5話 --- 高大広海のなかまたち
「お嬢様のピンク色の携帯電話でしたら、先ほどイズミ様にお渡ししましたが」
和泉くんに置いてけぼりにされたわたしがまずとった行動は携帯電話を探すことだった。脱いだ制服のポケットに入れっぱなしだったので、もう一度Lサロンに戻って高山さんに聞いてみたけれど、制服はクリーニングサービスへ、携帯は和泉くんへ手渡したと告げられた。
とにもかくにもまず真っ先にはぐれてしまった忍ちゃんと連絡が取りたかったのに、和泉くんの姿はもうどこにもない。どうすればいいだろうと途方に暮れていると、和泉くんが降りて行った階段の下からにぎやかな声が聞こえてきた。
「だからジョークだと思ったんだってば!」
「広海があんな下品な冗談を言うか!まったく、お前のせいですべてが台無しだ」
「えっそれってオレのせい?教えてくれなかったのがいけないんじゃん。前もって知ってればさー、オレだって」
「おまえみたいな奴に教えといたら今日まで黙っておくことなんて出来なかっただろう。学校じゅうに言いふらしてたに決まってる」
「まあねー。だって人の恋路ほど面白いもんはないじゃない?それも広海のだよ?黙っておく手はないじゃん」
「……おまえな」
「それにしたってさ。最近帰ってきたばかりのイサですら知ってたのに、オレだけのけ者とかひどくない?」
「黙れ。段取りが無茶苦茶になったんだ。広海にどう謝ればいい」
言い争うふたりの男子の声。そのいっぽうが誰のものか思い当たり、すぐに身を隠そうとしたけれどそれよりも先に階段をあがってきたふたりに見つかってしまった。
「あっ。あれ……上野さん!?」
わたしを指差して声をあげたそのひとはまだパーティー会場にいるはずの渋谷春人だった。今というか当分というか、はっきりいって今後一生会いたくないと思っていた。その渋谷くんはやっぱりなんの悪意もない明るい声で「わあ!すっげぇ」と言って駆け寄ってきた。
「その格好、似合ってんじゃんっ」
そして無邪気な様子でもう一言。
「上野さんってさ、思ってたよりブスじゃないかも!」
それが渋谷くん渾身のわたしに対する褒め言葉らしい。喜ぶはないにしても怒るところなのかそれともどう反応すればいいのだろうかと頭を悩ませていると、渋谷くんの隣にいた男子がわたしの代わりに思いっきり渋谷くんの頭をどついてくれた。
「このバカトがッ。おまえはどれだけ失礼なことを言っているのか分かっているのか」
そういって渋谷くんを叱るような目で見下ろしているのは、隣のクラスの学級委員長で県議会議員の一人息子、成星院学園でも指折りの秀才として名高い小田切賢人くんだった。大きな黒縁の眼鏡に襟足で整えられた清潔な黒髪、学校では制服を決して着崩すことなくワイシャツの第一ボタンまできっちり留めている絵に描いたように几帳面で模範的な優等生だ。あまりにも古風なその着こなしは普通ならダサいだけなのだろうけど、剣道部で背筋もすっときれいな小田切くんが如何にも勤勉な学生といういでたちでいると、知的で凛々しい顔立ちも相まって様式美的な独特の格好良さがあった。今日着ているのもそんな小田切くんによく似合う重厚なシルエットのトラディショナルスーツだ。
「賢ちゃんまでバカト呼ばわりってなんなんだよ。俺の名前は『ハルト』じゃなくて『ハルヒト』。せめてバカトじゃなくて『バカヒト』って呼んでよ!」
-------賢ちゃん。硬派で落ち着いた雰囲気の小田切くんをその名で呼ぶのは学園の中でも渋谷くんだけだ。
「そんなことはどうでもいい!それより先程の彼女の容姿を侮辱する言葉は聞き過ごせん。上野さんはじゅうぶん美しかろう」
