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乙女たるもの恋されろ!  作者: わかくさ
1章 混迷のバースデーパーティ
3/21

3話 --- Lサロン

「……どこへ行くの?」


どうにか追いついたけれど、和泉くんは階段を二段抜かしで上がっていってしまうからわたしは運動部の校内練習みたいなスピードで駆け上がらなくてはいけなかった。二階フロアに出てからも背後に女の子をつれているとは思えない思いやりのかけらもないスピードでどんどん歩いていく。いちおう待ってと呼びかけてみたけれどやっぱり止まってくれない。


和泉くんは意思の明確な足取りでどこかへ向かっていた。何を聞いても沈黙を返されるので、とりあえず彼の目的の場所まで付いて行こうと決めた。会話もなく駆け足で歩きながらそういえば和泉くんの名前はなんだったかなと、状況がよく飲み込めない飽和状態の頭でどうでもいいことを考えていた。------たしか科学とか、SFとかでよく聞く名前で。ニュートンとかアシモフとかそれに近い……昔みた海外ドラマの登場人物にもいた名前でたしか、えっと------。答えが出る前に、和泉くんが急に立ち止まった。何もない、絨毯張りの廊下だ。傍らの窓辺には細かいカッティングの施された繊細な花器に、真っ白な百合が飾られていた。


『……思いのほかあざといよな。あの中で制服なんてむしろいちばん目立ってたくらいだ』


英語で何事か言うと、和泉くんは活けてあった百合の束を一掴みにして無造作に床に投げ捨てた。


「ちょっと!和泉くん、何して……」


慌てて百合の花を拾おうとその場に屈むといきなり頭に水がぶちまけられた。あまりなことに絶句して見上げると、和泉くんが花瓶の口をわたしに向けたまま、頭から濡れたわたしを見下ろしていた。なんの情動も感じない、さっきの揶揄の視線の方がまだ人間味があるんじゃないかとまで思えるその無感情な目。


-------なんてひどい一日だろう。公衆の面前で馬鹿にされたうえに、今度は汚いものみたいに頭から水まで掛けられてしまうなんて。また目元が潤みかかったけれど、あまりにも状況がひどすぎて泣きたいのに泣けず逆に闘志が沸いてきた。絶対、こんな人の前で泣くもんか。ぎっと睨み返す。しばらく表情の変わらない相手をそれでも睨んでいると、不意に和泉くんが思わずといった様子で口を開いた。


『泣かないんだな』

「………泣かないよ」


ヒアリングはそれほど出来るほうじゃないけれど、Don't you cry?くらいは聞き取れた。

「泣くわけないよ。だってぶすはみじめだけど、泣いてるぶすはもっとみじめだもの」

わたしがそういうと和泉くんは一瞬目を見張り、それから不快げに顔を背けた。

『……何も俺はブスだとは言ってないだろう』

英語で心外そうに何か呟いた後、わたしの腕を掴んで歩き出す。

「ちょっ……何なの、離してよっ」

和泉くんは二階メインフロアの色取り取りの衣装が並んだガラス張りの部屋の横を通り過ぎると、その先の「LuxuryCostumeSalon」と書かれた入り口の扉を覗き込んで言った。


『すみません』

品のいい黒の制服を着た衣装室スタッフが、すぐに対応に出てきた。

『いらっしゃいませ、ようこそ』

一流のスタッフばかりの揃う帝宮ホテルのスタッフは、当然のようにうつくしい英語で答えていた。


『予約がなくて急なことなんですが。ちょっと困ったことがあって』

『いかがされましたか?』

『僕の不注意で、今、窓辺にあった花瓶を倒してしまって……』

『まあ!お怪我はございませんでしたか?お客様の手を煩わせるような場所に配置しておりましたこと、大変申し訳ございません』

『いえ、それは大丈夫なんですが。運の悪いことに、彼女がこのとおりのありさまで』


和泉くんは背後にいたわたしの背をぐいっと押した。前に出されたわたしの姿を見てスタッフさんが絶句する。


『まぁ……!!これは大変。花瓶の水をかぶってしまわれたのですね』

『それで申し訳ないのですが、ここに置いてある衣装うちどれかを彼女に貸していただくことは出来ませんか?さすがにこの姿のままでいさせるのは忍びなくて』

『勿論でございますとも。まずはタオルをお持ちしますね、さあ中へお入りください』


話が一区切りついたようで、スタッフさんは躊躇うわたしを衣装室に招き入れると、おそろしいほど肌触りのいいタオルを差し出してきた。


「あ、ありがとうございます」

「どうぞお寛ぎください。今、お嬢様にお似合いなものをいくつかお持ちいたしますので」

「え?あの」


スタッフさんは「staff only 」のプレートが掛かった部屋に消えてしまった。


「えと、和泉くん」


投げかけた視線で説明を求めてみたけれど、きれいに無視されてしまう。スタッフさんと穏やかな口調で話していたときとは打って変わってまた能面顔だ。その横顔には「おまえに話すことなどない」と書かれていた。





