鉛色の弾丸
虚ろな目をした警察官が銃を構え、その銃口の先には怪盗少女。
怪盗少女は一人であれば簡単に逃げることが出来るが、彼女の背後には一人の少女がいる。
置いて逃げるわけにはいかない。
「あ、あの……Witch Phantom様!私に構わず逃げてください!」
玲香は今の状況を理解し、怪盗に後ろから声をかける。
彼女は自分のせいでWitch Phantom様が撃たれるかもしれない、という状況に耐えられなかったのだ。
しかし怪盗少女は「何言ってるの」と首だけを回して振り向き、言った。
「──私が絶対に守るから。大人しくしてて」
怪盗Witch Phantomのマスカレードマスクの奥にある瞳は真っ直ぐに玲香の心を見据え、彼女の発言が冗談でも強がりでもなく、心からの言葉であることが玲香に伝わった。
「……ハイ」
玲香は何も言えず顔を真っ赤にしながら、か細い声で返事をしながら小さく頷くことしか出来なかった。
(……とは言ったものの、どうしよう……)
玲香を大人しくさせることに成功した彗は考えていた。
拳銃の弾丸を躱す方法はある。
新月刀の魔法を使えば、強化された動体視力と反応速度で弾丸は躱せる。
だが、躱した弾は後ろにいる玲香に当たるかもしれない。
『体を強化して、一瞬で間合いを詰めてなんとか銃を奪えないか?』
宵の言葉を聞いた彗は、マイクをトントンと2回叩いた。「NO」のサインだ。
どれほど速く間合いを詰めても、1発撃つぐらいの時間は出来てしまう。そうなると、その弾が玲香に当たらない保証はない。
なんとか撃たせなくするか、弾を受け止めるかしないと、玲香を確実に守れない。
(……やるしかないか……)
彗がそう決心すると、新月刀は彼女の魔力に応えて月光色に輝き始めた。
警察官の男は「何をしてる!やめろぉ!」と言いながら怒るが、彗はそれを無視して新月刀を鞘から抜いた。
『す、彗!?何をするつもりだ!?』
宵は驚いた。身体能力を強化するだけなら、新月刀を抜く必要はない。
そして、もし警察官を斬るのであれば間合いが遠すぎる。
刀を抜く意味が分からなかった。
「お兄ちゃん、黙ってて。今から私、弾丸を──」
彗は小声でマイクに話し始めた。
その語り口は真剣で、声も重い。
彼女は本気で話している。
「──斬るからッ……!」
『なっ……!!』
宵は驚いたが、彗の集中力を奪わないためにもそれ以上は発言しなかった。
確かに今の彗が弾丸を受けず、かつ背後も守るとなればそれしか方法はない。
今の彗の持ち物で弾丸を受けることが出来るのは、新月刀の鋼だけだろう。
「フゥ──ッ……」
新月刀は月光色に強く光り輝き、彗に極限の身体能力を与える。
そして彼女は集中力の全てを、銃口に向けた。
「…………」
警察官の男は、二つの命令が下されている。
一つは、怪盗が持つ「鏡」と「刀」を奪えと。
もう一つは、怪盗が渡さないなら殺せと。
怪盗は刀をこちらに向け、戦うような姿勢をとっている。
つまり、渡す気はないということ。
彼の思考は二つ目の命令の実行へと移り、引き金を引いた。
パァンッ………!!
拳銃の撃鉄が弾丸の背面を叩き、薬莢が点火し、激しい燃焼と共に弾丸が銃口から打ち出される。
(……なんか、変な感じ……)
彗は極限の集中と新月刀の魔法のせいか、銃から飛び出してきた弾丸が酷く遅く見えた。
玲香を守らなければいけない、と緊張状態で発砲を待っていたが、どうということはない。
こんなにゆっくり飛んでくるなら、子供でも出来そうだ。
彗はそう思いながら新月刀の刃を、弾丸の軌跡に重ねるように振るった。
ただそれだけで弾丸はあっさりと二つに斬られ、左右に分離して背後の二本の木に当たった。
「なっ……!!」
警察官の男は、目の前の怪盗少女の動きに驚愕した。
見間違いでなければ……怪盗は弾丸よりも速く刀を振るい、斬った。
そうでなければ、彼女の背後にある二本の木に小さな穴が空いて煙が出ていることに説明がつかない。
「くっ……!!」
彼は再び、引き金に指をかけた。
まぐれは続かない。
3発連続で打ち込めば確実に殺せるはずだ。
パァン、パァン、パァン……!!
三つの残弾が、怪盗少女めがけて飛んでいく。
しかしキィン、キィン、キィン、と聞きなれない金属音が聞こえたと思えば、そこに立っているのは無傷の怪盗。
弾は全て、斬り落とされたのだ。
「……!?」
彼は思考回路をショートさせながら、弾切れの拳銃の引き金を何度も引いた。
しかしカチャン、カチャンと空しい金属音が響くだけで弾は出ない。
目の前に、怪盗Witch Phantomが立っている。
彼が与えられた命令は怪盗から鏡と刀を奪うこと。
怪盗が応じない場合は殺すこと。
銃で撃てば、確実に殺せると思っていた。
しかし命令はどちらも実行できなかった。
「……」
彼は命令が遂行できなかったことを受け入れられないまま、ただその場に呆然と立ち尽くすことしかできなかった。
──────────────────
「玲香、怪我はない!?」
弾丸を全て切り落とした彗が振り向くと、玲香は小さく震えながらこちらを見上げていた。
「は、はい……大丈夫、です……」
(玲香……)
親友の声が震えているのを聞いて、彗は申し訳なく思った。
あの警察官は自分を狙ったわけだが、巻き込んでしまった。
「怪盗」という危険な行為に挑んでいる以上、危険は多くある。
覚悟を決めている自分や兄ではなく、一般人である玲香を巻き込んでしまったことは、彗にとってとても嫌なことであった。
「あ、あの……Witch Phantom様……一つお願いが……」
玲香は俯いたまま、か細い声を出した。
「ん?どうしたの?」
何か要望があるなら聞いてあげよう、そう思って彗は返事を返した。
玲香は何か精神的にダメージを受けている可能性もある。
できるだけ寄り添ってあげたい、と彗は考えた。
「あの……」
怪盗少女の言葉を聞いた玲香は少し嬉しそうに、頬を紅潮させながら顔をあげた。
「えっと……んっ……」
目を瞑り、赤く染まった頬、唇を突き出した状態で玲香は何かを「待って」いる。
「は?」
それを見た彗は一瞬何のことかが分からなかった。
しかし少し経ってから玲香の意図を理解し、苛立ちを覚えた。
(は!?こいつ何でこの状況でキスしようとしてくんの!?)
