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乙女たるもの恋されろ!  作者: わかくさ
1章 混迷のバースデーパーティ
7/21

7話 --- 王子の賭け   ☆

「…上野……」


唐突な主役さまの登場に相当混乱したけれど、わたしに呼びかける高大も同じくらい混乱しているようだった。わたしは驚きの反動でイケメンっていうのはどの角度から見てもイケメンなんだ、とどうでもいいこと考えながらベッドに倒れたまま高大を見上げていた。


間近で見るとあらためて高大が無駄に顔の整ったひとなんだということがわかる。黒目がちのはっきりとした二重の目は印象的だし、お人形さんみたいに筋のきれいな鼻も、健康的な色味の艶っぽい唇もみんな完璧な左右対称に並んでいる。甘めに整ったやさしげな顔立ちはまさに「王子様」。学園中の女の子たちが争奪戦を繰り広げているのも頷ける。


「……上野?……大丈夫か?」


動揺しきった顔の成星院学園の王子様はおそるおそるといった様子でわたしを伺ってきた。それでもまだわたしが驚きでうまく言葉を返せずにいると、不安げに眉根を寄せる。


「…まさかどこか痛いのか?それとも体調が……?」


高大ははっと顔を上げると険しい表情で「待っていろっ」と言い残し部屋から駆け出ようとする。


「今、医務室に連絡を……いや、まず松崎を呼んでくる!」

「あのっちょっと待って!!」

あまりにも鬼気迫った様子に、思わず跳ね起きていた。

「待ってってば!わたし、どこも悪くないから!!」

わたしごときのせいでスタッフさんや松崎のおじさまの手を煩わせるなんて、あってはならないことだ。

「見て、これ。靴が慣れなくて。それで転んだだけなのっ」

立ち上がってほら、と足元を示す。高大の目がすぐさまそこに向けられる。

「すごいヒールでしょう?わたし踵が高いものってふだん履いたりしないからすっころんで。それでベッドに倒れちゃってたの……」


高大はしばらくパンプスをじっと見つめる。それからゆっくり視線を上に向けていった。わたしの足首から脛、その先の膝元でゆれる若草色のドレスの裾。タイトな太腿からお腹と腰までのライン、その先の少し開かれた胸元。わたしの体のパーツをひとつひとつをたどるように高大の視線がゆっくり流れていき、最後には困惑するわたしの目とぴたりと合わさった。高大はそこでようやく我に返ったような顔になる。息を呑んで大きな二重の目をさらに大きく見開いた次の瞬間。高大はまるで頬を張られたかのような勢いで顔を真横に背けた。


「……くそっ春人のやつ…」


心底弱りきったように口元を固く押さえて俯く。


「……なにがそれほどブスじゃない、だ」


聞き取れないくらいの小声で何かを呟く高大の耳がみるみる尋常じゃない色味に染まっていく。どこか具合が悪そうなのはわたしじゃなく高大の方だ。


「あの……大丈夫?」

おずおずと声を掛けると、高大は口元を手で覆ったままこちらに向いた。心なし、いつも潤んでいるきれいな目がさらに潤みを持っているようにも見える。

「もしかして体調、悪いの?……って、あれ。どうしたのそれ!」

高大は何を聞かれているのか分からないという表情だ。

「左の頬っぺただよっ。赤く腫れてる!」


憎たらしいほどきれいな肌の片側が、蚯蚓腫れのように赤くなっていた。顔立ちがうるわしい分、その赤い痕が痛々しい。


「どうしたのそれ、痛いんじゃない?ぶつけたの?冷やさなくていいの?お薬は塗った?」

自分のことみたいにおろおろしてしまうわたしに高大は「ああ、これか」と笑って答えた。

「いいんだよこのままで」

「全然よくないよ、早く何か処置しないと」

きれいな顔に痕でも残ったら一大事だ。

「いいんだってば」

高大はまるで頓着しない様子できっぱりと、案外頑固そうな口調で言った。

「これはさ、天罰みたいなものだから」

「天罰?」

わたしの疑問には答えず、高大はベッドいっぱいに並べられたクマのぬいぐるみに目を向ける。わたしはパディントンを抱きしめたままでいることに気付いてあわててベッドに下ろすと、それを手にとった高大はなんとも苦々しそうに呟いた。