帝宮ホテルには二つの衣装室があって、ひとつはウェディングドレスなどのブライダル関連の衣装を置いた「ブライダル・コスチュームサロン(Bサロン)」で、もうひとつは帝宮ホテルの利用客のための衣装を置いたここ、「ラグジュアリー・コスチュームサロン(Lサロン)」だ。


Lサロンは帝宮ホテルの宿泊客はもちろん、レストランやスパを利用するお客さんも使うことが出来る貸衣装室で、パーティーシーンで着るドレスから日常使いも出来る高級ブランドのスーツやワンピースなども幅広く扱っている。贅沢なエステやスパを楽しんだ後や、女子会なんかでレストランやバーで食事をする前にここの衣装でドレスアップすることが出来る。日常を離れて優雅に帝宮ホテルを楽しんでもらえるようにというコンセプトのもと提供されている有償のサービスだ。帝宮ホテルは敷居の高い老舗ホテルだけどこのサービスを取り入れたプランが打ち出されてからは「自分へのご褒美」として独身のOLさんや中高年の主婦のひとたちの利用が増えたという。




『お待たせいたしました』


タイヤ付きのハンガーラックにたくさんの衣装を提げてスタッフさんが戻ってくる。部屋の奥からもう一人出てきて「コスチュームコンシェルジュの高山と申します。どうぞよろしくお願いいたします」と丁寧な挨拶をしてくれた。

「あの?お借りしたタオル、洗って返せないのは申し訳ないんですが、わたしはこれで」

わたしがあわてて出ていこうとすると、スタッフさんが困惑した顔で和泉くんを見た。


『お嬢様がこうおっしゃられていますが』

『……僕の言ってることを彼女に伝えてもらえますか?』


和泉くんが発音のクリアな英語で話すのを綺麗な姿勢で聞き届けた後、高山さんはわたしに向き直った。


「こちらの男性さまが、お嬢様がこんなことになったのもすべて自分のせいで、どうかお詫びに代わりに着るものを用意させて欲しい。そんな風邪を引いてしまうような格好のままでいられたら気が咎めて今晩は眠れそうにもない、そうおっしゃっておいでです」


なんですと。いったいこの人の行動にどんな意図があるのかもわからないけど、自分でやっといてよくもそんなことがいえるもんだ。


「いえ、結構ですから!」

「そうおっしゃらず。お風邪を召したら一大事ですわ。男性様もそれをひどく心配されています」

「平気です!わたし丈夫なのがとりえで」

「衣装代はもちろん男性様がお持ちになるともおっしゃられています」

「いやいやいや。そんなこと心配してるとか遠慮とかじゃなくて」

「ささ、こちらのフィッティングルームへどうぞ」


高山さんと押し問答している間に、和泉くんは運ばれてきたラックの中からライムグリーンのワンピースを取ると、わたしに強引に押し付けてきた。


「まあ、お嬢様のためにお見立てくださったのですね」

「あの、もう帰るだけだからお詫びにしたってこんなドレスなんかじゃなくて」

「どうぞこちらへ」


高山さんはそういうと、優雅だけど有無を言わさぬ笑顔でわたしをフィッティングルームに閉じ込めた。いったいなんでこんなことになってるんだろうと、大きな鏡に映るみじめに濡れそぼった自分を見て思う。


壁に掛けられたベアトップワンピースは、肌が露な大胆な上部とは裏腹に、スカートの裾はかわいらしくバルーン状に丸まっていて遊び心のあるとてもすてきなドレスだった。こっそりタグを見れば、デパートではおなじみだけどわたしが一度も着たことも触ったこともない高級ブランドのロゴが刻まれていた。とてもかわいらしくて憧れるけど、わたしなんかが着ていいものじゃない。和泉くんにしたって、どうせ似合わないわたしを見てピエロにする気なんだ。そう思ったらだったらお望みどおり着てやろうじゃないのという気になってきた。意地だった。こんな酔狂、意地でしかない。