彗は変態を少しでも心配したことを後悔した。
「わかった。ちょっと待ってね。恥ずかしいから目は瞑ったままね〜」
「は、はいぃ!お願いしましゅっ!!」
彗の言葉を聞いた玲香はさらに興奮し、目を瞑ったまま突き出した唇からボトボトと涎を垂らし始めた。
仮に合意の上のキスだとしても、これだけ涎を垂らされた唇には絶対にキスしたくないと彗は考えながら、玲香の額に右手をゆっくりと近づけた。
近づけた右手は、中指を内側に折り曲げられ、中指の先端を親指で押さえているような形だ。
バチンッ!!
「ふぎゃあーーーーーーーっっっっ!!」
彗に額を中指で弾かれた──所謂デコピンを食らった玲香は衝撃と激痛に声をあげ、後ろに倒れてそのまま地面をゴロゴロと転がっていった。
「え?」
軽くやったつもりだった彗は、気がついた。
まだ新月刀の魔法を解除していない。
身体能力を強化した状態で、玲香にデコピンを食らわせてしまったのだ。
『す、彗!何もそこまでしなくても……』
宵は妹の友人が5メートルほどゴロゴロと転がっていき、止まったあとは額を手で押さえて地面でのたうち回っている様子をカメラで見て心配の声をあげた。
『いくらイラついたとはいえ……やりすぎだぞ!』
「ち、ちが……事故!事故なの!」
『無事か?大怪我させてないか?』
彗が兄の言葉を聞いて慌てて玲香に駆け寄ると、彼女は「痛い、痛すぎるぅ……!」と涙を流していた。
「でもWitch Phantom様からの一撃……気持ちいぃ……!新しい『何か』が私の中に芽生えてるぅ……!」
『……大丈夫そうだな』
「うん、やっぱり心配して損した」
『あ、そうだ。彗、さっきの警官に──』
「おい、お前!何をしている!」
宵が言葉を言い終わる前に、銃声を聞きつけたのか数名の警察官が集まってきた。
「勝手に発砲したのか!?許可は出ていないだろう!」
先ほどこちらを撃ってきた警察官は、銃口から煙が出ている拳銃を持って立っている姿を見られ、他の警察官に取り押さえられた。
しかし取り押さえられてもその男はボーっと虚ろな顔をしているだけで、抵抗する様子も言い訳するような素振りも見せず、ただ取り押さえられていた。
「ん?お兄ちゃん、何か言おうとした?」
『──いや、今回は厳しそうだな。撤退してくれ』
「う、うん」
彗は兄の様子が気になったが、指示に従うことにした。
「あっ!怪盗Witch Phantom!」
警察官の一人が、怪盗少女がいることに気がついた。
そしてそれと同時に、彼女の前で一人の民間人が額を押さえてのたうち回っている姿を見た。
「その人に何をした!まさか暴行を働いたのか!?きさま、そこを動くなぁ!」
(しまっ……)
このまま玲香を残して逃げたら、ダイヤを盗んだ上に市民に暴行を働いた怪盗になってしまう。
怪盗としては誰も傷つけたくない、と考えている彗にとってそれは避けたいことであった。
しかし──
「違いますぅ!!これは、Witch Phantom様から私へのご褒美で、愛のムチなんです!!暴行なんかじゃありません!!そうですよね!?」
──地面をのたうち回っている玲香が、大声で叫んだ。
「ッ……!!」
何故か暴行の被害者から助け舟が入った彗は、その設定に乗ることにした。
「そ、そうだよ。玲香。それは暴行とかじゃなくて私からのご褒美で、愛のムチだから。し……しっかり受け取りなさい」
「ふわああああんやっぱりそうなんだ!!やったああああ!嬉しいですぅ!!脳髄に刻み込みますぅ!!ブヒイイイイ!!」
おそらく親友は今夜、また新たな「何か」に目覚めてしまった。
以前幻影を使って頬にキスをしたときと同じく、自分のせいで。
『おい、早く姿を消して逃げるんだ!これ以上警官が集まってきたらまずいぞ!』
「はぁ……うん、そうだね……」
彗は地面で転がりながら悦んでいる玲香を見下ろしながら激しく後悔し、マントを翻して姿を消した。
☽ あとがき ☾
拳銃を前にしても、彗の中に玲香を置いて逃げるという選択肢は一度も浮かびませんでした。
彼女は荒れ果てていた自分の心を救ってくれた恩人であり、親友。
教室の居心地が悪くて屋上で昼寝をしていたあの日。
教師から「お前はもう学校に来なくていい」と言われて怒って帰ろうとした日。
いつも必ず追いかけてきてくれて、自分の手を引いて教室に戻してくれたのは──玲香だったのです。