「真澄だな」


呟く声には相澤くんに対する怒りとも呆れともつかない感情が滲んでいた。

「人の部屋で何していたのかと思えば。あいつ勝手に持ち出してきたな」

「……まさかこれ、私物なの?」

高校生男児が、しかも成星院学園の王子様ともあろう人が愛らしいぬいぐるみをこんなにたくさん収集していたなんて。いったいこの人はどれだけクマ好きなんだろうか。

「ここにあるの全部高大くんの?」

「高大、でいいよ」

さらりとわたしの疑問をかわすと、責めるように付け足した。

「そう呼ばれるほうがまだマシだ」



「そういえばパーティは?」

高大と無駄話をするつもりなんてなかったけれど、豪華な客室に二人きりでいる気まずさのあまり口を開いていた。

「まだ終わってないんでしょう。戻らなくていいの?」

「ああ、だって別に俺がいたっていなくたって一緒だからね」

今日だけじゃなく常に学園の主役であるひとの言葉とは思えなかった。あまりにも淡々と冷めた調子でいうものだから思わずむっとしていらないことを言ってしまう。

「そういう言い方、ないよ。うちのクラスだって今日楽しみにしてきたひとたくさんいたんだよ?渋谷くんたちだって高大くんのために準備張り切ってたんでしょう」

「じゃあ上野は?」

高大は薄く笑う。

「……わ、わたし?」

「上野は俺の誕生会なんて楽しみにしててくれたわけ?」


不意を付く質問に思わず言葉を飲み込んだ。色の深い黒目で見詰められて答えに詰まる。わたしの戸惑いを明確に読み取ったのだろう、馬鹿なことを聞いたといわんばかりに高大は自嘲的な笑みを浮かべた。いつも太陽みたいにまっさらな人には不似合いな笑みを。


「ごめん八つ当たりだ。でも今日は来てくれてありがとう」

「えっと、べつにそんな。こちらこそ」

「……と、いうべきなんだろうね、本当は」

差し出された手に応じようとしたところで手を引っ込められて握手をかわされたみたいな、なんとも間抜けな屈辱感。社交辞令にしろ「こちらこそお招きどうも」と危うく言いかけていた自分に歯噛みしたくなる。

「べつに嫌ならわたしに無理にお礼をおっしゃらなくても結構です!でもわたしはともかく渋谷くんたちにはちゃんとお礼を言いに行ったら?」

「余計なお節介ありがとうって?」

「もう高大くん!」

わたしが怒ると、なぜかすこしだけ愉快そうな顔でほほえむ。

「悪い悪い。一応春人たちの友情には感謝してるよ。でも春人たちはただ騒ぐ理由が欲しいだけなんだ。賢人も真澄もイサだって何だかんだいってお祭り騒ぎが好きだからね。今日もそのために俺を担ぎ出しているだけだよ。……そんなことより、俺の方こそ訊きたいんだけど」