「えー!そうかなぁ?ああ、でも賢ちゃん昔からこう、なんていうか華のないのっぺりした平坦な顔、好きだもんね。今付き合ってるのもみんなジミ子ばかりだし」
「だからどうしておまえはいちいちそう貶すような言い方をする。大和撫子とか和風美人とか他にいいようがいくらでもあるだろう」
「アジアンビューティーとか?でもさこの手の顔、どうしても俺は美人の範疇にはカウントできないんだよねぇ……ってか、賢ちゃん素で美しいとか言っちゃうから、ほら、上野さん顔真っ赤になっちゃってんじゃん」
ふたりしてわたしを見てくるから、とんでもなくいたたまれない気持ちになる。
「ごめんね、上野さん。賢ちゃん天然で女の子口説いちゃってることよくあるんだけど、気にしなくていいからね?」
「う、ん?」
「よくいるんだよね、何気ない賢ちゃんの一言真に受けて賢ちゃんにのぼせ上がっちゃう子が。ああ、でも本気で口説かれたいと思ったら早めに言ってあげてよ。今賢ちゃん彼女4人いて、それ以上は空き待ち状態だからさ」
「あきまち?」
「そうそう。それもついこの間ふたりも入れ替えたばっかだから、今補欠登録しても彼女に昇格するのしばらくかかっちゃうとおもうんだよねーって……いってぇ!」
「阿呆が!おまえはいちいち余計なこというな。今は関係ない話だろう」
「そっちこそいちいちひとの頭たたくなよ、俺が馬鹿な理由の半分くらいはバカスカ殴る賢ちゃんのせいだ!」
そういって小田切くんと渋谷くんが言い争いだす。といっても口では喧嘩してるようだけどじゃれあってるような雰囲気だ。とにかくこの場を離れようとそろそろと階段を下りていると、またしても階下から誰かがやってきた。次から次へといったいなんなんだろう。
「馬鹿賢コンビ。おまえら上野さん探して来いっていったのに何してるの?」
低音や濁りのまじりけがない澄んだ声。そのきれいなボーイソプラノに我に返ったふたりが、この場から逃げ出そうとしていた私に気付く。
「足止めにもなっていないなんてとんだ役立たずだな」
そう辛辣な言葉を吐いたのは、相澤真澄くんだった。男の子だけどわたしとそう変わらないくらい小柄で佇まいが可憐な線の細い人だ。中等部では圧倒的な支持で生徒会長を二期務めていたという。相澤くんはまだあどけなく少年の雰囲気が抜けない繊細な顔にいつもにこにこ笑みを浮かべている。けれど何故か全然温厚そうには見えず、一部のひとたちからは外見とはうらはらな「地獄の相澤」などと呼ばれていた。ユキちゃんが聞いた話によると、相澤くんが所属する空手部の先輩たちはなぜかみんな年下のはずの相澤くんに敬語を使っているらしい。そんな不気味な噂のある謎めいたひとだけど、渋谷くんは気安い様子で「ますみん!」と呼びかけた。小田切くんも渋谷くんもそしてこの相澤くんも高大とつるんでいる仲のいい友人同士で、今日のパーティを企画したのも彼らだと聞いている。
「見てよ見てよ、ますみん。ほら、上野さん」
「ああ。-----すごいな、よく似合ってる」
今まで口を利いたこともなかった、しかもわたしよりもはるかにかわいらしい顔立ちをした相澤くんにまでお世辞を言われても、うれしいよりもわけのわからない気持ちが膨らんでいく。
「だろだろ、大変身だろ」
「確かに。でも春人、自分の手柄みたいに言うんじゃない。イサの見立てなんだろう?あんな公開処刑みたいな後でどうやって上野さん説得しようか悩んでいたのに、さすがだな」
「……えー、公開処刑ってなんだよ。ますみんもまだ怒ってんの?べつにオレはそんなつもりは」
「大罪人は黙っていろ。おまえの場合無自覚の無神経がいちばんの凶器なんだよ。……イサがいてくれて助かったな。やっぱり女の子のことはフェミニストに任せておいて正解だった」
