月蝕
彗の魔力切れ──。
宵はそのことを理解し、猛烈な後悔に襲われていた。
(予兆は……あったじゃないか!!)
宵が月竜会の人間すべてを透明にしようと提案したとき、彗は「たぶんすごく疲れる」と発言した。
「疲れる」ということは、魔力は身体機能であり限界があるということ。宵はそれを計算に入れずに今回の作戦を立ててしまったのだ。
「魔女」の一族に生まれた「男」である宵は、家族の女性が魔法を使うのを羨ましく眺めてきた。
だからこそ、魔女や魔法に憧れとも言える思い込みがあった。
「魔法はすごいもので、魔力は無限大。」
盲信に近い憧れを持っていた彼に最悪のタイミングで、とある事実が教えられた。
魔力は使い過ぎると、尽きる。
月詠家にとっては常識とも言える当然のことを、幼い頃に家族を失った兄妹は知らないまま今日まで育ってしまったのだ。
そして最悪のタイミングで魔法が切れてしまったことにより、他の戦局にも影響が出ている。
月竜会の組員はほぼ全員がWitch Phantomの姿で戦っていたが、魔法が解けて傷だらけの彼らの姿が露わになった。
それまでは「怪盗少女の姿で襲いかかってくる不気味な敵」だった相手が、「満身創痍の月竜会の組員」に姿を変えたことにより、月虎会の組員たちは士気を取り戻した。
途中までは屋敷の中で隠れていた月虎会もチャンスと判断して飛び出してきて、月竜会の旗色は一気に悪くなった。
(万事休すか……!?)
全ての作戦の前提であった魔力が尽き、敵の前で彗が正体を晒している。
これほどに悪い状況は無い、と宵は悲痛な表情を浮かべた。
「………つまらん」
真剣勝負を楽しんでいたところで突然相手が自滅。
鬼坊は小さく舌打ちをしてから、ゆっくりと彗に近づいた。
最後の一撃で、このいたいけな少女を早く楽にしてやろうと思った。
「ん?んんん!?」
夏波は、予想通り相手の魔女の魔力が切れたのを確認すると、鬼坊を押しのけて倒れている少女に近づいた。
そして夏波は10代半ばといった年頃の少女の顔を確認した。
大きな切れ長の目と、通った鼻筋。
その顔には幼い頃に遊んでやった、「あの子」の面影がまだ残っている。
「あああー!!!」
夏波は気がついた。
自分たちが殺し尽くしたはずの、「月詠の魔女」が存在するたった一つの可能性に。
あの晩、秋奈は撃ち殺した。
あの秋奈は間違いなく本物だった。
何故なら直前まで神器を使っていたからだ。
だが、子供は?
そう。自分が撃ち殺したと思っていた二人の子供は、秋奈があらかじめ用意していた偽物だったのだ。
この10年間、自分は秋奈にまんまと一杯食わされていたのだ。
そうだ。あのときの子供が10年経てば、ちょうど今は女子高生ぐらいの───
「彗ちゃんじゃなあい!!!懐かしぃ〜!!大きくなったわねぇ!!」
─────────────────
「ほらぁ、夏波おばさんよ?昔、よく一緒に遊んであげたでしょう?」
「くっ……かはっ……!」
彗は苦しそうに、夏波を見上げた。
許せない。春華と冬子と共に、両親祖父母を殺して家に火を放った女。
「あらあら、そんな親の仇みたいに睨んじゃってえ♪」
夏波は皮肉を言い、彗を馬鹿にしたようにケラケラと笑った。
「ん?なにこれ?」
夏波は彗の耳に付いているイヤホンを拾い、耳に当ててみた。
すると、『彗、彗!しっかりしろ!!逃げるんだ!!』と叫んでいる、青年の声が聞こえた。
「あー!!もしかして……宵くんもいるの!?兄妹で怪盗になって神器を取り返そうとしてたの!?えー、すごい!あんな小っちゃかったのに……おばさん感動しちゃう!」
夏波は全て理解した。
月光色の魔力光を放つ「月詠の魔女」が怪盗として現れた論理、動機。全てに納得がいった。
「まあでも悲しきかな、彗ちゃんは魔女としては未熟過ぎたね。あんな無茶苦茶な使い方してたら魔力なんてすぐなくなっちゃうんだよ?知らなかった?」
夏波は彗を嘲るように笑い、続ける。
「そんなの、魔法の基本中の基本だよ?あ、でもあんたには誰も教えてくれなかったんだもんね。知らなくて当然かぁ。お母さんも、おばあちゃんも死んじゃってるからねぇ♪」
「うぶっ……ゲボッ!!ゴホッ……関係、ない……!」
