助手
「あ、もしもし。お母さまですか?」
月城輪生は先週入居したばかりのアパートに帰り、すぐに「お母さま」に電話をかけた。
このアパートは望が丘高校に程近い場所にあり、徒歩10分程度の距離だ。
輪生は先週まではここからかなり離れた場所から学校に通っていたため、部活動には参加できなかった。
しかしやはり彼は望が丘高校剣道部への、具体的には「中村水」への憧れが強かった。
先週ようやく「お母さま」の許しを得て、このアパートで一人暮らしを始めて今日から部活動に参加することができたのだ。
『あら輪生。どう?一人暮らしは』
「はい、順調です!それより聞いてください!今日は部活動に行ってきました!」
『……そう。どうだった?』
「お母さま」と呼ばれた女は、少し言い淀んだ。
彼女は輪生にしつこく「部活に参加したいから一人暮らしをさせてほしい」と迫られ、渋々許可を出したのだ。
「やはり中村水さんは最高でした!実際に剣を合わせてみると、こう……野獣のようでした!でも、本当に強くて……」
『そ、そうなの……』
女は、輪生が延々と「中村水」の話をすることに飽きていた。
というのも彼は中学の頃から中村水のファンで、彼女はその頃からこうして話を聞かされ続けている。
「中村先輩はなんと2メートルほど飛び上がって、竹刀をキャッチしたんです!」
『本当に人間なの?その女』
「最後は審判の先輩に、はがいじめにされながら退場していました!でも暴れていうことをきかないものだから、最終的には部員全員で中村先輩を取り押さえてましたが、それも跳ね除けていました!」
『ほ、本当に人間なの?その女……!?』
「あの部ではよくあることらしくて、今日は顧問の先生が投げ飛ばされて壁に叩きつけられていました!」
『え?そいつらは何部なの?あなたが入ったのは本当に剣道部なのよね?』
彼女は輪生が興奮気味に話す内容に驚きながらも、「ねえ、輪生」と彼の話を切った。
「私が下宿と部活を許可したのは、あなたが『仕事』を疎かにしないって約束したからよ。あんまり、そっちを楽しみすぎないようにね」
「ッ……」
興奮していた輪生は、彼女の言葉で水を打ったように静まりかえった。
しかしすぐに「わかってますよ」と言葉を返した。
「今日、中村先輩に負けて……自分の力不足を痛感しました。剣道と『仕事』は少し違うけど、これからも鍛錬を怠らず続けます」
「……わかっているならいいわ。また、仕事が入ったら連絡するから。準備だけはきちんとやること。いいわね」
「……はい。お母さま」
輪生は電話を切り、スマートフォンを机の上に置いてベッドに横になった。
「お母さま」──。
輪生がそう呼ぶ女性は、実の母親ではない。
でも、自分を育ててくれた恩人だ。
だから、「お母さま」の為なら何でもする。
たとえそれが──。
「ふふっ」
その後も、輪生の口からは笑みが溢れた。
お母さまからは釘を刺されてしまったが、明日からもあの憧れの中村水との部活動に参加できるのだ。
彼はそれが楽しみで、仕方がなかった。
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「ついに怪盗Witch Phantomとの戦いの準備が全て整ったよ。中村助手」
ここは宵が通う「新都大学」。
大学の敷地の隅にひっそりと佇む建物、「ミステリーサークル研究会」の部室の中で、明智は助手の中村良に声をかけた。
「……やめておいた方がいいと思いますよ。明智先生」
宵は以前明智に「動画解析」を依頼した際に助手にされてしまった。
しかし宵は目的を達成した以上、こんなサークルを辞めてしまっても良いのではないかと少し考えた。
しかし明智の動画解析のおかげで新月刀は見つかり、無事取り戻すことができた。
そしてここにいれば通常とは違うルートで情報が入ることもある。もしかしたら春華に繋がる情報が手に入るかもしれない。
そのような恩義とメリットを感じた宵は、このサークルにいまだに所属し続けていた。
「あの女は化け物です。なるべく関わらない方が……」
宵は自信満々に笑う明智に、嫌そうな顔をしながら提言した。
「フッフッフ」
宵の提言に対して、明智は不敵な笑みを浮かべた。
「彼奴の運動能力、光学迷彩、ホログラム。全てを封じる策が完成したから私は『準備が整った』と言ったのだ。安心したまえ」
「……」
宵は困ってしまった。
前回、この探偵が怪盗と戦った際は勝負にもならなかった。
探偵は怪盗にドロップキックを腹に叩き込まれ、用意しておいた麻酔銃を奪われて眠らされて敗北。
彗の戦闘力の前になす術なく負けた、というのが実情だ。
(なんとかして止めないと……)
そして怪盗はさらに新月刀を手に入れて身体強化と空中歩行の魔法を習得している。