あらたまった顔して、わたしに向き直る。


「上野はどうしてここへ来たの」

「どうしてって」

そんなこと言われても。自分の身に起きた一連のことをどこからどうやって説明すればいいのだろう。

「高大くんこそ、」

どうしてここへ?と苦し紛れに質問で返すと高大は何か吹っ切れたような顔で言い放った。

「俺は賭け、かな」

「賭け?」

「そう。で」わたしが疑問を差し挟むことを許さずに再び問いかけてくる。「上野は?」

「……わたしは。その、ここでちょっと探し物。携帯電話、みつけたら帰るの」

これだけの説明で事情を察せるはずがないのに、高大は何もかも知ったような様子でその人の名前を口にした。

「それって忍と連絡を取るため?」

相澤くんたちから何か聞いているんだろうか。

「……高大くんには関係ないよ」

「今日は来たときからずっと忍と一緒だったよな」

相澤くんといい高大といい、なんであんな人ごみの会場の中でそんなことまで把握できているんだろう。

「そうだよ、忍ちゃんは今日、わざわざわたしについてきてくれたの」

「俺は忍とはすっかり疎遠になったけど。上野は今でも親しくしているんだな。上野は忍が好きなの?」

いきなり投げつけられた直球。驚きよりもなんで高大にそんなことを訊かれなきゃいけないんだろうという不愉快さの方が強い。

「だったら何」

「まさかとは思うけれどもしかして上野は忍の家のこと聞いてないのか」


心臓を握りつぶすくらいの強さで鼓動が大きく跳ねた。


「忍は何も言ってないのか?忍にはもう親が決めた……」

「渋谷くんも高大くんもご親切にありがとうっ!」


張り上げた声で遮る。鼻の奥がツンとしたけど精一杯の強がりでにっこり笑ってやった。


「わざわざご忠告、いたみいりますっ」

「やっぱり知っているのか?知っているならなんで」

「知らないよ!」もう一度強い口調で遮って続けた。「知らないし何も聞いてない」

「忍はなんでそんな大事なこと黙っているんだ」

「いいの。わたしは知らなくても。もしいずれ知らなきゃいけないことがあるんだとしても、それはいずれ忍ちゃんから直接教えてもらえるはず」

「でもそれはあまりにも上野に不誠実じゃないのか」

「いいの!」

「でも忍は」

「……やめて」

「上野のことは」

「いいからっ!余計なことを言わないで。全然関係ない高大くんの口からは何も聞きたくない!」

「上野、少し落ち着けって」

「ぜったいやだっ!高大くんこそ黙って」


「黙っていてよ」と言い終える前に、高大が握り締めた拳を壁に叩き付けた。荒々しいその行為と苛立った表情に竦みあがる。思わず一歩後ずさると、高大はばつの悪そうな顔でわたしを見た。

「ごめん。怖がらせるつもりはなかった。けれど話を」

自分でもコントロール出来ないものに振り回されているかのような。珍しく感情的な高大は後悔するように「いや、そんなことはどうでもいいか」と呟く。

「上野」

「な、なに?」

「春人たちの余計なお節介にはうんざりしてたけど。俺はひとつだけ決めてたことがあるんだ」


高大が一歩踏み出してくる。わたしと高大の間にあった距離が縮まる。なんだか怖くなって一歩下がるとまた一歩にじり寄って来た。


「高大くん、あの、もしかして怒ってる?」

「怒ってる?ああ。確かにそうかも」


縮まらない距離に焦れたようにまたもう一歩踏み出してくるから、わたしももう一歩下がる。


「なんでこんなところへ来たりしたんだ?ほかの娘たちとは違って、上野はそんな安い女じゃないだろう?」

「ややすいって?」

「真澄あたりにいいように言いくるめられたんだろうけど……それにしても君は迂闊すぎるよ。まさか俺のことを嫌ってるはずの君がここへ来るなんて思いもしなかった」

そういってわたしを詰るような目をする。

「君のせいで俺は賭けに勝たされてしまったんだ。到底見込みのない賭けだと思っていたのに……」


一瞬だけ躊躇うように目を伏せた後、高大は顔をあげて真っ直ぐにこちらを見つめてきた。


「けど勝った以上は腹を決める。これは上野の所為でもあるんだよ。だから遠慮はしない」


そう言ってわたしに逃げる暇も与えずに大股で詰め寄ってくると、男子にしては指の長い繊細な手でわたしの肩を掴んできた。


-------ああ。やっぱりきれいな顔。


ありえないくらいの距離に接近してきた美貌に、思わず状況も忘れて魅入っているうちに、なにやら唇に生温かいものが押し付けられた。むにゅっとやわらかくて、奇妙な感触。


「へっ?」


たまげる、とはまさにこういうときの境地なんだろう。たましいが飛び出すかというくらいぼかんと大口を開いたまま、目の前の不可解な相手を凝視した。


「……え、あの、ちょ、今、何し、……何するんだっ」


両肩を掴む手を振り払おうとして身を捩ると、またもやピンヒールのせいでバランスを崩し背中から転びそうになる。


「うわっ」

「上野!」

支えようとしてとっさに手を伸ばした高大ごと倒れこんで、2人分の体重を受け止めたベッドが大きく上下に揺れた。

「いったぁっ」

「っ、」


すらりとした体型とはいえ所詮は男の体。わたしの上に乗り上げた高大の体が重くて、下敷きにされたわたしは痛みと苦しさでうめく。

「お、重い」

顔を上に向けるとすぐそばにはわたしを映す大きな目が見える。

「あの、高大くん?」

呼びかけても高大は思考停止したように固まって動かない。高大にとってもあまりにも予期し得ない状況だったらしい。


「えっと、高大くん、重いよ。どいて」


わたしに覆いかぶさったまま硬直している高大の体との間に、腕を突っ張ってどうにか隙間をつくろうと足掻いていると表情の消えていた高大の顔に、何か意を決したような強い意志を感じさせる表情が宿った。

「……言ったはずだよ。俺は遠慮しないって」

そういって吐息がかかるくらい顔を寄せてくる。馬鹿なわたしにでも高大が何をしようとしているのかは明白だった。


「ふふふざけないで!ひとを晒し者にしておいて、そのうえまだわたしのことからかうつもりなの?」

衆人環視の中で受けた『処女を貰ってやるボランティア』というひどい侮蔑は、まだ耳にこびりついている。冗談にしても許し難いのに、このひとはほんとうにわたしをそんなきたないやり方で馬鹿にするつもりなんだろうか。

