4話 --- 魔法の靴
「いかがでしょうか」
鏡に映る姿を見て思わず「すてきです」と答えてしまった。高山さんはにっこりと今日一番の笑顔を見せてくれた。
「はい、とても素敵ですわ。お嬢様の生き生きした魅力に少しでも華を添えられていれば幸いです」
「あ、いえ、その」
学校では髪を下ろしているかひとつ結びくらいにしかしていないわたしから見たら短時間でこんなに凝ったアップが出来ちゃう高山さんのアレンジテクニックがすごくてすてきだと思ったのだけど、言葉が足らなすぎてうまく伝わらなかったみたいだ。わたしじゃなくて高山さんが、としどろもどろに言っているうちに和泉くんが覗きに来た。
「な、なに」
検分するような目で上から下まで見られてなんとも居心地の悪い気分になる。まるで自分の作り上げた作品に瑕疵がないかを見極めるクリエーターみたいな真剣な面持ちだ。完成させるにはあともう1ピース何かが足らない。そんな視線がわたしの髪に留まった。
『……ミセス・ユウコ』
高山さんの名前を呼びかけた後『いや、やっぱりいい』と言って断るように片手を振ると、徐にスーツの胸ポケットに付けてあったチェーンブローチを取り外した。どうしたんだろうと見ていると、和泉くんは急にシルバーのそれのチェーン部分を無理やり手で引きちぎった。
「い、和泉くんっ何してんのっ」
ブローチ部分に残ったのは王冠型の台座に乗った大粒のスワロフスキーひとつだけ。これだけでも十分存在感があってきれいだけど、折角の繊細で和泉くんによく似合っていたブローチなのに。こんな荒っぽいやり方でチェーンを取ってしまうなんて信じられなかった。
「どうするの、チェーンもう直らないよ。取るにしたってこんな力で無理やりしなくても、ジュエリーショップとか職人さんのいるお店にお願いすればちゃんときれいに取り外してもらえるのに」
『今からそんな時間はないだろう』
呟くと和泉くんがわたしに手を伸ばしてくる。いきなりのことだったから思わずびくりと身構えてしまうと、和泉くんは不貞腐れたように『叩かれるとでも?何警戒してるんだ』と不機嫌に言って高山さんばりの器用さでサイドアップにした髪の結び目にブローチを差し込んだ。それからまたわたしを吟味するように眺める。夜空みたいな真っ黒な髪にまたたいた一点のきらめき。それを見て和泉くんは肩頬を吊り上げた。微かな表情の変化だけどまるで満足したみたいな顔にも見えて、この能面顔のひとでもこんな表情できるんだなどと感心してしまった。けれどわたしの視線に気付くと、和泉くんはすぐにまた感情のない真顔に戻ってしまった。
『ミセス・ユウコ。このサロンにIsaac・Izumiの名義で預けていた荷物があるのだけど、持ってきてもらえるかな?』
『Mr.Isaac・Izumi?確かに数日前、百貨店の方からお履物をお預かりしておりますが。あの素敵なJimmyChooの最新コレクションはあなた様の?』
『そうです』
『まあ!!こちらのお嬢様のためにご用意を?では今日いらしたのは本当はアクシデントとというわけではなかったのですわね。お嬢様のためのサプライズ?』
『……それは秘密です』
和泉くんがいたずらっぽい顔で高山さんに笑いかける。わたしに向けられたものじゃないのに、傍目で見ているだけでもどきりとしてしまうほど余裕たっぷりで魅力的な笑みだった。こんな顔、直接向けられてしまったら和泉くんがどんなに傍若無人で意味の分からない人だと分かっていても一撃で恋に落とされてしまいそうだ。高山さんの顔も乙女のようにみるみる赤く染まっていく。でもさすがプロ、真っ白い箱を抱えて帰ってきたときには先ほどまでと変わらない優雅なホテルスタッフの顔に戻っていた。
『ありがとう』
そういって高山さんを下がらせると、和泉くんはいきなりわたしを背後に突き飛ばした。
「わっ!」