彗は吐きながら夏波に言い返そうと口を開いた。
話すことも辛い状況だが、あまりの怒りでどうにかなりそうだった彗は必死に口を開いた。
「私には……お母さんとの思い出がある……!!お母さんとの思い出が、私に魔法を教えてくれる……!!」
そう。誰からも魔法を教わることができなかった彗は、秋奈との微かな魔法の記憶を頼りにここまでやってきた。
記憶の中にある母親の笑顔と魔法が、彗に満月鏡の使い方を教えてくれたのだ。
「あらそう。それは素敵ね。じゃあ……私も秋奈とのとっておきの思い出を一つ話そうかな?」
夏波はそう言うと口角をニイィと上げ、邪悪そのものと言える、吐き気をもよおすような笑顔を浮かべた。
「──あんたのお母さん、秋奈を殺したのは……私だよ♪」
その瞬間、彗は目の前が暗くなるのを感じた。
動悸が早くなり、心臓が痛い。
頭の中でぐるぐると視界が回り、気持ち悪い。
「後ろから拳銃で背中をパーンって撃っちゃった♡どう?私と秋奈の、素敵な思い出でしょ?」
夏波は、姪の表情が死んだように固まったのを見てケラケラと笑った。
敗北が確定した相手をさらに攻撃して遊ぶ、最低最悪な性格をした女にとって彗に秋奈の最期を話すのは良い娯楽となった。
「あー、面白かった。じゃあ鬼坊、とどめよろしく〜」
夏波は彗の方にイヤホンを投げ返し、距離を取った。鬼坊に殺される姪の返り血を浴びたくないと考えたからだ。
「待……て……!!!」
「ん?」
夏波が振り返ると、そこには倒れたままの彗の姿。
しかし、体から何かが溢れ出ている。
「は……?なに、それ……魔力光?」
夏波はそれを「魔力光」と断定できなかった。
何故なら彗の体から漏れ出しているそれは、先ほどまでの月光色のものではない。
彗の体から出ていたのは、漆黒とも言えるほどに黒い魔力光だった。
「そんな……あり得ない……」
もう魔力は尽きたはず。普通の魔力も、黒い魔力もエネルギー源となる心は同じ。
いくら怒ったところで、一度枯れた魔力は簡単に戻らないはずだ。
「ゆる……さない……!」
しかし夏波が想像もつかないほどに激しい彗の怒りと復讐心は、彼女に一時的な魔力を与えたのだ。
彗は真っ黒な魔力光を体から放ちながら、ヨロヨロと立ち上がった。
体はふらつきながらも、その目はギロリと夏波を睨みつけている。
「よくも……お母さんを……!」
10年前のクリスマスイブ、母は自分と兄に満月鏡で最後の魔法をかけてくれた。
その魔法が切れてしまい、母の最期を知った瞬間の絶望はまだ覚えている。
兄に背負われて隣町の交番まで行き、月詠という苗字を捨てて偽名を名乗ったときの絶望を覚えている。
家族を失い寂しく思い、ただ一人の肉親となった兄に甘え、泣いたこともある。
魔女として魔法が使えるようになったあとは、母から魔法を直接教えてもらいたかったという気持ちが何度も湧き、枕を濡らした夜は一度や二度ではない。
その絶望も悲しみも、全てこの女が原因だったのだ──
「よ……くもっ……お母さんをっっっ!!!!殺すっっっっ!!!絶対にっっっっ!!!」
彗はそう叫びながら腹のあたりに手をやり、ウエストポーチに入っている満月鏡に、自分の体から溢れ出る真っ黒な魔力を無理やり注ぎ込んだ。
「ぐっ……嘘でしょ!?」
10年前のクリスマスイブのあと、春華と夏波は「黒い魔力を込めると神器は『闇』の魔法を発動する」と発見した。
そして「黒い魔力」とは憎悪や嫉妬、自己顕示欲などの負の感情を心に満たしながら魔力の解放を行うことで、魔女の体から放出される。
彗は心に「殺意」という、何よりも強い負の感情を込めた。
そして魔女の黒い魔力に反応した満月鏡は、「幻影」という本来の魔法ではなく、その裏側……闇の魔法が発動した。
満月鏡はその鏡面からドロリと深い暗雲のようなものを吐き出し、暗雲に覆われた周囲の光と音を全て喰らい尽くす。
「きゃっ……!なに、これ……!!」
突然何も見えなく、何も聞こえなくなった夏波は声をあげた。
叫んだその声さえも、自分の耳に届かない。
満月鏡は闇の魔法で暗雲を吐き出し、周囲にいる全員の視覚と聴覚を奪い、その場に完全な闇と静寂を作り出した。
(これが……満月鏡の闇の魔法!?)