本心で感心している様子の相澤くんが「ところでイサは?」と訊ねてきた。
「イサ?」
わたしが訊き返すと。
「ああ。和泉のことだよ。和泉アイザック。さっきまで上野さん一緒にいたんじゃないの?」
そう言った相澤くんの視線が私の髪の一点に留まった。意味ありげに笑ったのは、それがもとは和泉くんの持ち物だったと気付いたからなんだろうか。
「……さっき、たぶん、ケントによろしく?みたいなこと言って、行っちゃったよ」
「何か他に言ってた?」
「言ってた。けど、分からなかった。英語でしか話してくれなかったから、わたしじゃ全然聞き取れなくて」
すこし驚いたような顔のあと、相澤くんは意味深に呟いた。
「ふうん。イサにしては妙に意地悪なことしたんだ……」
「あの、その和泉くんがわたしの携帯電話持っていっちゃったみたいなんだけど。申し訳ないけど相澤くんたち、和泉くんと連絡とってもらえませんか?携帯がなくて困ってるの」
「ああ。それなら大丈夫。上野さんの携帯ならもう別の場所に保管してあるから」
「え、じゃあ返してもらえるの?」
「それは上野さん次第かな」
にこにこした意図の読み取れない顔で相澤くんが言う。悪巧みを隠すような笑顔だ。
「どういうこと?わたし今すぐ連絡取らなきゃいけないひとがいるの」
「あー。それってもしかして二年の御園生忍って人のこと?」
渋谷くんが横から口を挟むと、小田切くんが「よせ」と止めようとする。「どうせわかることなら言った方がいいじゃん」と小田切くんを振り切って渋谷くんは口を開いた。
「あのさ上野さん、あの御園生ってやつ、やめたほうがいいよ」
------いったい、渋谷くんは何を言い出す気だろう。
「たしか御園生サンと付き合ってる?んだよね?でもオレと賢ちゃん、さっきここ来る前に左翼館のロビーでみたんだ。泣いてる女子抱きしめてる御園生サンを。あれってどう見てもただならぬ仲の男女だったよ。ねぇ、賢ちゃん」
話をふられた小田切くんはなんとも言い難そうな顔になる。奇妙な緊張で鼓動が跳ねて、嫌な汗がひたいにじわっと滲んだ。
「上野さん、二股かけられてるんじゃん?賢ちゃんはさ、誠実だから付き合う子にはみんな他にもカノジョいることちゃんと申告してからお付き合いはじめるんだけど、上野さんはなにも聞いてないんでしょ?遊ばれてるかもよ?」
渋谷くんを押しのけてこの場を去ろうとしたけれど、渋谷くんは通せんぼするみたいに真正面に立って道をふさいでくる。
「現実受け止めたくないのわかるけどさ。ちゃんと聞いておいたほうがいいよ。その女子とチューもしてたし。ね?」
「……嘘」
何を言おうとしたわけでもなかったけれど、唇からは勝手に否定する言葉がこぼれていた。
「嘘じゃないよ、こう切なそうにすがってくる女の子をぎゅっと抱きしめてさ、あんな上品そうな顔でやらしー音が鳴るほど濃厚に舌絡めちゃってたんだぜ?」
「そんなの。そんなの嘘だよ。だいたい渋谷くんなんかに言われたこと、信じられるわけないでしょ」
「……なんだよ、人が折角教えてやってんのに」
渋谷くんはむっとした顔で吐き捨てる。
「あの様子だと、上野さんのカレシ、今頃ここのどっかに泊まって、やることやっちゃってんじゃないの?」
--------やばいやばい。なんでまた目元がこんな。渋谷くんはそんなわたしに気付いてにやっと笑った。
「ほら。信じられないといいつつ、そうやって泣きそうになってるとこみると、ほんとはなんか思い当たるふしがあるんだろ」
