは動物系の魔物と行動を共にしない。ただし、それらを使役する上位種がいれば話は変わってくる。ゴブ系かオーク系、どちらかだと思うけど「手頃な強さの魔物でありますように…」と割と真剣に俺は祈った。
結果、他の生徒たちも固唾を飲む中のそのそと現れたのは、蛮族ファッションの2メートル級のオーク。皆さんご存知かもしれないが人型の醜悪な豚だ。動物の頭蓋骨を被り、謎の毛皮で身を包んでいる。手に持つ武器は長柄の斧。思ったより強そうだ。
後ろに下がって戦闘を見守っていた生徒たちに動揺が走る。「あれ? ゴブじゃないの!?」ってかんじだ。
試しに猟友会のオッちゃんたちが蛮族オーク(仮)に散弾をブチ込んでみたが、ヤツは平気な顔でニヤついただけ。しかも無遠慮にコチラ側に近づいてくる。ふてぶてしいヤツ。
それを見たオッちゃんたちは、特に驚きもせず淡々と銃を放り捨て腰のカトラスを抜き放った。
三対一か… 数の上では有利と言いたいところだが、俺の感覚に何か引っかかっている。どうせ、雑木林に伏兵でもいんだろ。面倒くせぇんだよ。…警戒しとくか。
何気にキョーコより前に出ておく。猟友会のオッちゃんたちも苦戦しているみたいだしね。
オッちゃんたちと蛮族オーク(仮)の戦いは、オッちゃんたちに分が悪い。
なぜなら、蛮族オーク(仮)の毛皮がオッちゃんたちの超硬度カトラスの刃を通さないからだ。
謎の毛皮、強し。
戦える生徒たちも攻撃に参加するも、蛮族オーク(仮)の長柄の斧のブン回し攻撃の前にタジタジだ。
守ってもらっている立場でこういう事を思うのは不謹慎だが、なんだか頼りない。レベル高くないんだろうな…
「キャーッ!」
女生徒の悲鳴。
その子の視線の先を追うと… 「ん、何もねぇーじゃん」そう思った一拍後、何もなかった場所に薄らと影が現れコチラに向かって動き出した。影は疾走しながらも犬の姿に実体化し女生徒に狙いを定めたようだ。
なかなか賢い。実体化する前の自分に気づいた女生徒を生かしておく気がないらしい。
仕方ない。今は猟友会のオッちゃんたちも戦いに参加している生徒たちも助けに入れないタイミングだ。
俺はポケットから素早くコインを取り出すと、犬に狙いを定め指で弾く。弾丸とまではいかないがそれなりの威力を持ったコインが犬の即頭部を捉えた。
予期せぬ一撃に犬が疾走を止め、痛みに唸る。俺はその隙を見逃さず一気にその距離を詰めた。犬は接近する俺に気づくと牙を剥き威嚇するが、そんな事は俺の知ったことではない。犬の間合いに無造作に踏み込み犬の攻撃を誘う。犬は己の領域を侵す俺を本能のままに襲い、そして――
「ギャン!」
普通科の学生には本来有り得ない反応速度で犬の攻撃をかわし、それとほぼ同時に犬の顔面に拳を叩き込んだ。手応えありだ! 犬は力なく体を地面に打ち付け立ち上がってくる気配はない。
「タロ君スゴイ!」
キョーコが俺の周りをぴょんぴょん跳ねて喜んだ。うん、悪くない気分だ。
女生徒にもお礼を言われた。よく見てみると綺麗な上級生だった。幸せな気分になった。
「キョーコ、気を抜くな。まだ、終わってないぞ」
最も気を抜いた俺がほざく。キリッとした顔で。
とまあ気を取り直し戦況を確認すると、蛮族オーク(仮)が猟友会のオッちゃんたちと武芸科の生徒をあしらいながら俺を見てた。
何? まさか目を付けられてないよね? 嫌なんだけど…
俺がそんな事を考えたのが伝わってしまったのか、蛮族オーク(仮)はニヤリと俺を嘲笑し豪気に斧をひと振りし間合いを取ると、信じがたい跳躍で雑木林に消えた。追える者は誰もいない。いや、追っても無駄だろう。引いてくれてコッチがホッとしたくらいだしな。
その場にいた全員が呆然とするなか、しばらくして「ピィーッ」と指笛が雑木林の中から響いてきた。
何だ?
「きゃっ」
女生徒の小さな悲鳴に振り向くと、KOしたはずの犬が薄らと消えていった…
う~ん、なんていうか…… 後味悪いなぁ~。
色々あったが俺たちは生き残り俺たちは学生だ。通学の途中だ。坂道を登らなければならない。
朝からもう疲れちゃったけど… とりあえずウンザリしつつも歩く。心なしか俺も含め皆、足早に学園を目指しているみたいだ。
ま、気持ちはわかる。あんな現場からはさっさと距離をとりたいってのが人情だ。
「タロ君」
「何だ?」
「今日は朝から大変だったね」
「そだな」
「タロ君」
「ん?」
「あんなスゴイの初めて見た」
「だな。凄い迫力だった。武芸科の連中はいつもあんなの相手にしてるんだよなぁ… 迷宮で」
「タロ君」
「オウ」
「タロ君だったらアイツに勝てそう?」
「ばっか。俺を殺す気か」
「アハハ、ゴメ~ン」
「タロ君」
「戦わねぇぞ?」
俺はきっぱりと言う。
そんな俺を見てキョーコは突然駆け出した。そして十数メートル先で止まりクルッと回ってコッチを見た。
「タロ君~! さっきは格好良かったぞ~!」
他の生徒もいる中で大きな声でキョーコはそう言った。
キョーコは言いたかったこと言ってスッキリしたらしく、またクルッと回って坂道を駆けて行く。
俺はその背中を見ながら「…ばっかテレんだろ」と呟いた。
次回へ続く。