「いかがでございますか」

「あっえと、着るには着れたんですけどちょっと……」


ベアトップを無理にぐいぐい上に押し上げて調整してると、突然勢いよくカーテンが開かれた。


「えっ」


立っていたのは高山さんじゃなくて、和泉くんだった。和泉くんは目を見張った後、わたしが何かを言う前に速攻でカーテンを引いた。見苦しいのは分かってる。ベアトップはぱんぱんだったし、ブラの肩紐が間抜けに出たままだったし。自分でも似合わないのは分かっていたのに「視界に入れるのすら苦痛」みたいな反応は地味に傷つく。カーテンの向こうで、和泉くんと高山さんが口早に何かを話しはじめた。



『ここに持ってきた服のサイズは?』

『日本のサイズで7号のものです』

『悪いけれどもうワンサイズ大きいものを持ってきてもらえますか』

『まあ。見立て違い、失礼致しました』

『いや、彼女はウエストや腰周りはこのサイズでも合いそうなんだけれど、どうも着痩せするタイプみたいで。……だから、その。このサイズだと、着れないこともないけれど息苦しそうというか……』

『みなまでおっしゃらずとも結構ですよ、事情は承知いたしました』

『……有難いです。サイズは大きくなってかまわないけれど、あくまできつそうなのはお察しいただいたところなので、出来るだけウエスト周りはタイトなデザインになるようにお願いします』

『そうですわね。それではフィット感のあるラインのものをいくつか』

『あと肩やデコルテがあまりオープンにならないものを……』

『ああ。それも承知いたしましたわ。インナーが隠れるよう配慮したものをお持ちします』



「失礼致します」

はじめに出迎えてくれた中年のスタッフさんが「着ていらしたお洋服を預からせていただきますね。クリーニングに回すようにとのご指示ですので」と告げてわたしが固辞する前にさっさと籠ごと持って出て行ってしまう。しばらくしてまたカーテンが開かれる。試着室のわたしと目が合うと、和泉くんはさっきよりもさらに磨きの掛かった速攻でカーテンを引いた。


『……なんで下着姿でいるんだッ!』

「か、勝手に開けたのはそっちなのにっなんで文句言われなくちゃいけないのよっ!」


言葉は通じなくても文句を言われているときは不思議と分かるものだ。


「ドレスきついし、どうせまた着替えるなら先に脱いでおいたほうが効率がいいいと思ったからよっ」


カーテン越しに怒ってる人に言ってやる。でも怒りが通り過ぎると今度は猛烈な羞恥が襲ってくる。ブラ紐丸見えってだけでも恥ずかしかったのに、ほぼ初対面みたいなひとにアクシデントとはいえ下着姿を見られたのだ。しかも今日つけてるのはよりにもよって中学生のときからつけてるプチプラで買ったブラで、ワイヤーがややゆがみかけてて痛んできたやつだ。お気に入りのだったら見られてもよかったってわけでもないけれど、よりにもよってそろそろもう処分しようと思っていたすこし色褪せたピンク色だなんて格好悪すぎ。もう死にたい。和泉くんの目なんて腐ってしまえ。


「衣装をお持ちしました。間からお渡ししてもよろしいでしょうか?」

「はっはい」


膝を抱えて落ちきっていると、カーテンの隙間から新しいドレスを差し込まれた。受け取ったそれはパフスリーブスで胸元は浅いVカットのワンピースドレスだった。ウエストが絞られたスレンダーなラインだったけれど、着てみると意外とその体に寄り添うフィット感が心地いい。若葉みたいな瑞々しい色もシンプルなデザインにマッチしていてすごくきれいだ。


「いかがでしょうか」

「あ、はい。開けます」

「お疲れ様です……まぁ」


カーテンを開けると、そこに立っていた高山さんが「とてもよくお似合いです」とお世辞だと分かりきっていてもうれしくなることを言ってくれた。少し離れたところに立っていた和泉くんはこちらをちらりとだけ見て高山さんに話掛ける。


『あとあのひどい髪もどうにかしてあげたい』

『美容室をご案内いたしましょうか?』

『いや。そこまでは。ここのスタッフのミセス・ユウコが簡単なセットはお手の物だと聞いているのだけれど』

『まあ。私の名前をご存知だなんて光栄ですわ。失礼ですが……』

『アリナ・ビュシエールは僕の叔母です。いつもこちらでお世話になっているようで』

『まあビュシエールさま!こちらこそマダムにはいつもご贔屓にしていただいて。わたくしでよかったら、今お嬢様の御髪を整えさせていただきますね』


高山さんはわたしの背後に立つと、髪を梳いたり捩ったりしてポケットから取り出したピンで手早く留めて、あっという間にサイドアップを完成させた。



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