「あれは……。さっきのはたしかに自棄になってたとはいえ悪かった」

分かりきっていたことでも「一夜の相手」として名を上げたのは自棄だったと本人に告げられるのは思っていた以上にみじめなことだった。本気であってほしいなどとは欠片も思わないけれど、謝られると余計に心が痛くなる。

「すこしでも悪いと思うならどいて!みんなでわたしのこと馬鹿にするだけじゃまだ気がすまないの?また自棄でわたしのことを」

「違う、そうじゃなくて。そもそも俺は」

「べつになんだっていいよ、だからどいて!」

「上野、聞いてくれ」

「さきにどいてよ、高大くんの話なんてどうでもいいっ、早く!」


冗談だろうとくだらない遊びだろうと、これ以上つき合わされるのはみじめがすぎる。


「あっちへ行って、行ってよっ」

「上野っ」

「わたしのことなんてもう放っておいてってば!」


高大を押し退けようとむちゃくちゃに腕を振り回していると、高大のやさしげな顔が急に張り詰めた険しいものに変わった。


「……嫌だと言ったら?」


ぶん殴ってでもどいてもらうつもりだったのに、熱気を孕んだ鋭いまなざしを向けられて体が言うことをきかなくなる。体が竦んでしまって声すら出すことが出来ない。怖い。よく知っているはずの同級生のはずなのに、目の前にいるのが得体の知れない生き物みたいで怖くなる。


きっと本能的に知っていたんだろう。女子はこういう目をした男子には絶対かなわないってことを。あとで相澤くんから「それは男が雄になったときの目だよ」と笑いながら教えられた。勿論このときは「怖い」と思っただけでそれがなんでなのかわからなかった。


「ごめん、上野を困らせたいわけじゃないんだ。だけど上野の気持ちだけを尊重し続けることも俺には出来ない」


断固として言い放っておきながらもまだあともう一歩踏み込んでくることを躊躇っている様子の高大と、蛇に睨まれた蛙状態で震えるわたしがじりじり見詰め合っていると。不意に場の緊張にはあまりに不似合いな軽快なメロディが流れる。


ラブソングの女王といわれるわたしの大好きなシンガーの新曲。耳に馴染んだそれはわたしの携帯の着信メロディーに設定されている曲だ。音源をたどると高大の着ているジャケットのポケットからわたしが気に入っている「あるクマ」のストラップがこぼれているのが目に入る。わずかにのぞくピンク色のボディも。高大が阻止するよりも早く抜き取った。取り返そうとしてくる高大に背中を向けて抗うと、すぐに背面から抱きつくみたいにして体を拘束される。


「忍からの着信?」


耳元でささやく怒ったような低い声がなんだかとてもおそろしげなものに聞こえる。わたしの背中に押し当てられる案外男らしい高大の硬い胸も、服越しに馴染む体温も、廻される腕の力強さも。高大のすべてが怖かった。とても怖いのに、一方でベッドの上でもがく今の状況がとても恥ずかしいことみたいに感じられて泣きたくなる。

「お願い、離してっ」

拘束されかけながらも縋るように伸ばした指が、高大に取り上げられる寸前に通話ボタンを掠めた。


『……初実?』


聞こえてきたのはお母さんの声だ。地声がおおきくて耳に当てなくてもスピーカーからはっきりと漏れ聞こえるお母さんの声が『聞こえているの、初実』と繰り返す。わたしの携帯を持ったまま高大が冷水を浴びせられたような顔になる。


『今どこにいるの?まだパーティ会場?』

脱力したように動かなくなった高大の手中から奪い返して、半泣きで応答する。

「…おかぁあさん……」

『遅くなるなんて聞いてないし、でも連絡もくれないままだし心配してたのよ?』

------いま、わたし。

『どうしたの?ぼうっとした声出して。大丈夫なの?』

------高大が。

「だい、だいじょうぶ、だよ。ちょっとすごい人で疲れちゃって……」


高大の体を押し退けると、拍子抜けするくらい簡単に高大の体が離れる。


「もう、もう帰るから。すぐに帰る、いますぐ帰るから」


後ろ手に寝室のドアを開いて後退する。リビングに出るとそのまま一目散に出口までかけていった。寝室で悄然と立ち尽くしたままの高大の姿がいつまでも瞼に焼きついた。



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