踏みつけて進め
──嗚呼、私は……真剣勝負がしたかったのではなかったのだ。
この10年間……下卑た魔女の下僕として人を斬り続け、ずっと勝負を求め続けた。
人を斬っても……それが勝負であれば罪悪感が薄れるなどと考えていたが、違ったのだ。
(そう。私はずっと……ずっと……魂が汚れきってしまったこの私自身を……)
誰かに斬ってほしかった──。
ただ、それだけだったのだ──。
鬼坊が付けていた赤鬼の面は、彗が振り下ろした一撃によって叩き割られ、二つになって彼の顔から落ちた。
カランカラン、と二つの木片となったそれが床に落ちたとき。
「えっ……!?」
彗は彼の顔を見て驚愕の声をあげた。
何故なら彼女は、その顔を何度も見たことがあったからだ。
「大西……先輩……!?」
望が丘高校の神棚に飾ってある、白黒の古ぼけた写真の青年。
60年前に撮影されたと思われるその写真と変わらぬ姿の青年が、時を超えて自分の目の前にいる。
『なっ………』
宵も同じく驚きの声をあげた。
彼に会ったことがあったからだ。
彼は、8月のインターハイで彗の試合を見て的確な助言をしてくれた男性だ。
「良い……『面』だったぞ……月詠彗……!」
鬼の面を捨て、彗に斬られたことで長い悪夢から醒めた彼の名前は「大西椿」。
大西椿はニコリと笑い、持っていた新月刀を彗の方へと差し出した。
「最初の『小手』、そして今の『面』。君の二本勝ちだ。受け取れ……」
「え……あ、ああ……」
彗は半ば放心状態で、新月刀を彼から受け取った。
「怪盗Witch Phantom。君は見事に、私からこの神器を盗んでみせたのだ……見事だ……あぐうっ!!!!」
大西椿は突然胸を抑えながら蹲った。
「えっ!?えっ!?あの、大丈夫……!?」
彗は訳が分からずにオロオロと慌て、彼の隣に膝をついて背中に手を当てることしか出来なかった。
「ちょっとお、下僕の分際で何勝手なことしてんの?」
彗が顔をあげると、そこには夏波が立っている。
「な、夏波!何をしたの!?」
彗は大西が老人の姿になり苦しんでいるのは夏波の仕業だと確信し、声をあげた。
「別に、何もしてないわよ?今までしてあげてたことを『やめた』だけ。そいつ……元々死にかけの老人なのよ。それを私が魔法で若返らせてあげてたの」
「あぐ、うぐううううう……!!」
体から魔法を取り上げられ始めた大西は、自分の手が老人へと変わっていき、病魔が再発して自分を蝕む激痛に苦しんだ。
その様子を見た彗と宵は、昔母親が「浦島太郎」が玉手箱を開いて老いていく様子を満月鏡で再現していたのを思い出した。
しかし実際に目の前で老人になっていく男はもっと哀れで、残酷であった。
「負けた上に神器まで勝手に差し出そうとするバカには、ちょうどいいお仕置きでしょ?そのまま死ねばいいのよ」
「ぐっ……!」
彗は夏波を止めようと、立ち上がろうとした。
しかし──
「あぐっ!」
その場にべちゃり、と音を立てて倒れ込んでしまった。
もはや彗は魔女としても、剣士としても立ち上がる力は残っていない。
鬼坊との……大西との戦いで、全てを使い果たしてしまったのだ。
「ふん。無様ね、彗ちゃん。あんたはそのままそこで転がってなさい」
夏波は彗のことを蔑むように見下したあと、「そうだ」と言って大西の方に振り向いた。
「鬼坊、最後のチャンスをあげる」
夏波がそう言って再び新月刀に魔力を込めると、彼の老化が止まった。
「その子供を、斬りなさい。そうしたら命だけは助けてあげる♪」
夏波はニヤリと下卑た笑いを浮かべ、彼を見下した。
夏波は知っている。この男は醜く「生」に執着する老人。
そこを煽ってやれば、どんな命令でも聞くのだ。
「く、くくく……」
大西は、夏波の命令を聞いて嬉しそうに笑った。
「嬉しいなァ。まさか……こんな私に最後のチャンスが与えられようとは……」
大西の言葉を聞いた夏波は、「そうよ」と答え、彗に散々殴られて醜く腫れた顔を、さらに醜く歪めて笑った。
「これは最後のチャンス。従わなければあんたはそのまま死ぬ。ま、従ったとしてもたっぷりお仕置きはしなきゃいけないけどね」
ケラケラと笑う夏波の横で大西は刀を持って立ち上がり、振りかぶった。
そのまま振り下ろせば、床に倒れている彗の首を両断できるだろう。
『彗!逃げろ!!ぐっ……くそっ!!』
イヤホンから、「バタン!」と車のドアが開く音がした。宵が車から飛び出したのだろう。
(はは……バカだなあ。お兄ちゃん。そっから走っても、もう間に合わないよ。それに、私も……もう動けそうにないや……)
彗が仰向けになって大西の顔を見上げると、彼は彗に向けてとても優しい笑顔を浮かべている。
だから彗は不思議と、怖くはなかった。
「…………」
大西はゆっくりと新月刀を振りかぶり……勢いよく振り下ろした。
ズバンッ!!
