舞い遊ぶ獅子
月城輪生は、試合が始まるまでは楽しかった。
中村水とは一度剣を交わしてみたいとずっと思っていた。
全中2位、インターハイベスト16。
この地域の剣士にとって彼女はスーパースターだ。
彼女がいるからこの高校に進学した。
しかし「事情」があり剣道部への入部は今日になってしまった。
だがその夢は今日叶った。
待ち望んでいたこの試合。
楽しい試合になるはず……だった。
(なんだ……これっ……!)
彼は、防具の下に冷や汗をかいていた。
中村水の圧倒的な強さと変幻自在で読めない剣に憧れた。
しかし対峙してみると分かる。
彼女の動きが「読めない」のは、マジシャンのように流麗な技術によるものではない。
自分に襲いかかってくるライオンが次にどう動くか読めないのと同じ、野生のような獰猛さによるものだったのだ。
離れて見れば美しい技も、自分が受けるとなれば恐ろしいものになる。
そして技と合わせて恐ろしいのは、中村水の体幹。輪生は彼女にぶつかったときに大木を思わせる感覚を覚えた。
「シィッ!!」
中村水が輪生に間合いを詰めると、矢継ぎ早に小手、面、面、胴、逆胴の順に技を繰り出してきた。
(ひっ……!)
輪生はなんとか竹刀でそれらの技を弾き、受け、そして後ろに退がることで有効打突にされずに済んだ。
(剣道は……こんな競技じゃない!)
基本的に五連撃なんてものは剣道に存在しない。
しかし中村水は平然とそれをやってくる。
彼女の竹刀がこちらに伸びてくるたびに背筋は冷たくなり、体は震え、恐怖で呼吸が浅くなる。
「シィッ!!!」
「ひぇっ!?」
流れるような連撃の後は、弾丸のように激しい一発の突き。
彼女の竹刀の先端は、ギリギリ輪生の首ではなく胸に当たってくれたが、これは避けたり防いだのではない。
輪生が恐怖で後ろに退いたから、結果的に胸に刺さったのだ。
(ころ、ころされ、る……!)
冷や汗が止まらない。
負けたくないという気持ちより、死にたくないという気持ちになってきた。
「や、ヤアアアアアアッ!!!」
輪生は少しでも気を強く持つために大きく発声し、間合いを詰め、互いの竹刀の鍔を合わせる鍔迫り合いに持ち込んだ。
(ひっ……!?)
そこで輪生は恐ろしいものを見た。
それは、中村水の表情。
鬼のように恐ろしい表情ならどれほど良かったか。
殺し屋のように冷たい表情ならどれほど良かったか。
彼女の顔は、鬼よりも殺し屋よりも恐ろしい──
(なんで……笑っているんだ……?)
──天真爛漫な少女のような、楽しげな笑顔だった。
彼はあまりの恐怖で下半身の力が抜け、その場にへたり込んでしまった。
─────────────────
(すごい!)
彗は驚いていた。
望が丘高校の剣道部員は、弱い。
彗と試合をして20秒もつ者はいない。
玲香の18秒が最長記録らしい。
だがこの新入部員、月なんとか君(名前は忘れた)はたぶん1分以上自分と戦っている。
自分の攻撃を防ぎ、避け、守っている。
それは他の部員と実力差がありすぎて普段ほとんど練習にならない彼女にとって、すごく嬉しいことであった。
(楽しい……♡)
少なくとも地方大会、もしくはインターハイにいかないと自分と拮抗した選手と打ち合うことができない彗にとって、これはとても貴重な時間だった。
思わず笑顔になってしまう。
たぶん、相手もこの打ち合いを楽しんでいるだろう。
彗はそう思いながら、次々と技を繰り出した。
これはどう防ぐのか。それとも逃げるのか。その反応を見るのが楽しい。
まるで猫じゃらしを叩く猫のような気分で、彗は「月なんとか君」を竹刀で叩き続けていた。
相手が自分のことを猫ではなくライオンだと思っているとは、露とも知らずに。
「あれ?」
鍔迫り合いのあと、彼は突然その場にへたり込んでしまった。
剣道のルールでは、相手が膝をついたり転んだ場合は一拍置いたあとに審判が一度試合を止め、開始線に戻ることになっている。
しかし月詠彗のルールはライオンが暮らすサバンナと同じなので違う。
戦いの最中に膝をついた相手には──
べシンビシンバシンビシンッ!!
──止めを刺すために、容赦なく何度も打ち込むことになっている。
「ちょっ、やめ!やめえ!!」
審判の玲香が彗を後ろから、はがいじめにするように止めた。
それは剣道ではなくプロレスやボクシングで見られるような光景であった。
「あんた、何やってんの!倒れた選手に何回も打ち込むのは反則だから!!」
「それ、サバンナでも同じこと言える?」
「ここは日本!!」
彗の訳のわからない理屈に彼女は慣れている。
野獣を飼い慣らすように「ほら、開始線に戻る!」と怒鳴り、彗を従わせた。
「月城君、大丈夫!?」
「え、ええ……なんとか……」
玲香は輪生の手を掴んで立ち上がらせてから開始線に戻し、彗に「反則一回ね」と言い、再び「始め!」と号令をかけた。
(ぐっ……!)