意外なくらい鋭い指摘に目元ではりつめていた水の膜が破られる。とても不本意なのに、今日何度も決壊の危機に晒されたせいか耐え切れずにぽろぽろと雫になってこぼれてしまう。
「あーらら。泣いちゃったよー」
「……おまえ上野さん泣かせるなんて。あとで殺されても俺は知らんぞ」
「えー、だってどうせ遅かれ早かれ泣かされるんじゃん?いろんな意味で」
小田切くんと渋谷くんのやりとりに、相澤くんが溜息を吐いた。
「まったく、バカトがいるといろいろとかき回されるな」
かき回されているのはわたしのほうだ。今日何度思ったか分からないけれど。来なきゃよかった。いくらユキちゃんに頼まれたからって、高大広海なんかの誕生日会なんて、来なきゃよかったんだ。おかげで今日のわたしはさんざんだ。泣いている自分が悔しくて、ぐっと唇を噛んで手の甲でぐいっと目元を拭った。
「上野さん、この馬鹿の言うことが本当か嘘かは置いておいて、ひとつ提案があるんだけど」
わたしが落ち着くのを見計らったようなタイミングで相澤くんが口を開いた。
「とりあえず、君に携帯を返してあげるから取りに行くといいよ。それでことの真実を彼氏に訊いてみるといい」
言われなくてもそうするつもりだ。あきらかにわたしの味方なんかじゃない人たちのいうことなんて、鵜呑みにしていられない。
「まあもっとも、上野さんの携帯には一度も着信なかったみたいだけどね。俺が女ならこんな長い間、いなくなった彼女を探しもせず連絡もせずに放っておくような男なんてこっちから願い下げだけど」
あくまでもにこにこしながら相澤くんは折れそうな心に止めを刺すようなことを言う。女の子みたいなかわいらしい容姿のくせにさすが「地獄の相澤」だ。小田切くんが「何もおまえまでそんなこと言わなくても」と苦りきった顔で言う。相澤くんはひょっとしなくても無神経な渋谷くん以上に人が悪い。
「べつに彼に引導を渡されるのが怖くなったらこのまま帰ってもいいけど、上野さん、定期も財布もクロークに預けっぱなしでしょう?」
そういえば。逃げることだけ考えてパーティー会場から飛び出して、荷物を預けたままだなんてすっかり忘れていた。
「このままだと帰ることも出来ないよね?いまさらあの会場に戻るのも嫌だろう?友達に代わりに取ってきてもらうにしても、君と仲のいい家庭科部の部員もクラスメイトの秋名由姫さんも、もう帰ってしまったみたいだし」
なんて悲惨な状況なんだろうと頭を抱えかけて。ふと話しに違和感をおぼえて訊いていた。
「……なんで相澤くんがそんなことまで知ってるの?」
わたしの交友関係のことはともかく、あんな大勢の人でごったがえしている会場の中でユキちゃんたちが帰ったことまで把握しているなんて。にわかに信じがたい情報だ。疑うような目を向ければ、相澤くんではなく渋谷くんが茶化す口ぶりで答えた。
「あーそれはね、このますみんってば、前から秋名さんのことが好……」
軽い調子で喋っていた渋谷くんが突然「ぐふ」と声を上げて体をくの字にして倒れこんだ。相澤くんはわたしに向き合ったままにこにこ笑っている。いまこの姿勢のまま、高速の裏拳が渋谷くんのお腹に炸裂したように見えたけれど。きっと目の錯覚だったんだわ。……そう納得するほか許されないような、そんな凄みのある笑顔で相澤くんはにこにこしている。地に沈められた渋谷くんを助け起こしながら、「真澄を怒らせるなんておまえは本当にバカトだ」と小田切くんが呆れたように嘆息した。
「上野さん」
「……はい」
「とりあえず、まずは携帯を取りに行っておいで。あとでクロークから引き上げた君の手荷物はここに届けさせるから」
そういって相澤くんから手渡されたのは、帝宮ホテルのカードキーだった。