大西が刀を振り降ろすと、首が刎ねられた。
しかしその首は彗のものではなく──
「はっ……?なん、で……私が……」
──夏波のものであった。
──────────────────
豪月夏波は自分が殺された理由も、下僕が裏切った理由も、何一つ理解することなく絶命した。
他人を嘲り、支配し、自分の欲望を満たし続けた彼女は、最期まで彼の思想や魂を理解することなく終わった。
彼女の死因は首を刎ねられたことだが、首を刎ねられた要因は、そのあまりにも傲慢な心と穢れた魂であった。
(これで、終わった……)
大西には二つの選択肢があった。
彗を斬って、自分は生きながらえる。
夏波を斬って、自分も死ぬ。
彼の魂は迷うことなく、夏波とともに死ぬことを選んだ。
「穢れた魂の魔女」と「勝負に負けた自分」。
「崇高な魂を持って勝負に勝った少女」。
生き残るべきなのはどちらなのか、考えるまでもなかった。
「ああ、よかった……私の人生の最期に、この女を道連れに出来て……」
大西はそう言って満足そうに笑った。
そして夏波の魔力が切れた新月刀は魔法が止まり、彼の笑顔はみるみるうちに老け込んでいった。
この男がもうすぐ死ぬ、ということは誰が見ても明らかであるほどに。
「へっ……?」
彗は夏波の死を見て、大西が自分を助けてくれたことを理解した。
そして夏波が使っていた魔法が切れた彼は、このまま老人になって死んでしまうということも分かった。
「そ、そんな!大西先輩、うそっ……!」
彗は痛む体を必死に動かした。
そして膝をついてその場に蹲っている大西が手に持っている、新月刀の柄を掴んだ。
「ぜったい、死なせない……私が助ける……!!」
彗は強い思いを心に溜め、月光色の魔力を出した。
そしてそれを新月刀に注ぎ込み、大西を対象に魔法を発動させる。
「うぐっ……」
新月刀を初めて使った彗は、この神器は満月鏡よりも多くの魔力を使う神器だと感じ、再び吐き気をもよおした。
「ああ……」
彗の魔法を受けた大西の体は少し若返り、彼は気持ちよさそうな声をあげた。
夏波から注がれる魔法は、生臭い血を飲まされるように気色悪い感覚があった。
しかしこの少女が使ってくれる魔法は、夜空を照らす満月のように、優しい明るさで、心地よい──。
(同じ『魔女』でも……ここまで違うのか……)
自分の欲望を叶えるためだけに魔法を使っていた魔女と、家族のことを思い大志を心に掲げて魔法を使う魔女。
その大きな差を、大西は体で味わった。
しかし──
「んぐっ……!!」
彗はすぐに体に限界を感じた。
内臓が全てひっくり返されるような、途轍もない吐き気と眩暈、頭痛もする。
先ほども味わった、魔力切れの症状だ。
(でもここでやめたら、大西先輩が死んじゃう……!)
彗は魔力切れの変調が体に訪れても、魔力の放出をやめなかった。
「おえええっっっ!!」
体が悲鳴をあげている。もう肉体の限界だと、魔女の血が自分に訴えている。
それでも彗は魔力を出し続けた。
「ッ……!?やめろ!!」
幼い魔女の異変に気がついた大西は、彼女から新月刀を取り上げた。
それにより集中量が途切れた彗の魔法は止まり、再び大西の老化が始まった。
「ありがとう……月詠彗。だが私は、もういいのだ。こんな汚れきった魂に、命を繋げる価値はもうない」
「げほっ……大西先輩、ダメ。死んじゃう、から……!」
彗はなんとか魔法を発動させようと力を込めたが、もう魔力は完全に尽きた。何も出来ない。
(やだ、死んでほしくない……!この人と、もっと話がしたい……!)
彗はこの男と神器をかけて戦ったが、実際は彗の完敗であった。
剣技は惨敗し、魔法も尽きた。
大西はその気になれば途中でいくらでも彗を殺せたのに、何度も見逃された。
それどころか、自分の敵であった夏波さえも斬ったのはこの男だ。
最後の上からの「面」は、東条が昨日の稽古で教えてくれた戦法がたまたまうまく決まっただけ。
彗は何一つとして、大西に勝てなかったのだ。
神器は盗んでも奪い返してもいない。
この男が、自分に渡してくれたのだ。
そのお礼を、まともに言えていない。
ちゃんと話をしたい。
もっとこの人と、剣道がしたい。
しかし、彗は床に溢れている自分の吐瀉物と涙の水たまりを大きくすることしか出来なかった。
「……本当によくやってくれた。君は私を斬り、最後に魂を救ってくれた。それだけで十分なのだ」
大西は静かに微笑みながら老いていった。
かつて患っていた病が再び全身を蝕み始め、強い痛みに襲われた。
しかし……彼は不思議と苦しくも辛くもなかった。
自分のために泣いてくれる彼女の涙が、痛みを和らげてくれているようだった。
「この先も負けるんじゃないぞ、怪盗Witch Phantom。その美しい心をいつまでも持ち続けてくれ」
大西は続ける。
「もしもまた、今日みたいに心が闇に飲まれそうになったら……」
大西は泣きじゃくる少女に向けてニコリと微笑みながら、最期の言葉を口にした。
「そんなものは……踏みつけて進め……!!」
その言葉を最期に、大西椿はその長い生涯を終えた。
あるときは若き天才剣士として。
あるときは伝説の老剣士として。
あるときは恐ろしい人斬りとして。
そしてあるときは、若者にその剣と言葉を遺す老人として。
永い時を生きた彼は、たった一人の少女に看取られながら……息を引き取った。
☽ あとがき ☾
絶命した大西椿の魂は天に昇る前、四人の男女と出会いました。
それはなんと、彼が先ほど少女の背後に見たあの四人でした。
そのうちの一人……明るい雰囲気を持つ女性は彼に頭を下げました。
「──ありがとうございました」
そう言って顔を上げた女性の笑顔は可愛らしく、先ほど勝負をした少女剣士によく似ていたそうです。