輪生は、中村水に勝つことは難しいと悟った。
しかし、自分には一つだけ誰にも負けない得意技がある。それは面や小手、胴、突きなどの一般的な打突ではない。
だがこれが決まった瞬間は相手は「絶対に」無防備になる。
その瞬間だけが、自分の勝機だ。
輪生は覚悟を決め、仕掛けた──。
──────────────────
「ん?」
彗は野生の勘で妙なものを感じた。
相手が何かをしようとしている。
だがそれが何かまではわからないので、とりあえず相手の出方を見ることにした。
何が起ころうとも、対応する自信があったからだ。
カチャン……
互いの竹刀の先端同士が触れ合った。
その瞬間──
「えっ……うそっ!?」
──輪生の竹刀は渦を描くようにグルンと回り、彗の竹刀を巻き上げて武道場の天井近くまで放り上げてしまった。
(よしっ!!)
輪生は自分の必殺技、竹刀の「巻き上げ」が決まった。
(ここだっ!!)
相手が竹刀を手放したその一瞬、相手は無防備になる。
竹刀が無くなるのだから、これは「絶対」だ。
しかしその「絶対」は、今日崩れた。
今まで自分の巻き上げを食らった相手は、退いて逃げるか、手で体を守るかのどちらかだった。
そのどちらでも、自分は一発で仕留める自信があった。
しかし中村水は違った。
まず、視界から消えてしまった。
(ど、どこだ!?逃げたのか!?)
しかしどこにもいない。
魔法使いじゃないのだから、そんな一瞬で消えられるわけがない。
(なっ!?)
中村水を見つけた輪生は、驚愕した。
彼女がいたのは、なんと「上」。
中村水は2メートル以上真上に跳び、天井近くまで巻き上げられた竹刀を手でキャッチしていた。
輪生は「魔法で姿を消した」と言われた方が、「垂直に2メートル飛び上がる女子高生がいる」よりも、まだ現実的な気がした。
そして、自分は未来永劫この女には勝てないということを察した。
「めえええええええええええええんっっっっっ!!!!!」
バシイイイイイインッッッ!!!!
2メートル分の重力加速度と、中村水の全体重が乗った「面」が、月城輪生の頭に炸裂した。
防具が無かったら死んだのではないか、と思うほどの衝撃であった。
部員たちの歓声があがる。
それはもはや剣道に対する声ではなく、サーカスに向けての声に近い。
「ふっ、面白い技だったけど私の勝ちだねっ!」
彗が輪生に笑いかけると、審判の玲香が彗の肩を叩いた。
「スイ、反則負けね」
「は!?なんで!?」
「竹刀が手から離れたら反則なの」
「でもキャッチしたよ!?」
「離れた時点でアウト。あんたは反則2回で月城君に一本。一本勝負だから『勝負あり』で彼の勝ち。あんたの負けよ」
「うそぉ!?そんなのルールがおかしいよ!剣道は相手の頭をカチ割った方の勝ちでしょ!?」
「剣道はそんなルールじゃないから!!なんでインハイ出た女が未だにルールすら覚えてないの!!いい加減ルールブック読みなさい!!」
「それ、サバンナでm」
「ここは日本!!剣道が生まれた国だよ!!」
玲香と彗が騒がしく言い合いを続けている中、「勝者」となった月城輪生は彗を見つめていた。
(負けた……完全に……!)
自分は幼い頃から、様々な方法・手段で体を鍛えてきた。
自分の本業は「剣道ではない」。
だから、剣道のルールで反則勝ちとなった今日の勝利にはなんの意味もない。
「いやこんなの絶対私の勝ちじゃん!頭スパーンッ!ていったんだからさぁ!」
だから、中村水の「実戦なら自分の勝ち」という主張は輪生の心を抉った。その通りだと彼も考えているからだ。
「もっと……もっと、鍛えないと……!『お母さま』の為に……!」
月城輪生が悔しそうに唸る声は、玲香と彗の口喧嘩によって掻き消され、誰にも聞こえなかった。
「わかったって!ここはサバンナじゃなくて日本だけど、日本は侍の国じゃん?だから私が侍だったとしたら絶対勝ちじゃん!?」
「あんたは侍じゃなくてただの女子高生でしょうが!」
☽ あとがき ☾
望が丘高校の剣道部員たちの一番の楽しみは、自分たち以外と戦っている「中村水」を離れて眺めることです。
毎日彼女に恐ろしい目に遭わされながらボコボコにされている彼らは、他の人が同じ目に遭っているのを見ると少し嬉しいのです。
だから彼らは、試合会場で初めて「中村水」と試合をしてトラウマになりそうな目に遭わされた他校の選手にはみんなで駆け寄り、
「大丈夫だよ」
「あれは人間じゃないから」
「ノーカウントでOK」
「車に轢かれたのと同じ」
などと、優しく声をかけて励ます役をやっているのです。
そうすることで相手選手が自信を失って深く傷ついたり、剣道を辞めてしまったりしないようにケアをしているのです。
彗は「みんな弱いから稽古しても楽しくない」と非常に失礼なことを考えていますが、彼らは彗にとってかけがえのない仕事をしてくれている、大切な仲間なのです。