夏波は驚いていた。
新月刀の闇の魔法は「影のような物質の生成」でありそれを応用して刃として飛ばしていたが、満月鏡の闇の魔法も恐ろしいものであると夏波は感じた。
ゴスッ……!!
「ガハッ……!!」
夏波は、腹を細くて固い何かで強く殴られた。
ガスッ……!!
「ぐうっ……!!」
次は頭。殺意に満ちた「何か」が自分に襲い掛かり、何度も殴りつけてくる。
しかしこの完全な暗闇と静寂の中では、避けることも逃げることも出来ない。
新月刀の身体能力強化がなければ、とても耐えられなかっただろう。
だが見えないし聞こえない状態では、こちらから反撃することは出来ない。
ただ一方的に、少女の殺意をその体で受け止め続けることしか出来ない。
(チッ……どうすればいい?手探りで離れてみる?道場の出口の方向は大体わかる。外にさえ出れば……)
ここまで強力な魔法であれば、有効範囲があるはず。おそらく道場の外までは暗雲は広がっていないはず。夏波はそう判断し、ゆっくりと移動を始めた。
だが、それを彗が見逃すはずはない。
ゴスッ……!!
「ゲホッ……!!」
腹を強く蹴られて倒れた夏波は、服の襟を掴まれてズルズルと暗雲の中央へと引きずり戻された。
(だ、ダメ……!逃げられない……!私、こんなところで、殺される……?)
その後も、殺意が乗った一撃が何度も何度も自分の体に叩きつけられ続けた。
夏波は完全な闇と静寂の中で、久方ぶりに恐怖を味わった。
ずっと自分は恐怖や絶望を与える側だった。
しかし今は完全に逆の立場。抵抗もできない状態で激しい暴力に晒され、彼女の心を恐怖が蝕んだ。
(絶対に、逃さない……!!!殺す!!!)
彗は、この闇の中で夏波を嬲り殺そうと考えていた。
新月刀の身体能力強化なんて関係ない。死ぬまで殴れば、たぶん死ぬだろう。
途中で床に落ちているイヤホンに気づき、拾って耳につけると自分を止める兄の必死な声が聞こえた。
だが無視した。
誰がなんと言おうと、こいつだけは殺さなくてはいけない。
この暗雲の中に閉じ込め、殴り殺してやる。
両親と祖父母を殺され、家を燃やされ、私と兄が10年間味わった絶望と苦しみを、全てこの女に吐き出してやる。
魔法を使っている自分は、この暗雲の中でも見ようと思えば目が見えるし、聞こうと思えば音も聞こえる。
よかった。これならこの女が死んでいく姿を見逃さずにすむ。断末魔を聞き逃さずにすむ。
(絶対に殺してやる……!!お母さんの仇!!!)
「やめないかっ!!中村水!!」
完全な闇の中に、一人の野太い男の声が響いた。
☽ あとがき ☾
闇に染まった心には誰の声も響かない。
ただ復讐に心を支配され、暴力の甘美な感触を味わうのみ。
敵が痛みに耐える呻き声、兄が自分を止める涙声、一人の剣士の怒鳴り声。どの声も彼女の心に届かない。
しかし彼女が聞き流した数多の声の中には一つだけ、そこに存在するはずがない声があった。
「──彗ちゃん。もう、やめて……!」
その声の主は、自分が原因で彼女の心が闇に堕ちてしまったことを、誰よりも深く哀しんでいた。
しかし、その声も今の彼女には聞こえなかった──。