ちょうど膝裏に試着室に置いてあった椅子が当たって、膝かっくんされたみたいにどすんと椅子の座面に尻餅をついてしまった。ほんのちょっとだけすてきかもしれないと思いかけていたのに。ばかめ、そう思った自分。イケメンオーラに容易くだまされてしまった自分が不甲斐なくて仕方ない。
「もう、和泉くん!さっきからひどいよっ、転ぶとこだったじゃない」
和泉くんはわたしのいうことなんか聞きもしないで、高山さんから受け取った箱の蓋を開く。
「ちょっと、聞いてるの?和泉くん日本語話さないけど、聞き取れてはいるんでしょう!?」
いきなり和泉くんが座ったままのわたしの足元に屈みこんだ。
「さすがにわたし怒って------」
あろうことか和泉くんはその場に片膝をつく。そしてまるでお姫様に跪く騎士みたいな姿勢になった。大きな手は壊れ物に触れるような手つきでそっとわたしの右足を取る。
他の男子が同じ事をしたらきっとふざけてるようにしか見えないだろう。ジョークにしたってその場が薄ら寒くしらけるだけだ。けれど端正な顔立ちに大人として完成されつつある体躯の和泉くんがそれをするとまるで外国の青年紳士のようで、くやしいことに見蕩れるくらい様になっていた。おまけにこの姿勢だと、わたしよりもずっと背が高いはずの和泉くんをわたしが見下ろすことになる。上からみると和泉くんの陰影ができるほど深い彫りの顔立ちや鳶色の瞳にかかる長い睫毛がよりはっきりと分かる。男の子を見下ろすというのは着ているドレスやこのLサロン以上に非日常で落ち着かない気分になってしまう。
『思っていた以上にちいさな足だな』
しばらくわたしの足を見つめてからそう呟く。わたしの片足がすっぽり包まれてしまうほど大きな手の、少し乾いてごつごつした感触にああ男の子の手だなと思っていると、和泉くんは今までの振る舞いみたいが嘘みたいなやさしい手つきで箱から取り出したパンプスをわたしの足に嵌めてくれた。恭しい手つきでもう片方の足にも。
和泉くんが履かせてくれたパンプスはお姫さまの靴みたいなすてきな靴だった。10センチ以上はある急な角度のピンヒールで、オフホワイトの光沢が上品なエナメルに尖った靴の先端部分だけビーズのような異素材が使われている。シンプルだけどすごく華奢なラインが女らしくて気品がある。きっと女の子なら誰もがいつか履いてみたいと夢見る、ため息が出るほどきれいな魔法のような靴だ。
『少し大きかったか』
すこしだけ納得がいかなそうな顔してそういった後『……まあでもそれほど問題があるレベルじゃないか』と言って和泉くんは試着室を出て行った。
『ミセス・ユウコ。支払いはカードで』
『承ります。……まぁ!』
試着室からそろそろ出てきたわたしをみて、高山さんがうれしそうな顔で歩み寄ってきた。
「なんて素敵なんでしょう。まるで若木の妖精みたい!」
高山さんは少女みたいに目をきらきらさせて言った。
「本当によくお似合いです。御髪の飾り一点だけにしたのは正解ですわね。これ以外余計にアクセサリーを付けられないのも、むしろお嬢様の清楚な雰囲気がより引き立てられていてよろしいかと。このようなパーティドレスをお召しになられるときは足し算より引き算のコーディネイトのほうがよほど難しいものです。とてもセンスのあるお見立てですわ。若葉色のドレスも、シンプルで雰囲気のあるお履物も、今まさに大人の女性の階段を上っていかれるお嬢様の、その第一歩を演出するようで初々しくチャーミングでありながらとても女性らしくてエレガントですわ」
あまりにも褒められすぎてお礼も謙遜の言葉も出てこなくなって照れていると、高山さんが聞こえないところで和泉くんが『この俺が見立てたんだ、当然だろ』と呟くのが聞こえた。どうせ何か悪態を吐くようなことを口にしたのだろうと思ったのに、その横顔がどこかたのしげに見えたから、文句を言ってやろうと思っていた気持ちは宙に浮いてしまった。
