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ショートストーリーズ

空席

作者: 遠部右喬
掲載日:2026/06/02

 駅のホームで、何度目かの溜息を吐く。


 休み明けの仕事って、なんでこんなに疲れるんだ。いや、違うな。週中は週中で次の休みまであと三日もあるのかと呆然とし、一週間分の疲れがピークに達してる週末は週末で、もはや自炊する気力すら残ってない。つまり俺は、一週間のうちの殆どを疲れと共に過ごしてるって訳だ。社会人生活、辛すぎるぜ。


 や、よく考えたら社会人だからって事もないか。思い返してみたら、中学生の頃から既に学校がだるくてしょうがなかったもんな。生まれてから二十六年のうちの少なくとも半分、更に言えばその年数×一週間分の平日、つまり七分の五を疲れて過ごしてるってことだ。絶望しかないわ。


 電車がホームに滑り込む。窓の内側に立つ人影の多さにまた溜息が漏れる。はあ、やっぱ混んでるよなあ。まあ、一駅の辛抱だ。

 列車が動きを止め、降車する客の流れが一段落すると、乗車客が車内に一斉になだれ込む。俺も流れに逆らわずに乗り込むと、背後でドアの締まる音がした。発車ベルが響き、がたんと床が揺れる。窓の外の景色の流れが、徐々にスピードを上げる。


 ふと。本当に何気なく。


 (はす)()かいの座席に目を向けた。あれ? もしかして一人分空いてないか?


 人垣の隙間から確認してみても、やっぱり誰かが座っているように見えない。なんで誰も座らないんだ?

 ……いいよな? 俺、疲れてるし、座ってもいいんだよな? 一駅だから我慢しろって奴は分かってないんだよ。あと一駅だから、我慢したくないんだって。

 スイマセン、スイマセン、と呟きながら立ってる乗客たちの隙間を縫って移動してみたら、よし、やっぱ、誰も座ってない!


 こんなこともあるんだな。得した気分で空いているスペースに腰を下ろした瞬間、車内中の視線が一斉に向けられた。さっきまでゲラゲラ笑ってた女子高生たちも、既に酔っぱらってるっぽいオッサンたちも、喋るのを止めてこちらを見ている。


 静まり返った車内に、ガタンゴトンと、車輪がレールの繋ぎ目を通過する音だけが響く。


 なんだなんだ。なんでこんなに見られてる? 俺にだって空席に座る権利くらいあるだろ? 立ったままの年寄りだってマタニティマーク下げてる人だって、ぱっと見じゃ見当たらない。俺が座って、何か問題があるか? このまま何事も無かったように席を立つべきなのか? けど、理由が分からないのに癪だよな。実際、疲れてるし。


 半ば意地になって座り続けることにした俺を、両隣に座るリーマンが無遠慮に覗き込んできた。


「何で座るんですか?」

「何で座るんですか?」


 は? 座席って座る為のもんだろ? 実際あんたらだって座ってんじゃん。他の奴等といい、何なんだよ? もしかしてお宅ら実はゲイカップルで、俺がその間に座っちゃったとか? どう見てもそんなカンジじゃないよな、責めるというより、本当に不思議に思っている様な口ぶりだし。仮にカップルだとしても、間を空けて座ってる方が悪い。

 取り敢えず、寝たふりでやり過ごそう。繰り返し「何で座るんですか」と呟き続ける両隣を無視して目を瞑ると、頭上から、


「何で座るんですか?」


 と女性の声がした。そっと目を開けると、目の前に立ってる女性が俺に覆いかぶさるようにしながら、


「何で座るんですか?」

 

 やはり不思議そうに繰り返す。ヤバいなと思って立ち上がろうにも、この女性のせいで、それも儘ならない。流石に突き飛ばす訳にもいかないし。

 なんで空席に座っただけで、こんな目に合わなきゃいけないんだよ。頼む。早く駅に付いてくれ。


「お待たせいたしました。次の停車駅は――」


 五分後、漸く車内アナウンスが流れている間もずっと、


「何で座るんですか?」

「何で座るんですか?」


 乗客たちが眼だけでこちらを伺いながら隣人とひそひそと、或いは俺を真っ直ぐに見て、囁き交わしている。でももう少しの我慢だ。

 電車のスピードが落ちる。俺は目の前の女性が怯むくらいの勢いで立ち上がり、ドアが開いた瞬間、ホームに飛び出した。


 いつも通りのホームの混雑がありがたく感じられた。慌ただしいだけで安らぎなんて程遠位と思ってた日常に囲まれて、心底ほっとしたのに。

 両肩に冷たい重みが乗る。恐る恐る右肩に目線を下げると、青黒いものが目の端にちらつく。背後から肩を掴む……手、みたいな、なにか。


 身体が強張った。その瞬間、行きかう人の騒めきもアナウンスも、全ての音が途切れ、男とも女ともつかないノイズ交じりの声が耳に流し込まれた。


「ねぇ、なんで座ったんですかぁ?」


 俺は人でごった返すホームを駆け出した。突き飛ばした人たちから悲鳴が上がるが、そんなの気にしてられるか。


 あれ以来、俺は座席に座るのを止めた。例え車内ががら空きだろうが、絶対に座らないと決めている。ってか、あんな体験して座れるほど図太い奴がいたら、寧ろお目にかかりたい。

 あの時の乗客の異様さも、ホームで肩に置かれた何かも、何一つ理解出来ない。正直、知りたいとも思わない。ただ、よく分からないおかしな現象は案外身近にあるんだと受け入れるしかない。


 なんて考えながら今日も今日とて電車に揺られていたら、車内に丁度一人分空いている座席を見つけちまった。うわー、女の子が座っちゃったよ。大学生くらいかな、結構可愛い子だ。不穏な空気に気付いてないっぽいな。


 しょうがない、俺が教えてやるか。


「何で座るんですか?」


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