冬子
「ああー、寒い寒いやだやだやだなんで剣道って裸足なのかな?来週からは靴履いてやろうよ。ねぇお兄ちゃん」
彗は自身の苗字である「月詠」と大きく書かれた防具を身につけたまま、床の冷たさに文句を言って足をバタバタと動かしていた。
「……ぐだぐだ言うな。ほら、お前の番だぞ」
同じく月詠と書かれた防具を身につけた宵は、妹の背中を軽く押した。
「あれ、ほんとだ。行ってくるね」
2人は道場で他の門下生と共に素振りや打ち込み稽古をした後、試合形式の稽古に取り組んでいた。
順番に前に出て、一対一の立ち合いをする稽古だ。
「はじめぇ!」
審判の先生の声が道場内に響いた。
彗の相手は四年生の男子で、宵の同級生。
宵は一度も彼から一本を取った事がなかった。
しかし──
パシンッ!パシンッ!
「勝負あり!」
──彗はいとも簡単に、目にも留まらぬ速さで彼の防具を2度竹刀で打ち込み、勝利した。
相手に何もさせず、彗だけが竹刀を自由に振るい決着をつけてしまった。
道場に通い始めてまだ9か月ほどの小学一年生の彗は、この道場の門下生のほとんどより強かった。
また、宵は逆にこの道場の門下生のほとんどより弱い。
彗が剣道を始めて一ヶ月で宵から一本を取ってしまったとき、宵はショックで眠れなくなった。
しかしその不眠症はすぐに解消した。
彗はその後どんどん他の門下生を倒していったからだ。自分が弱いのではなく、彗が異常に強いのだ。
「あー、寒い。夏も暑くてやだったけど冬もやだね、剣道って」
そして本人に天才剣士の自覚は無く、彼女の興味は常に暑さや寒さへの文句が中心だった。
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稽古が終わった二人が家に帰ると、キッチンの方から良い香りがした。春華と夏波が夜のクリスマスパーティの為の料理を作ってくれているのだろう。
そしてそれとは別に、二人の昼食としてサンドイッチが置かれていた。
宵はキッチンに向かって「春華おばさん、夏波おばさんありがとう。いただきます」と声をかけ、それを手に取った。
彗は既に食べ始めていた。
「あ、冬子おばちゃん起きたんだね」
「んー…」
彗が話しかけた冬子は、先ほど起きてきたのかまだ目が半開きで、太ってふくらんだ腹をボリボリと爪で掻きながら、春華と夏波が用意したサンドイッチを頬張っている。
冬子は身なりを気にしていないような風貌なのに、やたら香水やアクセサリーには凝っていて、冬子からただよう強い香水臭が宵は苦手だった。
また大した努力もしていないのに、いい歳をして「私はいつか女優になる」と言っており、現実を見ずに夢みがちな話ばかりをして家族を困らせていることも、宵を苛立たせていた。
「ねえ冬子おばちゃん、いい匂い!その香水どこに売ってるの?私、おんなじのつけたい!」
「あー、これは私が自分でブレンドしてるやつだから……大きくなったら彗ちゃんにもつけてあげる」
「うん、やくそく!」
彗は嬉しそうに笑い、自分が大人になった将来の事を楽しそうに想像した。
その隣で宵は、彗が冬子のような大人にならない事を祈った。
「あ…秋姉が『お昼食べたら医院の方手伝いに来て』だって。二人に。なんか年末近いからかすごい混んでるって」
それを聞いた宵は両親と祖父母が忙しく働いている姿を想像した。
「わかったー」
「………」
彗は素直に返事をしたが、宵は冬子の方をチラリと見ただけだった。
医院が混んでいるのであれば、祖父母と両親は猫の手も借りたいはず。
だから母は自分の子供達だけではなく冬子にも頼んでいったに違いない。
それなのに、わざわざ「二人に」と言う冬子は仕事を手伝う気は無いということ。
やはり宵は冬子のことが好きではなかった。