「和泉くんってばっ!」
和泉くんに促されてLサロンを後にすると、和泉くんはまたすごいスピードで歩き出してしまう。全力で追いかけてやりたいけれど、今履いているのはローファーとは違って繊細なピンヒールだ。急角度の見た目のわりには不思議なくらい歩きやすいけれど、でもこんな高いヒール履くのは生まれて初めてでおっかなびっくり歩くことしか出来ない。またみるみる距離が開く。
「もうっ和泉くん!アイザックくん!!わたし走れないよっ」
わたしが文句を言うと、数メートル先で和泉くんが止まる。どうせ待ってくれないと思っていたからびっくりした。和泉くんは訝しむ目で見据えてくる。
『なんで俺の名前を?』
「……あ、えと…名前?その、わたし英語はさっぱりだけど、さっき和泉くんが高山さんと話しているとき『アイザック・イズミ』って名前のとこだけは聞き取れて」
名前呼びしたことをしどろもどろに言い訳してると、和泉くんがわざとらしいくらい大きな溜息を吐いて冷めた声で言った。
『まあ、どうせそんなところだろう』
「んっと?あの、もっとゆっくり喋って……」
『-------行けよ。もう俺のすることは終わったから』
「え?どっか行く?それともあっち行けって言ったの?……勝手に名前呼んだこと怒ってるの?」
和泉くんは頭痛でも感じたかのように頭を抑えた。
『ひどいにも程がある。腹が立つからそれ以上喋るな。全くなんでこの程度すら満足に聞き取れないんだ。そのお頭はバカト並みか』
「え?バ、バカ?」
ヒアリング能力の低さをコケにされているとも分からず、必死で和泉くんの言うことに耳を傾けたけれど勿論それだけのことで能力がアップするわけもない。わたしがうんうん唸っていると、冷ややかに見ていた和泉くんが不意にふっと鼻で笑う。
『馬鹿なやつ。どうせ自分の置かれた状況も理解してないんだろ?』
それも冷笑めいたものじゃなくて少し困ったような苦笑いを。強烈な磁力のあるその笑みに思わず視線が引きつけられていると和泉くんと目が合った。途端にその鳶色から笑いが抜けて、物言わぬ静かな目はじっとわたしを見つめてきた。
『……何を選ぼうとおまえの勝手だ。自由にすればいい』
表情のない能面。やっぱり怒っているようにしか見えないけれど今度は何か切実な。体の大きくて大人っぽい和泉くんがなぜか縋ってくる子供みたいに不意にわたしの腕を掴んできた。その強い力に思わず悲鳴をあげそうになる。わたしを引き止めようとするかのような、わたしに「行け」と言いながらどこへ行くことも許さないというような。痛みを覚えるほど力の込められた手と思いつめたまっすぐな目。もしわたしがエリナ部長みたいな美人だったら、和泉くんのこの真剣なまなざしを熱烈な求愛だと受け止めていたかもしれない。でもわたしは。わたしに向けられるこの視線の意味がわからなくて、すこし怖くなった。
「和泉くん……?どうしたの…?」
『俺は』
和泉くんは何度も口を開きかけて、でもそれが言葉になる前に諦めたように首を振ると、掴んだときと同じくらい唐突に突き放すように手を放した。
『……行けよ』
「え?」
『目の前にいるのが誰かも分からないのだったら、とっとと行け』
失望したようにそういうと、わたしに背を向ける。
『ささやかな魔法が解ける前にな。俺はもうここで降りさせてもらう。そうケントに伝えておけ』
「ケントって?」
わたしの質問に答えることなく、和泉くんはまるで吸い込まれるような速さで階段を下りて姿を消してしまった。
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◆R15を扱うお話の「活動報告」は、年齢制限のある「X活動報告」に記載しなければならないと、遅まきながら気付きました、申し訳ございません。以後更新の報告や雑記は「X活動報告」にかかせていただきます。