万に一つも、この探偵に勝ち目はないというのが宵の見立てであった。
そして勝ち目がない戦いに挑めば、大怪我をさせられる可能性も高い。
探偵に大怪我を負ってほしくないし、妹に誰かを傷つけてほしくないと願う宵は、なんとか明智を止めたいところであった。
「決戦は3日後だ。彼奴が予告状を出しているからな。中村助手は知っていたか?」
「ええ……まあ……」
(俺が出したからな)
宵は3日後に隣県の美術館に「午前0時にダイヤを盗む」といった予告状をその美術館や警察、メディアへ出してあった。
「よし。それならば3日後の午後19時にここに集合だ。探偵と助手で怪盗を捕らえるぞ!」
「……えっ!?お、俺も行くんですか!?」
「当然だろう。助手なのだから」
「い、いや、その日は予定が入ってて……」
宵は怪盗の助手としてその日は怪盗のサポートをしなければいけない。
当然、探偵の助手として怪盗を捕まえにいくことなど出来るはずがない。
「だ、ダメだ!彼奴を捕らえるチャンスはここしかない!なんとか予定を空けたまえ!」
「む、無理ですって!俺は怪盗を捕まえにはいけません!絶対!!」
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「で?結局どうすることにしたの?」
「えーっと……」
ここは宵と彗が暮らすアパート。
彗はベッドの上で脚を組みながら話を聞き、宵は彗の目の前の床に正座をしながら説明していた。
彗は、宵が怪盗から浮気して探偵の助手になったことを怒っており、宵から「探偵の助手」としての話を聞くときは、このように威圧的なポーズで話を聞くことが恒例となっていた。
そして妹をこれ以上怒らせたくない宵は、その前に正座し、目線を外しながら話すことが恒例となってしまっていた。
「当日は……その、風邪をひいたことにして休みます……」
「どっちを?」
「もちろん、探偵の方を」
「そうだよね。当然だよね」
(やばい、今日は間が悪かったか……!)
宵は3日後の怪盗に明智が現れるということを話したが、彗は今日の部活で後輩に反則負けをしたと言っており、すこぶる機嫌が悪かったのだ。
「サバンナなら私の勝ちだった」と、宵にはよく分からないことを言いながら、自分の勝ちだと言い張り続けていた。
そんなタイミングで話をしなくてもよかったじゃないか、と自分の間の悪さを後悔した。
彗は不機嫌そうな顔のまま「はぁ……」とため息をつき、宵に向けて手を伸ばした。
「マシュマロ」
「はい!」
宵は素早く動き、妹の手にマシュマロを乗せる。
彗はそれを口に含み、ムグムグと噛み始めた。
「な、なあ。実際あの男の助手になっていればメリットもあるんだよ。情報収集にもなるし……」
「わかってるよ。私、別に怒ってないよ」
そう答えた彗の目は冷たく、視線が宵の心に突き刺さる。
明らかに怒っている。
「じ、じっさい、3日後に現れることも事前に知れたじゃないか」
「だから、怒ってないって」
そう答えた彗の言葉は冷たく、「ただ……」と続いた。
「お兄ちゃんが他の人の助手になるのは、やっぱり気に入らない」
「…………」
論理的根拠はなく、『気に入らない』という理由でここまで不機嫌になって怒る。
それは宵には無い思考回路で、妹の心理の難しいところであり、彼が理解することは不可能であった。
「マシュマロ」
「はい」
彗はマシュマロを受け取り、口に放り込んで噛み潰した。
「まあ、いいや」
マシュマロを飲み込んだ彗は立ち上がり、体を伸ばした。
「教えてあげないとね。あの探偵さんに」
彗はそう言って足を前に伸ばし、何かを蹴り飛ばすようなポーズを取った。
「何回挑んでこようと、勝つのは怪盗だってことを、ね」
彗は目だけが笑っていない笑顔を宵に向け、そう言った。
「は、はは……」
宵は愛想笑いを返すことしかできなかった。
不機嫌な月詠彗から暴力を受ける。
それはこの世で最も恐ろしいことだと、宵は知っていた。
☽ あとがき ☾
彗は、宵が自分以外の誰かと仲良くしているのを見ると不機嫌になります。
あの事件で家族を失ってしまったことで、唯一の家族である宵への執着が強くなったのでしょう。
子どもの頃、二人が通っていた小学校で休み時間に宵が友達と楽しくサッカーをしていると、ゴールポストの陰からじっと彗がこちらを見ている、ということがよくありました。
それを見た宵は当然「一緒にやるか?」と聞きますが、彗は不機嫌そうに「……いい」と答えるだけでした。
しかし雨の日に宵が小学校の図書館で一人で本を読んでいると、また彗の視線を感じ、「一緒に読むか?」と聞くと彗は嬉しそうに笑い、「うん!」と答えて隣に座りました。
それを見た宵は「こいつ、本よりスポーツの方が好きなはずなのになぁ」と、不思議に思うばかりでした。




